エドガー・アラン・ポー PART1
今年はポーの映画が2作も公開されたことだし立ててみました っていうかなんでこの人のスレがない? 19世紀の作家だけど今読んでもなかなか刺激的 後世に与えた影響も多大だしね http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/20111106 やがて夢たをやかな密咒を誦すてふ、犬神のやうな黄老(おきな)が姿をみせた。そしておごそかに"The Masque of the Red Death"の釈義がはじまった。 黄老によれば、このポーの短篇の表題を正しく訳した翻訳は無いそうだ。また、従来の翻訳はそこかしこに滑稽な錯誤が見られるという。 そうした密咒のひとつひとつをここに記すのは憚られる。黄老による決定訳を鶴首して待とう。ただひとつだけ。 プロスペロ公の立てこもる"abbey"は僧院でも伽藍でもない。それはかのFonthill Abbeyが僧院でないのと同じだ。 http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/20111205 この短篇の初めのほうで、プロスペロ公の性格が"happy and dauntless and sagacious"と形容されている。 この部分は「運強く、また勇敢でもあり、怜悧でもあった」(谷崎精二)、「明朗、豪胆、聡明」(八木敏雄)、 「幸福で、豪胆きわまりない、賢明な」(富士川義之)といろいろに訳されているが、黄老によると"happy"の訳が全部違っているという。 xxxHOLiCのワタヌキのセリフに「シアワセじゃないっすよ」というのあったが、このhappyも「シアワセ」では前後の関係からしておかしい、これは「機敏」という意味なのだという。 もう翁の講義を聞けないのかもしれないのが残念だ プロスペロって沙翁「テンペスト」の主人公と同じ名前だな。 >>258 って、文学部の落ちこぼれによくいるいじめられっ子でもやしっ子のキモヲタタイプだな。 怒られたら根にもつけど言い返せないで2chで負け犬の遠吠え >>253 俺もウィリアム・ウィルソン大好きだ 特に不気味な学校の描写が好き 宇多田ヒカルがポー大好きなんだってな なんか親近感わくわw 推理小説もいい! 詩もいいのがある。鐘、エルドラド、大ガラスなんか・・・ ユリイカはようわかりませんです・・・・ ユリイカは読みたい読もうと思いつつなかなか手がつけられんね ポーはあのマラルメやヴァレリーにまで決定的な影響与えてるから凄いもんだよ 影響は計り知れないし似てる作家も多い でも違うんだよな ポーと他の作家では何が違うのかて考えると、何かこの人には系統だった哲学のようなものを感じる はいこれは恐怖です怪奇幻想ですみたいな軽さがなくて深いと言うか重いと言うか >>263 宇多田ヒカルは、アルジャーノンに花束を が好きとか、エヴァンゲリオンが好きとか、 紀里谷和明とか、テキトーに思いつきで言ってんだよ。 >>269 あれが売れたらそれ以後の短編の傑作はなかったと思うと >>271 それ以後というと主にどんな作品がある? むしろピム以前の傑作は何なんだろうな ベレニスと詩のヘレンかな ピムってもしかして、飢えのためやむ追えす、くじ引きして・・・ って場面がありましたっけ・・・? 「フランスのポー」というふれ込みのモーリス・ルヴェルなる人のコント集を読んだ ラヴェルではない。ポーよりモーパッサンの短編に似てるなと思たよ。 抽象性はあまりなくて現実に近い感じ。ポーみたく、まあ大作家とは言えんがなかなかだったよ サキ、オーヘンリ、シャルル・フィリップ ルヴェルも含めてこの種の掌編ではサキが一番好きだな。それぞれ名篇はあるけど これらの人はだいたい1870年前後の生年。ポーは1849年に亡くなってる このもう少し後の、ジャーナリズムや出版業界の成熟した頃に生まれてれば、ポーもあんなビンボービンボーな人生じゃなかったかもなー 地方出身者が書いた作品など価値ないわ 洋の東西を問わず 短編を得意とする作家の多くが精神疾患を抱え、早死にするという仮説。 例)ポー、モーパッサン、芥川 >>282 まあ長編を得意とするためには それなりに長生きしなきゃならないだろうから ある程度は必然と言えるでしょうなあ 短編か長編かっていうことも含めて ドストエフスキーがポーの「ウィリアム・ウィルソン」を崇拝してたって話はなかなか含蓄深いものがある ポーに精神疾患はないんじゃないの アル中は精神病に入るのかな アルコール中毒より恐ろしい病気がほかにあろうか!(迫真) 20年毎日飲み続けたコーヒーを断って これまた毎日15年飲み続けてきたアルコールを週一に控えたらかなり体調良くなったよ きっかけは去年5月に突然出た血尿 最悪、癌のおそれもあるということでビビって慌ててやめられた 長年苦しめられてきたアレルギーもかなり良くなった 神っているんだなぁ…って思ったよ ユリイカには「散文詩」て副題が付いてるけど ほんとに散文詩風に書かれてるのは「沈黙」て作品だな イリュミナシオンやマルロドールの先駆と、言って言えないことはない でもこの種の作はもう作らなかったし可能性を見出してなかったんだろうな 韻文にした方が良かったんじゃないですかねて思うし 物語作者としての偉大さは明らかだが詩人としてのポーは偉大だと言えるんだろうか 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。 よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな?? 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。 そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。 そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。 そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。 この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 おれ詩だけはどう頑張っても意味が分からんから 好きな小説家が詩も書いているとすごい困るんだよね ポーとかカーヴァーとか宮沢賢治とか 全集買っても、詩の巻だけは手つかずになってしまう オレもそんな感じだなぁ。 ただ、定型詩なら何とか判るから、賢治も短歌を詠んでほしかった。 俵万智の歌、 黒板の文字なつかしき昼下がり 下ノ畑ニ居リマス賢治 というのは感動した。 ポーの最大の擁護者ボードレールは近代の憂愁みたく思想的に深い主題を詠ったけども ポーはそういったことは散文の表現が向いてると考えてたっぽい 詩は詩でのみ表現可能な主題のみを扱うべき、みたいな態度 俺は正直食い足りない ボードレールはそこら辺の違いをどう考えてたのかなて思う ボードレール、ランボー、ロートレアモンの散文詩には若い頃のめり込んだな 「マルドロール」だ。前にもどっかに間違えて書き込んだ気がする… ??? ロートレアモンの『マルドロールの歌』で合ってるだろ マルドロールの『ロートレアモンの歌』を 間違えて書いたと間違えたのか? >>302 >??? ドとロが入れ替わってるんだよ。 俺の友人がマチルダという戦車をマルチダと憶えていたのを思い出す。 指摘したら、口を尖らせて「マルチダの方がカッコいいだろ」 あ、10レスほど前の話ね 300の何が間違ってるんだろうと…… ちなみに302は俺がたまにやる間違いだw ロートレアモンもどこかでポーについて言及していた いろんな作家を形容した文章で確かポーは「アル中大魔王」みたいのだったと思う 柏の通り魔(を装った?)事件の犯人は聞かれてもいないことをベラベラしゃべって「黒猫」や「告げ口心臓」の主人公みたいだな 天邪鬼てより目立ちたいって心理だと思うが というかな 少女を鳥の解体みたてたのはまずいよなマルドロール 死ぬまでにポーの『ユリイカ』読みたい、読まなくちゃとは思ってるんだが なかなか手をつけられんね トーマス・ディッシュてアメリカの作家が書いたポー作品のオマージュ「黒猫」を読んだ 時代もあるんだろうけどポーの文章には気品と言うか生真面目さみたいなのがあって それであの厳かな気分が醸し出されるのかなと思いました ディッシュ氏の短編集好みな人もいるかもね ポーの読書メーターのレビュー見ててある人が「黒猫」で猫をあんなとこに塗りこめるなんてあり得るのか、て言ってた 真実らしく見えるというのは物語に入っていけるかどうかの重要な要素なので由のない指摘ではない 俺はこの話でやや無理があると思うのは妻を殺害した後ですぐに警官がやってくるとこだな ポーは読みにくいけど、読んでるうちに読みにくさが全く気にならなくなる ウィリアムウィルスンとかいつ読んでもゾクゾクする うむ ウィリアム・ウィルスンのゾクゾク感は 何度読んでもたまらないよな 川端康成の『禽獣』と並んで世界の短編二大傑作だと思うよ >>314 「そんなことは有り得ない不可能だ」て調子ではなく「あるかなー」みたいな感じだったよ すこし首をひねってる程度 人生に行き詰まると もういっそのことポーのようにアル中になって飛び降りでもして死んでしまおうか とふと本気で思ってしまう ポーはアル中で女関係破綻してるが 仕事量は鬼で努力は怠ってないぞ 甘えちゃだめだ そもそも自分の意志でアル中になろうと思ったら努力が必要になるんじゃないか? 「メエルシュトレエムに呑まれて」を読んで気になったけど、 物体が渦の中心に落ちてゆく速さって、大きさ等によって違うのか? 大きいもののほうが早く呑み込まれるって、本当か? 昔、アリストテレスという人が 「物体の落下は、重い物は早く落ち、軽い物は遅く落ちる」 という間違った学説を立てていた。 もちろん今日では否定されている。物体の落下速度に重さによる違いは無い。 もしかしたらポーは、アリストテレスの間違った説に従っていたのではないだろうか? 当時はまたこの説が一般的だったのかもしれない。 単純に幼年期の経験を思い出せば 濁流もそこそこある小川に笹舟を流してもなかなか呑み込まれることはなかったよ >>321 他に「円筒形の物はゆっくり呑み込まれる」って見解もあったよね。 瀬戸内海の鳴門の渦潮は世界三大潮流の一つ。 明治時代の誰かが翻案小説を書いていたってよさそうなもんだ。 「鳴門の渦潮に呑まれて」 アリストテレス説は全然関係ないだろ 空中と水中を同じ次元で解釈してるのがアホすぎるわ>>321 同じポー読者としてこっちが恥ずかしくなるからよく考えてから書き込んでくれや >>325 まあ耳慣れない現象ではあるよ本当ぽいけど これが例の人をかつぐ癖でしたとかだったら 「ポーさんあんたねー」て小一時間くらい説教するわ ところでですね、 ご承知の通り、オーギュスト・デュパンが活躍する作品は三つあって、 「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「マリー・ロージェの謎」。 このうち二つはジュブナイル翻訳が多々あるでしょう。 ところがマリー・ロージェだけが読めない。 「どんな作品なんだろう?」と、ワクワクしていたものだ。 長じて翻訳を見つけて読んで面食らった。「え?え?え? 何これ?」 ……まあ、ポーの同時代人が読んだら面白いのかな。 >>328 あれは実際にあった未解決事件を小説の中で解決してるものでしょ? 三億円事件が何度も物語化されてるみたいに >>329 ええ、ですから現代の日本人が読んでもピンと来ない話です。 自分はポーの探偵ものだけはあまり面白くないと思ってる マリー・ロジェは失敗作だけども「モルグ街」で完成した原型をさらに洗練させるんじゃなくて 新たな領域に挑戦したポーを讃えようではありませんか 誰かに書簡で「マリー・ロジェについてはこれ以上語ってはいけないことだと思います」て言ってたんじゃないかな 流石にポーにも被害者の実在する事件についてあれやこれや言うことについて良心の呵責があったものらしいね 作品から放たれる雰囲気からすると ボードレールよりポーの方が圧倒的に近代的現代的なんだけど ポーの方がボードレールやマラルメに決定的影響を与えたってのが面白い アメリカで評価されない表現者をフランスが先んじて評価する。 この図式はヒッチコック(英国人だが、傑作映画は渡米してから)も同じだね。 俺はボードレールの方が近代的だと思うけどなあ 「群集の人」のような作品はポーでは稀だけどボードレールでは中心テーマだからね ボードレールよりポーの方が近代的な「狂気」に対する嗅覚が鋭敏な感じがする ボードレールにはロマン派の残り香があって意外と穏当 「メエルシュトレエムに呑まれて」はボードレール訳で読まされた 移民の群れによって形成された大都会がポー文学の母胎だね。 「群衆の人」がそう。 江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」は、その DNA を受け継いでる。 ボードレールを読むときも、「都会」は重要なキーワード ゴードンピムといえば、メルヴィルの白鯨への影響が取り沙汰されることもあるけど、実際はどうなんだろうか? ほぼ同時代だから、メルヴィルがゴードンピム読んでて影響受けててもなんら不思議ではないが。 ゴードンピムは破格の傑作 ポー唯一の長編でややジャンルは異なるもののディックの最も傑出した「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」に勝るとも劣らない出来 しかし一般的なポー読者にはゴードンピムはほとんど読まれてさえいないのが現状 >>344 ピムうんぬんより メルヴィルは自身の体験からしか小説を作品を書けず デビューから6作連続で船員ものを書いてる ピムの影響もなくはないと思うけど、少ないと思う ポーはピムやロドマンで原住民を悪魔的に書いてるけど 実際に彼らを目にしたメルヴィルは人食い人種のタイピーですら、とても美しく書いている 話の作りも ポーの無駄をそぎ落とした緊密な構成に比べて メルヴィルは長ければ長いほどいいという前提からか、当たり前のように水増しをして対極の作風だと思う ピムは後半の白い靄がすべてを覆い尽くすような今どこにいるのかわからなくなる幻想性いや幻視感も凄いが 最初からかなり続く、読んでるだけで息が苦しくなってくる閉塞感、密室感がまたたまらない >>346 ピムは、ポー唯一の長編だし、投げっぱなしに近い結末からみても、ポー作品の中では異質な感じがするけどな。 少なくとも、大鴉とか赤死病の仮面みたいに、結末を最初に決めてそこから逆算して書いたような話ではなくて、 (あるていどの目算はあったにせよ)わりと行きあたりばったりに書き初めてたら収拾がつかなくなったんじゃないかね。 ポー自身の創作理論すら無視して、物語が途中から暴走し始めたというか。 国枝史郎の神州纐纈城とかと同じ匂いを感じる。 それに比べると、白鯨は語りは過剰だけど、全体の構成としては破綻していない。 >>345 モダーンなSF好きをも唸らせる 時代遅れには映らんのかな >>330 ほら話系の一連の作品も現代人にはピンと来ないものがあるね キワモノと言って差し支えないんじゃないの 「フォン・ケンペレン」みたく最晩年まで執拗に書いてるのは読書受けが良かったのもあるだろうけど、まあ好きだったんだろうね。人を担ぐのが 谷川渥の『肉体の迷宮』を読んでいて知ったのだが ポーの「アルンハイムの地所」と「ランダーの別荘」は谷崎潤一郎の『金色の死』という問題作(のとある部分の描写)にかなり影響を与えたようだ その長い描写の引用部分を読んでこれはと納得した ちなみに乱歩は谷崎を意識し続けたらしい節があること、両者の作品がしばしば奇妙な類似を示す事実があることも指摘されている そして三島は谷崎を日本のユイスマンスと批判的な意味を込めて呼んでいたらしいね 芥川龍之介の谷崎評てのを見たことある 曰く「谷崎氏はポーやボードレールに私淑しているようだが谷崎氏には彼らのような地獄の底の救いの無さのようなものがない われわれはそこから厳粛な感激を浴びせられる。谷崎氏の作品にはこの苦悩の代わりにあまりに享楽的な余裕があった…」 みたいな感じで谷崎氏はむしろ氏の嫌いなテオフィル・ゴーチェを思い出させる、と言ってた 辛辣杉 丸谷才一訳のものは読んだけど そんなに面白いですか ポーの前では芥川も谷崎も一介の文学ファンに過ぎない。 Jポップの歌手が大物外タレのコンサートで大感激し、サインをもらって 欣喜雀躍するのと全く同じだw read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる