>>364
ちがうんじゃないかな。
例えば「犬」と"dog"という単語を考え、この二つの語の間でいかに翻訳が可能となるか考える。
まず、この二つの語について考える前に、単純に「犬」という言葉を考える。
この言葉は、抽象化された、最大公約数的な「概念としての犬」に結びつくのではない。
逆に「犬」という言葉には、過去現在未来のあらゆる犬、そして犬が持つあらゆるニュアンス、
匂い、肌触り、吠え声、そして文化的であったり私的であったりする犬が喚起するあらゆる
付随的な記憶が潜在的に含まれている、と考える。
真っ白な紙があり、そこに「犬」と書き付けたとしよう。
白紙は虚無ではなく、逆に「森羅万象全て」を潜在的に含むと考える。
そこに「犬」と書き付けた瞬間、全宇宙的な損失が起きる。
つまり、その瞬間に、全宇宙から、「犬ならざる全て」が差し引かれてしまったからだ。
さらに、「犬」の前に「白い」という形容詞を加えてみる。
すると、直前に起きた損失よりもはるかに小規模ではあるが、それでも尋常ならざる引き算が起きる。
つまり、「犬全て」から「白くない犬全て」が差し引かれてしまったのだ。

このように、「白い」という言葉と「犬」という言葉は、抽象的な観念連合を行うのではなく、
全宇宙から他の存在を「差し引く」のである。
それでも、「白い犬」という言葉は、あらゆる白い犬と、白い犬にまつわるあらゆるニュアンスを
潜在的に保持する。