【特設】埴谷雄高【般若】
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難解で引き込まれるような文章を書きますが、あまり語られることのない埴谷雄高について語りましょう
●荒らしはスルーしましょう
>>2
読まない『死靈』ファン、こういう奴な
616 :吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 22:25:17
この発言は今後活用したいので、メモ代り
(佐藤亜紀の発言より)
だれかに教えを請いたがっている若い人は、ネットを見ると山のようにいて、
しかも、教えを請いたがっているのに自分をお利口だと思っている。そういう連中の
口の中にこれをポンポン押し込んでやると、いかにおいしく食べることかと考えちゃう。
で、おれは知恵の実を食べたんだぞと威張り出す。うんざりですよ、そういうのは。
>>1
一章くらい読み終えたんだろうな、ちなみに夢魔は五章に「登場」するから ┏━━┓ ┏┓┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓
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┗┛┗┗┗┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗━━┛┗┛┗━━━━━━━┛┗┛┗━┛┗┛ ┗━┛ 文学板で人気の作家は大体読んだけど埴谷って読んでない。
やっぱおすすめは死霊? >>3
読んでいても読んでいなくても、こういうスレに書き込む人は大切にしないとね。
佐藤亜紀とか言う人がほんとにそんなことを書いてるんなら、とんだ自惚れ屋だね。
ただのスノッブの言い草だ。
どっちみち、人は自分の大きさでしか物を測れない。
死霊を読んだことと死霊を理解することはまったく別だ。
死霊を読んでいない人間が、読んだ人より埴谷の表現について深く理解していることだってあり得る。
自分だけが理解者のように思い込んで他人を貶めてはいけない。
埴谷の著作をまったく読んだことがない人が、噂だけで書き込んでもいいのだ。
埴谷の理解に無意味ということもないし、新たな視点が見つかることだってある。
自分の理解に揺さ振りをかけられることを怖がっていては、埴谷の理解など夢にもならない。 >>12
読まない『死靈』ファン、というのは埴谷本人の言葉なのだがね
ついでに云えば、「こういう奴」というのは佐藤を指してのコトだ
飛んだ食わせ者だな 読みもしないでドコから著者・著作についての 正しい理解 を導き出すんだw
未だウェブ上でさえ、そんなものは転がってはいないがねぇ〜
一番の近道は、著作を読むコトに尽きる、のですよ、ボク そして、「小林秀雄はどう思われますか?」
と尋ねると、
またもや埴谷さんのエネルギーがピッとなりました。
「小林秀雄は、日本人の文学者の中で、
ただ一人だけ富士山のてっぺんまで登った人です。
5合目か6合目までは、
フランス文学やロシア文学の助けを借りて登ったけれども、
そこから先は、独りでてっぺんまで登った人です。」
と言われます。
またしても吃驚してしまいました。
日本の文学者の中で、唯一てっぺんまで登った人、とは・・・・・
そこまで言うか・・・
埴谷雄高さんと小林秀雄とは、一般的なイメージとしては、
全く真反対のような、対極的な存在のように思われています。
埴谷雄高は、元共産党党員で左翼、
小林秀雄は、体制派で右翼的。
というイメージを持っている人も多いようです。
小林秀雄については、あれほど読みましたから、
右翼的とはもちろん思ってはいませんでしたが、
埴谷雄高が、小林秀雄をそこまで高く評価しているとは、
夢にも思いませんでした。 >>15
いやまあ、てっぺんまでいったのが事実ひとりだけなら
埴谷がそういうのも当然であるねw >>13
ああ、そういうことか。
自分の読み違いだ。
埴谷が「読まない『死靈』ファン」についてどう語っているか知らない。
肯定的に語っているなら、さすがに永遠の未来から現在をみる人だろうし、否定的に語っているなら、それは埴谷の弱点だろうね。
>>14
わざわざレスを分けることはないよ。
全著作を読んだ人のほうが、1、2の著作を読んだ人より理解が深いという保証はどこにもないよ。
うっかりすると、解説本を読んだだけの人に劣ることだってある。
冷静に考えればわかるだろ?
別に読んでも無駄とか言ってるんじゃなくて、いろいろな書き込みが読むきっかけにもなるし、違う理解の発見につながるかも知れないということだよ。
楽しく議論していこうよ。 そういえば、埴谷は自著の文庫化を拒否してたんだってね。
それを吉本に揶揄されたとか。 小林を誉める理由がちっともさだかじゃないw
日本の文芸界は常にそうなんだw >>21
ありがとう。
ホメオパシーの草分け、と書いてあるのは、引いちゃうな。 >17
そうそう、知らないってのは怖ろしいコトだ、
そしてあんたには肯定/否定、理解が深いかどうか、どちらの判断も付けられない、永久に
親切心で云えば、>3については読み違いはしていないよw
>違う理解の発見
そうそう、そうやって外れていけば好いの
著者の結界は何重にも張り巡らしてあるんだから
>楽しく議論していこうよ。
恥知らずの妄言、楽しませてもらうよ >>23
君は、よほど他の本を読んだことがない人なんだねw
「死霊」ひとつ読んだだけで、疲れちゃったのかな?
長いし退屈だしね。
まあ、「自分だけが埴谷の理解者」だと思って、自己満足に浸っていればいいさ。
君がどう思おうと、埴谷の文学的な価値が変化するわけでもないし、他人の埴谷理解に何か影響を与えるわけでもない。
はじめて埴谷を知った人の読んでみようかという好奇心をシャットアウトして、本の売れ行きを邪魔するぐらいの影響はあるかもしれないが。 どのスレもくだらない煽り愛ばっかだなあ
もっとマイルドにリベラルに語り合おうぜ >>27
お、おれは男だぞ。
そっちの気は、無い。 小林に関する逸話にある、座談会での話は聞いたことがあるなどこかで
埴谷さんは人を評価する(ほめる)ことでは人後に落ちなかった人だから
こういう発言をしていても不思議じゃないと思ったけどどうなんだろうね >24
そうそう、「埴谷の文学的な価値」が変化して堪るか
それを「正当に」位地づけられるのは埴谷本人のみだ
そこに何処まで近づけられるか、埴谷の創った「迷路」に踏み込みもしないヤツに判ろう筈もない >>31
これなら議論になりそうだね。
文学の価値は作家本人が決めるものだと思う?
こういいかえてもいいよ。
文学の価値は、作家本人に決められるものなの? >>33
「つ」というのはどういう意味なの?
ときどき見かけるんだけど、よくわからない。
これを参照とか言う感じで受け止めてるけど。
それはともかく。
妄想の縄で自分を縛って、カントとドストエフスキーに解いてもらったら、そこは檻の中だった、と。
自分の妄想を自分で否定し続けるのが「内的自由」である、と。
これは、「文学の価値」についての質問に対する答なの?
文学の価値からは、どういう位置にあるの?
それとも、別の視点の提示なの? >>34
最初のページを精読
それと「内的自由の追及」ね >>35
>自分の妄想を自分で否定し続けるのが「内的自由」である
これが理解しづらいのかな? >>35
そうそう、それからこちらの質問にも答えてくれないか?
文学の価値は、誰がどう決めるの? 元ネタらしいドストでも読んでいたほうがおもしろいぞ。
埴谷雄高は暗い! お前ら低学歴のスノッブかネクラじゃねーのかい?
勿論、良い意味でだがwww
>37
31で答えたが、何が不足だ
作者の立ち位地が全てを語るだろ >>38
暗いかな?
現実の生活を離れて、好きな空想の世界で楽しそうに遊んでるように見えるんだが。 >>39
ああ、>>31が答か。
俺の期待してるものとは違うが、それならそれでいい。 演題:「明るく楽しい埴谷雄高」
む、無理があるかな……。^^; >>42
生活に困らない坊ちゃんが、思想を好きなだけもて遊んでいられたんだから、楽しかっただろうし、明るかったんじゃないかな。
それを自覚していないところから埴谷のおもしろさが生まれたが、生活に対する関心が薄い分だけ思想的な深さは生まれなかった。
自分を死んだもののように思い込むことで、実生活の煩わしさを避けていたのだろう。
その分日常生活もまた、明るく楽しんでいたんじゃないかと思ってる。 >>34
「つ」とは、何かを渡そうとして差し伸ばした手の形を表しています。 >>44
ありがとう。
らしいようならしくないような。 >>45
極端にデフォルメ化された手を想像してみよう。
例えば、オバケのQ太郎の様な。 >>46
なあるほど。
埴谷を読むにもこのくらいの抽象力が必要だったねw ところで、「死霊」に出てくる女たちは現実社会の体現者として表現されていると思うが、風貌も性格も類型的にすぎるのではないだろうか?
皆さんはどう思いますか? 何処の世界に処女の売春婦が実在するのかね
ああ〜、スマソ、一章も読み切れないヘタレだったな >>51
なるほど。
君の読書歴には「罪と罰」は入っているかな? 好いねぇ〜、この涙目の沈黙w
自分が読んだ小説をどんどん挙げてってみなよ
でないと反撃しちゃうぞ
ミルトン「失楽園」(渡辺淳一でも好いぞ)、ダンテ「神曲」、平野「日蝕」、三島「豊饒の海」(二・四巻が壮絶) カント「純粋理性批判」、ニ−チェ「ツァラ」、ハイデガー「時間と存在」(上巻でリタイヤ) さ〜て、どんな負け惜しみが聞けるか楽しみだ
オレを失望させるなよ >>53
ずっと2chに張り付いているわけじゃないんで、レスが遅くなって悪かったね。
罪と罰を読んでいなくても別にいいんだよ。
ソーニャという娼婦と比べてみて、どう思うかと聞きたかっただけだから。
思い出せなければ、別のこと書くからそれでいいよ。 >>57
ドストの小説の登場人物と比べて、類型的ってのも悲しいな
実際の売春婦ってのを知ってるのかい? 好いねぇ〜、この涙目の沈黙w
もう寝た事にしとけよ
月光の中に現われる節子は誰の類型なんだろうね
その前に死体で出てくるが >>58
まず、「類型的」という言葉の意味を説明しないといけないみたいだね。
自分の書いた「類型的」というのは、書かれた当時の一般的(多数)なイメージで表現されているという意味だ。
つぎに、「現実社会の体現者」という言葉の意味を説明しよう。
「死霊」がそれぞれの登場人物にそれぞれの理念を表現させていることは、たぶん異論を挿む人は少ないだろう。
その意味で、「死霊」では女に現実社会を表現させていると書いた。
「体現」と書いたのは、語ったり行動したり風貌だったりする小説としての人間像だからだ。
象徴させている、といっても同じことだ。
こういうことを前提に、「死霊」の女は類型的だ、と書いたんだ。 >>61
好いねぇ〜、(以下略)
で、何が云いたい
あんたがやってた事は、自分の手の内を示さずに駆け引きしてただけだろ
それは ディベート というもんだ、一応クギを刺しておくからな
提示された論点が的外れなのは置くとして、
「死霊」の女は類型的だ、というコトを具体的に説明してみなよ
そうだな〜、津田夫人、三輪夫人、尾木恒子、この三人に絞ろう
「現実社会の体現者」はこの三人くらいだ >>62
他人がすぐにレスしないと、涙目の沈黙w、とか書いてるのに、君のレスも遅かったね。
人にはそれぞれ都合があるんだ。
駆け引き、という見方についても説明しておこう。
こういう短文のやり取りでは、話を噛み合わせるだけでいくつかの前提とするやり取りが必要だ。
そうしないとそれぞれ自分の思い込みで相手のレスを判断してしまう。
結局は罵倒合戦になって、罵詈雑言のレパが多いほうの勝ち、みたいな2chによくある流れになりやすい。
参加者が多ければそれでもいいが、相手を見つけるのも大変なマイナースレだと、それで誰もいなくなった、ということになってしまう。
だから、ゆっくりひとつづつ言葉を確認しながら進めていきたいのだ。
それから、また後だしみたいに思われてもいけないから書いとくけど、>>43が自分の埴谷に対する見かただ。 次に、「現実社会の体現者」として扱いたいのはその風貌だ。
男にも風貌の類型化が見られるが、それは後に回して、たとえば「津田安寿子」だ。
手元に本がないので名前が違っていたらごめん。
彼女は色白で絶世の美人として描かれている。
そしていかにも美人にありそうな繊細さと強さを併せ持っている。
これは19世紀的文学標準に過ぎないと僕は思ってる。
つまり、現実を「類型的」に取り入れている、という判断だ。
彼女が美人であることについての君の考えを聞かせてくれると嬉しい。 >>63
43については「擬態」としておく
>>64
テクストには、津田安寿子がそのような「風貌」を備えてるとする、具体的記述にはないな
>現実を「類型的」に取り入れている
非現実の場所、が舞台ですよ
現実が類型的に持ち込まれても、なんら斟酌する理由にはならない
つ「自序」 >>65
ええ?
>津田安寿子がそのような「風貌」を備えてるとする、具体的記述にはない
全くの記憶違いか?
それならとにかく読み直さないと話にならないな。
明日まで待ってくれ。
>非現実の場所、が舞台
なぜ、小説という人間の姿を必要としたかについて考えてみて欲しい。
なんにしても、その話はあとにしたい。
まずは、風貌の問題から入っていきたい。 >>66 下段
埴谷にとって小説は「ひとつの手段」でしかない
ではその目的は、というコトだな
つ「あま近」 >>68
「あまりに近代文学的な」
ひとつ確認しておきたいが、>>12はあんたかね? >>69
>>12は僕だよ。
>「あまりに近代文学的な」
たぶん読んだことはあるけど、手元にあるかどうかはわからない。
どっちにしても、忘れてれば意味ないね。 >>71
ずるいとか言われないように念のため書いとくけど、僕は埴谷を読んでるよ。
たいした量じゃないけどね。
でも、読んでないからといって、他人の意見を馬鹿にしたりはしないよ。 >>72
そんなものに何の意味があるか、判らんな
食った事のない料理を写真や伝聞で評する様なもんだ
もちろん読んだうえでなら、どんなに稚拙な意見でも構わないさ
あんたが云ってる「自分の大きさ」ってヤツだ >>73
読んでいなくても、埴谷に惹かれるものがあるから、何か言ったり書き込んだりする。
どこに惹かれるのか、あるいはなぜ反発するのか、それぞれの人の感じ方がある。
ただの書評や小さなエピソードから、埴谷の理念を組み立てることができる人だっているかもしれない。
最小限に見積もっても、自分と違う感じ方に触れれば、少しだけ自分が豊かになる。 >>74 上段
それは一向に構わないんだよ
大切なのは、それが著者/著作に照らして、正しいかどうかを「追試」する事だ
最低限、その作業があれば「論」として成り立つんだから >>75
なるほど。
お互いの方向がわかったから、この議論はこの辺で。 >>65
確認したので、「死霊」の初めの方を思い出して欲しい。
津田安寿子については、病院を訪ねてきたときの記述にはじまり、いろいろある。
細身で気品があるとか、彫刻のような美しさとか、性格についても気丈さとか繊細さにも触れている。
まさに絵にかいたような類型的な美少女として描かれている。
彼女は理念の象徴としてではなく、現実社会の、それも現実を否定する感性の象徴として表れていると言っていい。
そうした感性を、美少女としてしか表現できないこと自体が、また、類型的であると言える。
それは作品の舞台が「非現実的」であるかどうかとはかかわりなく、埴谷自身の現実へのかかわり方を象徴するものだ。
こんな風に考えている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています