【特設】埴谷雄高【般若】
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難解で引き込まれるような文章を書きますが、あまり語られることのない埴谷雄高について語りましょう
●荒らしはスルーしましょう
>>72
そんなものに何の意味があるか、判らんな
食った事のない料理を写真や伝聞で評する様なもんだ
もちろん読んだうえでなら、どんなに稚拙な意見でも構わないさ
あんたが云ってる「自分の大きさ」ってヤツだ >>73
読んでいなくても、埴谷に惹かれるものがあるから、何か言ったり書き込んだりする。
どこに惹かれるのか、あるいはなぜ反発するのか、それぞれの人の感じ方がある。
ただの書評や小さなエピソードから、埴谷の理念を組み立てることができる人だっているかもしれない。
最小限に見積もっても、自分と違う感じ方に触れれば、少しだけ自分が豊かになる。 >>74 上段
それは一向に構わないんだよ
大切なのは、それが著者/著作に照らして、正しいかどうかを「追試」する事だ
最低限、その作業があれば「論」として成り立つんだから >>75
なるほど。
お互いの方向がわかったから、この議論はこの辺で。 >>65
確認したので、「死霊」の初めの方を思い出して欲しい。
津田安寿子については、病院を訪ねてきたときの記述にはじまり、いろいろある。
細身で気品があるとか、彫刻のような美しさとか、性格についても気丈さとか繊細さにも触れている。
まさに絵にかいたような類型的な美少女として描かれている。
彼女は理念の象徴としてではなく、現実社会の、それも現実を否定する感性の象徴として表れていると言っていい。
そうした感性を、美少女としてしか表現できないこと自体が、また、類型的であると言える。
それは作品の舞台が「非現実的」であるかどうかとはかかわりなく、埴谷自身の現実へのかかわり方を象徴するものだ。
こんな風に考えている。 なんか黄昏てるな、チョイと突っついておこう
>>77
はい、続けてチョウダイ >>78
なんだ、反論できなくて冬眠したのかと思ってた。
理解力もないのに、ふざけて見せるしか能がないやつにレスするほど忍耐強くないんだ。
またね。 >>79
じゃあ、お答え願いたい
>埴谷自身の現実へのかかわり方
具体的に如何だと云うんだね?
あんたの「自分の大きさ」が知れるので、とても興味深いな ああ、言葉が足りなかったかも
実生活において、という意味でね >>81
埴谷の実生活は知らない。
あとは>>43に書いたとおり。 あらら、結局そこに逝っちゃうんだ
じゃ、今まで云ってきた「現実社会」って、誰の「現実社会」なのかね?
埴谷にとっての「現実社会」を知らずに、どっから「類型的」なモンを導き出した?
だ・か・ら、夢魔は何処に潜んでいるか、と宿題を出しといたんだぞぅ >>83
宿題とかいう奴に応える気はない。
一つだけ指摘しておく。
君や作者の個人の現実と、抽象された現実社会とを混同してはいけない。
かわいそうだと思って何回か我慢したが、これで終りにする。
最後に俺からの「宿題」だ。
フーコーとドゥルーズを勉強しときな。
埴谷と同じ感性だ。
類似性と違いを見つけだすことができれば、君の埴谷理解も進むはずだ。 >>84
多分、鹿島のスカスカ頭と同じなんだろう
「抽象された現実社会」についてはお答え願いたいもんだな
それ、と小説における「非現実」は如何違うんだい 「内在平面」
埴谷が「自序」で定義した「非現実の場所 nowhere,nobodyの場所」との類似を認める
折り曲げられた「襞」の喩えは、埴谷自身の「三つの部屋」の言及と同じだ
以上、うぃきを参照した
ジルは可哀相な最期だね 『知の考古学』
「類似」、「タブロー」、「標識」
映画監督ゴダールの言う事ももっともなコトだ
以上、松岡正剛の千夜千冊を参照
さて、小難しい本らしいが地元図書館が収蔵してるかなぁ >>87
ただくどいだけで、小難しくはないよ。
文庫でも出てる。 >>1-88
↑案の定、「インテリコンプ」のバカしかいねーw >>94 戦後の日本文学は、かなり翻訳しにくいものが多いだろうね。
読みにくいといわれる大江健三郎なんかは、いわゆる翻訳文体だから、
案外やりやすいのかもしれないけど、埴谷は独特ですからね。 >>95
大江も(初期はともかく)難しいと思うよ、海外の人からしたら 死霊が eBookJapan で電子書籍として発売された記念カキコ 『死霊』は翻訳されていないよね。海外では知られざる大作家だな。 『死霊』は理念の断片を寄せ集めたもの。
そう言ってもいいのかな? 「不合理ゆえに吾信ず」だっけ、「全て主張は偽りである・・・云々」のゴルギアスの箴言集。
昔読んでいつまで頭に残っているのよ。それで今は「全て主張は偽りであっていい、人間だもの」と、みつお風に思うわけ。 2015年7月10日まで講談社文芸文庫最大30%offに釣られて死霊3冊買ってしまった 低レベルの死霊に負けたバカだろ。
読む価値はある。 埴谷は生前自身の本の文庫化を断固として拒否していた。
軽薄短小化の象徴ともいえる文庫本(商品)に自作が成り下がることに我慢ならなかった。
埴谷の死後、その相続人(姉の子息?)がすぐ文庫化を承諾して、その印税を手に入れた。
わたしは埴谷の意向を尊重し、文庫には見向きもせず、箱入り3巻本の『死霊』を愛読している。 ちなみに、その『死霊』はわが本棚では、埴谷がこよなく愛好したドストエフスキー
(筑摩の全集)の隣に配置してある。そういえば、小林秀雄もドストを愛好した。
埴谷は左派、小林は右派だが、そういう政治的党派は文学の価値の前では何ら意味をなさない。
それを埴谷雄嵩や三島由紀夫はよく分かっていたと思う。
文学の価値とはとどのつまり言葉の官能性に尽きる。 文学の評価において作家の党派は関係ない。
三島はわかっていたが、大江はわかっていないな。 >>115
そう簡単な問題ではないよ。
左翼は理念で右翼は感情、と言ったのはその三島自身ではなかったかな?
さて、三島の「英霊の声」と大江の「政治少年死す」は、なにが違うのだろう? 読まないで分かるわけがないだろう
読んでも分かるものではないんだから
分からないということを分かるためにも読むことは大事なんだよ
分かったつもりにならないために読むんだよ 埴谷と言えば今では2ちゃんでもメジャーになった「ちょ」を使った人だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています