エドガー・アラン・ポー PART1
おっと、途中で書き込んでしまった 世の中で認知されてる以上に 酒、アルコールって危険な毒、ドラッグだよな 「酒は百薬の長」ってアル中の都合のいい言い訳だって今はほんと思うわ ま、逆にアルコールが麻薬だってシビアに真っ正面から認識しながらそれでも打ち続けるならアリだとは思うけどね >>243->>244 私も長い間 深酒を続け、まだ禁酒3ヶ月ほどだけど、 体が楽になったし、血液検査で肝機能も劇的に改善したよ。 私の場合は依存性の強い脆弱な性格も問題だと思うけど、 アルコール飲料が「食文化の一つ」なのは事実だとしても、 それだけでは済まないほど危険性の高い嗜好品で、 ドラッグの一種だと思ってもおかしくないと思う。 私は20代半ば頃にポーやヴェルレーヌらに憧れて、 余計 酒量が増えたかな。 彼らの生活を真似しても何にもならないのに。 来年40だからポーより長く生きられそう。 つまんないことで人生フイにしたね 来世では気をつけてくれ ビューティフル・シザー・ガールだね。 マリー・ロジェの謎を元にしてるのは。 何を読んだ? 他の文豪と違って、筋の面白さがはっきりとしてる人だから 合う合わないはあってもつまらないってのは、あんまりない人だと思うけど ウィリアムウィルソンとかアッシャー館とかはたしかに 俺もそんなに好きじゃない 黒猫、メイルシュトローム、早まった埋葬は大好き ウィリアム・ウィルソンめちゃめちゃ好き ポーの傑作五本指に入る アホ発見! >傑作五本指 普通に文学を勉強してる奴なら、傑作五本指 とは言わずに傑作五指と言うぞ 傑作も余計だな五指に入るが普通 2chばっかやって屁理屈ばっか言っとらんで勉強せぇー! そんなつまらん指摘して2ちゃん的悦に入ってないでポーについて何か書けよ >>255 は間違いを指摘されたら逆恨みするバカだな。 >>257 アホ発見!とか言われたら、普通素直にはなれんわな。 http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/20111106 やがて夢たをやかな密咒を誦すてふ、犬神のやうな黄老(おきな)が姿をみせた。そしておごそかに"The Masque of the Red Death"の釈義がはじまった。 黄老によれば、このポーの短篇の表題を正しく訳した翻訳は無いそうだ。また、従来の翻訳はそこかしこに滑稽な錯誤が見られるという。 そうした密咒のひとつひとつをここに記すのは憚られる。黄老による決定訳を鶴首して待とう。ただひとつだけ。 プロスペロ公の立てこもる"abbey"は僧院でも伽藍でもない。それはかのFonthill Abbeyが僧院でないのと同じだ。 http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/20111205 この短篇の初めのほうで、プロスペロ公の性格が"happy and dauntless and sagacious"と形容されている。 この部分は「運強く、また勇敢でもあり、怜悧でもあった」(谷崎精二)、「明朗、豪胆、聡明」(八木敏雄)、 「幸福で、豪胆きわまりない、賢明な」(富士川義之)といろいろに訳されているが、黄老によると"happy"の訳が全部違っているという。 xxxHOLiCのワタヌキのセリフに「シアワセじゃないっすよ」というのあったが、このhappyも「シアワセ」では前後の関係からしておかしい、これは「機敏」という意味なのだという。 もう翁の講義を聞けないのかもしれないのが残念だ プロスペロって沙翁「テンペスト」の主人公と同じ名前だな。 >>258 って、文学部の落ちこぼれによくいるいじめられっ子でもやしっ子のキモヲタタイプだな。 怒られたら根にもつけど言い返せないで2chで負け犬の遠吠え >>253 俺もウィリアム・ウィルソン大好きだ 特に不気味な学校の描写が好き 宇多田ヒカルがポー大好きなんだってな なんか親近感わくわw 推理小説もいい! 詩もいいのがある。鐘、エルドラド、大ガラスなんか・・・ ユリイカはようわかりませんです・・・・ ユリイカは読みたい読もうと思いつつなかなか手がつけられんね ポーはあのマラルメやヴァレリーにまで決定的な影響与えてるから凄いもんだよ 影響は計り知れないし似てる作家も多い でも違うんだよな ポーと他の作家では何が違うのかて考えると、何かこの人には系統だった哲学のようなものを感じる はいこれは恐怖です怪奇幻想ですみたいな軽さがなくて深いと言うか重いと言うか >>263 宇多田ヒカルは、アルジャーノンに花束を が好きとか、エヴァンゲリオンが好きとか、 紀里谷和明とか、テキトーに思いつきで言ってんだよ。 >>269 あれが売れたらそれ以後の短編の傑作はなかったと思うと >>271 それ以後というと主にどんな作品がある? むしろピム以前の傑作は何なんだろうな ベレニスと詩のヘレンかな ピムってもしかして、飢えのためやむ追えす、くじ引きして・・・ って場面がありましたっけ・・・? 「フランスのポー」というふれ込みのモーリス・ルヴェルなる人のコント集を読んだ ラヴェルではない。ポーよりモーパッサンの短編に似てるなと思たよ。 抽象性はあまりなくて現実に近い感じ。ポーみたく、まあ大作家とは言えんがなかなかだったよ サキ、オーヘンリ、シャルル・フィリップ ルヴェルも含めてこの種の掌編ではサキが一番好きだな。それぞれ名篇はあるけど これらの人はだいたい1870年前後の生年。ポーは1849年に亡くなってる このもう少し後の、ジャーナリズムや出版業界の成熟した頃に生まれてれば、ポーもあんなビンボービンボーな人生じゃなかったかもなー 地方出身者が書いた作品など価値ないわ 洋の東西を問わず 短編を得意とする作家の多くが精神疾患を抱え、早死にするという仮説。 例)ポー、モーパッサン、芥川 >>282 まあ長編を得意とするためには それなりに長生きしなきゃならないだろうから ある程度は必然と言えるでしょうなあ 短編か長編かっていうことも含めて ドストエフスキーがポーの「ウィリアム・ウィルソン」を崇拝してたって話はなかなか含蓄深いものがある ポーに精神疾患はないんじゃないの アル中は精神病に入るのかな アルコール中毒より恐ろしい病気がほかにあろうか!(迫真) 20年毎日飲み続けたコーヒーを断って これまた毎日15年飲み続けてきたアルコールを週一に控えたらかなり体調良くなったよ きっかけは去年5月に突然出た血尿 最悪、癌のおそれもあるということでビビって慌ててやめられた 長年苦しめられてきたアレルギーもかなり良くなった 神っているんだなぁ…って思ったよ ユリイカには「散文詩」て副題が付いてるけど ほんとに散文詩風に書かれてるのは「沈黙」て作品だな イリュミナシオンやマルロドールの先駆と、言って言えないことはない でもこの種の作はもう作らなかったし可能性を見出してなかったんだろうな 韻文にした方が良かったんじゃないですかねて思うし 物語作者としての偉大さは明らかだが詩人としてのポーは偉大だと言えるんだろうか 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。 よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな?? 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。 そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。 そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。 そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。 この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 おれ詩だけはどう頑張っても意味が分からんから 好きな小説家が詩も書いているとすごい困るんだよね ポーとかカーヴァーとか宮沢賢治とか 全集買っても、詩の巻だけは手つかずになってしまう オレもそんな感じだなぁ。 ただ、定型詩なら何とか判るから、賢治も短歌を詠んでほしかった。 俵万智の歌、 黒板の文字なつかしき昼下がり 下ノ畑ニ居リマス賢治 というのは感動した。 ポーの最大の擁護者ボードレールは近代の憂愁みたく思想的に深い主題を詠ったけども ポーはそういったことは散文の表現が向いてると考えてたっぽい 詩は詩でのみ表現可能な主題のみを扱うべき、みたいな態度 俺は正直食い足りない ボードレールはそこら辺の違いをどう考えてたのかなて思う ボードレール、ランボー、ロートレアモンの散文詩には若い頃のめり込んだな 「マルドロール」だ。前にもどっかに間違えて書き込んだ気がする… ??? ロートレアモンの『マルドロールの歌』で合ってるだろ マルドロールの『ロートレアモンの歌』を 間違えて書いたと間違えたのか? >>302 >??? ドとロが入れ替わってるんだよ。 俺の友人がマチルダという戦車をマルチダと憶えていたのを思い出す。 指摘したら、口を尖らせて「マルチダの方がカッコいいだろ」 あ、10レスほど前の話ね 300の何が間違ってるんだろうと…… ちなみに302は俺がたまにやる間違いだw ロートレアモンもどこかでポーについて言及していた いろんな作家を形容した文章で確かポーは「アル中大魔王」みたいのだったと思う 柏の通り魔(を装った?)事件の犯人は聞かれてもいないことをベラベラしゃべって「黒猫」や「告げ口心臓」の主人公みたいだな 天邪鬼てより目立ちたいって心理だと思うが というかな 少女を鳥の解体みたてたのはまずいよなマルドロール 死ぬまでにポーの『ユリイカ』読みたい、読まなくちゃとは思ってるんだが なかなか手をつけられんね トーマス・ディッシュてアメリカの作家が書いたポー作品のオマージュ「黒猫」を読んだ 時代もあるんだろうけどポーの文章には気品と言うか生真面目さみたいなのがあって それであの厳かな気分が醸し出されるのかなと思いました ディッシュ氏の短編集好みな人もいるかもね ポーの読書メーターのレビュー見ててある人が「黒猫」で猫をあんなとこに塗りこめるなんてあり得るのか、て言ってた 真実らしく見えるというのは物語に入っていけるかどうかの重要な要素なので由のない指摘ではない 俺はこの話でやや無理があると思うのは妻を殺害した後ですぐに警官がやってくるとこだな ポーは読みにくいけど、読んでるうちに読みにくさが全く気にならなくなる ウィリアムウィルスンとかいつ読んでもゾクゾクする うむ ウィリアム・ウィルスンのゾクゾク感は 何度読んでもたまらないよな 川端康成の『禽獣』と並んで世界の短編二大傑作だと思うよ >>314 「そんなことは有り得ない不可能だ」て調子ではなく「あるかなー」みたいな感じだったよ すこし首をひねってる程度 人生に行き詰まると もういっそのことポーのようにアル中になって飛び降りでもして死んでしまおうか とふと本気で思ってしまう ポーはアル中で女関係破綻してるが 仕事量は鬼で努力は怠ってないぞ 甘えちゃだめだ そもそも自分の意志でアル中になろうと思ったら努力が必要になるんじゃないか? 「メエルシュトレエムに呑まれて」を読んで気になったけど、 物体が渦の中心に落ちてゆく速さって、大きさ等によって違うのか? 大きいもののほうが早く呑み込まれるって、本当か? 昔、アリストテレスという人が 「物体の落下は、重い物は早く落ち、軽い物は遅く落ちる」 という間違った学説を立てていた。 もちろん今日では否定されている。物体の落下速度に重さによる違いは無い。 もしかしたらポーは、アリストテレスの間違った説に従っていたのではないだろうか? 当時はまたこの説が一般的だったのかもしれない。 単純に幼年期の経験を思い出せば 濁流もそこそこある小川に笹舟を流してもなかなか呑み込まれることはなかったよ >>321 他に「円筒形の物はゆっくり呑み込まれる」って見解もあったよね。 瀬戸内海の鳴門の渦潮は世界三大潮流の一つ。 明治時代の誰かが翻案小説を書いていたってよさそうなもんだ。 「鳴門の渦潮に呑まれて」 アリストテレス説は全然関係ないだろ 空中と水中を同じ次元で解釈してるのがアホすぎるわ>>321 同じポー読者としてこっちが恥ずかしくなるからよく考えてから書き込んでくれや >>325 まあ耳慣れない現象ではあるよ本当ぽいけど これが例の人をかつぐ癖でしたとかだったら 「ポーさんあんたねー」て小一時間くらい説教するわ ところでですね、 ご承知の通り、オーギュスト・デュパンが活躍する作品は三つあって、 「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「マリー・ロージェの謎」。 このうち二つはジュブナイル翻訳が多々あるでしょう。 ところがマリー・ロージェだけが読めない。 「どんな作品なんだろう?」と、ワクワクしていたものだ。 長じて翻訳を見つけて読んで面食らった。「え?え?え? 何これ?」 ……まあ、ポーの同時代人が読んだら面白いのかな。 >>328 あれは実際にあった未解決事件を小説の中で解決してるものでしょ? 三億円事件が何度も物語化されてるみたいに >>329 ええ、ですから現代の日本人が読んでもピンと来ない話です。 自分はポーの探偵ものだけはあまり面白くないと思ってる マリー・ロジェは失敗作だけども「モルグ街」で完成した原型をさらに洗練させるんじゃなくて 新たな領域に挑戦したポーを讃えようではありませんか 誰かに書簡で「マリー・ロジェについてはこれ以上語ってはいけないことだと思います」て言ってたんじゃないかな 流石にポーにも被害者の実在する事件についてあれやこれや言うことについて良心の呵責があったものらしいね 作品から放たれる雰囲気からすると ボードレールよりポーの方が圧倒的に近代的現代的なんだけど ポーの方がボードレールやマラルメに決定的影響を与えたってのが面白い アメリカで評価されない表現者をフランスが先んじて評価する。 この図式はヒッチコック(英国人だが、傑作映画は渡米してから)も同じだね。 俺はボードレールの方が近代的だと思うけどなあ 「群集の人」のような作品はポーでは稀だけどボードレールでは中心テーマだからね ボードレールよりポーの方が近代的な「狂気」に対する嗅覚が鋭敏な感じがする ボードレールにはロマン派の残り香があって意外と穏当 「メエルシュトレエムに呑まれて」はボードレール訳で読まされた 移民の群れによって形成された大都会がポー文学の母胎だね。 「群衆の人」がそう。 江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」は、その DNA を受け継いでる。 ボードレールを読むときも、「都会」は重要なキーワード ゴードンピムといえば、メルヴィルの白鯨への影響が取り沙汰されることもあるけど、実際はどうなんだろうか? ほぼ同時代だから、メルヴィルがゴードンピム読んでて影響受けててもなんら不思議ではないが。 ゴードンピムは破格の傑作 ポー唯一の長編でややジャンルは異なるもののディックの最も傑出した「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」に勝るとも劣らない出来 しかし一般的なポー読者にはゴードンピムはほとんど読まれてさえいないのが現状 >>344 ピムうんぬんより メルヴィルは自身の体験からしか小説を作品を書けず デビューから6作連続で船員ものを書いてる ピムの影響もなくはないと思うけど、少ないと思う ポーはピムやロドマンで原住民を悪魔的に書いてるけど 実際に彼らを目にしたメルヴィルは人食い人種のタイピーですら、とても美しく書いている 話の作りも ポーの無駄をそぎ落とした緊密な構成に比べて メルヴィルは長ければ長いほどいいという前提からか、当たり前のように水増しをして対極の作風だと思う ピムは後半の白い靄がすべてを覆い尽くすような今どこにいるのかわからなくなる幻想性いや幻視感も凄いが 最初からかなり続く、読んでるだけで息が苦しくなってくる閉塞感、密室感がまたたまらない >>346 ピムは、ポー唯一の長編だし、投げっぱなしに近い結末からみても、ポー作品の中では異質な感じがするけどな。 少なくとも、大鴉とか赤死病の仮面みたいに、結末を最初に決めてそこから逆算して書いたような話ではなくて、 (あるていどの目算はあったにせよ)わりと行きあたりばったりに書き初めてたら収拾がつかなくなったんじゃないかね。 ポー自身の創作理論すら無視して、物語が途中から暴走し始めたというか。 国枝史郎の神州纐纈城とかと同じ匂いを感じる。 それに比べると、白鯨は語りは過剰だけど、全体の構成としては破綻していない。 >>345 モダーンなSF好きをも唸らせる 時代遅れには映らんのかな >>330 ほら話系の一連の作品も現代人にはピンと来ないものがあるね キワモノと言って差し支えないんじゃないの 「フォン・ケンペレン」みたく最晩年まで執拗に書いてるのは読書受けが良かったのもあるだろうけど、まあ好きだったんだろうね。人を担ぐのが 谷川渥の『肉体の迷宮』を読んでいて知ったのだが ポーの「アルンハイムの地所」と「ランダーの別荘」は谷崎潤一郎の『金色の死』という問題作(のとある部分の描写)にかなり影響を与えたようだ その長い描写の引用部分を読んでこれはと納得した ちなみに乱歩は谷崎を意識し続けたらしい節があること、両者の作品がしばしば奇妙な類似を示す事実があることも指摘されている そして三島は谷崎を日本のユイスマンスと批判的な意味を込めて呼んでいたらしいね 芥川龍之介の谷崎評てのを見たことある 曰く「谷崎氏はポーやボードレールに私淑しているようだが谷崎氏には彼らのような地獄の底の救いの無さのようなものがない われわれはそこから厳粛な感激を浴びせられる。谷崎氏の作品にはこの苦悩の代わりにあまりに享楽的な余裕があった…」 みたいな感じで谷崎氏はむしろ氏の嫌いなテオフィル・ゴーチェを思い出させる、と言ってた 辛辣杉 丸谷才一訳のものは読んだけど そんなに面白いですか ポーの前では芥川も谷崎も一介の文学ファンに過ぎない。 Jポップの歌手が大物外タレのコンサートで大感激し、サインをもらって 欣喜雀躍するのと全く同じだw 芥川がA・ビアス「悪魔の事典」を意識して書いた「侏儒の言葉」によれば、 ドストエフスキーの文学は悪魔をも憂鬱にする 悪魔よりも遥かに不気味で異様で救いのない人間像を数多作り出したからな ドストエフスキーがポーの短編をロシアで紹介した時の文章がなんか微妙だったな。 曰く、これは奇妙な才能だ、幻想小説家としてはホフマンの方が上だが、とか。 なまじ近いだけに、距離感を強く意識するのかも。 ドストエフスキーは英語でポーを読んだのかな? それとも仏語訳か? スレ違いだが、ボードレールとドストエフスキーとフロベールって、同い年なんだね。 Wikiにはこうあるね。 フョードル・ドストエフスキーは1861年に自分の雑誌『時代』でD・ミハイロフスキーという人物の翻訳による「告げ口心臓」「黒猫」「鐘楼の悪魔」を掲載しそれに序文をつけており、同年中に『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』も掲載している。 スレチな話題でスマソ まえに最寄りの図書館で『腐爛の華』を借りようとしたら置いてなかった オレが持っている『腐爛の華』(国書刊行会)は訳者のサイン入り。 もっとも、古本で買ったから、オレ宛のサインではないが。 「さかしま」はいつか読もうかなと思ってるんだけど… 澁沢龍彦の訳したやつがあったな ボードレール、ランボー、オスカー・ワイルドくらいまで続くポー的な人工楽園を築いた呪われ族のひとりという印象 ポー的な人工楽園って、アルンハイムの領地とかランダーの別荘みたいな作品の系譜のことか? そこで挙げられてる作家たちとの同質性をあまり感じないんだが。 ランボーは別格としても、世紀末ダンディズムというか、ボードレール流の反俗プロスタント的身振りは、ポーと無縁のような気がする。 「外界から完全に離脱し、放恣な夢想(あるいは阿片夢)の世界に耽溺するポーの自閉症的な室内生活者たちが、 ボードレールからユイスマンス、ワイルドにいたる世紀末文学における、人工の粋を尽くした豪奢きわまる夢の部屋の住人たちの先住者であることはすでに知られている…」 訳者富士川義之氏の解説。たぶんこれが頭にあった。 確かにそれぞれ違うけれども、みんな現実に立脚して現実を表現しようとするリアリズム文学とは真逆の立場にある幻視者たちだと思うよ 「世紀末耽美主義」でくくれるのかもしれないけどポーはずっと前の人だから先駆者だと だからポー的な人工楽園ていうのは庭園ではなくて ロデリック・アッシャーやデ・ゼッサントの住んでるような世界という意味で言いました 逆だろ わずかな出費でいろんな世界を脳内だけで体験できるんだから文学、小説は貧乏人向きなんだよ ちなみに自分は若い頃に 将来ルンペンになることがあったらランボーの『地獄の季節』を肌身離さず携えて生きて死んで行こう なんて思ってたりしたもんだ そんなに面白いですか 全集は持ってるけど拾い読みしてるくらいです ちなみに自分は若い頃に 将来ルンペンになることがあったらロートレアモンの『マルドロールの歌』を肌身離さず携えて生きて死んで行こう なんて思ってたりしたもんだ >>381 そう言われるとアレだけど名作の輝きは他の人の作品では到達できないところにあるのでは それを何回も読むんでいまさら読み返しはせず頭の中で物語を再現しては感興にひたるという感じかな そうですか 全集もありますので ポー週間 ポー月間を作ることにしましょう >>375 みたいなポー観って、やっぱり一般的なのかね。 俺からすると、ポーは骨の髄からの語り手(=騙り手)であり壮大なホラ吹き作家なんだよな。いやいい意味で。 富士川義之の端正な訳文は好きだけど、鐘楼の悪魔、不条理の天使、ミイラとの論争とかのクレイジーな笑話の書き手のポーは収まりが悪い。 あのユリイカですら、手の込んだネタのように見てしまう俺の読み方がやっぱり極端なんだろうな。 >>382 10代終わりから20代半ば頃までの俺のバイブルが『地獄の季節』、『マルドロールの歌』そして『内的体験』だった 「地獄の季節」はそういうロマン的な放浪を諦める話なんだよな 「俺は果たすべき義務のために土に帰る、百姓だ!」 しかし詩を棄てアフリカやアラビアに向かったランボーがロマン的詩情から解放されたかどうかは怪しいと思う >>385 際立って成功した作品がそんな感じだからね 振幅の大きな作家でそれだけに「のように見ればこの人物を説明できる」みたいな解説が多い それが解説の仕事かも知らんが 「雑誌編集者ポー」も「南部的ほら話の語り手ポー」も「万物照応の理論家ポー」もみんなだいたいあってるんだろうね 俺も若いころはデュカス君のマルドロールを 傍らに永山則夫の親父みたいに 死にたいと思ってたことがあったなw ポーって凄いよね ありとあらゆるジャンルの作家に影響をあたえるなんて >>375 ちょっと待った自閉症の使い方がおかしいぞ。 見たり見えたりする一切有は夢の夢にすぎませぬか(ポー、日夏耿之介訳) 大江健三郎『万延元年のフットボール』の章見出しになってるんだけど出典わかりますか? All that we see or seem Is but a dream within a dream A Dream within a Dream という詩みたいですね >>396 ありがとうございます。 ポーの最晩年に書かれたA Dream Within A Dreamで間違いないようです。 引用された一節は平安末期の歌人、式子内親王の 「見しことも見ぬ行く末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中」 と通じるところがありますよね。 ポーが生まれたのは1809年だから生誕200年なんてとっくに過ぎてるやん 創元推理文庫の帯見て思ったんだろうけど 生誕200年をとっくに過ぎたから 200年くらい前に生きてたことになるんですが 大丈夫ですか? 十返舎一九は1831年に亡くなっている。ポーは1849年 一九はよく文筆だけで生活することのできた最初の職業作家だと言われる ポーの頃のアメリカでも作家一本でやっていくのは難しかったようだね 雇われ編集者じゃなく自分の雑誌を経営するという夢は最後は固定観念みたくなっちゃってて痛ましい 南総里見八犬伝の曲亭馬琴が1848年没(ポーは1849年没)だから、こっちの方が近い。 >>404 >>400 =>>402 だと思ってるだろ ちがうんだよ >>400 書いた俺も驚いたよ いや>>398 に言ったんだけどな 最初からアンカー付けとけば良かったか 文脈で通じると思ったんだが まあ402は俺なんだけどね 新着3レスしか読まない俺が 全面的に悪かった すまん >>381 はたいして興味もなさそうなのになぜ全集を持っているのか どこかのブログで八木敏雄氏の評論が長文で引用されてて興味深かった よく知られたヘンリー・ジェイムズの「大人になってもポーが好きな人は幼稚」的なことについても考察されていた ポーないしポーの作品が「未成熟」な部分があることは一面の真実ではあるんだろうね ポーの作品に「未成熟」な部分があるかどうかは知らんが ポーが好きな人は子供のように柔軟な心を持っているとは思う それを幼稚と言うかどうかなんて知ったこっちゃない 「ポオに欠けているものは頭脳力ではなく、人間全体としての成熟をまってはじめてもたらされるところの知性の成熟であり、彼のさまざまな情緒の成長と調整なのである…」(T.S.エリオット) てのも八木氏の評論文に引用されてる 「ポオからヴァレリーへ」という題の評論のようです 引用の引用の引用で文脈もよくわかりませんが 「ポーに捧げる20の物語」てのを見かけました 生誕200年の企画ものらしい ポーを敬愛するアメリカの作家たちが何らかの形でポーに関係する作品を書き上げて持ち寄りました 「錚々たるメンバー」のようですがみんな知らない人でしたねー。エドガー賞受賞者なんか多いんでしょうか いまいち…読む気が出ない 八木敏雄訳の岩波文庫版は素晴らしい 訳文もだけど限られた紙数で定番の名作を控えて前半にバカ文学を三編採った 解説でもファースの意味を力説 岩波にはもうひとつあってそちらとのバランスで採ったんだろうな 「悪魔に首を賭けるな」は笑いと不気味なものの混淆で奇怪な味わい この種のものでは「タール博士とフェザー教授」が最良の作品だと思う >>417 それは誰もが子供の頃ポオが好きだったことの裏返しじゃないか 英米の人たちは、なぜフランス人の、それもその時代最高の文学的知性が この二流作家を激賞したのか、ってことに困惑してる感じだよね 流石に今は変わってきてるのかもだけど ジャンル的差別心じゃないかね どんなジャンルの小説を書こうが「その時代最高の文学的知性」とやらがなかなか掴み表現し難いものを易々と表現してしまう作家というものは時にいるものだ これは文学のみならず音楽でも美術でも同じことだろうよ アンドレ・ジッドがダシール・ハメットを激賞したって話もあったね ポーを崇拝してた当時最高のフランスの知性といえばボードレール、マラルメ、ヴァレリーか そうなると、ラヴクラフト辺りもフランスに信奉者がいるのかな? ラヴクラフトってどうなん? 20年くらい前にちょろっと読んだけどあまり記憶にない ポーもラヴクラフトも、大雑把にカテゴライズすれば アメリカン・ゴシックって印象があるんですよ。 (間違ってたらゴメンなさい)。 ポーやハメットは文体で評価されてる(この辺好きなタイプはヘミングウェイもほめる)。 シンプルな描写をするタイプだから形容詞重ねまくってくどくど言いまくるラヴクラフトとはちょっと毛色が違うと思う。 ラブクラフトはポーに影響受けてるみたいだけど、作風としては、ホジスンなんかの、語り手が異次元に呑み込まれて正気を失っていくスタイルに近い。 ポーの場合、どんなに異常な話を書いてても、常に冷静な観察者がそこにいるって感じがするんだよな。 だからポーの方が狂気から遠いかというとさにあらずで、意識のメタ構造を意識しながら物語を紡ぐポーの方がラブクラフトよりも深刻な作家といえるんじゃないか。 うん、でもポーとラヴクラフトじゃそもそも…(´д`) ウィリアム・ウィルソンって 主体が主体でなくなる、主体のはずの他者に存在を脅かされる、主体=他者の経験をテーマしたという意味では 後のランボーやバタイユ、ブランショとも通ずるところあるな そういやニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? ハリー・クラークの挿し絵について書き込んだんだが消えてる…私は苦笑いをするばかりだった 豪華本ということで気合いが入ったんだろうけどポー世界にどっぷりはまってるように見えるね 「メエルシュトレエム」はデザイン性も素晴らしく初めて見たとき陶然とした オディロン・ルドンの「仮面が(弔いの)鐘を鳴らす」てのがよく紹介されてんだけど ポーにこんな作品あったっけて思ったがこれは「エドガー・ポーに」というタイトルの絵で特定の作品を示したものではないんだろうかね バカは、字を読むと頭が痛くなるので中身が読めないから、表紙の絵がどうこう、とか挿絵がどうこう とか そういう話ばっかするんだよな >ニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? アホ発見! >>443 挿絵は大事だよお 創元全集のハリー・クラークの絵はめちゃくちゃ合ってる あれはカレーに福神漬けみたいにお互いが補完し合ってる 白鯨やディケンズも絵があるとなしでは全然ちがう バカは、字を読むと頭が痛くなるので中身が読めないから、表紙の絵がどうこう、とか挿絵がどうこう とか そういう話ばっかするんだよな 岩波文庫から西条八十の訳詩集「白孔雀」てのが出てて、 そこにポー作品がひとつだけ、「大鴉」が採られてる …優雅な文語で悪くないんだけど、ちょっとかったるいとこもある。推進力がいまいちかな 散文訳は走るだけでまったく味がないし難しいな ポーの全集を全部読み終えたぞ 血行幅の広い作家だ推理小説のほうが小数だ 冒険ものが主流といってもいいくらいな作風だ ポーの作品は数も多くない 短編も短い だから完読するには一番作家ではないかと思う その勢いでマキャモンの「アッシャー家の弔鐘」を読みなされ。 アッシャー家は実在した、という設定で書かれたホラー。 冒頭にポーも登場する。 ちんば蛙は晩年の名作ですねー 女の子の描き方が可愛くて良かったと記憶しています。ポーには珍しい感覚 カタルシスが痛快っす ポーを読むということは、あの密度の高い文章に身をゆだねることである。 >>455 俺と似てるなw 「陥穽と振子」 「早すぎた埋葬」 「エレオノーラ」 が好き >>438 >ニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? アホ発見! >>438 ってアホが屁理屈捏ねまわす典型だな!アホ発見! モルグ街の殺人 ナンタケット ウィリアム・ウィルソン 国際】キャプテン・キッドの財宝発見か 沈没船から銀50キロ-マダガスカル©2ch.net 1 :シャチ ★ 転載ダメ©2ch.net:2015/06/04(木) 11:31:37.25 ID:???*朝日新聞デジタル 6月4日(木)11時18分配信 伝説の海賊の財宝発見か――? アフリカ東部の島国マダガスカルで5月、「キャプテン・キッド」と呼ばれた 17世紀の海賊ウィリアム・キッドのものとみられる沈没船から、銀の延べ棒50キロが見つかった。英BBCなどが報じた。 キッドはスコットランド生まれ。英政府に海賊退治を命じられた後、自らが海賊となった。1701年にロンドンで処刑された後、 彼が隠したとされる財宝の行方は人々の関心を集め続け、エドガー・アラン・ポーの冒険小説「黄金虫」などの主題となった。 キッドのものかどうかは更なる調査が必要だが、発見した米国の探検家バリー・クリフォード氏は 「まだ、たくさんの財宝が沈んでいる」と話した 読書する気持ちの余裕がなったのに猫すきで黒猫タイトルに惹かれて手にしてぐいぐい引き込まれた ポオ作初めて読んだ流石 今更ながらはまりそうで楽しみ ハリー・クラークの挿絵が素晴らしすぎる あれないとダメだろ、白鯨みたいに エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日) >>230 なんか見ると、ポーはやっぱりアメリカ人ではなくて欧州人なんだよなあ >>470 イギリス出身の両親とは、あまり生活出来なかったみたいだから、影響は少ないとしても、初等科教育が向こうってのは、やはり大きいのかなと思った。 なんとなくわかってきた ポー世界の創造法はウォルト・ディズニーのそれと酷似している 想像から膨らませた想像、大人のための夢の国だ 児童書になっていたモルグ街を最初に、黒猫、黄金虫、鴉を読んでた時は、自分もそう思っていた。 自分の好きな作家ラヴクラフト、ブラットベリが、ポーに影響を受けたとみかけていたので、創元全集読んでみた。 ゴシックロマンス的なイメージは無くなった。むしろ、その分野も書けるって感じに思えた。作品によって出来不出来あるが、あんなにたくさんのジャンルを書く人を私は知らない。 あ、あとコナン・ドイルの私的ランクがかなり落ちた (´・ω・`) 創元のポー全集は翻訳者がバラバラではなかったか 出版社ごとに統一してくれたらと思うが、何故か創元以外はモルグ・黄金虫などのメジャーどころしか出ていない 新潮の2冊も、これは訳は巧いが、オマケ短編がいくつかある程度でもったいない感あり 個人的には>>417 (ヘンリー・ジェイムズ)、>>420 (T.S.エリオット)に同感する >>474 >>475 原文は詩だけ英wikiで読みました。でも、きちんと読んだと言えるのは、創元推理文庫だけです。まとまってるのを優先に選んだので、読み進めにくかったです。翻訳されたのが古いのと、確かに複数での翻訳ってのも、原因かな。 >>476 ですね。 よくわかります(´・ω・`) その大人げないとこも含めいいと思ってます。ポーが書いた評論、書評は創元になかったので、探してみようと思っています。 コナン・ドイルもけっこういろんなジャンル書いてなかった? >>478 ちなみに>>473 に対してのレスだったら、ドイルに関しては、冒険ものとホームズシリーズしか読んだことないので、自分の中でのホームズの評価が下がったといったところです。 調べたことないけど、書かれた当時の宇宙、物理がどこまで解明されていたかが、知識にあると面白くなりそう。 現代の知識で読むと、どこからが学説なのか、創作なのかわからない。 しかし、これで講演とか、どんなだったんだろう。 ニューヨークに於いて、ユリイカの講演で大きな論争を……って、ボードレールのポーについての評論に出てくる。当時の小説家は、よくやってたみたい。 >>476 エリオットはポーの小説について辛口だった。詩については一目おいてたよ。 ポーを貶めているわけじゃないよ 詩だけで生活するのは当時でも無理があったんだろうね >>485 うんうん、大丈夫w好きじゃなかったら、ここ見ないしね。たぶんだけど、ここんとこ二人だけのような(´・ω・`) ポーの死については、早世(かねえ?)&アル中のせいか、マイナスイメージに捕らえられ過ぎているように思う やたらともったいぶった文章(ドイツ的な回りくどさやサクソン的な明朗簡潔さは無い)からも、フランス気質が強く残っているのかわかる 好きな酒を呑んで、好き放題に書きまくって、好きな女(少女)と結婚して、結構幸せな一生だったんじゃないだろうか >>480 読みにくかったら、ちょっと寝かせるといいよ。 はじめて読むのがユリイカだったら厳しいかも。自分は、創元全巻かなり時間がかかった。1巻目がどうしても波長が合わなくて、短編多い4巻から読めばよかった。 >>487 お酒の話が人物紹介に出てくる人って、自分は意思薄弱と言うか、精神的に弱いイメージ。 詩人、小説家だけでは、食べていくの無理だったんかな? >>488 写真詳しくないけど、確かにいいよね。この時代のって、一枚が凄く大事に撮られてるからかな? 評判良いの書いても金にならなかったり、国際的な著作権法がザルだったりとか色々壁が多かったな パトロン捕まえて自分の雑誌作るって野望が叶ってたらどうなってたやら ポーは山師だよ 長たらしくくどくどしい読みにくさはあっても、支離滅裂さはない むしろフランスらしい皮肉が、あちこちの作品に巧妙に散りばめられている (モルグでのデュパンの語りもまさにこれ) アル中説はねえ・・・ 1800年代初頭〜中期のフランス系移民の飲酒感覚だから、食事の度に何かしら飲むくらいは普通のことだったのではないかな どんなジャンルの話を書いても、必ず感覚が一種恐怖症のような、おどろおどろしい方向に向かう 怪奇感覚に陥るきっかけのようなものが不在であるため、この感覚は不可思議さを増すが、 種を明かす(余計な幻想感覚をこそぎとる)と、実は平々凡々な出来事のみが残る これがポーワールドのつくり方 つまり、文章の8割から9割は雰囲気を醸しだすためのハッタリであり、現実に何かが起きているわけではない 読む人間を一種の錯覚に陥らせるためのポーの筆力だが、これにひっかかればそのままポー好きになる 逆に、読むのが辛く、ポーの作品や文章は小難しいのだと思い込むのは、怪奇感覚の中に知的蘊蓄が散りばめられているせいで、これがポー・トリック 読者がまともな大人であれば、後者の方が正しいことに気付く ポーを読むということは、あの濃密な文章を楽しむということだ 意識しておどろおどろしく書かれているのは、一般に知られている数作品で、他はそのジャンルの手法を扱き下ろした方が多い気がします。その事がパロディストたる所以に繋がるのだと思いますが。 なので、作品によっては幻想文学の括りですが、幻想文学作家にポーをいれるのは迷うところだなぁ。科学が未発達な時代には効果的な手法だったんじゃないかしら(´・ω・`) >>496 たまに、どうしても読みたくなる時がありますね (´・ω・`) Edgar Allan Poe=Gothic fiction 創元の全集読み終わったぞ! これで俺もポー・マスター 作品はスラスラ読めたけど評論を読むのにえらい時間がかかった アッシャー家の崩壊/黄金虫 (古典新訳文庫) ポー (著), 小川 高義 (翻訳) 出版社: 光文社 (2016/5/12) スレチで失礼。昭和37年、静岡県立藤枝東高等学校での原崎先生の「Hop Frog」 の名訳を私は今でも記憶しています。当方、既に古稀を過ぎていますから先生は、 今や今生にいますまい。(合掌) p.s 来し方を顧みまするに、先生程の名訳を凌ぐものはありませんでした。 文学愛好者ならポーは大ご馳走である。 ポーが好きな人は友だち、そうでない人は友だちではない。 ポーの愛好者よ、集いて語れ、いざ。 まずは「ウイリヤム・ウイルソン」からだ。 こいつはなんともすかしたドッペルくんだぜ。 俺はこいつが大好物だ。 江戸時代の奇談集のどれかに「北家に影の病あること」ってのがあって、 仙台の北家の男子は代々自分の姿を見ては程なく若死にするんだとか。 つまりドッペルゲンガーを見た者は若死にする。 例外はゲーテぐらいかな。 ドッペルゲンガー現象を直接あつかってはいないが、『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ著)という小説があって、 この小説では、主人公が、最後に自分自身を発見する・・・という面白いミステリー小説がある。 「Xだらけの社説」を読んだ 翻訳は頑張ってたが日本語にするのは無理があったな 翻訳は×(バツ)を使ってるのでただの伏せ字って感じだが 原文はX(エックス)を使っててかろうじて音だけは読めるので 前代未聞の暗号文が書かれてるような迫力がある >>513 >>507 に『ポーの愛好者よ、集いて語れ、いざ。 まずは「ウイリヤム・ウイルソン」からだ。』 って書いてあるんですけど。 ポーなら、なんでもござれでOKなんですか、>>1 さんよ。どうせ見てないか。 ポー唯一の長編はナンタケットだよな ポーはミステリーだけではなく紀行文も多い ミステリーよりもこっちのほうが面白い 黒猫は怪奇小説だけども 紀行文の構成もうまい 鴻巣友季子(ポーとクッツェー6月刊) メルヴィルからボルヘス、リチャード・パワーズまで無数の書き手を影響、インスパイアしてきたE・A・ポー。 小説についてはこの一冊で大体俯瞰できる構成になっていると思います。詩も2編。850頁超。予価1300円です。 2016年5月12日 フランス人はボードレールからポーを正価で買った とか、そんな名言があるでしょう。 それぐらいボードレールの翻訳は素晴らしいと。 我々日本人はポーを正価で買えたのかな? >>518 二行目、そういう意味じゃないでしょ 例えば、嘲笑まじりの罵詈雑言な評論 13歳の妻、長続きしない仕事、金欠、同時に複数人にプロポーズしたりの品行 最後にグリズウォルドがポーは薬中でインポだったと噂を立て そういう作品以外の要素が足を引っ張っちゃって母国アメリカでは嫌われてしまった そこを見ないで済んだフランス人はポーを正しく評価したと 日本語版の解説にだって「日本のポーは幸せだ、なぜなら」 と上のようなことを書いてあったよ >>503 タイトルはどうしたんでしょう ちんばという言葉は使いましたか >519 フランスはみてると思う 気にならなかったのはフランスがより乱れているから アメリカはその辺は潔癖なところがあるから 今、文庫全集の2巻を読んでるけどこの作家には 「俺達の冒険はこれからだ」完 ポー先生の次回作にご期待下さい 的な傾向があるな >>522 よくわかる、自分もそう感じた。 裕福で編集の仕事が無く、すべての時間を創作に回せていたら、どんな作品群になっただろう。 >>523 ドストエフスキー化したんじゃないだろか ドストは1ヶ月たらずで悪霊の小説一本書き上げたが、それにまさるとも劣らない筆力もってたはず ポーって結構冒険ものもうまいじゃないか ナンタケッチ島なんてポー唯一の長編だけども 一番面白い内容だと思うぞ ポーは冒険においてシュルレアリストである ーーーアンドレ・ブルトン まあちょっと。 ポーは詩の原理で、もっとも美しいのは、愛する女性の死だと言っている 伝記を見ると、ポーは若い奥さんをなくしていて、その経験がしばしば詩のモチーフになっている その個人的な経験から詩の原理を作っているきらいがある。 それはともかく、自分の悲しみを浄化するために悲しい物語を読む、みたいな、ギリシャ劇的な構造が やっぱりアメリカ文学の構造ではないかしらん バルザック、トルストイ、ドストエフスキー、カミュ、トーマス。マンの 全集を今年になって全部読んだけど、ポーが一番読みやすかった 全集はたったの5冊だから楽だったな >>527 へえ、トーマス・マン全集を読んだの? とうぜん「魔の山」も入ってるよね。 筒井康隆が若い頃から何度も挫折して、 晩年、ようやく読破した、という話をきき、 まさに「魔の山」、おれなんか遭難する! ……と、二の足を踏んでいた。 「魔の山」読んだよ 「ブッデンブローグ」「ワイマールのロッテ」 「ファウスト博士」だって読んだよ マンは特有の描写が際立っている 「ヨセフとその兄弟」はこの描写が弱かった 訳者の能力かな 一応51人の作家の全集を読んでいる ゴーゴリ ツルゲーネフ プーシキン ガルシン チェーホフ ドストエフスキー トルストイ 安倍公房 八木重吉 李白 杜甫 白楽天 王維 韓愈などなど 15年の締めくくりとしてね 今全集を徹底して攻めている >>529 ありがとう。いいですなぁ! 全集を固め打ち。 手っ取り早く読めそうなのは夭折作家ですね。 中島敦とか。 あっ、ポーも夭折だね。 マンはトニオクレエゲルとヴェニスに死すしか読んでないにょん 全集はミヒャエル・エンデだけ制覇した ポーは新潮文庫にあるやつと岩波のポオ評論集を読んだ ユリイカをまだ読んでない ところで芥川龍之介が言っている ポオはスフィンクスを作る前に解剖学を研究したーーー彼の後代を震撼させた研究の秘密はここにある は、つまりどういうことなん 『構成の原理』(岩波文庫だと『詩作の哲学』)のことでしょ ここの人たちは創元文庫の字の小ささは気にならないの? むかしながらの小さなフォントぎっしりもまたいいではないか >>534 好き 近視だからかもだけど、読むのは問題なかったよ ハヤカワが再版のフォント大きくしてるけど、最初に読んだ印象と変わってしまった ポーのどこが良いのかわからない 誰か詳しい人教えて 「宝島」なんて推理の中では最高傑作かもしれない スティーブンソンのよりもいいぞ >>536 どの作品を読んだのかな? 読むきっかけとか、読んだ年齢、合わなかったとことか知りたいかな ちなみに自分は小学生の時、モルグ街の怪事件を読んでからです 想像出来ない犯人、犯行現場の描写が衝撃的だったな 黄金虫は健康的な冒険小説でいい 逆にゴードン・ピムは未完である事よりもカニバリズムが後味悪い ピムはカニバもそうだけど現実の事件も予言してるしラストも不気味過ぎる まあそこが好きなんだけど 出崎統のアニメ「宝島」では、宝の隠し場所が暗号で、 そこだけ「黄金虫」を流用している。 推理小説の元祖というところに意味があってポーの作品ははっきり言って面白くない。 江戸川乱歩でも読んでいたほうがよっぽど面白い。 ああそうだ ごめんごめん コガネムシだ これって推理の頂点に立つような作品かもしれない モルグ街もよかった >>545 あなたが面白いと思う推理小説は? >>546 文脈から承知してたから大丈夫 ま、おまえら、ちょっと気分転換しろ! ヤマのオカルト置いとく。 ちょっと気色悪いけど・・・ ★山霧の巻くとき(山岳ホラー) http://slib.net/71604 上松煌 作 (プロフィール) http://slib.net/a/21610/ 最後のほう、グロ注意?!! この前アッシャー家の崩壊をよんだ。大昔の小説だけど面白い!あのいかにもと言う感じの書き出し はいまでも引き付けるものがある。プロットよりあの文体がいのち! ポーは文章力だよな 本当にこの人に経済的余裕を与えて創作に専念させてればどれだけのもんが生まれただろう、と妄想することが多かったが でも長編とかかかせたりするとゴードンピムみたいに簡素な文章が多くなるのかも ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と 生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの 導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。 ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ そんなんしても無駄 河川敷集団見合いですぐ解決する スペイン人の何とかてイラストレーターが挿し絵を書いたポー=イラスト作品てのがあったよ 有名なのか その絵描きは「楕円の肖像画」を採っていた 短すぎて惜しい天才のひらめきに満ちた話 ポーは小説家ではなく、近代の物語作者だね 南が丘文庫 http://www.minamigaoka.info/BOOKS/ Official Homepage 横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。 横浜市立南が丘中学校OB会 ゴードンピムの前半とメリメのタマンゴって話の筋が似てね? (株)ケンシュー ..デカルトが演繹的推論をはじめとする「考える技術」をまとめてから、 ポーが探偵デュパンを生み出すまで100年以上経っています.. 哲学者の道具であった難解な論理学が「考える道具」として一般の生活に浸透するのに1世紀以上の時間が必要だった. 2013年1月17日 shiro(CV.小見川千明) ナサニエル・ホーソーン「ヒギンボタム氏の災難」 『緋文字』でお馴染み大文豪が(ミステリの祖といわれる)ポー「モルグ街の殺人」より7年も前に書いた小品。 ミステリ手法が確立される前、喜劇&リドル風に落とすしかなかったのはミステリ的には惜しまれる。 2015年6月13日 マツモトキヨシ ホフマン『マドモワゼル・ド・スキュデリ』読んだ。王政フランスで女流作家スキュデリが連続強盗殺人の犯人を突き止める。 ポーのモルグ街より早く世に出た作品だけれど、犯人当ての醍醐味もあれば探偵役のキャラも立っている。 これは紛れもなくミステリでしょう。 2017年6月5日 そりゃそうだ本当に優れたもの一作か二作が残る。ポーくらいの天才でだ その1作2作もあやしくね? 絶対超傑作な長編でもなんでも残せたくらいの人だったと思うけど 現状残ってるのは短編ばっかだし 本当にドストと比べられるくらいのレベルの人だったと思うんだ 「盗まれた手紙」は傑作で ドストエフスキーの「未成年」にも影響を与えているよ ドストがポー好きなのは知ってる けどポー自体が佳作家で終わってしまってないか おはなしを作る才能ではドストエフスキーはポーの足元にも及ばない 多くの登場人物の複雑な心理を描く長編小説の才能ではポーはドストエフスキーの足元にも及ばない …て感じ? ドストエフスキーもだけどポーは影響力が計り知れない 幻想文学、推理小説、SF小説それぞれでパイオニア的仕事をしてるし詩人や理論家としても崇められてるレベル もしポーがいなかったら ドイルやボードレールの作品も無かっただろう あと怪奇小説系も ジャンル化されてないスタイル 例えばアナハイムの地所のような風景描写小説?みたいなタイプ リジイアみたいな幻想恋愛もの?もあるよな 色々やってるが正統な長編も書いてほしかった 評価しなかったアメリカ人の罪だな ドストエフスキーとポー 互いの作品に対する影響は興味深いが、比較する作家としては遠いかなと思う 米作家ポーは100年単位で残ると思うな 言われてることではあるがポーや芥川龍之介が長編を書けなかった、乃至書いても破綻気味だったのは 最初から最後まで計算して書こうとしたからなんだろうな 背景にキャラ付けした登場人物を配置することによって人物が自然に動き出す、てことを認められなかったんじゃないの 自分の意思に関係なく動いていくことに耐えられなかったんだよ ゴードン・ ピム見る限り絶対書けなかったなんてことはない 芥川よりは絶対一回り上にいる人だ 経済的余裕があったら書けてた 専業作家としてやっていこうとしたら短篇ぐらいしか仕事が無かった そういう時代だったんじゃないの? >>578 裕福なら雇われ編集長やらなくてよかったしね だとしたら短編多ジャンルな書き方はしなかったかもしれないな まあとにかく、少なくとも短編作家としては世界一だろうな、ポオは ボンボン 現代科学の一つとして考察したる詐欺 とかも忘れんといてくれ ていうか アモンティラードの樽は? 後、誰かジョン・A・B・C・スミス将軍の友人の方はいませんか? 黄金虫・アッシャー家の崩壊 -他九篇 岩波文庫 これ品切れで ブラックウッド誌流の作品の書き方/ある苦境 ↑ これが入ってる新刊文庫他にありますか? 昨晩、ガッキー主演ドラマを見ていたら、他の女優がポーの顔のTシャツを着ていた 散文物語てのは飽きてしまうものなんだろうか 詩のほうが飽きないよね 光文社のモルグ街の殺人のコメントが 推理小説が一般的になる半世紀も前に、不可能犯罪に挑戦する世界最初の探偵・デュパンを世に出した「モルグ街の殺人」。 だけど この文章ちょっとまずいよね これだと、ポーから推理小説が始まって栄えてきた、んじゃなくて、 ポーの影響は無く後世に推理小説が流行ったが、実はその昔にポーも推理小説を書いてた とも取れる 光文社のこの文書いた奴、バカだな。 ポーに対する尊敬が感じられない。 ポーが世界初の推理小説を書いて、それが受け継がれて発展して隆盛して今に到るって わkるように書かなきゃだめだ 光文社のこの文書いた奴は、紹介文書く仕事やめた方がよいな >>586 >ポーが世界初の推理小説を書いて、 >それが受け継がれて発展して隆盛して今に到るって >わkるように書かなきゃだめだ 推理小説ではなく探偵小説で 探偵小説はポーの前にも存在していたのだけど 数学風の仮説と推論に基づく探偵小説を書いたのはポーであり この「推理 」の部分が後世の作家たちに決定的な影響を与えた >>588 は、アホだな >>586 への、賛成にも反対にもなってない。 >>588 は頭のおかしい人の書き込みの典型例だ 殺人だけが心の琴線に触れるが、事故による怪我、災害による死者、病気による苦労 も文学化されてよいはずだ。殺人された時間にいないのに殺人を追う時間がポイントだ。 >>589 >賛成にも反対にもなってない。 探偵小説を推理小説と紹介したのは日本の出版社であってね それは推理を柱とする探偵小説の草分けがポーであり、 そのフォロワーたるコナン・ドイルとかが念頭にあったから 簡単に言うと「推理小説」なるカテゴリーは日本のみで通用するものに過ぎない >>591 賛成にも反論にもなってない >>591 は頭が悪いので、>>591 自身が、他人の意見を理解できていないことを自覚できてないんだろうな この人のせいでしょうもない推理小説がどんどん書かれてる 早すぎた埋葬は土葬の文化があったおかげでできた話の代表例になってもいいと思うんだがな ポー全集の創元推理文庫、文字が小さすぎる!!! 他ので読むわ http://yomou.syosetu.com/search.php?search_type=novel& ;word=%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC&button= なろう 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) ポー傑作集 江戸川乱歩名義訳 エドガー・アラン・ポー 著/渡辺温/渡辺啓助 訳 全集から削除された幻のベストセラー、渡辺兄弟のゴシック風名訳が堂々の復刊。 温について綴った江戸川乱歩と谷崎潤一郎の文章も収載。〈解説〉浜田雄介 時節柄、「赤死病の仮面」が読みたくなった。 コロナウィルスを避けて、こんなふうに引きこもるヤツもいるだろうか? >>601 もう仮面は,君の部屋に入り込んでいます。 >>602 マスク不足だというのに、病人の顔をかたどった仮面(マスク)だけは不足していないのか・・・。 ポーは貧乏で酒乱だった 親しみ持てるわ さっき馴染みの店で呑もうとしたら ガラガラでやんの 安いウィスキーのお湯割り1杯できりあげた エゴンシーレっぽい絵が作品の雰囲気とあってる気がする ttps://www.youtube.com/watch?v=uURFvYmKvoc YouTubeにあったBenWhishawのアナベルリー朗読が良かった あと10年くらい経ったらポー役いいと思う >>608 幼少期に両親を亡くし、子供のいないお金持ちの養子になる 英国の学校に行かせてもらったり裕福に育ったはず しかし大学辺りから賭け事などの借金で養父と揉めたあげく、養父に息子ができ関係が破綻 編集者の仕事は当時で単身なら食えたレベル、叔母と嫁の面倒をみながらなのでぎりぎりかな 嫁が肺病を患っても郊外で静養させる資金は準備できなかった 「赤死病」が国じゅうを荒らすのも、すでに久しいこととなった。 これほど助かるすべもない、おそろしい疾病もこれまでにはないことだった。 血―――真紅の、ぞっとするような血こそは、この「赤死病」のなにより まごう方ない象徴(しるし)であった。 (赤死病の仮面) >>612 好きな短編のひとつだ 読むたび舞台化して脳内上演してる コロナ早期終息しますように 王様が城の中から外に逃げれないように入口ふさぐのめちゃめちゃ怖くね>赤死病の仮面 赤い死の舞踏会-付・覚書(マルジナリア) (中公文庫 ホ 3-4) (日本語) 文庫 – 2021/4/21 エドガー・アラン・ポー (著), 吉田 健一 (翻訳) 赤い死」が蔓延するなか、千人の友達と僧院に避難したプロスペロ公は壮麗な仮装舞踏会を催した。 そこへ現れたひとりの仮装した人物が、人々の間に狼狽と恐怖と嫌悪を呼び起こす ――死に至る疫病に怯えおののく人々を描いた表題作のほか 吉田健一の名訳で鮮やかに甦るポーの作品集 NHKで100分de名著とかやっとるが興味ないのかな皆 >>623 第二夜アッシャー家の劇中詩? 「魔の宮殿」の訳が変で意味が通らないと思う。 ↓ 「やさしい天使たちの住む 青々とした私たちの谷間には、 かつて美しくも荘厳なる宮殿が ――燃えるように輝き―― 高くそびえていた。 思想という君主が治めるこの国に 堂々と建っていたのだ! だが熾天使でさえ これまでその翼を拡げた宮殿は、 この半ばほども美しくはない」 「だが」という逆接は何かの間違い? アッシャー家やウィルソンは佐々木直次郎の古めかしい訳の方がいいな 脳内に白黒の画像が迫ってくる感じ モルグ街の殺人に影響を受けた作品って相当あるだろうな 小学生が読んでも大丈夫な作品ありますか? 乱歩好きな子が読みたがりますがとりあえず黒猫のあらすじ読んで無理と感じました 他もグロくて残酷な感じですか? ポーの文章自体がある程度、成長した人間にしか分からない皮肉が多いので、糞ガキが読んでも しょうがなかろうwww >>631 乱歩の何を読んでいるかによる。怪人二十面相シリーズだけしか読んでないならちときつい >>633 なるほどありがとうございます まさしくその通りなのでまだやめておきます >>634 ここからは余計なお世話だし個人的な意見だから聞き流してもらって構わないのだけど、自分は親が子供の読む本を選んだり規制したりするのは間違っていると思っている(そんな事をしたってどうせ読む)。もしお子さんが自然に近い将来、二十面相から『芋虫』や『人間椅子』の乱歩作品あるいはポーに行ってもそれは自ら読者範囲を広げた成長だと捉えてあげて欲しい 『芋虫』は究極の恋愛小説だと思うし、ポーは今更言う必要もない文学史に残る天才 >>635 ありがとう 私は子供の頃エルロイやアンディマクナブファンだったからエグいのは平気 まだ小2なので子供に読めそうなのあったら探してと言われ聞いてみました 少年探偵団は人が死なないそうで人が死ぬのは嫌と言われましたが無理そうですね 芋虫も人間椅子も読んだことないけど私は嫌いそう… オタクっぽいのが嫌いなので子供がキモいの読んでたらキモいと言います笑 ポーも乱歩もエンタメ作家でしょう?もちろんエルロイらもだけど文学ではないよ 何をもって文芸作家、エンタメ作家とするかはそれぞれだと思う(そういった線引きは不可能という意見もあるし意味がないという意見もある)。乱歩についても意見は色々あると思うが(私は日本を代表する文芸作家の一人だと考える)ポーの文学性を否定できる人はいないのではないか。ともあれお子さん共々よい読書生活を 小五の時、人間椅子とか火星の運河とか 文春文庫の全集(?)1冊づつ小遣い持って買い集めて読んだな 隠された世界を見つけたような気がしてね ポーがエンタメでないことは確かだろう。 「ハンス・プファールの無類の冒険」などは、シリアス過ぎて作家自身が命を削って書いてるような切迫感がある。 >>641 俺の場合乱歩はポプラ社の怪人二十面相シリーズから春陽文庫の『人間豹』へ行って(小遣い)おったまげた。小学五年生の頃だ 「雲間を吹きおろす一陣の風が凍らせて、 私の美しいアナベル・リイを殺したのは。」 エドガー・アラン・ポオ作 福永武彦訳 『アナベル・リイ』 >>628 ほとんど全てのミステリーが影響を受けているだろう >>637 がポーをエンタメ作家と言っているのは読んでいないからだと思いたい。読めば見方も変わるはず。もし読んでいるならもうそれは小説観の違いだ 怪奇幻想文学の元祖は『雨月物語』だぞインポの爺ちゃんw ワシはインポで早漏じゃよ。ちんに据えた花火根元で爆でな。滄浪の水濁るとき は五木寛之 屈原の濁世観にて漁師の言。 まあ濁世になれば隠遁しろということだが、 早漏の液濁るとき は何か病気だから 濁世じゃなくても 入院しろ。性なる聖なる。ある意味でよい社会だと世に出ろというが 入院しろ。それも隠棲の一つ。よさというのは独りよがりで独善的というか圧迫感がある。院生もにてる。院政でもしろと。世に期待するな。善でも悪でもつまらん。絶対精神は意外に絶対他力にて。若いを過ぎたらずっと世から離れて暮らせセクハラしないで笑えという人生観。 竹取は心理的にまわされてるから心理的に完全な文学ではないが、国で一番の美女というのは そうなりがち。余った精液もったいないから男子は心掛けよく。 >>648 この詩にインスパイアされて、ナボコフは『ロリータ』を書き、 大江は『美しいアナベル・リイ』を書いた 文学が奏でる美しいリレー >>656 ポーがいなければナボコフのあの大傑作『ロリータ』はなかったわけか >>657 『ロリータ』の凄さが分かる御仁はあまりいない >>658 ロリコンという言葉は誰も知っていてそれがロリータ・コンプレックスの略である事もみんな知ってはいるが、その言葉の元になった『ロリータ』を読んだ事のある人は少ないのかもしれない 文学的素養がないせいか、ただのくず男にしか見えない >ハンバート・ハンバート >>656 大江の『美しいアナベル・リイ』は未読なんで読んでみる >>660 ナボコフはあえてしょうもない人間を主人公にしている 『青白い炎』のキンボートもそうだね そういう人間を中心にして笑いを生み出しているわけだ >>662 その笑いの裏にある悲しみの複雑で深いこと >>659 映画は見た クソつまらない映画だったけど 最後におっさんが殺されそうになりながらピアノ弾いて、ピストルで撃たれて「だあああああ!!!」 とか悲鳴あげたところで爆笑したのだけは覚えている なんと2019年に旧仮名で中公文庫から渡辺温訳のポー傑作集が出ている。 江戸川乱歩と谷崎潤一郎の渡辺温の回想もついてる。 老舗出版社のプライドと品位が感じられる一冊だ。 白水社 U252 義とされた罪人の手記と告白 2024/03/27 17世紀末のスコットランド、地方領主コルウァンの二人の息子は、両親の不和により別々に育てられた。明朗快活で誰にでも愛され る兄ジョージと、厳格な信仰をもつ母親のもとで陰鬱な宗教的狂熱の虜となった弟ロバート。自分が神に義認されあらゆる罪を免れて いると信じるロバートは、17歳の誕生日に出会った不思議な力を持つ人物に唆されるまま、恐ろしい行為を重ねていく。変幻自在に その姿を変える謎の友人≠フ正体は? そして政治的対立に揺れる議会開催中のエディンバラで、兄弟の宿命的な確執はついに衝撃 の結末へ……。奇怪な事件の顚末が異なる視点から語られ、重層するテクストが読者を解釈の迷宮へと誘う。小説の可能性を極限まで 追求し、アラスター・グレイらの現代作家にも多大な影響を与える、ゴシック小説隆盛の掉尾を飾る傑作にして早過ぎたポストモダン 小説。(『悪の誘惑』改題) [著者紹介] ジェイムズ・ホッグ James Hogg スコットランドの詩人・小説家。1770年、スコットランド南部エトリック近郊の借地農家に生まれ、農場の使用人、羊飼いとして働 きながら独学で読み書きを覚え、詩や戯曲の創作を始めた。1800年作の「ドナルド・マクドナルド」は国民的愛誦歌となり、『スコ ットランド辺境歌謡集』編纂中のウォルター・スコットと古謡の提供を契機に親交を結ぶ。詩集『山の吟詠詩人』(1807)が評価さ れ、1810年にエディンバラで本格的な文学活動に入る。詩集『女王の夜祭』(13)、『詩鏡』(16)を刊行、1817年創刊の『ブラ ックウッズ・マガジン』に寄稿した諷刺的な記事で有名となるが、自身も「エトリックの羊飼い」としてパロディの対象となる。その 後小説に転じて、スコットランドの歴史に取材した『ボズベックのブラウニー』(18)、『男の三つの危険』(22)、『女の三つの 危険』(23)などを発表。ゴシック小説『義とされた罪人の手記と告白』(24)は20世紀に再評価され、現在では最も重要なスコッ トランド文学/英文学作品の一つと目されている。1835年死去。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる