>>225

われわれは軽々に救済を呼ぶべきではない。
救済の以前に、すでに亡んだ者として、
滅亡の確たる承認こそが、逆説としての救済をもたらすという事実をこそ、
人は苦痛とともに思い起すべきではないのか。
人は亡んでおり、また亡びつつあるからである。
『私は信仰により*救われた*』ということばを、
仮にも人は、*公然*とロにすべきではない。