【破戒】 島崎藤村 Part1 【夜明け前】
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島崎 藤村(1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)
日本近代文学を代表する詩人、小説家。
主な作品
若菜集(1897年8月、春陽堂)
千曲川のスケッチ(1912年12月)
破戒(1906年3月、自費出版)
春(1908年10月、自費出版)
家(1911年11月、自費出版)
桜の実の熟する時(1919年1月、春陽堂)
新生(1919年1、12月、春陽堂)
夜明け前(1929年1月、1935年11月、新潮社)
ご尊顔
http://jinbutsukan.net/person/photo/p_shimazaki-toson3.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6f/Shimazaki_Toson2.jpg
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jun72/20111104/20111104224245.jpg
「夜明け前」の登場人物は昭和の言葉で話している。昭和の感覚で
言葉を発している。これにことさら意義を唱えて鬼の首を取ったかのような
者がいるが、大いに野暮というもの。 「意義を唱えて」いるんならいいじゃねえか
それに異議を唱えるなんて大いに野暮というものw お志保は丑松と最後に別れの挨拶かわしたきり
二度と会うことはなかった 島崎藤村研究書なら誰のおすすめ?
やっぱ十川さん? 長いこと妻を導こう導こうとのみ焦心した彼は、その頃に成って、初めて何が園子の心を悦ばせるかを知った。
彼は自分の妻もまた、下手に礼義深く尊敬されるよりは、荒く抱愛されることを願う女の一人であることを知った。
それから岸本の身体は眼を覚さますように成って行った。髪も眼が覚めた。耳も眼が覚めた。皮膚も眼が覚めた。
眼も眼が覚めた。その他身体のあらゆる部分が眼を覚ました。彼は今まで知らなかった自分の妻の傍に居ることを
知るように成った。彼が妻の懐に啜泣しても足りないほどの遣瀬ないこころを持ち、ある時は蕩子戯女の痴情にも
近い多くのあわれさを考えたのもそれは皆、何事にも知らずによく眠っているような自分の妻の傍に見つけた
悲しい孤独から起って来たことであった。岸本の心の毒は実にその孤独に胚胎した。 節子一人だけがしょんぼり立働いていた。
「何時までそんな機嫌の悪い顔をしているんだろう」
そう思いながら岸本は台所から引返そうとした。口にも言えないような姪の様子はその時不思議な力で
岸本を引きつけた。彼は殆ど衝動的に節子の側へ寄って、物も言わずに小さな接吻を与えてしまった。
すると彼が驚き狼狽て節子の口を制えたほど、彼女は激しい啜泣きの声を立てようとした。 何時晴れるともなく彼女の低気圧も晴れて行った後で、あれほど岸本の心を刺戟した彼女の憂鬱が
何処にその痕迹を留とどめているかと思われるほど、その日は冴え冴えとした眼付をしていた。
彼女は狭苦しい籠の中から出て来て、実に幾年振かで、のびのびと夏の朝の空気を呼吸する
小鳥のようであった。家に燻っている時とも違って、その日の節子はつくり勝りのする彼女の性質や、
目立たない程度で若い女が振舞うような気取りをさえ発揮した。
十一月を迎えるように成って節子は眼に見えて違って来た。三年も彼女の側に居て彼女のために
心配しつづけた祖母さんまでがそれを言うほど違って来た。彼女の動作から彼女の声までも生々と
して来た。
「でも、ほんとに力を頂きましたねえ」
節子は岸本の二階に来てそう言って悦んで見せるほどに成った。
こうした力は――それを貰ったと言って見せる節子の方ばかりでなく、どうかして彼女を生かしたい
と思う岸本の方にも強く働いて来た。ほんとうに人一人でも救いたいと考えれば考えるほど、
彼は節子の違って来たのを自分の胸に浮べて、その生命の動きから湧いて来る歓喜を自分の身に
切に感ずるように成った。のみならず、彼自身と姪との関係までも何となく変質したものと成って行く
のを感じて来た。 自然主義文学の先駆者、島崎藤村(1872〜1943)のこれまで知られていなかった直筆の書簡がロシアで見つかった。
部落差別を取り上げた長編「破戒」のロシア人翻訳者に宛てたもので、作品の背景やロシア語で読まれることへの感慨がつづられている。藤村の文学観を今に伝える貴重な資料だ。
モスクワのロシア国立文学芸術文書館に所蔵されていた書簡を発見したのは、熊本学園大学の太田丈太郎教授(ロシア文学、ロシア文化論)。1920年代前後の日ロ文化交流についての文献を調べていて偶然見つけたという。
文書館の目録には作家で元衆院議員の中西伊之助氏の書簡と記されていたため、これまで存在が知られてこなかったとみられる。
書簡は、「破戒」をロシア語に訳した日本語学者ナタリヤ・フェリドマン氏あて。翻訳・出版への同意と見られる英文が添えられた礼状と、「作者より」の2通が見つかった。 夜明け前のような大傑作がいまほとんど読まれていないという状況
ドストのスレがパート何十とかなのに藤村スレはこの過疎っぷり
昨今の保守ブームの渦中でネトウヨこそ「夜明け前」を読んで宣伝してもらいたいよなぁ
「夜明け前」は「戦争と平和」に匹敵する国民的叙事詩だよ じゃあ藤村の一番好きな作品挙げていこうぜ
自分は夜明け前
初読時、あの長さなのに、あっという間に読みきってしまった こま子は、藤村との関係が無かったら、どんな人生を送っていたのだろうね。
中年男の性欲処理に利用されて、しかも、血のつながった身内だよ。
現代でも発狂もの。
でも、藤村の才能には敬服するよ。 新生
桜の実の熟するとき
を35年前に読んだ。
で、今、破壊を読んでいる。おもしろい。
あと夜明け前も買ってある。
やっぱ近代日本文学は若人にはわからないものだな。 今まで破戒を「破壊」と信じて疑わなかった俺に喝!
いい小説であった。そして未だ人種差別はなくならないという事実を考える。 >>119
爆笑太田が先週ラジオで藤村について触れてた
教授や専門家などと接する機会が増えたが、
今の若い人には藤村は全く読まれてないそう 確かに島崎藤村がいなかったら日本文学なんてあまりにもしょぼい
外国作家に対抗できるのは日本では島崎藤村くらいしかいない 夏目漱石も破戒を絶賛していたらしい。
それに対して金色夜叉はたいしたことなしと言ったらしい。
要は作品がすべてで、その筆者自身の人間性なんかどうでもいいってことだ。 >>47
狂死とか
悶死
とか簡単に書いてあるけど 一体どんな死に方だろう >>123
確かに夏目漱石は昔大部分読んだが これが大作家の小説?と
思うところが多かった。ほとんど論文みたい時自分の考えをただ書いてる
だけで登場人物や情景の描写なんかほとんどないじゃん、こういうのなら
自分でも書ける なんて思ってしまった。
島崎藤村のは小説らしい描写がいっぱい出て来て文字で情景が浮かび上がるし
登場人物の心情もきめ細かく表現されていていいな 漱石鴎外なんてくそつまらんな
国木田独歩や徳田秋声のがはるかにすぐれてるな
いろいろな作家の評価でも圧倒的に独歩秋声だし >>129
すまん
125・126へのレスだった。 漱石は学者だったから小説の中身が難しいのがなあ。
芥川も同様かな。
そのてん、谷崎や藤村は小説家のイメージが強いのでは? 根が邪まなので『新生』は淫靡な愉しみをもって読めたが、
『破戒』はなかなか気が乗らない。 島崎藤村こそが日本最大の文豪だよ。
漱石より上。自然主義文学こそ
日本文学の主流であることは、自然主義嫌いの
柄谷すら認めているが、なぜかあのバカは藤村や
独歩は認めていない。 破戒については漱石も退屈しながら既読したとのことを書かれているが、
内容については認めざるを得ないとのコメントを残している。
俺は面白く読めたがな。 藤村の小説は、「破戒」だけは違うが、
それ以外のすべての小説は自分の自伝的小説であり、
「夜明け前」は親父のことだから、確かにつながってるわ。
島崎家サーガって感じ。 「破戒」は、ああここで書いてるのがそれなのね、みたいな感じで特別出演。 少し年を食わないと島崎藤村や自然主義文学私小説の
よさは理解できないんだよね。
藤村の「夜明け前」「家」などはしみじみといいね。
じっくりと何回も読み返してるよ。 あの時代は変態の作家が多かったけど
谷崎とか多くは趣味の変態
真性の変態は藤村だけだと思う
姪をかいちゃって人生を滅茶苦茶にした挙句さらにもう一度かいちゃうところが鬼畜
すげー良いカキタレだったんだろうけど ↑今から100年以上も前の大卒と今の馬鹿でも入れる大学を同等に
考えてるうんこ馬鹿登場 ああ、やっと「家」の話が出たな。
同じ高校教師ながら、酷薄なオレ様が主人公の
退屈極まる某「暗夜行路」がまったく無駄に有名で、
島崎のこの傑作が小説好きの人間にすらほとんど知られていない惨状を、
業界の誰か、とっととどうにかしてくれたまえ。 藤村など自然主義私小説系の作家が不当に差別を受けてきたことは事実だね。
一部の評論家がバッシングした結果だ。 ブックオフで新潮日本文学百八円購入
破戒と家が入っているが家が面白いのかな 島崎藤村って私が知っているのは「椰子の実」。
本当に美しい詩。 国民歌謡だ。
読みながら、聴きながら涙が出る。いつも。 春の勝子は元キャンディーズのランに似て可愛いかったらしい。
原宿にあった代ゼミの国語講師が言っていた。今から35年前の話。 そんで詩人だからな。もう釣れまくりでウハウハですよ。 >>146
あの当時の明治学院は非常にハイカラでね。 今のイメージとは違う。
話変わるけどさ。
俺は両親ともに世田谷で生まれたって言ったら、へー凄い! ってうらやまし
がられたよ。
俺の生まれた頃は、世田谷なんてド田舎で、俺の両親も百姓だった。
本当に無知なヤツっているんだね。面白いよ。 ↑ウソとも思わないが、そうならすばらしい。
俺もかなりの年齢だし。 ★明治学院大学の『日本近代音楽館』
日本の作曲家の貴重な資料を収蔵する「日本近代音楽館」が明治学院大学
(港区白金台)の図書館付属機関として開館した。
50万点の資料の中には山田耕作、芥川也寸志、武光徹、伊福部昭らの
自筆譜や原稿、岩城宏之らの蔵書やレコードなど、寄贈を受けた資料が多数。
木曜〜土曜の午前10時〜午後5時まで開館している。
利用は音楽研究を目的とする18歳以上の人。 事前予約が必要。
tel 03−5421−5657 大学で藤村の「一夜」についてレポート発表するから、ついでに「家」と「新生」
まで読んだんだが、なんかいまいち楽しみ方がわからんかったよ
家庭持ったりしたらわかるようになるの?というかそもそも楽しみで読むものではないのか 中3の秋まで文学には全く興味なく、読書感想文を書かされるのが
苦痛だったのが、「夜明け前」冒頭を教科書で見てあまりの美しさに
感動して藤村にはまった。まったく出会いはどこにあるかわからないよ。 藤村の小説は
読むぞって気合いを入れて読むのがお似合いだな。
そんぞそこらの文士ではないから。
女癖は知らんがな。
でもそれで小説書いて生きたんだからすげーよ。 家に出てくる祭がテレビで紹介されていた
宗助ー幸助ー宗助ー幸助ってかけ声は明治の頃から平成の今も一緒なんだね
最後に神輿をぶっ壊して、毎年新しいものを拵えるのも同じ
熱気に浮かれて若者達が無茶をしそうな
老若男女村の人間全員がどことなく浮き足立つ
そんな全体の雰囲気がかの文章のそのままだったのにちょっと感動した 藤村って相当孤高だったろうな。
俺は人格は知らないが、小説としては好きだけど。
あの谷崎も藤村の作品は評価している。
それに対して漱石や芥川や荷風は評価していない。
そんな漱石を谷崎は評価していない。
谷崎と藤村の作品は自然主義というか私小説というか、
根っこの部分が似ているんだろう。 谷崎は漱石を評価してるだろw
藤村と谷崎の根っこの部分は全く逆だし
君は何を読んでそんな事を言ってるんだい? ↑谷崎の随筆集を読みたまえ。岩波のやつを。
しっかりと書かれているよ。 はあ?
もう一回最初から読み返してみ?
キミは中学生くらいの人かな?
作品の批評をしたからといってその人自身を評価してないなんていえないものだよ
小宮とか中とか弟子達だって作品はよく批判している 破戒が何で評価されてんのか理解に苦しむな話の内容は罪と罰の丸パクリだし
文章の上手さがトップクラスなのは認めるが 「破戒」を「罪と罰」に比べるのはちょっとまずいだろう
部落出身と殺人を同列に論じるのは問題だ 新生の上巻の途中で読めずに止まっているのだが…
さすがに芥川が酷評しただけのことはある。
読んでいて気分が悪くなる。 わかる
藤村の作品の中でも、新生だけはどうも好きになれないし、再読してない 新生の節子のモデルとなった姪の駒子の顔写真みたことある?
おれは本でみた。教えてやるとだな、
きりっとした一重まぶたの当時では長身の痩せ型の女性だ。
別にきれいでもブスでもない。地味な顔だちだ。
藤村は穴さえあればなんでも良い性豪だったのだろうな。 平たく言えばは藤村の女版の顔だ。
姪だけにかなりクリソツだ。 破戒に関してはとりあえず漱石も芥川も評価している。
それ以外はしらんが。 >>181
ていうかあの時代ああいうこと一般的にあったんじゃない?
おそらく今でもあるでしょ
精神科医に持ち込まれる相談でよくあるとか聞いたことあるし あったとしてもそれを小説にするか?
今でもあるってそれほとんどないだろが! 漱石、谷崎、芥川からも評価されていなかったらしいし。
特に芥川は相当嫌っていたと谷崎の書簡集にある。
花袋といい自然主義文学には問題があった。
似たような作品でも谷崎の痴人の愛とは雲泥の差があるもんだしな。 身内の恥全部さらしちゃって親戚とかとどうやって接してたのかな? 普通に絶縁だったんじゃね?
100年前くらいの話だぜ、今だってありえねって話だぜ。 >>186
>今でもあるってそれほとんどないだろが!
なんにも知らない都会人。
いったいなにを根拠にほとんどないなんて断言できるんだい? >>191
だったら根拠の資料を過去最低でも10年間分晒してからコメントせい!
度田舎物もキサマ
オマエどこの山奥で生息しているんだ??? 現代日本の何処にそんな大昔からの慣習が残っているのか教えてくれないか。
くだらねー風習を未だにやってるエリアがこの日本にも相当あるらしいが、
少なくとも姪をレイプするのが未だに当たり前なんてな日本ではさすがにあるめー。
ボンクラ総理のあれだがなwww 藤村は破戒と夜明け前で十分。
その他は読むだけ時間の無駄。
詩は解るやつだけ読め。 >>195
「春」「家」もなかなかいいぞ
藤村が谷崎より下ってことはないわ
谷崎なんてたんなるエロ変態野郎だよ
藤村のエロは深刻で文学的 ↑顔真っ赤だぜ。
あんたが藤村好きなのはかまわない。
だがな、評価は読者が決めるものじゃねーの?
どっちが売れているかどっちが知名度あるかは言うまでもあるまい。 【石川】秋声記念館 藤村の書簡展示 自然主義文学に迫る(c)2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1432555669/
社会を見つめ、人間の姿を虚飾なく描く日本の自然主義文学に迫る企画展が金沢市
東山の徳田秋声記念館で開かれている。秋声を取り上げた第1期に続き、現在の
第2期は島崎藤村を特集。出世作「破戒」が生まれた背景などを紹介している。
6月14日まで。(押川恵理子)
自然主義文学は十九世紀末にフランスで生まれ、日本では一九〇七(明治四十)年
前後に藤村の「破戒」、田山花袋の「蒲団(ふとん)」、秋声の「黴(かび)」が
発表。被差別部落出身の教師が出自を告白する苦悩などを描いた「破戒」は藤村が
教師として小諸義塾(長野県)に赴任したころに書かれ、詩から小説へ転じる
きっかけとなった。
藤村が添削した義塾生徒の作文や花袋に宛てた藤村直筆の書簡四通などを県内で
初めて展示。一通では、知人夫妻を題材に妻の不義を描いた「旧主人」が発禁に
なったことに触れる一方、新境地に踏み出す花袋を慕う思いがつづられ、切磋琢磨
(せっさたくま)する作家の様子が伝わる。
六月十七日から始まる第三期では花袋を取り上げる。
2015年5月24日
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20150524/CK2015052402000039.html >>197
知名度とか売れ行きで作品の価値が決まると本気で思っているのが情けない。
こういう手合いはきちんと作品と向き合うことが永遠にできないんだろうね。 >>199
確かに藤村は嵌る人は嵌るだろう。
でも、アレルギーを起こす人もかなり多い。
それは君にもわかるだろう。
そもそも多数決ってある意味大切なことだぜ。
物事を客観的にみるときに。
売れているのには理由がある。売れないのにも理由がある。
そういった考え方が君にはもっと必要だと思うがね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています