紫式部、源氏物語スレ
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日本の文学とか芸術とかいいますと、たいていの西洋人がすぐに思い浮かべるのが「源氏物語」でありましょう。 「源氏物語」はまた世界最初の小説として世界のひとびとの注目を集めています。 しかしながら「源氏物語」は、日本人があまり読んでいない作品で、世界的に名を知られているほどには 日本人が親しんでいるとはいいにくいのが「源氏物語」でもあります。 「源氏物語」を語り合いましょう。 公任卿が「このあたりに紫の上はおられませんか」 と聞いてるのに気の利いた応えが出来ず後から日記でねちねち言う紫式部さん >>527 式部の時代には、平安貴族の芸術才は既にかなり低下していた これは枕の草子からもわかる 『源氏』に出てくる和歌も、古今など前時代からの引用が多い その場で気の利いた答えができるくらいなら、枕草子書いてるわ そこまで言うかってほど清少納言のことボロクソに貶してるもんなw ものすごいコンプレックス持ってたんだろうな >>532 コンプレックスというか競争心はあったろうけど、それだけかな? その後自分が寝取られ役を演じることになり やはり薄らとぼけることになる源氏なのでした 紫女さんはこれ書いてるとき舌出してそう 藤壷は桐壷更衣の代わりというか、右大臣側の権力が強くなりすぎないために見て見ぬフリをした感が強い 源氏が産まれなければ葵を朱雀帝の正妻にして左大臣との権力バランスを保つつもりだった 源氏は独り勝ちしちゃったからな 源氏は独り勝ちしちゃったからな ↑ 結局コレにつきる。帝の后と通じて子どもを為し、即位までさせて しまう。バレたら島流しどころの騒ぎじゃない。 柏木と女三宮がしたことよりある意味重罪なのに。 桐壺帝は分かってて野放しにしていた。それほど源氏がかわいかった のか。 桐壷帝は割り切ってるだろ…そもそも本命は桐壷更衣だし 後ろ盾が無いからこそ愛情が強くもあるだろうが、 源氏の後見に左大臣をつけたのは右大臣側を牽制するためでもあるよ 朱雀帝も、朧月夜と源氏の関係に気づいていながら、源氏をとがめないんだよね 「須磨」で桐壷帝の亡霊が言う、自分は罪を残したというのは何のことだろう・・・ 末摘花のあばら屋描写がすさまじい 式部はけして儒家的な人間ではなかったが、ここまでくると その心構えには感服していたようである >>408 これがもし本当なら、明石入道の事だと思われる 最初は貴族設定ではなかったのに、なぜか後になって 母方の先祖に宮がいたことにされているあたり・・・w さこそ厳しくはなかったにせよ、道長による軽い検閲はあっただろうね >>526 『葵』では秋好のことを指して「かの六条の御息所の御腹の前坊の姫宮」って書いてるし 故前坊という呼び方は『葵』『野分』『若菜上』と何度も出てくる 桐壺帝の弟の故宮=前の東宮じゃないの? >>545 東宮が死ぬと「故坊」と呼ばれるの? この辺の呼称って、「なんとなくそう呼ばれていた」感が強く、必ずしも統一された規則がないような… >>546 源氏物語の中で「故坊」って呼称は見たことないけど 生きてる東宮時代の今上は「坊」「宮」「承香殿のみこ」「東宮」「内」「上」等呼ばれてるわけで 作中で亡くなった時点で「故坊」だの「故宮」だの書かれたとしてもおかしくないのでは 故前坊でググったらwikiで六条の年齢の謎についての説が大量に上がっててなんかワロタ 漫画なんかでも話が進むうちに絵が変わったり辻褄が合わなくなったりするからな。 微妙な違いじゃなんとも言えないだろ。 <<513 私もかつてはそう思っていました。 が、一読者として長年読んでいるなか、 恐ろしいパワハラに遭いました。 源氏は嫌みを一言言っただけだったと思うけど、 官僚界のトップに睨まれた恐怖で寝込むのはわかる。 >>84 それが本来の日本人の美学なんだよ 明治以降の基地外軍国主義に支配された日本と日本人は終わっとる 私はこれを日本の朝鮮化と呼びたい >>554 ほぼ同意。 古典を原文で読めない人がほとんどになってしまった。 今の教育、文化の多様化で致し方ないけれど、 彼の国では漢字が読めない若者が多くなってしまっている。 源氏物語を世界遺産にしようという動きが微塵もない現代日本は 確かに終わっている。 >>542 「明石」だけど、舞台は須磨なので・・・ 藤壺と源氏の密通を知らなかったこと云々という説もあるようだけど、 院は知らなかったわけで。 人間としてこの世で知らず知らず犯してしまった罪、という説が無難とされている。 >>553 あのセリフ、居合わせた他人にはちょっとした嫌味にしか聞こえないのが狡猾だよなぁ 密通が源氏にバレてるんじゃないかと気に病んでいる柏木にはとどめの一撃になったけど 桐壷帝の子は全部で何人いるんだろう 螢はよくでてくるけど 一の宮、二の宮・・・という数に、源氏は含まれるのだろうか? これから冷泉帝が自分の出生の秘密を知ってしまうところへ 瀬戸内版を読もうと思うけど「瀬戸内寂聴の源氏物語」というのと「源氏物語」(一)〜(十)というのがあるみたいだが前者は後者のダイジェスト版とみていいの? もし読むとしたらやっぱ後者の方だよね? 谷崎訳と与謝野訳、チラ見する機会があったのでみてみたけど、無理だった。 上のレスでも書かれているけど、斎宮(秋好)は春宮(冷泉帝)より朱雀帝に嫁がせた方が幸せだったのではないか 『瀬戸内寂聴の源氏物語』知らなかった。 2001年発行で『現代語訳・・・』より新しい。 全1巻の「エッセンス」ということらしいので、 『現代語訳・・・・』の前に出ていた『女人源氏物語』みたいなのかな。 源氏物語は、光る君・スーパーヒーローの作り物語的に始まるが 明石の君によって姫を授かり、摂関政治の主人公となっていく。 そして第二部の苦悩、第三部の心理描写小説、とやっぱり大作。 全巻に当たるほうをお勧めするよ。 政岡大裕死ね。なんでまだ生きてるんだよ。早く死ねよ。 現代語の方が意味は分かりやすいだろうが、味気なくなるんだよなあ 注釈付きの全集か岩波文庫(これは厳しいけど)で、桐壷巻きから宇治十帖まで読みたいところ やはり一気読みがいいと思う。 途中で誰のことかわからなくなるし。 それと、和歌の意図や風情が現代語訳ではぴんとこないだろう。 余裕がなくて第三部から始めたこともあるけど、 それ以前の登場人物に関する記述が残っているからね。 薫と匂宮の挑み合いにわくわくしたり、 女二宮を断り切れない薫、と読みどころは満載ですな。 薫はイライラしますね さっさと出家しろと思わずにはいられません できる限り風流さを損なわないように書いているけど、話としては悲劇 特に後半に進むにつれて、登場人物が絞られていく分救い難さが際立っていく とは言え更科日記の菅原孝標女は浮舟に憧れてるんだよな あの状態に憧れるか…やっぱ腐なのか… 「夢の浮き橋」最後、薫が「誰か他の男が隠し住まわせているのだろうか(自分もそうだったし)」と 思って終わる。 ぷっつり切れているようだという説が多いけれど、 読者としては、あの台詞(心中台詞)を言うのが薫の役目のように 思える。 菅原孝標女は、「源氏の物語」をもらった時は年齢からして 処女だったろう。 それで晩年になって、おぼこ時代を 「まづいとはかなくあさまし。」と述懐した。 後半は式部の娘が書いたとか、いろいろ説はあるみたいだね 浮舟って作中では一度もそう呼ばれてないのに更級日記の作者がそう呼んでるってことは 当時すでに読者たちが登場人物にニックネームつけてたわけだ。 そうしないと同時代人にも誰が誰やら分かりづらかったんだろうなw 朝顔に入った この女性もよくわからない 源氏六条通いの翌朝、源氏と和歌応酬して関係を拒否している 六条亡き後、六条の娘と交代で斎院になるくらいだから、宮であることはわかる いつの間にか故桐壷帝の直姪になっている 明石君もそうだが、源氏物語には概してこういう後付け格上げが起こっている 明石君て書かれるたびにタケちゃんマンあたりを思い出してしまう 明石入道がコミカルだから 巻の構成のせいか、夕霧と冷泉帝は同世代のはずだけど、どちらが年上なのかわからなくなるなあ だいたい同年齢 研究者による年齢カウントでは、藤壺が懐妊したのは「若紫」の源氏18歳。 葵上が夕霧を出産して亡くなったのは源氏22歳。 僅差で冷泉帝が上? おお、ありがとう。そろそろごちゃごちゃしてきた 朝顔はいいね この辺りで一人くらいはきっぱり源氏を拒否する女性も出てきて欲しい 朝顔の姫君は、齋院を務めたからなんだろうか。 運が悪ければ末摘花のようになるかもしれないのに、現実的な結婚を 考えなかった。 紫の上が宮家の出だったことも心中にはあったのかもしれないね。 もう一押し、と出かけようとするのを諦めた夢に藤壺が出て来て 朝顔への思いを躊躇させている展開が、実によくできているなあ。 心中に浮かぶなら、紫の上より六条御息所じゃないかな 六条に仕えていた?時も、煩わしいことには関わりたくない、とお断りしている 物語の雰囲気は〈朝顔〉巻でまた一つ区切れる 〈少女〉巻は夕霧と雲居の雁に焦点をあててつけたのか ちょうど世代わりの気配がある巻だから、別名〈日影〉の方が巧く感じる ううむ。確かに、葵上の枕上の物の怪の正体が六条御息所と知れた時の驚愕は大きかったろうね。 が、・・・紫の上と共寝をしながらも藤壺と同じ蓮の上に、と念ずるのが いかばかりの存在だったのか。 『少女』では惟光の娘が五節の舞姫に抜擢された。 だが、その舞台裏ではご指摘通り、夕霧と雲居雁、内大臣、大宮とどたばたが始まるね。 次は『玉鬘』。数奇な人生の才色兼備が出てくる・・・ やはりこの巻は〈少女〉巻と〈日影〉巻に分けた方がすっきりしたように思う 夕霧が元服して世に出始めるが、 源氏の教育論・藤壷一周忌・梅壷が弘徽殿に先立ち立后・明石が六条邸に移るなど、 まだ話の中心は源氏だとわかる あれほどの権威をふるった弘徽殿の大后(朱雀院の母)が久しぶりに登場するのも読みどころ 玉鬘十帖はスピンオフ的な部分があるので、さらっと流して、後で番外編として楽しんでも問題なさそう 長年わからないことがある。「玉鬘」の終わりのほうに出てくる 紫の上が正月向けに装束布を用意する場面。 どの現代語訳も「紫の上の染色技術」がすぐれているとあるのだが、 染め物というのは力も要るし、汚れもするし、 お姫様のたしなみとは思えない。 かたや、中の君だったか、浮舟だったかが、都へ上るに当たって おそば付きの女房たちが縫い物に勤しんでいる描写がある。 玉鬘での文脈では 「世になき匂ひを染めつけたまへば」 これを、女房を指揮して染色をするととるべきかとも思うのだが、 ググった結果今のところ、紫の上自身が染色技術を持って やっているように訳されている。 どなたか詳しいかたに教えていただきたい。 色遣いのセンスとか染料の調合とかも染色技術のうちなんでないかい 皇族貴族の淑女が手を汚して染めの現場で働くはずはないから 貴族の淑女といっても、遊んでばかりいるのではない 風流であり続けながら、他の女性やお仕えの女性達のお召し物や、調度品などの準備といった、家のきりもりもできなければならなかった 源氏が官位剥奪・流刑されていた三年間に二条院があばら屋化しなかったのは、紫の上の手腕もあるだろう 「雨夜の品定」では、女性をただお通いする遊び相手としてみているのではなく、 実務能力についても論じられている >>587 を拝読して、しばし考えていた。 衣服を縫うことは主に女房たちの仕事として 描写されているが、そう言われれば、染め物をしている具体的な場面は 読んだ記憶がない。 染め物はきつい作業だから、実際に作業していたのは 人数に入らない下仕えの者たちであり、 具体的作業をすっとばして女君が成し遂げたような表現になっているのだね。 また、七夕をはじめお針、縫うということは女の嗜みという伝統がすでに でき始めていたように思う。 >>588 左馬頭の挙げた女性像だろうか。 「あだごとにも、まめごとにも・・・」とある。 男と女の風流ごと、社交、また仏事の執り行いなどかな。 そう言えば、紫の上は仏事のお供えや関係者への配慮など 源氏の感嘆するセンスだったかと・・・ 紫式部と清少納言とのトレードは、吾輩も考えたことがある。 「式部よ、香炉峯の雪いかならむ。」と定子中宮がのたまへば 式部が御簾を上げてご覧じ給うたと思うが、 それは『紫式部日記』に書かれることになったであろう。 しかし、道隆一門は失脚したから、 やはり時間的にも余裕のあった道長側についていなければ 『源氏物語』は執筆できなかったと思われる。 『紫式部日記』は朝日新聞社の古典全書と、講談社学術文庫のを利用している 微妙なニュアンスの強弱など、解釈が異なるから面白い ところで、『紫式部日記』と『枕草子』 風雅さでいえば『枕草子』の方が圧倒的に上回る 清少納言が感覚的・詩的であるのに対し、紫式部の記述は説明・記録的 ひじょうに基本的でお恥ずかしいが、まずは第一段。 「春はあけぼの。」花ではなく(桜でも梅でもなく)「あけぼの」。 この書き始めがものすごく新鮮であったと思う。 中学校で学習する段であるが、恐るべきセンセーショナルな始まりだったと思う。 「秋は夕暮れ。」紅葉でも尾花でもなく「夕暮れ」。 「夏は夜。」 「冬はつとめて。」 夏・冬が春のあけぼのと秋の夕暮れに合わせた一連なのかもしれないけれど。 「木の花は」も好きだ。 とくに、梨の花、桐、楝の花など。楝の花が毎年驚くほど正確な時期に咲くのにも 少納言の昔からの手紙のように思える。 「故殿などおはしまさで・・・」など少しずつ込み入った日記的章段が増えていき 読むのは面倒なものも多いが、中宮側近の生活や宮中行事を知るよすがになるな。 花散里、いいね 明石が出てきてから何となく源氏周りがギスギスとあわただしくなるが、 さすがは宮というのか、おっとり優雅に自身の世界を保っている 源氏物語で詠まれる和歌のうち、花散里の詠んだものを最高とする説もある 確かにやや感情過多の向きが多い中、花散里の“水鶏”の歌は、さっぱりとした風情が気持ち良い 源氏、葵の上、秋好中宮、朝顔齊宮が互いに従兄弟(従姉妹)同士だとやっと気が付いた。 花散里の水鶏の歌、確かにいいと思う。 水鶏が戸を叩く、という使い方は一般的だったかもしれないが 余裕のある恋歌の印象。 どっと後ろへ行ってしまうが、 浮舟の 橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ 個人的にずっと昔から刻まれている歌である。 ……ところで、純然たる翻訳であることがわかる与謝野晶子訳『源氏物語』は別として、谷崎潤一郎以下の現代語訳やリライトものとなると、作家たちがそんな仕事に取り組もうとした意欲の出所がよくわかりません。 中途半端に原文に引きずられながら不自然な現代日本語に書き直して何が面白いのか、あるいは他人の書いた小説に適当に尾ひれをつけて自己流に「加工」することにどんな意味があるのか、どうもよくわからないことだらけです。 翻訳なら翻訳に徹すればいいので、その点、率直で無愛想で、実は一番読みやすい翻訳になっているのは与謝野晶子訳の『源氏物語』です。 倉橋由美子「小説を楽しむこと」 「どんな意味があるのか」って… 原文以外に書き改めることに「どんな意味があるのか」て言われたらどう答えるんだこの人 「私は与謝野晶子訳が好きです」て言っときゃいいんだよ A gengie, A gengie When will those clouds all disappear? A gengie, A gengie Where will it lead us from here? With no lovin' in our soul and no money in our coats You can't say we're satisfied But A gengie, A gengie You can't say we never tried 源氏の54帖の数字を6×9ロック(16才をニハチというがごとし) と、すれば、図像的には6と9を並べれば、二つ巴になり、 これは太極であり、道教の思想を表わす。 たぶん、源氏物語は道教思想を表現するために書かれた。 6と9などの数字表現はヨーロッパでは10世紀末には 成立していた。それが、密かに日本に伝わっていたのかもしれない。 54帖といっても、式部が編集したわけではないからねえ 巻の名前さえ後付けのようだし 宇治十帖は源氏亡き後の社会観の変化として期待したい 個人的には玉鬘十帖の構想がズレ過ぎている感がある さして重要な人物でもない玉鬘に焦点を当て過ぎてしまったため、全体がくどくどしいものになっている 宇治十帖は、心理描写を中心とした作品であり、執筆者が誰であろうとも 源氏物語の終わりとしてなくてはならぬもの。 玉鬘が鬚黒の妻におさまるという、急転直下の成り行き、 内侍尚として出仕、周囲の動揺など楽しめるのではないか。 大君・中の君・浮舟と匂宮・薫の物語は物語の終焉として不動だと思う。 空想的要因であるが、匂宮が香に洒落を凝らしていたのに対し 薫が天然(?)の芳香を持っていたことは 第一部の源氏の縁として浪漫がある。 同感。 で、内侍尚としての玉鬘と今上帝との間について 執筆者が書いていないのがまた、鬚黒気の毒。 有門 空門 亦有亦空門 非有非空門 鯉 牛 硯 月 暑くて読むのが困難な季節になってきた_(_^_)_ とりあえず玉鬘まわりだけ飛ばして読み進めることにしよう・・・。 このところ、原文での再読を始めたのだが、やはり原文は韻が良いね。 >>622 上の方にリンクが貼ってある方でしょうか?>渋谷氏 いずれの版にせよ、古文のままの方が(わたしは注釈横目ですが)、 文章の抑揚やちょっとした感情の機微が感じ取りやすいと思います。 >>623 これどうぞ 「源氏物語の世界」(渋谷氏) ttp://www.sainet.or.jp/~eshibuya/index.html 「源氏物語の世界 再編集版」(渋谷氏の校訂を対訳で見られるように加工) ttp://www.genji-monogatari.net/ 「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(全30巻) http://www.kawade.co.jp/news/2014/05/-201411.html 4:源氏物語 上 角田光代 訳■新訳 5:源氏物語 中 角田光代 訳■新訳 6:源氏物語 下 角田光代 訳■新訳 >614 玉鬘は鬚黒と結婚しても一応尚侍として出仕はしてたんだよね やっぱり冷泉帝となんかあったのかな それとも何もなかったから玉鬘大君に執着したのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる