中村光夫
中村は才槌アタマにちょこんとキャップを載せて(ちゃんとかぶれない) よくゴルフやってたな、小林とか、吉川英治なんかと。 >>93 小林秀雄の推薦で程ヶ谷カントリーに会員申請して落とされて 週刊誌に書かれましたね 「わしゃ知らん、理事会が決めた事だからね。」小林秀雄 「あまり気にしませんが、試験に落とされるのはいい気持ちではありませんので 二度と申請しません。」中村光夫 推薦に力がなかったのか経済力がなかったのか名声が足りなかったのか なんでだろうね、有名な文学者だったのに。愛人や隠し子がいる っていう話が前にでてたけど、そのあたり身辺調査でもされたのか。 >>96 かわいいこと言うねえ、愛人や隠し子がいることがマイナスなら誰もいなくなっちまうよ。 現実には、11兆円のうち、2,594億円以上が日本国民全員のはらった税から毎年かっぱらわれてる。 http://www.pref.osaka.jp/zaisei/joukyou/09sikumi1.html (2.大阪府の地方交付税の状況)平成20年度 このほかは、連中の浪費が使い込んでしまったものだ。そもそも財政支出をできない体力しかないのに、 なぜか異常なカネを民間からうばいとってぜんぶ、くだらない用途につかってしまったんだ。借金をしているんだよ、大阪は。 おまえからもおまえからも、みんなからすこしずつ搾り取ってる。どんなにはたらいても、 連中が匿名掲示板や街で児童ポルノまでまきちらして犯罪しながら、3000億ちかくを無駄にしていくのがそんなにうれしいのか? この馬鹿どもは 福島県の原発の電気は、福島県では1キロワットも使っていない。全部東京へ送っている ヒイ 三_ _三 Y| 2chしかやることのない税金搾取の老害人 >H `・ -H - ・´|-|< 「日本人は津波をうまく利用して `||丶_ノ丶_ノ || 我欲を1回洗い落とす必要がある。 ヒ| _ノ (_)丶_ ノノ やっぱり天罰だと思う!」「都政も石原、国政も石原」 | 〈ト ェ ェ ェ ェイ〉 |http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1300095920/ 丶  ̄ ̄ // ああ金が余って余ってしょうがない! 丶`ー―― /\ /|\ ̄ ̄ / /| なにい。 / | /トー< / |東京都は東京アホ電力の株を4286万株も保有していて年間配当25億円を受け取っている 東京か大阪から300km離れていればどこに建ててくれても構わないwww俺さえ生き残ればどうでもいい 253 名前:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2012/01/09(月) 09:23:43.42 石原(笑)は魔古都に老害ですねぇ〜(笑)チンピラ染みて喧嘩売って文学破滅させるしかない〜(笑) 172 名前:吾輩は名無しである :2012/01/09(月) 08:39:12.21 漱石はロンドンの下宿に篭って、ナニをする相手もいなかったので、 ノイローゼになった。帰国後ナニしまくったのでキョーコ様が「房事過多」 にてご入院ということを最近の新聞で読んだ希ガス。がれかkwsk おしえてつかーさい。鴎外については、ただただ、青春を謳歌、傑作 「舞姫」もうまれた。 322 名前:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/01/09(月) 20:17:02.49 「帰る!帰る!」(石原慎太郎の口癖) 173 名前:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2012/01/09(月) 08:42:32.81 石原=悪 174 名前:吾輩は名無しである :2012/01/09(月) 09:14:18.96 また関西人 /\ ,ヘ、 .| \ /\ __ / | .| ヽ /\ / / ̄\ \ / | | ヽ´ \ 氏むーーー・・・・ / / \ \ | | /ヽ \ / / \/ .| | | / ヽ ___\__ / / /\ .| | _ | / ヽ/ \ ヽ / / | ヽ| | /._.. ヽ .| / / \ ヽ / | | | | /.._.. ヽ... ヽ .| / / | \ ヽ / | | | \ /... ...ヽ |.. )| / ./ | \| / | | | ヽ● ● 丿ノ |/ / | |\ / / ノ \ /V""V"\ヽ、// | | | ./ _/ \/ \_/ ゝ | | >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。 島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、 まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。 そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。 島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな >島本町って町は、暴力といじめの巣窟なんだな >島本町は理不尽な町!島本町は不条理な町! >島本町は非道の町!島本町は危険な町! >島本町は不潔な町!島本町は不衛生な町! >島本町は日本の恥!島本町は日本の迷惑! 島本町は腐った町。自浄能力はない。自浄能力のない腐った町は、外圧で叩き潰されるしかない。 もう30年くらい前、横須賀線で鎌倉に帰る姿を目撃した。 グリーン車じゃないのが驚きだった。 なんかもう、「端然」とした姿勢で座られていた。 ジロジロ見てて申し訳なかった。 soichiro 金井美恵子の『タマや』で教養のない女詩人が古本屋で買ってきて自分の詩のタイトルにしたりもする『虚実』って本は中村光夫のだろう 2016年1月17日 書肆子午線 『子午線』4号より文芸評論家の中島一夫氏の連載が始まります。 久しく検討の埒外に置かれてきた転向問題を「政治と文学」から改めて問い直す第1回は「復讐の文学─プロレタリア文学者、中村光夫」。 復讐という「行動」の有無が文学に問われています。 中島さんの論考を拝読すると、中村光夫がここまで書いていたことに改めて驚かされます。 個人的には、文学に興味を持ち始めた頃に、手頃な入門書だと思って、中村光夫の『日本の現代小説』を読んだところ、 その前半が「プロレタリア文学」と「転向文学」に費やされいて、面食らったのを思い出しました。 2016年1月21日 KAJIO 22 時間22 時間前 中村光夫がやっぱりどうにもわからんところは、作家が自分の顔を描く私小説など文学ではない、と言い、 それを日本文学批判の基軸としていながら、批評の仕事は「作家の顔」を描くことだという小林秀雄=サント・ブーブ的理念を実践してしまうところで、これがどうにもわからんと大昔から言われている。 猫飛ニャン助 それは、当時、方法論がなかったからではないかと愚考しています。 KAJIO んー、「方法論」があったとすれば、中村批評はつまらないものになったような気がします。言ってることとやってることが違うところが醍醐味ではないかと。 猫飛ニャン助 そのディレンマが、中村の「面白さ」かと。つまり、中村光夫は「政治的」に読むべきだというのが、私見。 なお、フランスでヌーヴェルクリティックをゲットしたハスミさんについても、ほとんど同様かと。就寝しますので、これで失礼します。 2016年05月08日 筆者特有のおとぼけなのかな? http://plaza.rakuten.co.jp/analogjun/diary/201605080000/ で、本書に戻りますが、一応「帯」が付いています。 そこには「これは中村光夫氏が始めて体系的に論じた本格的文学論である」と書かれておりまして (どうでもいいようなよくないようなことですが、上記の文脈では「始めて」ではなくて「初めて」が正しいのじゃないかと思うのですが)、 そして「あとがき」には筆者自身が、「『小説の歴史』と『小説の美学』とをあわせて、『私の小説論』とするのは、少し内容とずれるようですが、 今のところ僕には小説論以外にまとまった文学論は書けそうもないので、そういう意味にとってもらいたいと思います。」と、 とても素直そうな若々しそうなことが書かれてあります。 なるほど、昭和32年の本ですか。そして、中村光夫氏の若書きの本ですかと思って、しかしちらりとなにか「違和感」めいたものを感じまして、 ちょっとインターネットで調べると、この時筆者はすでに46歳ではありませんか。(おいおい。) 若書きどころが、私が読んだ『風俗小説論』も『小説入門』も『谷崎潤一郎論』も『志賀直哉論』も、 本書よりとーーっくの昔に書かれているではありませんか。これはどゆことですか? 中村光夫 青春が持ちたいと願ったもの、老年はそれを豊かに持つ。 ――ゲーテ―― http://www2.tbb.t-com.ne.jp/kawashou18/topnakamura.html 青春時代の偶像 青春論 『戦争まで』 日本の近代 ※ 「誤解される中村光夫」 私小説をけなす評論家の8割が恥ずかしい私小説の失敗作を書いたことがあるとの説(Raise et al, 2016)もあるが未だ検証は不十分であり、 中村光夫はケチつけたくせに晩年に激ウマ私小説を書いたことで知られている(しばく) 2016/05/17 東京新聞(資料種別 新聞(マイクロ) [マイクロ資料]. 請求記号 YB-15 )に掲載されている 広津和郎の『カミュの「異邦人」』、中村光夫の『広津氏の「異邦人」論について』の掲載確認をお願いします。 昭和26年6月11日から3日間にわたり、広津和郎の『カミュの「異邦人」』が掲載され、 昭和26年7月21日から3日間にわたり、中村光夫の『広津氏の「異邦人」論について』が掲載されたとのことです。 しかし、当館で調査したところ、広津和郎の『カミュの「異邦人」』は昭和26年6月12日号から14日号のようです。 (雑誌『世界』350号 1975年1月の『異邦人』論争 p.309にて確認。) 当館所蔵の『東京新聞』の紙面を調査したところ、ご照会の記事が見つかりましたので、以下に書誌事項と掲載箇所をお知らせします。 当館請求記号:YB-15 新聞タイトル:東京新聞 資料形態:マイクロフィルム 掲載日・掲載箇所・記事見出し: 1951(昭和26)年6月12日・4面 広津和郎「カミュの「異邦人」(上) 神経に引っかゝるもの」 1951(昭和26)年6月13日・4面 広津和郎「カミュの「異邦人」(中) まき散らしたパヅルの鍵」 1951(昭和26)年6月14日・4面 広津和郎「カミュの「異邦人」(下) 末期の神経衰弱的現象」 1951(昭和26)年7月21日・4面 中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(上) 検事の方が優れている」 1951(昭和26)年7月22日・4面 中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(中) "後味の悪い"不快の根源」 1951(昭和26)年7月23日・4面 中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(下) 告白の虚実ということ」 なお複写は、1記事ごとに1件ずつお申し込みください。 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view& ;id=1000192393 「質問の時間など設けて見ても、発言するのは馬鹿か出しゃばりばかりで、時間の浪費にすぎないことが多い」 中村光夫「ある愛 」 島内景二『中島敦「山月記伝説」の真実』(文藝新書) 著者によると、中島敦はさっさと文壇デビューを飾った中村光夫に嫉妬していて、 山月記の中でもそのことに触れずにはいられなかったのだという。 http://binwa.exblog.jp/12327269/ 『明治大学文人物語−屹立する「個」の系譜』 吉田悦志著 四六判・上製・292ページ・本体3,200円+税 ISBN 978-4-906811-18-2 2016年5月刊行 創立者・教員文学者・卒業生など、明治大学ゆかりの人物たちの歩みと思想をたどり、 その特徴を「日本海地域の精神文化」と喝破する好著が誕生。 第1部では、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操、磯部四郎、杉村虎一ら、明治大学創立者の理念と動向を、 第2部では、ついに実現しなかった「明治文学会」の経緯を追って、 上田敏、夏目漱石、内海月杖、登張竹風、そして笹川臨風といった文学者たちを、 第3部では、卒業生の活躍として、平出修、尾佐竹猛、子母澤寛を、 そして第4部では著者が直接薫陶を受けた中村光夫、平野謙といった批評家たちを論じる。 みにゅい 『子午線』4号掲載の中島一夫の中村光夫論と稲川方人のインタビューを、読み終える。 自分は日本文学もフランス文学もラテンアメリカ文学も言語学もみんな知りたいと思い、 結局どれ一つとして分からないまま年齢だけ重ねてしまった。 2017年2月2日 Max Kimpara 河上徹太郎にも詳しくないが、中村光夫「今はむかし」で、河上が後期「文學界」編集主力であり、 (以下は私の言葉だが)1930年代後半からの統制(統整経済)的な機運・潮流を象徴する存在だったとある。 「文学的人性論」(1941年)所収、婦人向け新約聖書随筆でユダを扱っており、興趣あり。 8 Feb 2017 鎖骨 小林秀雄に比べ、中村光夫は馬鹿にされがちな批評家だ。 しかし前田愛、野口武彦、小森陽一といった大家をはじめ、後年の文学研究者は大なり小なり中村的論調に侵食されているように思う。 外部的他者との遭遇が重要だ!という論調になる時、私達は中村に取り憑かれている。 10 Feb 2017 中世 (小説) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96_ (%E5%B0%8F%E8%AA%AC) 臼井吉見は1946年(昭和21年)当時、雑誌『展望』を主宰していたが、 無名の帝大生の三島由紀夫が『中世』をはじめ8編の小説を持ち込んだときのことを述懐している。 臼井がその原稿を読んで、「自分の肌には合わないんですよ、決して好きじゃないんだけれども、とにかく一種の天才だ」と言うと、 顧問の中村光夫から、「とんでもない、マイナス150点(120点とも)だ」と叱咤されため、『中世』を「没」にしてしまったという。 その後、三島が『金閣寺』などを発表すると中村光夫は三島贔屓となり、臼井の言でいう「三島のPTA会長」のようになるが、 当時はまだ三島を全く認めていなかった。そんな傾向の中、川端康成だけは三島の『中世』を評価していたため、 本多秋五は、「川端康成は、さすがに新人発見の名人だけのことが、どこかあったのである」と述べている。 『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(5) http://maho2008.diarynote.jp/201701292112532434/ 1974年6月6日の第8回公判では、吉田精一氏と中村光夫氏が証言した。 次が中村光夫証人だが、永井荷風の文学的位置づけに始まり『四畳半襖の下張り』の感想を述べる。その中に、 「・・・興に乗りすぎてしまって、(男の)セルフコントロールばかり書いていて、 ぼくの言葉でいえばコミュニケーションが(主人公の男女の)二人の間にない、 そいういう行きすぎまで含めて、これは荷風のものじゃないかと、そんなふうに思うんです。」 鎌倉アカデミア 青の時代 ある「自由大学」の記録 2017年5月20日 「新しい日本を担う若者を育成する」という理念のもと、終戦間もない1946年5月、 戦火を免れた鎌倉・材木座の光明寺を仮校舎として開校した鎌倉アカデミア。 校長の三枝博音をはじめ、林達夫、服部之總、吉野秀雄、高見順、中村光夫、村山知義など 数多くの著名な学者・文化人が教鞭をとり、「教師と学生とが相互に鍛え合い、各自の個性を創造する学園」を目指したが、 激動する時代の波に翻弄され、わずか4年半でその歴史に幕を下ろしてしまう。 しかしその学び舎からは、いずみたく、山口瞳、前田武彦、高松英郎、沼田陽一、廣澤榮といった多彩な人材が巣立ち、 やがて彼らは、高度成長時代を迎えた日本で、芸術や文化を牽引する存在となっていった。 鎌倉アカデミアはいかにして生まれ、いかにして滅び去ったのか。そしてその精神は、現在どのように生き続けているのか? 20人に及ぶ関係者の証言と再現映像、歴史的資料などから、自由大学・鎌倉アカデミアの真実の姿が明らかになる。 監督は『火星のわが家』『影たちの祭り』の大嶋拓。(作品資料より) 誤解される中村光夫 2017-10-31 http://blog.goo.ne.jp/kawashou66/e/461f9ecc261e01510d0cb53798cd4e89 《私小説がヨーロッパ文学と違うのは当り前のことで、それだからといって非難する批評は成り立たない、これは当然のことです。 問題なのは、私小説を書いて、これでヨーロッパ文学と同じものができたと思い込んだことなんですね。 それは困る、ということをぼくは言っていたつもりなんですがね。言い方が悪いのか、正反対に受けとめられていますね》 (蓮實重彦『饗宴U』【日本文芸社、1990】397頁における中村光夫の言葉) おそらくひとりの人間の生涯にも、彼が後に実現し得たより、 はるかに多くの可能性を孕んで生きる青春の一時期があるように、 時代精神の巨大な流れの中にも、 やがて歴史の必然によって刈りとられる 幾多の不運な芽が並んで萌え育つ青春期が何十年に一度かずつはめぐってくるのです。 我国の明治文学で、もっともその名に値する時期は、 漱石が「猫」を発表した明治三十八年から、花袋の「蒲団」までの二年あまりであったと思われます。 青春がおのおのの個人にとって、悔恨と哀惜の対象になるのは、 そこで実現の機を見出せなかった幾多の生への可能性によるのであるとすれば、 僕等はすでに人間の生涯に近い時間を経過した我国の近代文学史の或るモメントに対して、 真剣な悔恨の情を抱くべきではないでしょうか。 青春は、必然に過渡の時代です。この性格は殊に我国のような時代の流れの慌しい近代には、はっきり現われます。 過渡期は、古いものと新しいものの並び存するときであり、そのいずれもが完成と円熟から遠く距った時期です。 『風俗小説論』 The French Influence in Modern Japan Literature was published in Japan Quarterly (Vol.7 No1 P57-65, published by Asahi Shimbun Company, 1960 ). NAKAMURA Mitsuo 日本へ出荷する漬け物の工場ですね、中国の四川省のにあるそうです。 ttps://www.youtube.com/watch?v=m16QRcHsEqk https://dokushojin.com/article.html?i=6028 中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき 書評 師である中村光夫没後三〇年に まさに全人格を睹したオマージュの企て 中村光夫とフロベール ロマン主義のあとさき 著 者:浜田 泉 出版社: 成文堂 評者:石崎 晴己(フランス文学者、青山学院大学名誉教授。) 笹原くだん 木村政樹『革命的知識人の群像』おもしろかった。 マルクス主義に「影響」された大正〜昭和の文学者たちの社会主義言説をその用法からたどっていく。 この「影響」の度合いの振れ幅が人によって大きくすぎるというのが危険なところだし、 研究しがいのあるところでもあるな、と。 ある論争において用いられている概念がどのような用法なのかは 現代の私たちからするとさっぱりわからないことは多々あり(当たり前のことすぎる)、 それについて注釈をつけていくというようなオールドファッションスタイルだけど、 概念整理こそ文学史の第一の役割なんじゃないか、とさえ思えた。 あと、はじめて文学研究でエスノメソドロジーが参照されているのをみた (第1章註15に『概念分析の社会学』の文字が!)。 中身にふれてなかったけど、中野重治と中村光夫とが 日本には「ブルヂヨア文学」がある/ないと主張しあうところとかは もはやアンジャッシュ的すれ違いコントで笑っちゃったんだよな。 しかもそれが日本資本主義論争の炎上の一部だったという点も含めて泥沼すぎるだろとなった。 あと、いかにして作家が〈「社会」なるものを論じなければいけない〉とする態度が 醸成されていったか的な視点も面白かったのでこれも引き続き追求していってほしいなとおもった。 小林多喜二の生き方は本当に日本文学の形を変えたなということがよくわかる...。 2022年9月23日 中村光夫『二葉亭四迷伝』 この五月十日に僕は染井にある二葉亭の墓をたずねました。 ふだんは彼の命日をとくに気にかけたことはないのですが、 この日の墓詣りは、今年のはじめから心がけていました。 彼が命をおえた四十六歳という齢に、今年僕もなったからで、 この記念すべき命日に彼の墓に行こうという独合点の欲求のためです。 ……むかしは伯父さんぐらいのつもりでいた彼が、 いつのまにか自分より若死にした人になってしまったという事実は、 一面において彼と別れるときがきたのを意味します。 ……その代わりに今ならば、ことによると彼の生涯を鳥瞰できるかも知れません。 ……鴎外はシュニッツラーだかを訳しながら、自分の方が年上だからね、 といったそうですが、僕は彼より年上になったのが、 まだ利点であり得るあいだに、二葉亭にたいする長い間の負い目を果たそうと思います。 中村光夫の文学的業績は『風俗小説論』と『二葉亭四迷伝』だろう 一方では、その鑑識眼に疑問もあって、芥川賞選考で世紀の駄作 『エーゲ海に捧ぐ』を推しまくり、反対する良心派の永井龍男や 瀧井孝作を退けて、授賞してしまったのは残念至極である 鑑識眼というか こういう仕事だと ほとんど徒労のように読みたくないもんも大量に読まないといけないから テキトーに読み飛ばしてることも多いわな 岬の時も読み間違えないようなこと書いてたし この序文で柳北は数年前の外遊の経験から、 「全地球上一切情界ノミ」と喝破して、 ヨーロッパ人の人情も我国のそれと少しも変ることがないことを強調し、 西洋では「人々実益ヲ謀リ、実利ヲ説キ」、 風流情痴のことに興味を持たないという「固陋学士」の説を嗤っています。 訳者の織田純一郎にも、柳北と同様、時代の実利実益主義を嫌って、 風流情痴に耽溺しようとする、消極的叛骨があったかも知れません。 中村光夫『明治文学史』 Χαιατο Ιοσιντα 自伝的著作での記述に従うなら中村光夫は戦時中、『ドン・キホーテ』を 仏訳で読んだほかはひたすら借り物のヨーロッパ建築史の本を読んでいた わけで、戦中戦後における彼の文学史観にそれが影響していなかったとは とても思えないのよな 日本思想史においてモデルニテを考えるうえで中 村は最重要と思う そんなことを考えたのは朝永振一郎『量子力学と私』(岩波文庫)に収め られた木庭二郎(中村光夫の弟で高名な理論物理学者)のエピソードを読 んだから 中村光夫の読書であと大事だと思うのは、旧制一高時代に読んだ『悪の 華』とモーパッサンの比較(自分には詩がわからないと思って散文に軸足 を移すきっかけになる)と、帝大仏文研究室から借りだしたヴィヨンを吉 田健一に読んでもらった体験(これで完全に、いわば「歌のわかれ」をす る)だな。 2023年9月24日 「近代の超克」前後の戦中の中村光夫は、日仏学院かどこかから借り出し てきた何巻もある大部のエミール・マールのヨーロッパキリスト教美術史 (建築含む)に原書で読み耽っていたうえに、鎌倉では吉川逸治との交流 も密だったわけで、そういうの逃して彼を語ることはできないなとの思い を強くする 2023年9月30日 もりたねこ 『立命館文學』第687号(2024.01)がPDF公開されていた。 ・共鳴する『戦争まで』――中村光夫のフランス体験―― 中井祐希 ・〈まなざされる〉脆さと加害性――安部公房『他人の顔』論 岩本知恵 ・明治陸軍とシュタイン問題―桂太郎の陸軍機構整備事業を中心に― 木 多悠介 2024年3月23日 河村書店 柄谷行人「明治文学をやろうと決めて勉強を始めたとき、とくに参照した のは、中村光夫の『明治文学史』です。その結果、彼が言ってないことを 考えることになった。普通に言えることは、中村さんがもう言っているわ けだから。」(聞き手・滝沢文那 2024/4/1) 2024年4月2日 一応、東大表象の時代は中村光夫―由良君美―蓮實重彦で終わった。 山本直人(日本文学)『亀井勝一郎』ミネルヴァ日本評伝選 明治44年(1911)生まれの薗部儀三郎さんは岡本太郎や中村光夫と同い年 大正2年(1913)生まれの涌井富三郎さんは新美南吉や織田作之助と同年 生まれ 男性の国内最高齢・厚木市の涌井富三郎さん(110)に 国内男性で明治 生まれは不在に(テレビ朝日系(ANN)) #Yahooニュース 2024年4月9日 窮理舎 中村光夫は今度の第25号で、ある物理学者たちとの関係でキーパーソンに なっているので小誌も要チェックです! 2024年4月13日 機械書房/MACHINE BOOKS 宮崎さんと会うと、けっこう中村光夫や柄谷行人の話をしてる気がするか ら、やっぱ文芸評論家や批評家がお互い好きなんだろうね。作品分析で精 読をしつつ、読者にその本を読みたくさせる、ってのが本好きとしてかっ こよく思える。 中村光夫がですます調で文芸評論をやったことはとても大きいことだと思 います(文字数増やして原稿料を多くもらうのが理由だったにせよ)。この ことについて書いてる本って何かありましたっけ? 2024年4月15日 宮崎智之 Tomoyuki Miyazaki 「窮理 第25号」をご恵投賜りました。島田一平先生の「リアリティ 一九 四九年の日本文学・物理学」は、坂口安吾『不連続殺人事件』、中村光夫 『風俗小説論』を引き、「中間小説」を考えながら、朝永振一郎『量子力 学的世界像』などに接続させる刺激的な論考でした。たまらない内 容。#brc876 …つづく 2024年4月30日 町田@司書・システマ使い・火薬と鋼運営 昭和天皇と春琴抄の話は、山本岩雄侍従と人事院の同僚だった鈴木幸平氏 の話に出てくる。それによると芸術院賞受賞を機会に、天皇を囲んで侍従 達が谷崎潤一郎について話をすることになった。何かいい参考書はないか 山本侍従に頼まれて、中村光夫の評論集を貸したという。 ↓ 2024年5月1日 迫間健司 1939年10月13日正午。鎌倉丸が SanFrancisco を発ち、太平洋へと滑りだし た。その3日後の10月16日11:30(日本時間17日01:30)、逆に NewYork に到着 した船がある。野上彌生子や豊一郎、高柳健次郎 菊池一雄 宮本三郎 中村光 夫 石田英一郎ら 仏を脱出した避難者をのせた鹿島丸だった #大脱出1939 1077 2024年4月27日 小柳弐魄(編集長) 中村光夫や伊藤整のような読みやすい評論文を書きたいなと思いつつも小 林秀雄や吉本隆明のような悪文のほうが記憶されていることを考えると不 安になる。 2024年5月2日 文学の世界って、まるでタイムマシンに乗ったような体験ができるんだ。中村光夫の作品は、大正時代から昭和初期にかけての日本の社会や文化を鮮やかに描き出してるから、まるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるんだよね。 例えば、「縮図」って作品は、当時の学生たちの恋愛や友情、そして将来への不安を描いていて、すごく共感できると思う。主人公の学生たちは、戦争という暗い影に翻弄されながらも、自分たちの生き方を探していくんだけど、その姿は現代の私たちにも通じるものがあると思うんだ。 他にも、「死の島」とか「獅子」とか、名作がたくさんあるから、ぜひ読んでみてほしいな。きっと、新しい世界を発見できると思うよ。 read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる