エドガー・アラン・ポー PART1
今年はポーの映画が2作も公開されたことだし立ててみました っていうかなんでこの人のスレがない? 19世紀の作家だけど今読んでもなかなか刺激的 後世に与えた影響も多大だしね 訳者富士川義之氏の解説。たぶんこれが頭にあった。 確かにそれぞれ違うけれども、みんな現実に立脚して現実を表現しようとするリアリズム文学とは真逆の立場にある幻視者たちだと思うよ 「世紀末耽美主義」でくくれるのかもしれないけどポーはずっと前の人だから先駆者だと だからポー的な人工楽園ていうのは庭園ではなくて ロデリック・アッシャーやデ・ゼッサントの住んでるような世界という意味で言いました 逆だろ わずかな出費でいろんな世界を脳内だけで体験できるんだから文学、小説は貧乏人向きなんだよ ちなみに自分は若い頃に 将来ルンペンになることがあったらランボーの『地獄の季節』を肌身離さず携えて生きて死んで行こう なんて思ってたりしたもんだ そんなに面白いですか 全集は持ってるけど拾い読みしてるくらいです ちなみに自分は若い頃に 将来ルンペンになることがあったらロートレアモンの『マルドロールの歌』を肌身離さず携えて生きて死んで行こう なんて思ってたりしたもんだ >>381 そう言われるとアレだけど名作の輝きは他の人の作品では到達できないところにあるのでは それを何回も読むんでいまさら読み返しはせず頭の中で物語を再現しては感興にひたるという感じかな そうですか 全集もありますので ポー週間 ポー月間を作ることにしましょう >>375 みたいなポー観って、やっぱり一般的なのかね。 俺からすると、ポーは骨の髄からの語り手(=騙り手)であり壮大なホラ吹き作家なんだよな。いやいい意味で。 富士川義之の端正な訳文は好きだけど、鐘楼の悪魔、不条理の天使、ミイラとの論争とかのクレイジーな笑話の書き手のポーは収まりが悪い。 あのユリイカですら、手の込んだネタのように見てしまう俺の読み方がやっぱり極端なんだろうな。 >>382 10代終わりから20代半ば頃までの俺のバイブルが『地獄の季節』、『マルドロールの歌』そして『内的体験』だった 「地獄の季節」はそういうロマン的な放浪を諦める話なんだよな 「俺は果たすべき義務のために土に帰る、百姓だ!」 しかし詩を棄てアフリカやアラビアに向かったランボーがロマン的詩情から解放されたかどうかは怪しいと思う >>385 際立って成功した作品がそんな感じだからね 振幅の大きな作家でそれだけに「のように見ればこの人物を説明できる」みたいな解説が多い それが解説の仕事かも知らんが 「雑誌編集者ポー」も「南部的ほら話の語り手ポー」も「万物照応の理論家ポー」もみんなだいたいあってるんだろうね 俺も若いころはデュカス君のマルドロールを 傍らに永山則夫の親父みたいに 死にたいと思ってたことがあったなw ポーって凄いよね ありとあらゆるジャンルの作家に影響をあたえるなんて >>375 ちょっと待った自閉症の使い方がおかしいぞ。 見たり見えたりする一切有は夢の夢にすぎませぬか(ポー、日夏耿之介訳) 大江健三郎『万延元年のフットボール』の章見出しになってるんだけど出典わかりますか? All that we see or seem Is but a dream within a dream A Dream within a Dream という詩みたいですね >>396 ありがとうございます。 ポーの最晩年に書かれたA Dream Within A Dreamで間違いないようです。 引用された一節は平安末期の歌人、式子内親王の 「見しことも見ぬ行く末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中」 と通じるところがありますよね。 ポーが生まれたのは1809年だから生誕200年なんてとっくに過ぎてるやん 創元推理文庫の帯見て思ったんだろうけど 生誕200年をとっくに過ぎたから 200年くらい前に生きてたことになるんですが 大丈夫ですか? 十返舎一九は1831年に亡くなっている。ポーは1849年 一九はよく文筆だけで生活することのできた最初の職業作家だと言われる ポーの頃のアメリカでも作家一本でやっていくのは難しかったようだね 雇われ編集者じゃなく自分の雑誌を経営するという夢は最後は固定観念みたくなっちゃってて痛ましい 南総里見八犬伝の曲亭馬琴が1848年没(ポーは1849年没)だから、こっちの方が近い。 >>404 >>400 =>>402 だと思ってるだろ ちがうんだよ >>400 書いた俺も驚いたよ いや>>398 に言ったんだけどな 最初からアンカー付けとけば良かったか 文脈で通じると思ったんだが まあ402は俺なんだけどね 新着3レスしか読まない俺が 全面的に悪かった すまん >>381 はたいして興味もなさそうなのになぜ全集を持っているのか どこかのブログで八木敏雄氏の評論が長文で引用されてて興味深かった よく知られたヘンリー・ジェイムズの「大人になってもポーが好きな人は幼稚」的なことについても考察されていた ポーないしポーの作品が「未成熟」な部分があることは一面の真実ではあるんだろうね ポーの作品に「未成熟」な部分があるかどうかは知らんが ポーが好きな人は子供のように柔軟な心を持っているとは思う それを幼稚と言うかどうかなんて知ったこっちゃない 「ポオに欠けているものは頭脳力ではなく、人間全体としての成熟をまってはじめてもたらされるところの知性の成熟であり、彼のさまざまな情緒の成長と調整なのである…」(T.S.エリオット) てのも八木氏の評論文に引用されてる 「ポオからヴァレリーへ」という題の評論のようです 引用の引用の引用で文脈もよくわかりませんが 「ポーに捧げる20の物語」てのを見かけました 生誕200年の企画ものらしい ポーを敬愛するアメリカの作家たちが何らかの形でポーに関係する作品を書き上げて持ち寄りました 「錚々たるメンバー」のようですがみんな知らない人でしたねー。エドガー賞受賞者なんか多いんでしょうか いまいち…読む気が出ない 八木敏雄訳の岩波文庫版は素晴らしい 訳文もだけど限られた紙数で定番の名作を控えて前半にバカ文学を三編採った 解説でもファースの意味を力説 岩波にはもうひとつあってそちらとのバランスで採ったんだろうな 「悪魔に首を賭けるな」は笑いと不気味なものの混淆で奇怪な味わい この種のものでは「タール博士とフェザー教授」が最良の作品だと思う >>417 それは誰もが子供の頃ポオが好きだったことの裏返しじゃないか 英米の人たちは、なぜフランス人の、それもその時代最高の文学的知性が この二流作家を激賞したのか、ってことに困惑してる感じだよね 流石に今は変わってきてるのかもだけど ジャンル的差別心じゃないかね どんなジャンルの小説を書こうが「その時代最高の文学的知性」とやらがなかなか掴み表現し難いものを易々と表現してしまう作家というものは時にいるものだ これは文学のみならず音楽でも美術でも同じことだろうよ アンドレ・ジッドがダシール・ハメットを激賞したって話もあったね ポーを崇拝してた当時最高のフランスの知性といえばボードレール、マラルメ、ヴァレリーか そうなると、ラヴクラフト辺りもフランスに信奉者がいるのかな? ラヴクラフトってどうなん? 20年くらい前にちょろっと読んだけどあまり記憶にない ポーもラヴクラフトも、大雑把にカテゴライズすれば アメリカン・ゴシックって印象があるんですよ。 (間違ってたらゴメンなさい)。 ポーやハメットは文体で評価されてる(この辺好きなタイプはヘミングウェイもほめる)。 シンプルな描写をするタイプだから形容詞重ねまくってくどくど言いまくるラヴクラフトとはちょっと毛色が違うと思う。 ラブクラフトはポーに影響受けてるみたいだけど、作風としては、ホジスンなんかの、語り手が異次元に呑み込まれて正気を失っていくスタイルに近い。 ポーの場合、どんなに異常な話を書いてても、常に冷静な観察者がそこにいるって感じがするんだよな。 だからポーの方が狂気から遠いかというとさにあらずで、意識のメタ構造を意識しながら物語を紡ぐポーの方がラブクラフトよりも深刻な作家といえるんじゃないか。 うん、でもポーとラヴクラフトじゃそもそも…(´д`) ウィリアム・ウィルソンって 主体が主体でなくなる、主体のはずの他者に存在を脅かされる、主体=他者の経験をテーマしたという意味では 後のランボーやバタイユ、ブランショとも通ずるところあるな そういやニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? ハリー・クラークの挿し絵について書き込んだんだが消えてる…私は苦笑いをするばかりだった 豪華本ということで気合いが入ったんだろうけどポー世界にどっぷりはまってるように見えるね 「メエルシュトレエム」はデザイン性も素晴らしく初めて見たとき陶然とした オディロン・ルドンの「仮面が(弔いの)鐘を鳴らす」てのがよく紹介されてんだけど ポーにこんな作品あったっけて思ったがこれは「エドガー・ポーに」というタイトルの絵で特定の作品を示したものではないんだろうかね バカは、字を読むと頭が痛くなるので中身が読めないから、表紙の絵がどうこう、とか挿絵がどうこう とか そういう話ばっかするんだよな >ニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? アホ発見! >>443 挿絵は大事だよお 創元全集のハリー・クラークの絵はめちゃくちゃ合ってる あれはカレーに福神漬けみたいにお互いが補完し合ってる 白鯨やディケンズも絵があるとなしでは全然ちがう バカは、字を読むと頭が痛くなるので中身が読めないから、表紙の絵がどうこう、とか挿絵がどうこう とか そういう話ばっかするんだよな 岩波文庫から西条八十の訳詩集「白孔雀」てのが出てて、 そこにポー作品がひとつだけ、「大鴉」が採られてる …優雅な文語で悪くないんだけど、ちょっとかったるいとこもある。推進力がいまいちかな 散文訳は走るだけでまったく味がないし難しいな ポーの全集を全部読み終えたぞ 血行幅の広い作家だ推理小説のほうが小数だ 冒険ものが主流といってもいいくらいな作風だ ポーの作品は数も多くない 短編も短い だから完読するには一番作家ではないかと思う その勢いでマキャモンの「アッシャー家の弔鐘」を読みなされ。 アッシャー家は実在した、という設定で書かれたホラー。 冒頭にポーも登場する。 ちんば蛙は晩年の名作ですねー 女の子の描き方が可愛くて良かったと記憶しています。ポーには珍しい感覚 カタルシスが痛快っす ポーを読むということは、あの密度の高い文章に身をゆだねることである。 >>455 俺と似てるなw 「陥穽と振子」 「早すぎた埋葬」 「エレオノーラ」 が好き >>438 >ニーチェとポーってほぼ同時代人なんだっけか? アホ発見! >>438 ってアホが屁理屈捏ねまわす典型だな!アホ発見! モルグ街の殺人 ナンタケット ウィリアム・ウィルソン 国際】キャプテン・キッドの財宝発見か 沈没船から銀50キロ-マダガスカル©2ch.net 1 :シャチ ★ 転載ダメ©2ch.net:2015/06/04(木) 11:31:37.25 ID:???*朝日新聞デジタル 6月4日(木)11時18分配信 伝説の海賊の財宝発見か――? アフリカ東部の島国マダガスカルで5月、「キャプテン・キッド」と呼ばれた 17世紀の海賊ウィリアム・キッドのものとみられる沈没船から、銀の延べ棒50キロが見つかった。英BBCなどが報じた。 キッドはスコットランド生まれ。英政府に海賊退治を命じられた後、自らが海賊となった。1701年にロンドンで処刑された後、 彼が隠したとされる財宝の行方は人々の関心を集め続け、エドガー・アラン・ポーの冒険小説「黄金虫」などの主題となった。 キッドのものかどうかは更なる調査が必要だが、発見した米国の探検家バリー・クリフォード氏は 「まだ、たくさんの財宝が沈んでいる」と話した 読書する気持ちの余裕がなったのに猫すきで黒猫タイトルに惹かれて手にしてぐいぐい引き込まれた ポオ作初めて読んだ流石 今更ながらはまりそうで楽しみ ハリー・クラークの挿絵が素晴らしすぎる あれないとダメだろ、白鯨みたいに エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日) >>230 なんか見ると、ポーはやっぱりアメリカ人ではなくて欧州人なんだよなあ >>470 イギリス出身の両親とは、あまり生活出来なかったみたいだから、影響は少ないとしても、初等科教育が向こうってのは、やはり大きいのかなと思った。 なんとなくわかってきた ポー世界の創造法はウォルト・ディズニーのそれと酷似している 想像から膨らませた想像、大人のための夢の国だ 児童書になっていたモルグ街を最初に、黒猫、黄金虫、鴉を読んでた時は、自分もそう思っていた。 自分の好きな作家ラヴクラフト、ブラットベリが、ポーに影響を受けたとみかけていたので、創元全集読んでみた。 ゴシックロマンス的なイメージは無くなった。むしろ、その分野も書けるって感じに思えた。作品によって出来不出来あるが、あんなにたくさんのジャンルを書く人を私は知らない。 あ、あとコナン・ドイルの私的ランクがかなり落ちた (´・ω・`) 創元のポー全集は翻訳者がバラバラではなかったか 出版社ごとに統一してくれたらと思うが、何故か創元以外はモルグ・黄金虫などのメジャーどころしか出ていない 新潮の2冊も、これは訳は巧いが、オマケ短編がいくつかある程度でもったいない感あり read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる