文学とアニメ
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なぜ?w 日本でもフランス人が集まるところへ行けば
ふつうにフランス人がいるだろw 母親が平野綾のブログの読者だと知って複雑な気持ちになったでござる。 costume playってそもそもは歴史劇って意味でしょう。 東浩紀の影響もあってか、若手の批評家はアニメ好きが多いようだけど、その東原作の「フラクタル」は近年まれに見る糞アニメだった。 東京MXにて、「鉄腕バーディー DECODE」の最終回を鑑賞。作画マニアの間でよく動くアニメとして有名のようだけど、ストーリーがあまりにも大味だった。ハリウッドのB級大作映画みたいな感じだ。 「猫神やおよろず」最終回鑑賞。うん、じつにいいアニメ。個人的には今期1番だったかも。桜井弘明のたしかな演出も声優陣もとても良かった。もっと評価されるべき。 東京MXは鉄腕バーディーDECADE2を放映してくれるらしい。何だかんだいってこれはありがたい。不思議なのはミルキィホームズの再放送が終わったら、また最初からやるみたいだ。たしかに秀作ではある。 SKET DANCE鑑賞。銀魂とのコラボ企画。面白かった。とにかくこの企画では白石涼子が美味しかった。白石涼子の声は好きだからうはうはである。 「BLOOD-C」最終回鑑賞。やっぱり超展開すぎて、シリアスなシーンも失笑してしまう。クリーチャーの造形も何とかならなかったのか。でも、終わり方は悪くない。キル・ビルみたいだ。劇場版に続くそうです。 「輪るピングドラム」♯12鑑賞。これはもう神アニメでしょう。それにこれほど文学の引用があるアニメもそんなにない。陽毬の「グッド・バイ」という台詞に心が震える。 「BLOOD-C」の感想まとめブログ覗いてきたら、この回だけ見とけばよかったんや・・・って感想があって笑った。本当にその通り。ネタアニメとして盛り上がってるみたい。あと、たしかに無駄にグロかった。女の子の股裂きとかあったし。 現代の文学的なイノベーションは日本のライトノベルくらいしかないからね。 AT-X(本日無料)で、「シーキューブ」鑑賞。最初から最後まで既視感が。主人公の少女は電波女だし、男はどこのロウきゅーぶ? 予告が面白そうだったので視聴は続ける。 Fateに魅力を感じない方居ますか?
私は世界観には強く引き込まれるのですがどうもキャラクターに感情移入が出来ず、全体としてしらけた印象を受けます。
他にもこのように感じている方が居ましたらなぜそのように感じているか理由を教えていただけないでしょうか。
ファンの間ではフェイトは文学とか言われてるそうですよw個人的にはセイバーが可愛いだけのアニメですが
ファン以外がしらけるのは普通じゃないでしょうか /::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\
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 ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄ 昨日Fate Zeroを視聴しかけたのですが、最初の10分ほどでリタイアしました。そもそもファンタジーが苦手なせいもあるけど、世界に入っていけなかったな。 「境界線上のホライゾン」鑑賞。これも既視感がと思ったけど、テンポがいい。単調になりがちな多人数の顔見せを先生との追いかけっこで処理したのは見事。先生可愛い。 ただの感想スレじゃねえか
何が文学好きがアニメを語るだ
ラノベしか読んでないんだろうがどうせ
もうやめろ、こんなスレは
ただ「文学好き」と称する小さいグループ作ってオタ話したいだけだろ
板違い AT-Xで、「たまゆら」鑑賞。まさに日常系アニメ。時間の流れがゆっくりしていて、心理描写も繊細。風景もたいへん美しい。ARIAスタッフなのか。寝そうになった。竹達頑張れ! Fate/Zeroを吉村スレの書斎魔神が高評価してた このスレは全然ためにならん
よってお気に入りから削除させてもらう! 「侵略!?イカ娘」鑑賞。安定感があるってことは、もう驚きがないってことでもあるんだよな。つまらなくはないけど… ここ萌えオタ中心かよ
文学板なんだから物語に触れろ アニメはセカイ系と、日常系に二分できてしまう気もする。セカイ系には社会がないが、日常系には物語がない。
近年のヒット作、けいおん(日常系)と魔法少女まどかマギカ(セカイ系)にもその傾向は見られる。 脚本家では岡田磨里が最近やたらフューチャーされてるが、どうなんだろう。 アニメって意外と需要あるんですね。
文学板っぽく、現代日本文学とアニメの物語の質を比較して
評論とかしたら面白そう。
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 ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄ 強烈な物語作家はやっぱり富野でしょう。宮崎駿が近年やっているのは反物語だし。押井や庵野は批評家だと思う。 蓮實重彦の影響か、シネフィルはアニメを見ない人が多い。
東浩紀が言ってたけど、映画とアニメの違いは、映画では作り手が意識しないものが画面に写りこんでしまうことがあるが、アニメではそういうことは起こりえない。 どちらかというと
「文学とアニメ」というよりも
「映画学とアニメ」だよな
じっさい、アニメの批評って「文芸批評」ではなく「映画批評」の枠に収まるよな
問題は、かつてなら文学を論じていた連中の多くがアニメを論じているという事実 _. -─‐-
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>  ̄ \ アニメを真面目くさって批評されると萎えるんだよね
アニオタがしてるくだらないファンvsアンチの水掛け論的な戯れこそが文学的に面白いと思うんだよ
俺らがミニカーで楽しく遊んでたら、ラジコン持ってるぜって割り込んできてドヤ顔かましてる厭味な金持ちのガキ
批評ってそんな感じ
こういうお題にすぐ手出しちゃう奴で面白い奴っていない気がする アニメ批評って社会学的なアプローチが多い気がする。宮台や東や宇野あたりはその代表でしょう。
斎藤環は精神分析学的なアプローチをしてるね。
テレビでガチオタクっぽい人たちがアニメを語っているのを見たことがあるけど、それはそれですごかった。完全な印象批評。 まどか☆マギカの公式批評を謳った本は、
宇野と斎藤環を貶して威勢よく始まったけど、
オチはSFとホラーのジャンル批評だった
俺らで2ちゃんねるのスレをベースにした新しい批評の軸を打ち立てないか?
実況スレ、ファンスレ、アンチスレ、キャラスレ、ネタスレ 、SSスレ
全てを分析してダイナミックなアニメの受容の総体を示す
やらおんを倒さないと
あれどこかの資本はいってるよな >>93
目的が間口を広げることだからねえ。
アニメオタクでない社会学に或いは精神分析学に精通する人間やそれに憧れる人間に対して
動員を掛けるとああいった批評になる。
で、その結果アニオタは自分たちのフィールドを別の専門家に取り込もうとしてる風に映るわけだ。
そういった批評ってものがアニオタに対して新鮮に映らないのは
そもそもがアニオタ向けの批評になってないからってとこを意識しないといけないわけね。
実際にまどか☆マギカはちょっと前に見たんだけど、
実はストーリーラインとしてはそれほど斬新なものではなくて
ぶっちゃけて言えば11年前にこの世の果てで恋を歌う少女YU-NOで剣野ひろゆきが描いているし、
もっと遡れば機動戦士ガンダムのララァにスポットを当てて語り部としてのインキュベーターを置いてスピンオフ作品作れば
それで成り立っちゃうんだね。
YU-NOで言えば因果律をブリンダーの木を為す根に例えて、その観測者として有馬広大を置き、
新たな因果律としての木にYU-NO(まどか)とそれに沿う有馬たくやを描いた。
この有馬広大の観測を指してララァは「刻が見える」と表現してCCAでは物理法則ねじ曲げてアクシズを取っ払っちゃうわけよ。
勿論、このララァにもおそらくはモチーフとなる作品があって・・・って具合に模倣模倣模倣で終わっちまうわけね。
だからストーリーラインやプロットだけを見て批評しちゃうとまどか☆マギカって作品は見えなくなっちゃうの。
で、あの作品の何が凄いかって言うと、つまり「作品としてのオリジナリティって何よ?」って話を突き詰めて考えると
僕はその演出技法にこそ評価するべきポイントがあると見るわけ。
それも社会学や精神分析の遡上では語り尽くせないような、旧来のアニメーションとは違う部分を提示する必要がある。
そうしてこそまどか☆マギカが素晴らしい作品なのだ、と主張する事が出来る。
じゃあ具体的に演出技法が優れているってのはどういうことなのかって言うと、続きはwebで。
このまどか☆マギカって作品は「虚構世界としての二次元空間」と「生活世界としての三次元空間」を意図的に分けて描いてるんだね。
具体的には魔女の作る空間での背景描写ってのは奥行きを排して遠近法を使わずに人物の影すら付けない徹底ぶりによって
魔法少女がダメージに対して肉体的苦痛を負わないことであったり武器の召喚や派手な戦闘アクションに虚構性を作ることに成功している。
逆に生活世界では観測するカメラと被写体の間にピントをズラした樹木や柱を描いたり背景を動かす事で奥行きを見せる。
このスキームを意識させておいて3話のマミるシーンでは立体的な演出が為されて虚構の枠で起こった出来事が
直ちに生活空間とミッシングしていることを映像的に表現するわけです。
こういった演出技法ってのはCGの発展した昨今では映画でも表現出来ないわけでもないのですが
やはりアニメーションならではのものであると言って良いと思います。
これはYU-NOでも近いことはやってるんですね。
マルチシナリオのゲームではプレイヤーと主人公の見る視点は当然違います。
あらゆる派生シナリオを踏破するプレイヤーの視点とただ一つのストーリーラインをなぞる主人公の視点との違いです。
で、こういったズレを解決するための一手法として、主人公はリフレクターデバイスというアイテムを持たされ
派生するマルチシナリオをも主人公に体験させて、プレイヤーのなぞる歴史と主人公のなぞる歴史を同化させた。
ただ、こういった手法はゲーム的であるから成り立つ構造であって、つまり三次元空間と二次元空間をミッシングさせる試みは
アニメのようにただ観賞するだけの視聴者には物語の主人公に干渉する権利がそもそも無いわけですから
(少なくとも前半部分の)主人公に据えられたまどかというキャラクターは虚構とへ介入する権利を持たせてはならないの。
これはまあプロット上そうならざるを得ないこともあるんですが、上手く利用した技法だと言えますね。 本当にその通り。実際、あずまんも言ってたけど、ストーリーにはそれほど目新しいところはないけど、映像の魅せ方がね、シャフトならでは。あと、キュウベエが素晴らしいね。魔法少女物への批評として機能している。 YU-NOと並んでまどかの先駆者扱いなのが『紫色のクオリア』
ただしパクリ呼ばわりする奴は批評がわかっていない いいこと言ったね。文学オタとアニオタの違いはそこなのだと思う。 ループにしとけば意味深に見えて勝手に盛り上がってくれそうだから 昔は作品に社会的無意識やなんかがまぎれこん
でる余地はあったかもしれないけど今は作り手
の計算のうちに全部入ってるからな すっかり哲学かぶれの糞野郎どもに蹂躙されてしまったオタクの言語空間
なんで批評家はこういうことを平気でするんだろう?
こういう方法だけでしかアニメは語れなかったのだろうか?
ポストコロニアルとかで植民地の文化の研究とかしてるくせに勝手にあーだこーだ言われて組み込まれていく弱者の側になぜ擦り寄れないのか?
アニメが一般化してもはやオタクの中での鎖国が不可能であっても批評家たちに対する攘夷の気概を忘れてはいけない
脆弱な表現しかできないからって好き勝手な解釈で弄んでいいということにはならんぞ!!
そういった意味では村上隆はある意味俺らの味方かもしれない
オタクカルチャーに土足で踏み込んでくるという、やってることは一緒なのに、批評家にはお前ら踊らされ引用し影響を受けてしまうだろ
言説をはねつけたら何も語れないバカ扱いされるからな
しかし村上隆にはお前らは明確に抵抗できてる
それは村上隆の表現の主役が言語ではなく視覚芸術だから
村上隆は俺たちに分かりやすく叩くべき敵の姿を明示してくれているのだ
奴の醜悪な作品群は批評という欺瞞で俺たちを絡めとる批評家どものカルカチュアだ!
くだらない批評言語に毒されている奴は村上隆の作品を見て覚醒させろ
領土侵略を許さないコミュニティーへの忠誠心を
混入異物を排除するオタの血がもつ免疫を
その抗う態度こそが唯一、アニメにたいしてとれる文学なアティチュードなのだから
結局パトリ信仰の右回帰かよ
思想的に定まらん奴だな >>124
なんでぼくちゃんはピンドラのスレでちゃんとおしっこできないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています