澁澤龍彦(1928-1987) Part 4
量か質か
実際に一冊読むのだって、流し読みと何度も精読するのと違うからな 熊楠全集を憑かれた様に読み込んで飽き足らず、自分のための索引を作り直したと言うあたり、伊達の読書人ではないと思ったよ 現代人が活字を集中して読めなくなったのはネット、スマホ、ゲームのせいだろうか 読書量というとおいらが知ってる中では鶴見俊輔が圧倒的にすごい。
小学校卒業までに一万冊読んだという。これは仮に一年生から読み始めたとすると
一日平均4.5冊を六年間続けたことになる。異常だね、これ。
大読書家といわれた杉浦明平が、ひと月10,000ページのノルマを自身に課していて、
毎月月末はノルマ達成のために大菩薩峠みたいな大衆小説に取り付いたので
ノルマの弊害、読書の堕落だと自嘲していたが、常人の読書量はこんなレベルだろう。 >>240
現代人って活字を集中して読めなくなってるのかい?
そんなの聞いたことないね、君だけなんじゃないかい? 現代人を語ってみたけど、ちょっと知性が不足していたようだね 現代人は読んでると思うぞむかしの人よりよっぽど。だが新書とか入門書的なのも増えたからな。新書読みの学者先生が増殖してると。 きのうもどっかで林真理子が「こんなに本が売れない時代なのに」とか言っていたから
「売れないのはおまえの本だ、ば〜か」とオレは言ってやったよ。心の中でな。
だって別に目の前に林真理子がいいたわけじゃないし。 漫画は読む? 見る?
どちらの言い方がふさわしいかな? 見るだと思う。でも、言葉としては読むの方が通じるだろうな
ともかく、文学というより、絵が主体だから美術に近い 「夢の宇宙誌」に参考文献として英仏独の本を40冊弱挙げているが、
必要な情報だけ拾ったのか全部読んだのかは定かでないね。 そういえば、参考文献の名前並べてページ数稼いでるエッセイない・・・? 日本語のメリットは「早く読める」ことだし
日本語を読める外人に聞いたら、母国語より日本語のほうが早く読めたという笑い話があるくらいで
漫画といえばヤマザキマリ&とりみきの合作で「プリニウス」が出てたので読んでみた
ヤマザキマリに言わせると「私のプリニウス」で博物誌から引用された部分はイタリア人が絶対抜粋しないところだと 厳密には ヤマザキマリの亭主に言わせると が正しい >イタリア人が絶対抜粋しないところだと
思わせぶりな言い方だな、なにが言いたいのかはっきりしろい! 三島由紀夫、澁澤龍彦の周辺ってミソジニーが多くない? 芸術家っていうのは文学に限らず、多分にミソジニーな傾向がある >芸術家っていうのは文学に限らず、
男性一般のこととして、つまり芸術家に限らず、一定の割合のミソジニーはいる。
そしてミソジニーの割合が芸術家の場合に特に多いとは言えない。 澁澤は女のミソジニーはゾッとしないほうだろうからな。 三島とか澁澤はわかるけど、永井荷風と吉行淳之介って女性の扱いが巧みだったのにミソジニーと言われるのはどういうこと 折口センセイレベルにならないとミソジニーとは呼べません 吉行をミソジニーの作家と呼ぶのはどうか。
どういう立論か読んでみないとわからないが、驟雨を論じるなかで
言ってるとしたら、初期作品にはそのような精神上の傾向が見えるということかも知れない。
思うに、男性の中には青春期から若年期にかけてミソジニー傾向を持つ場合がかなり多いのではないか。 >>274
アンカー間違えてないっすか?w
吉行さんは育った環境考えれば女嫌いになるでしょうな。
バリキャリの母、才能を秘めた美人姉妹、おとっつあんは自由気ままな風来坊。
男は一応、身近な所で男たるものとしてのモデルケースを学んでいくから
幼少期から思春期の多感な時期にプーな父親見て育ったら、
女に依存して生きていきたい、でも女は反対に自分に依存してくる
女って面倒くさいという心理が根底に生まれてもおかしくないと思うけどね。 時代的な男女の捉え方もあったかもしれない。
戦前-戦時中だと男は戦い、女は守る。
敗戦と同時にその価値観が吹っ飛び、
新しい時代の男女関係が生まれるまで30年ぐらいかかった。
今現在のように男も女も稼ぐの当然よ、となると
ミソジニー吉行系のタイプの作家は時代の波に埋もれて現れないだろうね。
ネットで愚痴やボヤキを書き込むぐらいが関の山になるか。 吉行をミソジニーと決め付けちゃいけないよ。
たった一人のおっさんが、ある論考でそう指摘したというだけなんだから。
どうも最近の子達は考え方が安易でいかんな。 吉行の二人の妹は兄貴が美男の誉れ高いわりに、ふたりとも美人ってもんじゃない。
それに二人とも才高きおにいちゃんを尊敬するいい妹たち。
とても兄貴をミソジニーにするような家族じゃない。 吉行をミソジニーって書いたのはオッサンじゃなくてオバハンじゃない? 引きこもりの先哲みたいな人だろう?
自分の本は死後も売れると言ってたらしいし、こういう時代が来ることがわかってたのかな 龍子さんと再婚してからは国内二人でいろんなところに旅行行ってた
鎌倉も散歩コースがあってよく出歩いていたそうだ
それプラス堀内誠一さんがパリに居たので、堀内家と仲よく海外旅行も行ってた
死後の売れたのは殆どが文庫化されたおかげかな
三島の版権は新潮社が管理らしいけど、澁澤は河出書房新社? きみ頭悪いねえ。
売れるから文庫化されたんだよ。
>三島の版権は新潮社が管理らしいけど、澁澤は河出書房新社?
こどもが余計なことに気を回すんじゃないよ、バアタレが。 >>286
龍子さんのインタビュー記事では
「できるだけ若い人たちに読めるような状況にしてほしい云々」
という遺言もどきがあったのはご存知かな。
澁澤クラスでも生前は初版売りきればいい方だった。
死後の版権権利はしっかりしておかないと、
出版社倒産後の悲劇というのがあるからね。
河出はね、かつて計画倒産した会社なんだよ、よく覚えておいてな。 >死後の版権権利はしっかりしておかないと、
それがおまえにどういう関係があるのかってハナシだろ。
河出に限らず出版社なんてみんなそんなもんさ。よく覚えておいで。 ここまでおいで〜
アハハーウフフーキャッキャッ(はあと) その昔、澁澤ファンは神田界隈では疎まれていたらしいが、こういうのがいるせいか 昭和の頃の話だけど、たぶん70年代頃?
澁澤ファンは古書店街で態度が悪かったらしい 90年代の終わり頃でも
鼻持ちなら無いやつばっかだったぞ 澁澤ファンは そのうち新たな伝説として、澁澤はお金を持たなかったが加わるのか そのうち澁澤は生まれつき盲目なのにがんばって一生懸命勉強したとか ひとりで買い物もできないという場合、
1.気が弱くてお店の人と口が聞けない。
2.一人では何を買っていいかわからない。
3.お金を持ち歩き、やり取りする面倒にたえられない。
などの解釈がありうると思うが、>>298くん、君はひとのうわさを疑うことも
せずに鵜呑みにした時、この3つのうち澁澤はどのケースだと思ったのかね?
あるいは、この3つ以外のなにか別の解釈をしたのかね? 298ではないけれど
「金勘定ができなかった」だな、きっと 金勘定ができなかったという場合、
1.数字に弱くて足し算、引き算もおぼつかなかった。
2.指がそろってなかったので、金勘定が物理的にむりだった。
などの解釈がありうると思うが、>>304くん、君はこの2つのうち澁澤は
どのケースだと思ったのかね?あるいは、この2つ以外のなにか別の解釈を
したのかね? 仮に机の上での算数は出来たとしても、
それとはある意味無関係に、例えば
「287円です」って言われて、
「え〜っと、この銀色が100円で、これ2枚と
銅が8…6枚しかないや。ヤバい」
って焦っていつも1000円出しちゃう感じ。
まあ勝手なイメージだけどねw
それより何より、一寸格好付けて言ってた気もするけど。 龍子さんによると
「ウチの亭主も野菜炒めぐらいはできるようになったわよ。」
常に、俺はノルマルだって語ってた人だから
変人扱いは気の毒。 浮世離れはポーズと観念世界だけで無茶苦茶現実的な人だったぞ 折込チラシでスーパーの特売品をチェックするほどになw へえええ、そんなほどかあ。
ってうそ言うんじゃないよ、名月谷の澁澤邸にはスーパーのチラシなど
入ってなかったよ。 料理作れるようになったことはエッセイでも書いていたはずだ。 >>311
きみのレスはどことなく不意に蚊がとまったような「うざ味」を感じさせるな。
パチンとやりたいが、この季節の「哀れ蚊」、蚊遣りも焚かずにおこう。 ドナルド・キーンが「三島は松の木の名前も知らなかった」という話を広めて
澁澤がそれは信じられないと反論していた話があった
植物学者の塚谷裕一がこの件で澁澤にも触れて検証していて、澁澤の方に軍配を上げている
三島の松の木の描写は植物をわかってる人のものだということだそうだ >植物学者の塚谷裕一がこの件で澁澤にも触れて検証していて
これのソースは? 遠藤周作については書いてる?交流はあったみたいだけど 松の木の名前を知らなかったんじゃなくて、
松の木という言葉がさす実物の松の木をしらなかったというんでしょ。
あるとき誰かに教えられて「ふうん、これが松というものか」と言ったと言う。 フランスでサド全集が出始めたとき、澁澤が丸善に注文をいれたら
もう一人、サド全集の予約をいれた人物がいて、それが遠藤だったというハナシ
はむかしどこかで読んだな。 >>314
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163474700
ソースはこれ
>>316
みたいに三島=観念的で具体的な事物に疎い、という先入観があってこの話が広まったのだが
植物学者から見ると三島の作品には植物が多く登場して、しかも特徴を的確に捉えている。三島が植物に疎かったというのは誤りだという論調だった。 澁澤ってキーンのことどう思ってたんだろう
アメリカってだけで嫌に思いそう・・・ べつに澁澤がアメリカを極端に毛嫌いしたというはなしはないんではないか。
トルーマン・カポットなど気に入っていたんではないか。 ドナルド・キーンと澁澤が縁が無いのはわかるんだけど、
キーン氏は中井英夫周辺の三島のホモセクシュアルコネクションと全然つながってない印象なのはちょっと不思議だ
米軍系の日本研究者ならつながりがありそうなんだけどな >>318
松の話の真偽はともかく三島は自然描写が長い割りに植物名は出てこない
でもじじばばは都会人でも木の名前とかよく知ってるわ普通に出てくる
若者じゃ(たとえば俺らの地方じゃ)ヤマモモとクスノキの区別さえ知らん ヤマモモって山口百恵とかのこと?そりゃクスノキとは違うっしょ、ぜってえ。 そりゃあ昭和天皇がそっち系の学者さんだったから
一国民でさえ最低限の植物のことは知ってなければという意識が
昭和の時代にはあった いいかげんな事言ってんじゃねぇよ
ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ >>327 宮沢賢治にしろ澁澤龍彦にしろ、亡くなる絶妙な時期っていうのがあるのか? >>330
あると思う。
賢治の誕生と死は東北の大きな自然災害に関係していて、絶妙を超えている。
カリスマとしての付加価値が付けられたとでもいうのかな。
それと、歴史的に見て一番酷いとされている東北の大飢饉が賢治の死後に起こる。
彼が生きていたら愛する東北の惨状を絶望視し、恐らく東奔西走して悲観した後、
小林多喜二のような人生を歩んでしまったかもしれない。
もしそうなった場合、賢治の文学者としての位置付けはがらりと変り、政治的に利用されていた怖れもある。
澁澤の場合は本人が昭和の子、と自称していたくらい、昭和と共に生きた。
亡くなった年は昭和天皇が手術をされた年でもある。
昭和は文化や歴史の背景としては平成に比べると重厚で絢爛豪華、ドラマティックだったよ。
それに澁澤が亡くなった年は彼の好きだった人たち、堀内誠一や石川淳、
前年はジャン・ジュネ土方巽も亡くなっているしね。
どんな人も、生まれと死は探れば大きな意味が隠されていると思っている。 >>331
随分とメロドラマテカリレエな見解だねえ。そんなわけないだろ。
昭和のすたる爺。 論破も出来ず何も生み出せない不毛な輩の言葉は、概ね否定で始まる。 論破とかそういう内容の文章じゃねえっしょ、これ。だよねえーって感じで同意を強いてくる感じの文章だ。 父母の交尾の結末にてただ生きるだけの者には、
時代が求めた役割を果した者の意味を追究するのは
酷といえるかな。 60年代、澁澤龍彦が例によってわいせつ文書(サドの『悪徳の栄え』)を著述、頒布し、裁判になった(所謂サド裁判)
例によって、反省しない澁澤は、法廷で、わいせつとは何かをめぐって縦横無尽に主張を展開した
ほかの作家もやって来て弁論したり、傍聴したりで、白熱した論議が毎回行われた
裁判は終わらず、法廷での論戦が何年も続いた
ときは70年代――――あるとき裁判長は言った
「時代は移り、ここ日本には、わいせつ文書などいたるところにあふれている
わいせつを巡る議論に結論は出ていないが、もはや時代にそぐわなくなった
このあたりで、議論は終わりにしたい」
……サド裁判は、そのあと、数回行われたが、結論が出ないまま、終わった >>335
いやあ、死んだ人間をこじつけて彼は時代の役割を果たした! とかほざく輩よりは、よっぽど交尾の結末でただ生きる人間の方がまともだと思うがね。