カズオ イシグロ
今日発売の週刊現代2017.10.28だが、カラーではないが4頁の記事 あと壇蜜さんのカラー写真特集の力の入れようがすごい。 「遠い山なみの光」って 最初は「女たちの遠い夏」とかいう邦題だったんだねw なんか昔のドラマのタイトルみたいで浅野温子が出てきそうというか このタイトルだったらまず手に取る気にならんかったわ 元々の訳に近い「遠い山なみの光」の方がずっといい イシグロの作品が売れまくっているのを見る 全く売れなかった大江の気持ちはいかに 文学者が知識人だった時代だしね イシグロは技法の盛り合わせが絶妙な小説家 寡作なのも売り出しも全て現代作家のお手本 >>504 ノーベル文学賞授賞者の性格と品性とか運勢を比べるんですね。 記者の目 イシグロ文学にノーベル賞 https://mainichi.jp/articles/20171018/ddm/005/070/018000c 2015年6月、新刊小説「忘れられた巨人」の宣伝のため来日した際にインタビューしたイシグロさんは、 斜に構えたり自らを飾ったりしない。常に真っ正面から熱っぽく質問に答え、逆質問すらされた。 作品は6世紀ごろのグレートブリテン島を舞台に、行方不明の息子を捜すブリトン人の老夫婦の旅を描く。 旅路にはかつて敵対したサクソン人も住んでいるが表面的には平和である。 というのも、この世界では人々の記憶に霧がかかっており、少し前の出来事も薄ぼんやりしているからだ。 これは、執筆の動機となったという1990年代のユーゴスラビアやルワンダの大虐殺を伴う民族紛争の隠喩だ。 平和に暮らしていたのに、先の世代の対立の記憶をよみがえらせ、 隣人同士がむごい殺し合いを始める様に作家はショックを受けたのだ。 世界中の読者が我が事として読めるように、あえてファンタジーのような設定にしたのだという。 「記憶を失わせている存在を殺して記憶を取り戻すか、あるいは思い出せばまた対立を生むから忘れたままでいるかを問うた」と力を込めた。 ナチス・ドイツに協力した過去への後悔を通して個人と政治の関わり方を模索する代表作「日の名残り」(89年)といい、 臓器提供のためにクローン技術で生まれた若者の苦悩を描く「わたしを離さないで」(05年)といい、 イシグロ文学は静かで格調高い筆致で現代社会の問題の切っ先に迫っている。 本人は政治的発言には慎重だが、受賞決定を受けて 「世界が不安定な状況の中で、小さな形でも平和に貢献できればうれしい」と語っている。 作品では歴史観と世界観はより明白だ。それは社会を分断する流れへの「ノー」の立場である。 人間は過ちを犯しはするが、反省して一歩ずつ、良き道へ踏み出せるはずだという信念も感じる。 個人それぞれの人生行路が、国家レベルの歴史に重なるところに読み応えがある。 >>508 ならば春樹と比較するタイプの作家ということか よく知らんけど 技法でいえば対照的だね 最近だとgirls on the trainがそうだが 回想にウソ捏造が混じる信頼できない語り手 と 春樹のメタ物語的プロット 「ここで春樹を出すのはフェアじゃないわ」 ぼくはピスタチオの皮を剥くように、>>513 の頭を鈍器で殴った ところで 石黒カズオって名前の人は日本に相当いそう 村上春樹「1Q84」BooK1より引用 「現実はいつだってひとつしかありません」、書物の大事な一節にアンダーラインを引くように、運転手はゆっくりと繰り返した。 「もちろん」と青豆は言った。そのとおりだ。ひとつの物体は、ひとつの時間に、ひとつの場所にしかいられない。アインシュタインが証明した。 現実とはどこまでも冷徹であり、どこまでも孤独なものだ。 ↑ アインシュタインがそんなこと証明していない 気取っているけど物理学を全く理解できていない事がわかる 理解してない上に不正確で意味も不明 これが村上春樹の知能だと分かる文章 三大・檀の一人である檀ふみの父もカズオ あとの二人は檀れい・壇蜜な 「充たされざる者」が本屋で山積みになってた 読み始めたら面白いんだろうけど、あの厚さにびびって手が出なかった 「忘れられた巨人」は物語に入り込んで一気に読めたんだけどね 普通 センスはいいが センスのいい短編の名手はいっぱいいるからな zadie smithやlahiriとかそういうレベル しかし日本での評価はスカしてもいいじゃん。出身国なんでしょ。 僕は書下ろしの教科書が心に残ってる。八月の幽霊ね。 信用できない語り手 代表作日の名残は庖丁人味平が料理道を語るように執事が執事道を語る 凄く面白いがそんな馬鹿なと まだ料理なら何が一番かと品定めできるが主人の為を思いもり立てる頑張り誇りを持つがそんなん比較不可能だわ それぞれに執事の本懐はあるがあの執事はここが凄いがあそこは大したことない そんなことを互いに意識しながら執事道を追及する 庖丁人勝負みたいに そんな馬鹿なことがあるか でもその嘘で大変面白い物語にしたてあげられているが物語自体がその物語を裏切る 執事道を誇る語り手の執事は自分に自分のやり方に誇りを持つ 父親の必死のリハビリを鼻で笑いながら自分の正しさを揺るがさない 主人を敬愛するが故に主人の過ちを止められない 誇りを持ちすぎるが故に素直になれず女中頭とのフラグをへし折る 結果かっては正しかった対独融和策がヒトラーの台頭を許し主人は没落し次の主人には疎んじられ独身で人生の終わりを迎える しかし、そこでかっては馬鹿にしていた父親の行動を真似ながら人生の落日でまだやり直しに取り組む 語りが騙りとなり破綻した中でそれでもまだやり直せることに向き合う それはスエズ動乱で大英帝国にやり直しをさせ今度は突っ張って失敗するなとの作者の隠れたメッセージになる ヒトラーに誤った対処したようにスエズ国有化に誤った対応するなという かっての父親のようにまだやり直せるやり直すべく頑張ることに意味があるとのメッセージ 信用できない語り手だった主人公の掴む大きな真実 それが真に作者が描きたいこと わたしを離さないで 佐藤亜紀はエモーショナルな読者に迎合した最悪の物語と語った 高橋源一郎はただクローンの悲惨な真実が露呈するだけじゃないかと否定した しかし、そうだろうか この主人公が語っている相手、想定している聞き手は誰か 一般人健常者が?介護人か?いずれも違う 直接かたりかけている相手は提供者、しかもヘールシャムではないところで生まれてまだましな主人公の話を聞きたいクローンであり主人公キャシーの介護を受けている提供者だ そしてキャシーは余りにも残酷な真実は隠しておいてできるだけ気持ちよい思い出を仕立てる語るそういうことで優秀な介護人 クローン達に負担をかけないそういう基本方針だが真実をぶちまけることが正しいとした先生もいたがキャシーは違う トミーは真実を苦い真実も含めて求めた ルースは真実と出会うことエミリー校長先生に会うことはキャシーに託した キャシーの語るキャシーにとっての真実の物語は魂の三人、キャシー、ルース、トミーの物語 しかし、ルースはキャシーから男を奪うためにトミーと恋人になっただけだし キャシーが一人で我が道を行くトミーに憧れてたかがトミーにとってはキャシーはそこまでの存在ではない キャシーのトミーへの愛は本物かというと最後はトミーを看取っていない トミーは愛による猶予を信じ、それが真実であることを求めて、それが嘘だとわかったらもうやってられんと 提供者だけの繋がりにいき、そういうトミーをキャシーはまた真実よりは受け入れやすい物語のキャシーにとっても受け入れがたい だから最後は二人は別れ看取っていない このどこに魂の結び付きがあるのか 佐藤亜紀や高橋源一郎は安っぽいお涙頂戴物語だと切って捨てた しかし、真実は違う キャシーの語りが物語が破綻する物語なのだ 確かに三人の魂の結び付きを語った物語と表面だけは読め、大衆はそれに喝采した 映画に関わっているがそんな難しい物を映像に表現するのは作者は諦め、普通は綾瀬はるかのドラマのように受け取られる しかし、三人はばらばらだが同時に結びついている ロストコーナー 三人の方向性は違うがそれでも有刺鉄線を潜りながら真実に向き合う 微温的なものがたりの底にそれでも三人は違う形でありながら夢を見て真実とも向き合った 全て夢見られたものがロストコーナーで返ってくる 三人はばらばらだったのも真実だが三人は絆を求めたのも真実でこの物語が三人の魂の物語であることも真実 そういうネジ曲がった複雑な構造だ 単なるお涙頂戴ならこんな物語にはなっていない 表面の物語の下にそれでも吹き上がる真実の物語、現実にはなかったが夢見られたものも含めて真実がある あの赤ん坊の代わりに枕を抱いた子供を作れないクローンが夢見た子供が真実なように 佐藤亜紀っていう人は知らないが、 高橋源一郎がそんな薄っぺらい読み方しかしてないの? それってどこソース? 高橋源一郎 わたしを離さないで でググれば 小説の構造に詳しいということが売りの作家である 佐藤亜紀にしても高橋源一郎にしてもそんな読み方しかできないんだから 一般大衆が普通の娯楽小説として読んでしまうのは仕方ない 日の名残の作者がそんなもん書くわけはないんだが 日の名残の語り手が調子に乗った語りの裏でしっぺ返しに合う話であることは 皆、理解されたんだが わたしを離さないでは説明がめんどうくさい イシグロ自体も説明諦めて信用できない語り手は止めたと言って説明放棄している 映画なんか監修してもそんなめんどうくさい話にはしていない 小説は死ぬほど面倒くさいのに 小説売るのもそっちが都合良い 普通のお涙頂戴と思って読んで貰った方が売れるし このスレにしても ぐぐっても見つけられなかった・・・ 高橋はどうだか知らないけど、 べつにこのスレの人たちはお涙頂戴と思って読んではいないと思うよ ていうかすごい過疎スレだったのにな・・・ 佐藤亜紀や高橋源一郎はわたしを離さないでのwikiにも出てくる有名な話 わたしを離さないでは三層の物語があって表層は魂の結び付きの三人の話 でもそれだとキャシーがトミーを看取ってないことが説明つかない 信用できない語り手として気持ち悪い体制に従順な抑圧的な介護人である主人公の現実からも目を逸らしている 表面の物語の裏に流れているのは仲違いする三人の物語 しかし、それだけでもない そしてその底にそれでもなお結びついて離れない三人をはじめとするクローン達の夢の話が描かれる できたことできなかったこと含めて真実があると 人間はそういうものだと 実際にあったことだけじゃなく夢も含めて人間の真実だと 三層目まで考えた時にカセットテープの赤ん坊の勘違いやロストコーナー ノーフォークの意味がはっきりする なぜそれらが描かれたかがはっきりする クローン達の反抗や救済の話をかきエスエフや社会小説にしたかったならいくらでもできた マーガレット・アトウッドのように でもそうしなかった 佐藤亜紀や高橋源一郎は二層や三層を読めなかったわけだが ほぼ読めている奴はいないと断言できる 皆、可哀想なクローンと美しい魂の三人の物語、大衆娯楽小説として読んでる エスエフやクローン小説、政治小説として読んでる奴等も一緒 娯楽小説としてしか読めてない浅い読者 カセットテープや遺失物保管所まで読み込める奴はいない キャシーの歌詞の誤読含めて現実にあったこともなかったことも含めて人間であることまでは至れない 読めていない 柴田元幸の解説読めばそんな娯楽とは思わないだろうな。 ルースは有刺鉄線を越えることを恐れて夢ばっかり見ている キャシーは短いクローンの現実、死から目を逸らして嘘もついてもいい、 苦痛の少なくなることだけ考えている トミーは愛による猶予にすがり性急に答えを求め嘘だとわかると落胆する、自暴自棄になる トミーのキレやすさとはそういうこと 三人はばらばらだがそれぞれの立場を越えて考え方を越えて食い違いを越えて その夢見る力はそれぞれに正しいと肯定される 人間はそういうものだから 苦しみの中でそういう物をそれぞれの立場考え方で追い求めることは肯定されないといけないから 人間をやっていけないから それが物語の力で人が小説を読む意味だから その意味で三人の魂はクローン達の夢はやはり深いところで結びついている だからこそキャシーは歌詞を誤解していてもその誤解を含めて正しいのだし 仲違いし看取らずに離れていたトミーは最後のシーンで忘れられた物も含めて全てとして復活する カセットテープやロストコーナーとは、有刺鉄線とは、そういうこと 細部で何でその事がその物が書かれないといけないのかとは、そういうこと 昔高橋源一郎の小説講座みたいな本を読んだが 古今の有名な小説を1行で要約するというのをやってたな 男と女が別れた とか >>534 二層目まではわかるけど三層目がうまく咀嚼できない 一層目の魂の結びつきと三層目の結びつきの違いをもう少し教えて欲しい 単に記号論的に深読みできるかも、という ことを層云々いうのは滑稽だねえ >>537 「そういうこと」で済ませないできちんと読解できるといいね 連想・イメージでは二つのものをつなげることができてしまう けれど、それを確かなテキストの連関において説得力を持たせられるか AとBは連関している、ではなくて、「こういう視点から見ると」AとBは同じ構造を持っているように作者は書いている、とすること 佐藤亜紀や高橋源一郎と違う視点で小説を楽しんでいるのは第一歩 その視点がきちんと「ツッコミ」に耐えられるだけのテキスト的な強度があるか いろんな人がいろんな視点から楽しく小説を読むことはいいことだ その提示された視点がほかの人にも面白いものであることはもっといい 第一層は語り手による美しい共同の物語 第二層は個々の人物の利己的な相克の物語 第三層というのがユング的な無意識においてつながっているという読解なのだろうか? では、なぜ彼らはそのような無意識・夢でつながっているのか、そしてそれがどのような意味を持つのか 結構いいたいことは分かる気はするが、具体的な「カセットテープや遺失物保管所」に語ってみてくれ >>542 たとえばヘンリー・ジェイムズが物語と筋の違いを指摘している 筋は男が老夫婦のところに生まれて動物を仲間として島を渡って敵を倒して報酬を得て帰ってきた 物語は「桃太郎」・「犬猿雉」・「鬼」という登場人物を筋に加えたもの 登場人物を記号に還元して筋を調べることと、還元し得ない「登場人物性」=テキストの残余・背景・コンテキストを同時に考えるのが記号論 そんなに浅くはない 単に小説をプロットに還元してものを言うことが浅い 小説を物語に還元して読むときには「登場人物」や「背景」を説明してから読まなきゃならない さらに、テキスト的に痕跡を浮かび上がらせて拾い上げながら読むテマティズムだって、浅いわけではない いろんな視点からきちんと小説を読む事は大事で楽しい イシグロは創作科なので よくある類型にならないように設計している その技術を褒めるのはいいが微視的な 記号論を作って他人はコレコレに気づいていないと 言い出すのはバカ。 >>544 文句つけたいだけの人だったら嫌なんだけれど、「微視的にも」きちんと読解するのは大切なこと 少なくとも問題提起としては粗雑な「マクロ視点」での読解に対する批判として面白いと思う 高橋源一郎や佐藤亜紀が「マクロ視点」で評価したとき、それに微視的な視点から批判を加えるのは正当なこと 問題はその「微視的な視点」が視野狭窄じみたものか、独りよがりなものか、他人にとって「面白くないのか」 提出された「微視的な視点」がつまらないと思うのなら同じ土俵に立って反論すべきだと思う 記号論だから、○○だから、とレッテルを貼って相手を批判したいだけの「記号論」=「薄い」とか「記号論」=「馬鹿」というイメージの結合でマウントとろうとすることはやめようよ 怠けては駄目 小さいエピソードを記号論で関連づける のは勝手にすればいいが、あいつはここに 気づいていないとか言い出すとみんな ついてこれなくなるな 俺は謎を解いたぞっていう感じにね 特に今回の場合のように説得力が薄い場合はね 研究で明らかになるプロット上の驚くべき構造 というのはあるにはある 西遊記のエピの配置とかな 王道的な象徴解読なら 日本家屋の造りと話運びを絡めた 前田愛みたいな視点な しかし3層論は「あいつはこれ気づいてないから ダメじゃん」って言えるシロモノじゃない 個人的なこじつけ >>547 三層である理由がわからないじゃん 小さいエピ拾えば何層でも解釈できるだろう これは2つの小さいエピソードだけで 実は一層をなすのです 注意深い読者は気づくのです そしてこれはコレコレの層と実は対立関係にあります しかしこれは宙吊りのまま物語が閉じます とかいくらでもできる言葉遊びなのよ いくらやってもどこにもいけないタイプ これが恣意的にならない場合というのは 実証的な情報と誰にでもわかるような物語構造に 見事な相関関係があった時な。 例えば人物名が沢山出てくるとして 無意識にでもその語源の分類が物語世界内での ある重要な分別と一致しているとかな。 なんらかのパロディの場合、その参照先を見つけ出すのも 重要。例えばnever let me goの場合 英文学の学校児童モノというジャンルが背後にある らしいが俺は知らんから、なぞったり外したりといった 設計された効果を実感できない。これは本書だけを いくら読んでも、ジャンルに通じていないかぎり 実感できない なので件の屁理屈みたいに 題目の抽象的精神的テーマについての深さというのは 無理が多いわけだ 「あいつはこの隠れた人間精神のテーマを読めてない」 とか延々となるからな 不毛としかいえない >>550 三層構造については分かりやすいと思ったけどな 語り手は登場人物たちが協力していると話していた テキストレベルでは利他的でない行動を取っていることを書き込んでいる さらに、それでもいくつかのエピソードでは同根のような断片がある こういう単純な視点を君は否定できる? 否定できるならそれはそれで生産的だけど、君は馬鹿にしているだけじゃないの? 君が「不毛でない」ならちょっと否定してみてくれないかな 助け合っていても 利己的な行動を一切しないわけないじゃんw 聖人じゃないんだから 類型化された人物造形をしたくないなら 数あるエピソードでそういった我や自分本位の行為を 織り交ぜるのは誰でも思いつく作法で それは「層」である必要はない 問題はその利他/利己の配分や特徴が「明確な」物語構造 や言語使用、あるいは話の前提となっている社会と いかに見事に連動しているかどうかってこと 例えば利己的な行動の前には必ずある特徴的な 言葉遣いが現れるとか、行動の質を調べると 実は内容が被らないように上手く割り当てられて いるとかな だから三層なら三層である理由が三層であるという 事柄以外の客観的要素から説明されないとダメ そもそも 1描写されている登場人物たちの意識 2実は登場人物は主張している通りに動いていない 3実は意識が繋がっている 人間を丁寧に描いた場合だいたいこれ言えるだろうw 愛し合っているカップルがしかし 実はお互いに偽善的行為して結果結ばれないが、 実はなんらか深い部分で共感していた こんなの普通だろ なんでも当てはまる 日の名残り読んでてよくわからなかったのが 主人から客の息子に性教育するよう頼まれた主人公がいちどはしなくていいのかとほっとするんだけど、やっぱりしなくちゃだめだと気づくまでの流れが。なんでそうなったの ワインにパエリアが合うかどうかとか。とりつぎとかコネより コネクション ザ ワールド。 >>560 客の息子と会話してみて、息子が「ちゃんと理解してるよ」って言ってたからスティーブンス安心、と思ったら理解してると言ってたのは来賓のことでしたやっぱり性教育しなきゃ って流れだと思う >>560 ビリヤードでクッションを使ったり衝突の連鎖を利用したショットが 狙ったボールに当たったものの、ポケットには落ちなかったということかな?? 読み直してみた デュポンて男なのに どうしてレジナルドは紳士と淑女の違いの話でデュポンのことを持ち出したんだろ 私見を申し上げれば 緊迫した館ではフランス代表のデュポン氏をいかにして味方につけることができるか ということが焦点となっています (後々イギリスとフランスの立場や考えがいかに違うのかということが書かれます) もう一つのポイントは作中「婉曲」「率直」という表現が頻出していることです そこへ父からの伝言といってスティーブンスがレジナルドに話し始める 「〜紳士と淑女の間にはいくつかの重要な点で違いがあることを心得ておかねばなりません」 レジナルドは生真面目な青年であるような描写が直前にあったと思います そこで彼は少しの間考えを巡らせ 「この状況下で父からの伝言。これはきっと婉曲表現でイギリスとフランスのことを言っているんだ」と 考えたのではないでしょうか よくレス読んでないけど、これから日の名残読むから、ネタバレはなしでお願い 妄想を誇大的にせず歪曲もせずに婉曲で受け取ること。 これも便利なツール。精神的関係でね。 まあ笑うところなんだろうけど 自然の驚異とか サカナのことならよく知ってるとか レジナルドがスティーブンスを単にからかってたのかな 紳士と淑女の間には、というのが男と女という意味じゃなく、一般的に、われわれ人間の間には、という意味で受け取ったんだろうな そういうことにしとく 日の名残り読みました。 ノーベル文学賞作家としてのイシグロを感じたいなら次は何を読むべきですか? それとも日の名残りで十分ですか? buried giantだな ベタなファンタジーを現代小説で 料理するっていうのは試みとしてはあるんだけど 多分一番上手い grendelっていう古典もあるけど あれは、アーサー王伝説読んでからの方がいいのかね? おれなんか朧気な知識しかなくて読んでしまったが。 忘れられた巨人の豆知識 ・恐らくはエドウィンとはアーサー王が一時的に撃退した後のサクソン人の覇王の一人 ・ベアトリスの姦通相手ってア○サ○王 ・ガウェインは夫をサクソン人の武将に殺された若い女を殺させる訳にも行かないがこんな復讐をやらせたくもなくもう大変 ・ウィスタンも母を殺したブリトン人への復讐を忘れるなと言いながらもう戦争は避けられないと嘆き悲しむメンヘラ ・でもテーマは悲惨な記憶を思い出すくらいなら過去の記憶は忘れるべきかじゃないから ・竜もサンザシの花をマリーンに与えられてた 征服王に俺はなるのエドウィンもブリトン人のアクセルやベアトリスを忘れない、 忘れるな、過去に如何に悲惨なことがあってもそれ以上に互いを結びつける大切な記憶を忘れるながテーマだからそこんところよろしく ・記憶を無くさせる竜も忘れてはならない物を持っている アクセルやエドウィン達も忘れてはならないことを持っている 忘れてはならないことがある ・ラストは夫婦が会えないか会えなくないかが問われているわけではないから どんな辛いことが過去にあっても忘れてはいけないことを知っていれば二人はまた会える そういう物語だからそこんところ繰り返すがよろしく 腹が痛くて今直ぐに死にたい。 もうたくさんだ。 さっき、1週間食事を絶って、カレーを食った。 うめぇ! 飯を3合も食ってしまったわ。 トッピングは山盛りのとろけるチーズ、ゆで卵10個、蒸したジャガイモ7個。 5000カロリー超えた。 腹がいてぇよ。 「忘れられた巨人」感想 外国にも三途の川ってあるのか… >>580 その感想が新鮮でびっくりだわ 渡し守カロンとか知らないのかな?ギリシア神話のオルセウスとかいろんな入り口あると思うけど レーテ・スティクス・オブリヴィョン・・・ 死んだ魂が生前の記憶を忘れるっていうイベントは現世=ケガレ、来世=浄化として結構普遍的だね 読書はいろんなところにつながって面白いですよね わたしを離さないで、読み終えた。 「そこ」が気になるけど全然描かれず関係のないものばかり描かれるから仕方なく読んでたけど、 結局「そこ」も別に大したことなくて、ラストはまぁこんなもんかと思った。 文章はすこぶる読みやすかった。 つーか長すぎ、もっと短くまとめて。 >>585 いや、たったこんだけのことに頁を使いすぎってことだよ。 プロット=内容だと思ってると、そういう感想になるか 書店がゴリ押しするせいで、本来だったら文学と無縁の人が読むようになったね カズオ自身がプロモーション熱心な 現代作家だからまあいいじゃないの 多分純粋にインダストリー的な環境で勝ち抜いて ノーベル文学賞とった初めての作家だろうね 情けないよな ノーベル賞は立派な賞だと自分から言ったり 憲法学者の長谷部恭男先生はイシグロお好きみたいですね。 バイアット シュガー の方がオススメ。作家、小説家 文学者 の順位じゃないし。 日の名残りでは大事な客への皿を割り父親が失敗して給仕をやめさせられた後に石段を登り降りする そしてリハビリしてまた執事に戻ろうと取り組む 主人公が全て遅すぎて大切な女性のメイド長をラストにもう駄目よ全ては遅かったと失う、その時に桟橋に灯りが灯る、桟橋に詰めかけた観光客達は見知らぬ同士で感動し歓声の声をあげる そこに登り降りした父がオーバーラップする まだ届くまだ光に達せられる、高い所の光を手にできる 日が暮れて人生が終わろうとしてもまだ取り戻せるものはある 時はスエズ動乱でイギリスがエジプトに軍事行使しようとしてアメリカに阻止され赤っ恥を書く時代 チェンバレンの対独融和策がナチスの台頭を許し主人公が大切な女性を失ったような過ちを繰り返してはならない 日は残っている 忘れられた巨人はまだ中世も整備されないころのイングランドが舞台 そのころ人々の記憶はなぜか失われて過去の事が思い出せない アクセルとベアトリスという老夫婦がいるが彼らは蝋燭で夜家を照らすことがきんじられている なぜか周りは霧が立ち込めているがある時、霧が晴れて日がさして高い所から蜘蛛が降りてくる 何かを思い出す 自分達には息子がいた 顔を思い出せないがそこに行こう、場所も旅の途中で思い出すだろう 途中で別々にしか渡る事ができず大切な記憶をどちらも持っていないと二度と会えない島、アヴァロンで船頭に会う 息子とは関係ないと別なところに行く そこでアクセルにもしかしたら私はあなたに会ったことあるのではとウィスタンという騎士に会う そしてアーサー王の甥、ガウェインとも会う アーサー王死後のイングランド そこが物語の舞台 ウィスタンはクエリグという竜を倒すと言う その頃竜にかじられたエドウィンという少年がいて ここは剣と魔法と騎士道の中世初期 アーサー王はローマ帝国衰退後のゲルマン大移動、サクソン人(アングロ・サクソン、イングランドのサクソン人の語源)の侵入を撃退したブリトン人の英雄の名前から作られた伝説の王 そしてエドウィンとはその後にイングランドに覇権を確立しキリスト教の導入をしたサクソン人の王 アーサー王とアクセルはブリトン人とサクソン人の和平をもたらした しかし、和平が壊れて殺しあいになった時、ガウェインはブリトン人の娘がサクソン人の領主を仇を取ると戦場に向かう 娘を殺させたくないからサクソン人達を倒すがこんな馬鹿なことはやりたくない ウィスタンは記憶喪失はクエリグの霧のせいだと言うが霧が晴れたらブリトン人に殺された母の仇を取ると言う 自分は別に過去の記念碑の為ではなく未来に続く征服者の為にいると 自分は駄目でもエドウィンを仕上げると ガウェインは全てをやめさせるためにマリーンと組みクエリグに魔法をかせ和平を取り戻した 記憶喪失と引き換えに 木の上に登るエドウィン、塔の上まで火をかけ上がらせて修道院の陰謀を断つウィスタン 高さの主題、霧の上灯り中で光の中で取り戻すこと、竜に噛まれた傷を元に竜の居場所を探すエドウィンとウィスタン ウィスタンは嘆く必ず大地を血に染めないといけないと、しかし、私は既に余りにもブリトン人の仲間をアーサー王やアクセルの夢見たブリトン人とサクソン人の共和に魅せられたと 息子と会うためにアクセルとベアトリス、アクセルお前は怒ってたではないかとガウェイン アーサー王をめんばしながら怒っていた、怒りのあまり騎士をやめた、それでも思い出したいというのか ガウェインをウィスタンが倒しクエリグも倒すと霧は晴れる マリーンが竜の為に残したサンザシの花だけがあった 日の名残りの桟橋の灯りのように記憶を無くさせる竜の心を和ませる忘れてはならないものとしての光 アクセルは言う、エドウィン、私たちブリトン人の老夫婦の事を忘れないで アクセルは妻ベアトリスとアーサー王の姦通のことや息子が既にアヴァロンで死んでいることを思い出す ラストはアヴァロンを渡ろうとする二人 この話のテーマは忘れるな それでもどんな取り返しのつかないことでも それ以上の忘れてはならない諦めてはならない大切な記憶を繋がりを失ってはいけない この意味で日の名残りもわたしを離さないでも忘れられた巨人ま全く同じ話 日の名残りの失った物を取り戻す桟橋 わたしを離さないでのロストコーナー、間違った記憶も含めて真実だ 忘れられた巨人の蜘蛛が蝋燭がさんざしの花が 忘れるなと人は言う 読書感想文に長々とあらすじ書いて 最後に「面白かったです」で〆てたタイプだろこいつ read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる