阿部和重は人気者だね。Part15
>スレの平常運転のため、◆1SAVsF.d9. をNGにしてください。
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ 低能な荒らしw いいねえいいねえ、盛り上がりそうだねえw このステマスレは「立ててやったんだからオレのも立ててくれ」と同じ穴の狢の中原が立てたものだ。
鼻をならして餌を漁る意地汚さを見せるな、死ねよ、ブタっ! 川上さんが好きで、結婚が縁で阿部さんにも興味が湧き数冊読みました。
新刊はまだ読んでいないけれど、『ピストルズ』『シンセミア』『アメリカの夜』と読んで、
ピストルズが好みでした。 ┏┓
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ で、どうなんですか、最近の日本現代文学は? 阿部が孤高な感じなの? 最近では、「abさんご」がかなり革命的だったらしいですね
まだ未読ですが ステマステマってさあ、
語ることってそもそもステマじゃないの? 違うの? 語ること=騙ること、
とかって言えないの?
てか芸術ってそもそもステマじゃん。ある意味で。もしくはステマになっちゃんじゃん。 >>143 ああ、「abさんご」があったね。受賞作だけ立ち読みした。
どうなんだろうね。実験的とかって言われてたみたいだけど…。
なんか美術の香りがするんだよなー。音楽ってよりもsound artな感じ
っていうか。 ┏┓
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ >>16
馬鹿は明らかにお前だよ 口のまわりが餡子だらけだよ。
餡子って読めるか?w >>15
たしかに。
論理や文脈でものを構築的に考えるというより、
美術的な感性で字面の全体をバランス整える事に重点を置いていて、
とても女性的な感覚の持ち主なんじゃないかと、
ぱらぱら見た感じではそんな印象でした。 ┏┓
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ >>18
>美術的な感性で字面の全体をバランス整える事に重点を置いていて
ああ、そうね。なんか読まれてどうかってことよりも、見られてどうかってこと
が先に来ているような印象を与えられる。作者は読まれるものとして書いているんだろう…けどね。
ただ、見られてどうっていうと現代詩とか思いつくけど、それともまた違うところが、
面白味なのかもしれない…が。ああいう風に書かなければならなかった必然性って
なんだったんだろうね? インタビューとか読んだけど、まったく印象に残っていない。 ただ、「読む」ってことは「見る」ってことを含んでいるわけであるからして、
見られることと読まれることの関係についてどうよ?みたいな話にはなるかも、しれない。
それを詩の文脈じゃなくて、小説の文脈で置くと?って感じ。
横書きっていえば、阿部ちゃんだって横書きやってたよね?
そういう意味では美術的であるって印象を肯定的にとらえられるかもしれないなあとは思う。 >>20
へえ、たしかにあの人称だけでつづられる、名詞を完全に除去した世界観って言うのは、
それ自体が詩的な気もするかな。
ああいうスタイルは日本では初めてなのかも知れないけど、フランスではブランショがすでに、
「顔の無い作家」として、名詞を使わないスタイルを確立していますよね。
つまり…名付けられる事で、個としての社会性やアイデンティティを持つはずだった登場人物を、
まっさらな状態で見つめ直す事で、それぞれの個性より、互いの絡み合いを強調する事が出来るし、
それによって物語性もくっきり浮かび上がらせる事が出来るのではないかと思います。 >>22 ブランショのそれは読んでないです。図書館で探してみます。
ヌーヴォー・ロマンの話になるとまた長くなりそうで面白そうですね。
あれってなんだったのかって話。でも、abさんごを安直にヌーヴォー・ロマン
に置くと間違えますね。だってヌーヴォー・ロマンってもう何十年も
前の外国の話だしね、メインは。現代の日本における意味を考えなくてはならない、
われわれは。
名付けないことにより、物語を効果的に進めるという極端な方法があって、その
一方で、阿部和重の「□」みたいな「烏谷青磁」とか「水垣鉄四」とかっていう
ある意味、「極端に」名付けられた登場人物が物語を進める小説もあるわけじゃないですか。
そういう文脈で、「abさんご」的なアプローチと、阿部のアプローチの対比って
いうところで、何か語れるというか、考えさせられることありますねって
思います。 >>24
そうですね、ブランショのいた時代は激動の時代でした。
60年代で、色々な政治運動の巻き起こってるさなかです。今とは活気がまったく違いますね。
…阿部ちゃんのその作品の様に、徹底的に個を強調させた、キャラが立っている登場人物が、
半ばオートマチズムのように、筆者に話を進めさせるってことも、確かにあると思います。
キャラが一人歩きするってのですよね。
こっちの方が、名詞の無い小説よりも商品化しやすいので、商業的に成功しやすいですね。
ブランショの小説は玄人受けこそするものの、一部で密かに愛されるだけで、表には出て来ません。
そういう背景がある中で、「abさんご」は何をどうシフトしてあれだけヒットしたのか、不思議です。 ┏┓
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ えびねが阿部スレを回すという珍しい光景
読んでたのか >>25
ヌーヴォー・ロマンについては一度きちんと整理しとかなきゃなって
思っています。映画との関係も含めて。
翻訳の問題もありますね。日本語にすると漢字の問題があるから。表音言語を
表意言語を翻訳すると…どうよ?みたいな話は実験的な小説だとありますよね。
たとえばabさんごを英語やフランス語に訳すとどうなるのか? 翻訳者はどう訳すのか?
日本語の力というか、表意言語のあり方はどうよ?っていうのは阿部の問題意識
に古くからあるような気がしますね。彼のオートマチズムの源泉って。
abさんごが売れたのは…おばあさんだったからじゃないですか?(笑)
見つけてくれてありがとうとか、そういう話って、好きじゃないですか、
みんな。違うのかな。 >>28
面白い話をありがとうございます。そろそろタイムアップなので就寝させて頂きますね。
またつづきをお話できたら嬉しいです^^
では…。おやすみなさい。 >>29 いえいえ、こちらこそ。また来ます。僕も寝ます。ノシ ┏┓
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┗━┛┗┛┗┛ ┗━┛┗┛┗━━━━┛┗━━━━┛ ホントにどうしようもない下衆板だよ、この板は。
ステマは詐欺だ。詐欺は犯罪だってこんな簡単なことをシラバクレてるブタばっかりだ。
しかしこのブタ連中が「文学」なんてものを生業にしてるんだよっ!
死ねっ!なんて罵りさえむなしくなるだけのブタ相手に罵るしかないんだよっ!
ホント、死ねよ、ブタ共っ! >>32
JSミルの叫び、しっかり受け止めました。
でも今はよしましょう。 >>28
話が大きくなって来ましたので、またタイトにしていくとして…
ヌーヴォロマン全体と、今の純文学の実験小説の傾向が似ているとは言っていなくて、
あの流れの中にいた一人の作家と、黒田さんが共通点がいくつかあるというお話です。
何となく、ぱらぱら見るに、ブランショを思い出す訳です。
名付ける事について、彼はとても真剣に考えていました。
そのことについて、私はうまく語れないので、すでにある論文を御覧下さい。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/32335/1/ff039006.pdf
黒田さんも、これと似た思いはあると思うんですね。それであれが生まれた物かと思います。
阿部さんの、「過剰に名付けれるさまざまなエレメント」の数々については、これから読みますね。 >>35
これはまた大きな宿題を(汗) とまれ、読んでみます。
僕もぱらぱらしたいところですが、家にはブランショが一冊もない…。
阿部の「名前」への執着ってどこからくるのか? で、やけに印象に残るんですよね。
話はほとんど覚えていないのに、なぜか名前が。「鴇谷」とか「オヌマ」
とか。小説の登場人物の名前ってなかなか覚えられないというか、ほとんど
意識しないで読んでしまうものなのに。 >>36
私も阿部さんの作品を読むので、宿題です^^
どの作品がおすすめですか? >>37
「ABC戦争」、「インディビジュアル・プロジェクション」、「シンセミア」
かなあ。いずれも初期?の作品ですね。今読んで、どうかな…。彼の作品は
けっこう生ものっぽいところあるから、その時代に読まないと…。まあ、読んだら
感想聞かせてください。
「□」は未読です。しかしwiki見るとほとんどの作品読んでるぞ、俺、えらい!つうか。
明日から来週の月曜日までインターネットが限りなくゼロに近い世界に行きますんで、
書き込みができなくなります。その間、このスレが育てっていればよいのですが。 >>38
明日探してみますね。どうもありがとう!
本当に色々読んでいるんですね、お話して頂けて光栄です。
明日からは出張ですか?気をつけて行って来て下さいね^^ >>39とこの書込みは同じ私です^^
阿部和重を二冊読んだよ。一冊目はABC戦争、二冊目は和子の部屋。
ABC戦争で私がこないだ言った「終わりのない物語は始まりさえ迎えられない」って言葉が、そのまま載っていてびっくりした。
これはブランショの言葉だよ。「私についてこなかった男」は、あの中に書かれた物語の始まりと終わりが連結されて、
円環時間の中に物語が閉じ込められ、閉じた円環の中で三人とひとり(!)の物語が泡沫のように消えてしまうという話だ。
阿部ちゃんはもしかしたらブランショを読んでいるかもしれないな。そうだとしたら、読んでみて良かったなという思いがする。
和子の部屋はもちろん、川上さんとのトークを覗き見したいという狙いで読んだ。まあこっちは思い入れが強すぎるので割愛。
面白いどころか面白すぎてかなりあれこれ納得しつつ読んだよ。 >>39 >>40
出張ではなくて某北海道へ下見。地震が怖くて脱出計画練ってるところです。
案の定、北海道の人々は、「大地震? は?」って感じでしたYO。
残念ながらスレ、伸びてないですね(笑)。ブランショはちょっととっつきにくいというか、
上記の引用はなかなかにハードだから。
高山典子の論文を読んでて、僕は「インデビ」を思い浮かべた。手元にないんで
詳しく語れないのが残念ではあるというか、激しく偽記憶の可能性あり。
ベケットもね、たまに強烈に読みたくなりますね。昔、ベケット演劇の音楽というか
音響をやってことがあります。頼まれ仕事だったんだけど、そのときにもっとまじめに
読みこんだり、出演者と議論しておけばよかったなと反省しきり。まあ、馬鹿は死ぬまで治らない
ってことですね。ぐすん。 >>41
地震は大変でしたね。日本全土が被害に遭ってるというのが正確な所でしょうけど、
それでも福島からより遠い所に住むのが賢明であるのは言うまでもありません。
ベケットは、文学板で仲良くなった固定ハンドルの人が良く読んでいる様でした。
ゴドーは主役でありながらいつまでもあらわれる事が無く、二人の浮浪者の会話だけが、
いつまでも波の様に押し引きを繰り返すあの物語は、誰もが知っている所ですね。
ベケットのお芝居を体験できるなんて、素敵じゃないですか!うらやましいです。
私は演劇は実験的なのとか昔見ていましたよ。今は地方在住なのでそうも行きませんが。 >>42
たとえば現在の東京上空に巨大建築物が浮かんでいたとしますよね、東京都
内のどこからでも見えるような。東京ドームの千個分くらいの大きさです。
ある日唐突に宇宙人がやってきて、東京の空に残していった。「これが壊れる
と何十万人が間違いなく死ぬ。壊れる可能性は、30年以内に70%だ」と
宇宙人は言って、去って行った。東京都内だったら、どこからでも見える。
というか、いつも頭の上に浮かんでいる。
さて、東京都民はどうするでしょうか?
まあ、大地震って、そういうことだと思うんですね(笑)。見えないから平気であって、
見えてたら住めないだろうって。
それはともかく。
演劇はテキストがあれば誰でもできますよ。やるだけなら、簡単。そこが音楽との違いかな…。
「身長2mの役者に限る」とか、「燃える家の中で上演すること」とかっていう
極端な設定ではない限り。
ベケットとかムジールとか読むと、なんというか言葉によって神とか自我とかを
追い詰めて殺してやろうというか、とことんまでつきつめていきますよね。そういう
文学における言葉とか論理の強度みたいなものを、結局は日本人は受け入れられなかったんじゃないかって
最近思います。あの大江健三郎だって、しょせんは思想のヒトであって、文学の人じゃないでしょう?
で、その後は文化人類学的なあやふやな世界に行ってしまった。
それに入れ替わるようにして、村上春樹みたいなのが出てきたわけですよね。
「もう、理屈はいいよ。いこうよ、ぐっと」、みたいな。「ビールで乾杯だよ!」
というかね。まあ、古井さんみたいなのもいるけど、超例外だし。
だからなんというかな、阿部ちゃんも大変だなとw 早く歳とりたいだろうなとw しかも、「東京都内だったら、どこからでも見える」がだぶっている…。
鬱。 >>43
ふふふ^^面白い例えですね。宇宙人が予言をするんですか。そしたら…どうでしょうね?
まあ、東京都の大地震は30年内に来るというのは確実な様ですし、脱出して損は無いですよ。
私は実は福島在住なのですが、仕事もあるので、ここから離れる訳にはいかないですねえ。
庭は除染してもらって、まあ大人なら安全っていう数値になったようで、畑等しています。
ベケットは良く知らないけれど、ムージルの「特性のない男」は、随分耽読したものです。
神というものがあるとすれば、ウルリッヒは神であって、この世の法則をたばねる大法則の主ですから。
そして、可能性感覚で、どんな過去からやってきて現在に着地する事も出来る、いわば超人です。
超人にはやはり、欠落している部分が多少あるとして、それが彼の精神の病なのかも知れません。
彼の世界観はどこか、統合失調症的な所があると思います。だからこそ、彼の世界は美しいんですが。
ああいった言ってみれば硬派な文学は、たしかに日本にはないですねえ。軟派な私小説が多いです。
ポリフォニックというか、群衆劇あり、実験あり、思想ありできちんと練られた濃度のある小説って、
日本人のもともともった民族性では表現しきれないんじゃないかって、高校の先生も言ってました。
それで、私はその先生に指導されて、世界文学と世界史を学ぶ様に勧められて、随分苦労しましたよ。
なんせ覚える事が多すぎて、大変なのです。今でも昔の不足分を取り戻す様に、あれこれ調べています。
阿部さんは、まだそんなに読み込んでないけれど、登場人物は多い方だし、思索的な表現もありますね。
これから色々な事に挑戦して行ける若手なんだし、どんどんキャパシティを広げて行って欲しいです。 ムジールの「特性のない男」は何度挑戦しても、挫折してしまいます。ベケットの
小説、「モロイ」もだめだな。最後まで絶対に読めない。保坂和志が「モロイ」について
何か語っていたな。むしろ「モロイ」のような作品にこそ、小説を読む喜びがある…というような
ことだったかな?
ムジールにしても、ベケットにしても、「全体」を志向しているような気がします。
「全体」っていうのは、世界であり、神と人間であり、あの世とこの世であり。
つまり人間全体、か。すっごくミニマムな人生の一片を描いているにも関わらず。
たとえばベケットでいうと有名なゴドーもそうですし、僕のお勧めである「クラップ氏
最後のテープ」なんてのもそうなんだけれども。
村上春樹が一時期、「ドストエフスキーのような総合小説を書きたい」とかいって、
その「総合」っていうのは「全体」にも通じると思うんだけれど、けっきょく
こけてしまったのは、彼個人の問題ではなくて、あなたのいうようになんというかな、
民族性という言葉が正しいかどうかはわからないけれど、日本人にはやはり無理なのかな
って気もします(ちなみに僕は村上の長編「世界の終わり…」と、いくつかの短編は
高く評価しています。阿部スレでこんなこと書くと笑われるかもしれませんが)。
どうして無理かっていうのは考えなくてはならないというか、まあ、逆にヨーロッパ人だから
そういうの、書けたのかなあって気もします。神様ね。
世界史もよいですが、美術史も押さえておくといろいろと面白いと思います。私見ですが、
あらゆる芸術の中で美術が一番「早い」し、遠くまで届いているような気がします。
現代文学が現代美術から学ぶことはたくさんあると思うな。上述の「abさんご」
もそういうところがある。阿部ちゃんの「□」はどうなのかな。まだ読んでないんだ。
ごめん、阿部ちゃん。最初のあたりを立ち読みして、「こりゃすごいかも」って
閉じてしまったんだ。もう少し時間があるときに読むわさ。 お前さあ、阿部夫妻にめちゃくちゃ迷惑かけといて、今更よく擁護者みたいなツラして書き込めるよな。恥を知れクズが。 >>49
阿部さんの知り合いの方ですか?本人がそう言ったの?妄想ですよねw 阿部ちゃん本人が書き込んだ事があるんだよ。それで「この女は我々と一切関係がない」とだけ言ってたよ。要するにそれまで散々迷惑かけられたって事だよね。 >>49
えーっと、君にお前呼ばわれされる覚えはまるでないんですけど(笑)。
たぶん(間違いなく)思い切り誰か別の人間と間違えていると思うよ。
僕は君が登場する遥か昔の阿部スレの住人。たしかに昔は阿部スレで乱暴なことを
書いたこともあるけど、川上スレを荒らしたことは一度もないなあ。
まあ、阿部ちゃんはわかってると思うよ。俺が誰だか。もちろん実際に
会ったことはないけど、書き込み読んで、「ああ、あのアホだな」ってピンと
来ていると思う。たしかにアホだが、君が妄想しているアホとは違う。
あのね、君のことよく知らないんだけど、いきなり現れてさ、そういう罵倒するような態度を
とるというか、書き込みをするって、ちょっと異常というか、どうかと思うよ。
まあ、俺は君じゃないからいいっちゃあいいんだけどね(苦笑) しかし、レスが伸びてると思って喜んで開いたらこれだからね。文学板
コテのレベルも下がったもんだね。過疎になるわけだよ、この板。
おーい、ixion! どっかで見てるか? あんたが消えたからこのざまだよw >>48そのほか
誰が立てようがステマスレだ。炎上したってそれも宣伝だ。
鼻を鳴らして意地汚く餌をあさっていやがって。死ね、ブタ。 >>56
その人は覚醒剤を10年以上やって完全に脳が壊れているんですが、本人はまともだと思っている重症の人です。
これまで何度も逮捕されたり、警察から呼び出しも食らっています。妄想と現実の区別がつかないようです。
いきなり妄想の誰かと同一人物扱いされて罵倒されて、気分を害された事と思いますが、どうかごかんべんを。
応急的なレスしか今はできませんが、大事な>>48にはあとでお答えしますね^^ 48そのほかは小谷野、59は烏賊
だけどもう無駄だよ、小谷野なんかにゴマをすってもw 川上さんとそのコテに関して言えば、そのコテは私の事を数年間、川上さんだと思ってストーカーしてきました(!)。
それで、ストーカーの自覚があるどころか、「自分が川上さんにストーカーされている」と思い込んでたようで、
完全に統合失調症と人格障害を併発してるんですが、本人は覚醒剤の事がばれるので病院には行かずじまいです。
周りに何度も言われてやっと一つの妄想から冷めたと思ったら、今度は>>49>>52のような事を言いだすのです。
家族は何をしてるのか、息子からネット環境を取り上げないのかと心配になりますが…。どういう家庭なのか…。 48そのほかは小谷野に間違いないが59は烏賊じゃなかった。失礼。 小谷野のなんてこんなのに、牽制もなにもねーよ
バカからかってるだけだw 結局、筑駒文一の東浩紀さんが最高ネ申てことだね。
高卒の阿部ちゃんw >>48
日本人には総合小説が書けないというのはなぜなんでしょうね?まあ隣の芝は青いんでしょう。
それは、日本人が情緒的で、物事をきっちり白黒つけず「お察しする文化」の人々だからかな。
書き手と読み手が、あうんの呼吸で、みなまで語らずとも真実を掬い上げるようなというのか、
小説の中に、あれもこれも詰め込んで全部説明しなくても、読者が行間から察するというのか。
それに名前がついているならそう呼びますけど、何か名状しがたいこの、日本人的な感覚が、
私小説の潮流を育んできたのかなあ、と思っています。
それで、村上春樹の野心というのも分る気がするのですが、どうしても総合小説が無理なら、
ドストエフスキーの研究の第一人者になればいいのではないかと思います。
悪霊、罪と罰、カラマーゾフその他に、ドストエフスキーの「醜悪さの中に真実がある」という、
強い信念が見え隠れしていると思うのですが、春樹ならそれをもっと研究して、可能性を広げ、
それらが実社会の中でどのように適用できるものか、具体的に語れば良いのではないでしょうか。
美術史は、美大にいた頃、日本美術史、世界美術史、日本建築史、デザイン史を取っていました。
単位をとれればいい的な感覚で、遊びたかったため、ろくに勉強もせずじまいでしたが…(笑)
遊びたいというか、友人や恋人とサークルで映画三昧で、それは作ったり見たりなのですが、
大学生活のほとんどは映画に費やしたようなものでした。
そういえば阿部さんは映画についても一見識あるようですよね?詳しくは知りませんが…。
ちょっと興味があります。