ヴァージニア・ウルフ
>>265 構築性の観点から見るとベートーヴェンに比べると弱点があるように評価されてきたのを思い出したのよ 個人的に似たような魅力があると思うのは表現が自然に感じられること、色褪せないみずみずしさ、等です でもあまりに個人的な感想過ぎたw >>266 なるほどな、そういわれると分かるわ シューベルトは冗長っていわれるもんな 好きな人が言うには、よさもそこらしいけど 俺こないだ辻原登の冬の旅、読んで、冬の旅のイメージ強いから とにかく暗いイメージがシューベルトについてしまって >>267 わかってくれてありがとw 即興曲op.90−3のイメージでよろしくです >>268 今聞いてみたけど 灯台へは確かにイメージぴったりかも そういえばプルーストのスレでもシューベルトとの類似性で話題になったことがあったなぁ 『灯台へ』と『ダロウェイ夫人』の次に『オーランド』読んだら全然別の作風でびっくりした 遊び心たっぷりのゴシック・ロマンスという感じ。面白かったけど 映画化されてるんで見たいところだが簡単には見ることが出来ない感じ 音楽は自分の好きなフィリップ・グラス >262 女流小説のベスト10(so far)はたぶんこんな感じ。 嵐が丘 エマ モッキングバードとともに(To Kill a Mockingbird) 灯台へ ノーサンガー・アビー わが心のアントニア(My Antonia) 若草物語 ワイド・サルガッソー・シー ジェーン・エア コールド・コンフォート・ファーム 以上はすべて英語で読みました。 上位三作は生涯ベスト10にも入りそうだ。 ちなみに、ガスキェルは読んだことがない。 エリオットはサイラス・マーナーだけ。 ダロウェイ夫人はまったくつまらなかった。 波とオーランドは待機中です。 いつか。 ウルフもシューベルトも大好きだが、恣意的に結び付けて語るのにどういう意味がある? >>276 「高慢と偏見」「フランケンシュタイン」「ビラヴド」「青い麦」なんかもいいと思います オースティンの長編はみんな読んだ。 シェリーもモリスンも読みました。 コレットは代表作のシェリのみ翻訳で。 ぼちぼち面白かった。 ミシェル・ファイファー主演でわりと最近映画化されたみたいだが・・ 彼女ももうそんな歳か。 The 25 Most Powerful Women of the Past Century http://content.time.com/time/specials/packages/completelist/0,29569,2029774,00.html Jane Addams (1860-1935) Corazon Aquino (1933-2009) Rachel Carson (1907-1964) Coco Chanel (1883-1971) Julia Child (1912-2004) Hillary Clinton (1947-Present) Marie Curie (1867-1934) Aretha Franklin (1942-Present) Indira Gandhi (1917-1984) Estée Lauder (1908-2004) Madonna (1958-Present) Margaret Mead (1901-1978) Golda Meir (1898-1978) Angela Merkel (1954-Present) Sandra Day O'Connor (1930-Present) Rosa Parks (1913-2005) Jiang Qing (1914-1991) Eleanor Roosevelt (1884-1962) Margaret Sanger (1879-1966) Gloria Steinem (1934-Present) Martha Stewart (1941-Present) Mother Teresa (1910-1997) Margaret Thatcher (1925-Present) Oprah Winfrey (1954-Present) Virginia Woolf (1882-1941) 『波』を読んでみようと思ってるんですが、鈴木幸夫訳と川本静子訳のどちらが良いでしょうか…? 2ちゃんねるというのはスレッドがなくなってしまうことがあるんだな ふむ、では『ダロウェイ夫人』でも読むか まずは蝶番ね そう、サイコロを振り直すのだ ただし、この世では絶対にありえないのだけれども・・・ 恋:他人がその人に無関心でいられることが不思議でしょうがない セプティマスの手紙はたしかに馬鹿馬鹿しいのだが それを笑うことのできる人はほとんどいないであろう おそらく人の営みそのものも捧げもののための捧げものなのだ なぜなら彼女がそこにいるからなんだな ってことで『ダロウェイ夫人』は終了 ダロウェイ夫人が代表作だろうな オーランド ライトハウスもよさそうだけどな オーランドとライトハウスは原書を持っている そのうち読もうと思っている 一等レズビアニズムを感じさせる作品は 何でしょうか知らん? 2014-02-05 ■[読書]イギリス文学が好きだったらしい http://d.hatena.ne.jp/keiseiryoku/20140205/ バージニア・ウルフの『灯台へ』は僕が知っている小説の中でも五指に含まれる名作だ。 至高の小説の一つといっても過言ではないどころか、まさにその通りであるとしかいいようがない。 大学生の頃に岩波文庫から出ていた御輿哲也訳で読み、以来、心酔している。 それだけに新訳として登場した『世界文学全集 2-01』に収録されている『灯台へ』が残念でならない。 はっきりいって訳がダメダメで、お話にならない。普段、訳については甘めに採点する僕が全力で否定するのだから、これはよっぽどのことだ。 灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1) 単行本 - 2009/1/17 ヴァージニア・ウルフ (著), ジーン・リース (著), 鴻巣 友季子 (翻訳), 小沢 瑞穂 (翻訳) 新訳で読めるのを楽しみにしていただけに落胆が激しい。だが、だからといってハードルを高く設定していたつもりはない。 ちょっとやそっと悪いくらいなら新訳で読める喜びが勝ったはずだ。ところが実際にはどうか。 初回の読書から当惑させられ、五十頁も進まないうちに我慢ができなくなった。 これはちょっと駄目かもしれないと覚悟して初めから読み返していくと一ページごとに粗が見つかるようになった。 そもそも日本語になっていない。文意が通ってないのだから読めるはずもない。 この新訳の担当者は他作品の翻訳でも同様の仕事をしている。いわば前科持ちだ。 History Lovers Club Virginia Woolf 1935 by Man Ray http://pbs.twimg.com/media/ChrmwZZVAAA7zc4.jpg 2016年5月5日 http://sixx6sixx.blog35.fc2.com/blog-entry-169.html Gleb Kolyadin (Piano)とMarjana Semkina (Vo)によるロシアのチェンバーデュオ、前作『Belighted』から2年ぶりの3rd。 「意識の流れ」で有名なVirginia Woolf、そして 「Sylvia Plath Effect」の元ネタとして有名なSylvia Plathは 創作活動のかたわら鬱病と精神疾患に悩まされ いずれも自殺というかたちで人生に終止符を打った二人。 今回のアルバムタイトル『Lighthouse』は Virginia Woolfの著作『To the Lighthouse(邦題「灯台にて」)』を モチーフにしていることが推測され、 また収録曲の歌詞も生きることに対する孤独・疑問・痛みが ストレートに描かれた悲痛なものとなっており Virginia、Sylviaのような精神疾患を患った人間の思いが反映されている。 アルバム序盤と終盤に配置されたI Came Before the Waterにある And so, walking into water, I accept my final defeat との歌詞は、入水自殺をしたVirgnia Woolfの最期を想起させ、 即ちこのアルバムは「死」で始まり「死」で終わるという 非常に重いコンセプトとなっていますが、 これが単なる冷たい客観的描写ではなく「寄り添い」であることは ブックレットにも書かれている以下メッセージから分かります。 This album is dedicated to the subject of mental illness and we'd like to pass on the message to all the lost souls out there: you are not alone, ever. Iamthemorning - Chalk & Coal (lyrics video) (from Lighthouse) https://www.youtube.com/watch?v=GsNDyoGE-2w 2016年05月11日 Between the Acts / Virginia Woolf http://blog.livedoor.jp/mdioibm/archives/9250663.html 「そして幕が上がる。彼らは話す。」 こんな本、あります No.29 『ヴァージニア・ウルフ短篇集』 キュー植物園は、イギリスのロンドン南西部キュー地区に位置する18世紀に創設された250年以上の歴史がある王立植物園です。 京都文化博物館では、6月26日まで、 特別展覧会「世界遺産 キュー王立植物園所蔵 イングリッシュ・ガーデン −英国に集う花々−」が開催されています。 今回は、当館所蔵の『ヴァージニア・ウルフ短篇集』に収録されている「キュー植物園」をご案内します。 7月のキュー植物園を行き交う4組の人間。その傍らを妖しくつたう一匹の蝸牛。咲き乱れる新奇な花々と生い茂る緑の生命力。 モネの絵を思わせるウルフのあわい文体が読む者を魅惑的な世界に導きます。 展覧会と合わせて、初夏の昼下がりの読書にいかがでしょうか。 図書:『ヴァージニア・ウルフ短篇集』 ヴァージニア・ウルフ/著 他 筑摩書房 1999.10 (請求記号:S 933.7/W87 資料コード:1110287974) 関連資料 ★『イングリッシュ・ガーデン キュー王立植物園所蔵 英国に集う花々』スチュアート・デュラント/著 求龍堂 2014.5 (請求記号:723/D98/ 資料コード:1110375357 ) ★『キューガーデンの植物誌』 キャシィ・ウイリス/著 原書房 (請求記号:472/W74/ 資料コード:1110439369) イベント情報 京都文化博物館 特別展覧会 「世界遺産 キュー王立植物園所蔵 イングリッシュ・ガーデン −英国に集う花々−」 会期2016(平成28)年4月29日(金)〜6月26日(日) 会期中、合わせて京都府立植物園四季彩の丘にイングリッシュ・ガーデンが再現されます。 イギリスの花だけが好きな人以外には何か違うだろうと思う>306 ガーデンに入る前から続く情緒の変化、規模、背景、社交のに対する感覚、、、 だいいちなによりも関西は蒸し暑すぎる Who's afraid of Virginia Woolf? 1962、by E.Albee 灯台へで出てくるウォルタースコットが永遠だと信じてるおっさん あんな人実際よく見るし僕もそうなのかもしれない 3月28日、「正午頃、ウーズ川まで半マイル歩き、毛皮のコートのポケットに大きな石を詰め込み、水中に身を投げた。 彼女は泳げたが、強いておぼれるよう務めた。恐ろしい死であったに違いない」 59歳だった。 レナードにヴァージニアが宛てた最後の手紙は悲痛だが、ヴァージニアの人となりをよく表していると思うので、引用しておく。 火曜日 最愛の人へ。私は狂っていくのをはっきりと感じます。またあの大変な日々を乗り切れるとは思いません。今度は治らないでしょう。 声が聞こえ始めたし、集中できない。だから最良と思えることをするのです。 あなたは最高の幸せを与えてくれました。いつでも、私にとって誰にもかえがたい人でした。 二人の人間がこれほど幸せに過ごせたことはないと思います。このひどい病に襲われるまでは。 私はこれ以上戦えません。私はあなたの人生を台無しにしてしまう。私がいなければあなたは仕事ができる。きっとそうしてくれると思う。 ほら、これをちゃんと書くこともできなくなってきた。読むこともできない。私が言いたいのは、人生の全ての幸せはあなたのおかげだったということ。 あなたはほんとに根気よく接してくれたし、信じられないほど良くしてくれた。それだけは言いたい。みんなもわかっているはずよ。 誰かがわたしを救ってくれたのだとしたら、それはあなただった。何もかも薄れてゆくけど、善良なあなたのことは忘れません。 あなたの人生をこれ以上邪魔しつづけることはできないから。 私たちほど幸せな二人はいなかった。 http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/04/211114 気分低下中は避けたほうがよさそうなのでしばらくパス けれども、ものごとは次々とつづき、 次第に無からなにかが形づくられる、 そんなふうにして人はついにこの静穏さ、 この確かさに至るのだ 『船出』 リリーは勇気を振りしぼって「でもわたしにはこう見える、こう見えるのよ」と叫ぼうとする。 だが目には見えない無数の力が押し寄せてきて彼女のヴィジョンを奪い去り、もぎ取ろうとするので、 彼女にできるのは、せめてそのヴィジョンの無惨な残骸を胸に抱きしめることだけだった。 たとえばフラミンゴ色の雲が漂い、青や銀に鮮やかに染まる美しい夕日を見ても、 その奥に潜む白い樅材の四本脚のテーブルしか見ようとしない生活を続けているのなら(そしてそれは優れた知性のみがなしうることだろう)、 そういう人を普通の基準で判断したり評価したりすることなど、到底できそうには思えなかった。 それに「好きだ」「嫌いだ」っていうのは、結局どういう意味なのか? 梨の木のそばに釘付けにされて立ち尽くしていると、二人の男性のさまざまな印象が降り掛かってきて、 目まぐるしくかわる自分の思いを追いかけることが、速すぎる話を鉛筆で書き留めようとするのにも似た、無理な行為に思われてくる。 しかもその「話し声」は紛れもない自分自身の声で、 それが否定しがたく、長く尾を引くような、矛盾に満ちたことを次々と言い募るのを聞いていると、 梨の木の皮の偶然の裂け目やこぶでさえ、どこか永遠不変の確乎としたもののように感じられた。 わたしは、あらゆる小説というものは、向かい側の席にすわった老婦人から始まると信じている。 言いかえれば、あらゆる小説は人間を描くものであり、 この小説という形態――このきわめて不器用な、冗長な、劇的ならざる、だがそれでいて、きわめて豊かで、融通性のある、いきいきした形態―― が開発されたのは、人間を表現するためであって、けっして教条を説くためでもなければ、唄を歌うためでも、 あるいは大英帝国の栄光をたたえるためでもない、ということである。 (中略)偉大な小説家は、つねになんらかの人物を通して、彼らの見てほしいと思うものをわたしたちに見せてきた。 そうでなければ、彼らは小説家ではなく、詩人、歴史家、またはパンフレット書きになってしまうだろう。 (『ベネット氏とブラウン夫人』) 凄く古臭いタイブの人がヒステリー症を拗らせた感じがある 「ホテル 放射能」 を建設しようかと、考え始めています。 また、私たちの愚かな「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、ギャーギャー騒ぐでしょう。 本当に、この愚か者たちは、自分の脳に張り付いた放射能恐怖症で、救いようのない者たちだと、思います。 10年後に死ぬ、おそらくそのうちの多くは、子供たちだと、この馬鹿たちは、信じ込んでいる。 私は、呆(あき)れかえる。福島では、誰も死なない。発病して死ぬ者はひとりもいない。そのように断言します。 私の同志は、山下俊一(やましたしゅんいち)長崎大学教授 (現在は、福島県立医大副学長も兼任している) である。 山下教授らに、バッシングの嵐を浴びせた者たちは、ずるい逃げ方をするな。「私は、そんなことは言わなかったよ」と言うな。 福島で放射能にせいで癌になる(放射能による癌は甲状腺がんだけである)人はひとりも出ない、という専門医学者の高田純の表明を私は尊重する。 専門家でもなく、放射能の人体への影響について、素人と同じくせに、偉そうに発言する者たちを、私たちは、厳しく排撃しなければならない。[1792] どっちが福島の人間たちに対して、犯罪的か。「福島に近寄ってはいけない」と、実名で書いた者たちを、私たちは、記憶していなければいけない。 私、副島隆彦が今も不愉快なのは、学問道場の会員を止(や)めた人が、1000人ぐらい出たことだ。[1879] 「今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。]会員に求められる資質はこれである。 道場を退会した者たちは、まず自らの信念とは何かについて真剣に考えなければならない。[1880] 山下(俊一)先生が『汚染されたものを食べても大丈夫』とテレビで発表した後、 チェルノブイリで活動していたグループが山下先生に電話をしたら『立場上仕方がなかった』と答えた。 「山下(俊一)先生は ベラルーシの状況を全部知っています。そしてその情報を全部秘密にしているんです。 だから秘密保全法なんです」――。 https://twitter.com/neko_aii/status/735476420361605120 ブルームズベリー・グループ The Bloomsbury Group 20世紀の初頭に、ロンドン中心部の地区ブルームズベリーに集まった知識人や芸術家の私的なサークルのこと。 主要なメンバーに、小説家のヴァージニア・ウルフ、美術批評家のクライヴ・ベル、ロジャー・フライ、 美術家のヴァネッサ・ベル、ダンカン・グラントらがいる。 統一的な理念や信条をもった強固な連帯によって繋ぎとめられていた組織ではなかったが、 同性愛を含めた複雑な人間関係やモダニズムを反映したグループ内の思想に、次第に学究的な関心が集まった。 ヴァネッサ・ベルが開始し、美術家仲間とともにレクチャーや展覧会などが開催された「フライデー・クラブ」はその主要な活動形態のひとつであり、 ポスト印象派以降のモダン・アートの導入と積極的な評価が進められた。 美術批評の文脈では、クライヴ・ベルとロジャー・フライのテクストがフォーマリズム批評の源泉をなすものとして再評価されている。 たとえば「すべての視覚芸術作品に共通する唯一の性質」として 「意味のあるフォーム(significant form)」という概念を展開させた『芸術』(1914)におけるベルの認識はその一例を示していた。 ダーク・ボガード(Sir Derek Jules Gaspard Ulric Niven van den Bogaerde ,Dirk Bogarde, 1921年3月28日 - 1999年5月8日) レターズ―ミセスXとの友情 ダーク ボガード (著), 乾 侑美子 (翻訳) 出版社: 弓立社 (1990/09) くたびれたカーディガンを着、くたっとした麦藁帽をかぶっていて、ぼくらはみな、あの人は魔女だと思った。 彼女が投身自殺したとき、カーディガンのポケットに石を詰めて重石にし、川に沈んだという。 僕は奇妙に心打たれました。二つのポケットいっぱいの石…何という哀しい絶望でしょう」 『壁についたシミ』、10ページ程読み進めたんだけど、何コレ訳分からんw もう何が言いたいんだか、そもそも題名からして???だし、・・・ いやー手強いわ。只今苦心しながら訳読中w みなさん一番好きな作品はなに? 灯台へを読んだんだけど次なに読むか迷う 小説「ダロウェイ夫人」「オーランドー」などで知られる、20世紀イギリス文学を代表する作家ヴァージニア・ウルフと、 恋仲であったと言われている詩人で作家のヴィタ・サックヴィル=ウェストとの同性愛的関係が映画化されることになったとDeadlineが報じた。 タイトルは、『ヴィタ・アンド・ヴァージニア(原題) / Vita and Virginia』。 ヴァージニアとヴィタは長年の親友であり、一時は性的な関係を持った恋人同士でもあった。 「オーランドー」は二人の関係を基に描かれた半自叙伝的な小説と言われている。 脚本は、女優で脚本家のアイリーン・アトキンスが手掛け、 初長編監督作品『バーン・バーン・バーン(原題) / Burn Burn Burn』が昨年のロンドン映画祭で上映された イギリスの新人監督チャーニャ・バトンがメガホンを取る。(鯨岡孝子) ほう・・・>327 しかし文章みると、なんだか酷く病んでいるのがわかるね 「灯台へ」岩波文庫 ある人の意識と別の人の意識とがごちゃまぜになっている 分ける、分かつということができない ネイティヴでも読みにくいという文章の読みづらさは原因の大半がこれ 手法としての意識の流れとはあまり関係ない 「オーランドー」は評価が高すぎるように思う 伝記物としてはマシ程度 灯台へ一作で止めるのが吉かな>326 これが好きならダロウェイ夫人も読めるだろうがはっきり言って灯台へと同じ様なもん 他は作品としての形をなしていない構想メモに近い 感受性も表現力もあるのに、一話をじっくりと練ることが苦手な人 こんな風にdisりながら短編集を少しずつ読んでいるのだ 灯台へがよかったので、原著ペーパーバックを注文した(波も読める) 翻訳の善し悪しと関係なく、なんとなくウルフは原文の方がが味わえる気がする 短編集 半分以上読んでもどれ一つとして何が言いたいのかわからない 波が届いたので >8にあるような「会話」が執拗に延々と繰り返される 気ちがい病院に隔離された患者が各々勝手に喋っているようなもので、 この時点でもう回復不可能なまでにいっちゃってたんだろうな〜と 美人だという触れ込みをみかけるけれど、貧相過ぎるので???という感じ 活発な時でも常に病的ななにかは発散していたであろうと思う とdisりながら、ともかくざっと最後まで目を通す 要するに、会話のひとかたまりひとかたまりが寄せては返し、また寄せる波なのだ 言葉で描かれた波 次はダロウェイ夫人にしようか短編集ふたたびにしようか・・・ それとも原著灯台へにしようか・・・ Yearsをみつけたけど、読みたいのはBetween the ActsとVoyages Outなんだよなあ kemofure これはヴァージニア・ウルフの言葉をミック・ジャクソンが更に引用した言葉なんですが、 「フィクションを書くにはお金と部屋がなくてはならない」これはウルフの言葉です。 そしてジャクソンはこう述べているんですね 「労働者階級であるほど、執筆という不合理なことは困難になる」本当にこれを感じます 2017年1月29日 saebou @Cristoforou 2月17日 内容は良かったんだけど、けっこう「文学」の論文集でこのタイトルと序論はちょっと強引な気がしたのと、 校正ミス?がちょっとあったと思う。/日本ヴァージニア・ウルフ協会『終わらないフェミニズム −−「働く」女たちの言葉と欲望』 河野真太郎批判か。序論は確かにひどかった。 船出(上) (岩波文庫) ヴァージニア・ウルフ (著), 川西 進 (翻訳) 出版社: 岩波書店 (2017/1/18) 船出(下) (岩波文庫) ヴァージニア・ウルフ (著), 川西 進 (翻訳) 出版社: 岩波書店 (2017/3/17) 夜のロンドンを出港する一隻の貨物船。世間知らずの若い娘レイチェルが、船主の父親と共に南米に向け旅に出た。 乗り合わせたのは、さばけた性格の叔母とその夫、そして一癖も二癖もある人たち。長い航海に何が起こるのか。 自分の生き方を考え始めた女性の内面を細やかに描く、ウルフ(1882‐1941)のデビュー作。本邦初訳。 三ギニー: 戦争を阻止するために (平凡社ライブラリー) ヴァージニア ウルフ (著), Virginia Woolf (原著), 片山 亜紀 (翻訳) 出版社: 平凡社 (2017/10/12) 2017年9月〜10月にKAAT神奈川芸術劇場、新国立劇場中劇場にてKAAT×パルコ プロデュース公演「オーランドー」を上演します。 日本初演となる本作は、20世紀モダニズム文学の重鎮で最も有名な女流作家のひとりであるヴァージニア・ウルフの代表作を、 1974年生まれのアメリカの劇作家サラ・ルールが翻案。 サリー・ポッター監督の映画「オルランド」(1992年)でも知られる人物オーランドーを、現代的に生き生きと甦らせます。 奇想天外なストーリーながらも、数奇な運命をたどるオーランドーの人生をなぞり、 “真の運命の相手には時代も国も性別も関係なく巡り合えるはず!” というヴァージニア・ウルフの強いメッセージが感じられる本作を演出するのは、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督・白井晃。 これまでKAATプロデュース公演で「ペール・ギュント」「夢の劇―ドリーム・プレイ―」「マハゴニー市の興亡」など 上質でアカデミックな印象の作品を演出。そして2017年秋、芸術監督シリーズ企画の最新作として選んだのが「オーランドー」です。 わずか6名の俳優で、これまでとはひと味異なった新たな表現に挑戦します。 出演は、あらゆる女性を虜にする美貌の青年貴族・オーランドー役に多部未華子。性と時を超える魅惑の人物に挑戦します。 オーランドーを寵愛するエリザベス女王には小日向文世。 さらに、TEAM NACSの戸次重幸や、池田鉄洋、野間口徹らが、年代や性別の異なる複数の人物を演じわけます。 さらに、20歳の新進女優、小芝風花がミステリアスなロシアの姫君サーシャに挑戦します。 http://pbs.twimg.com/media/DNMp_PCUMAAaxoI.jpg ヴァージニア ウルフ 生誕 136 周年 キタ――(゚∀゚)――!! ソースはGoogleトップ グーグルトップ見てこれウルフじゃないの? とググったらウルフだった 読み返すかな 〜蓮實重彦が偏愛する本 24冊〜 阿部和重『シンセミア』 ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』 大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』 河野多惠子『みいら採り猟奇譚』 後藤明生『挟み撃ち』 ルイ=フィルディナン・セリーヌ『北』 クロード・シモン『フランドルへの道』 ジャック・デリダ『有限責任会社』 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 中上健次『熊野集』 中上健次『千年の愉楽』 中原昌也『ニートピア2010』 ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』 ロラン・バルト『ミシュレ』 ミシェル・フーコー『言葉と物』 藤枝静男『田紳有楽・空気頭』 藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』 古井由吉『白暗淵』 松浦寿樹・古井由吉『色と空のあわいで』 松浦理恵子『犬身』 村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』 ジャン=ピエール・リシャール『マラルメの想像的宇宙』 山田宏一『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』 山田宏一『トリュフォー、ある映画的人生』 某国立大の英文科在籍 ウルフの『灯台へ』を卒論にするつもりですが、どなたか詳しい方がいたら情報ください わが妹、ヴァージニア: 芸術に生きた姉妹 Susan Sellers (原著), スーザン セラーズ (著), 窪田 憲子 (翻訳) 出版社: 彩流社 (2018/1/5) 画家ヴァネッサ・ベルと作家ヴァージニア・ウルフ。それぞれの芸術を追い求め、 ブルームズベリ・グループのメンバーとしてイギリス・モダニズムを牽引した姉妹の愛と葛藤の日々。 >>354 さっき読み終わった ラストのパートだけ個人的にどうかと思わないでもないが、 (自分が読んできた意識の流れ系の小説ってどうも着地点を 作りたくないけれど作るしかなかったというようなものが多い) そこに行くまでに何度も個人的な記憶を刺激されてぐっときた 『燈台へ』はずいぶん前に読んだけど、それよりも好きかも 若いときには内容面で読んでられなかったかもしれない ヴァージニアウルフ読みたいけど本屋で手に入るのがかなり限られてる。 平凡社ライブラリーはだいぶ有能 自分ひとりの部屋 三ギニー をほぼ文庫サイズで新訳で読めるいまの日本人は、すげえ恵まれてるよ 平凡社ライブラリーやフェミ系の文庫は必ずしも図書館には置いてないでしょまだまだ 平凡社ライブラリーなら、幕間とレズビアン短編小説集も近年リリースされてるぞ read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる