誤解の一つは、たぶん>>520 は、
 “十六にて故宮に参り給ひて、二十にて後れ奉り給ふ。三十にてぞ、今日また九重を見給ひける”
に出てくる年齢を故宮の年齢だと誤解していることかと
これは六条本人の年齢だよ。六条が自分の人生を懐古しているところ

ここで注意すべきは「故宮」という表現
「宮」という呼称は、東宮のことだけではなく帝の血筋(兄弟や女娘)にも使われる

だから、東宮が二人立ったとか廃太子説はナンセンス