ムジールの「特性のない男」は何度挑戦しても、挫折してしまいます。ベケットの
小説、「モロイ」もだめだな。最後まで絶対に読めない。保坂和志が「モロイ」について
何か語っていたな。むしろ「モロイ」のような作品にこそ、小説を読む喜びがある…というような
ことだったかな? 

ムジールにしても、ベケットにしても、「全体」を志向しているような気がします。
「全体」っていうのは、世界であり、神と人間であり、あの世とこの世であり。
つまり人間全体、か。すっごくミニマムな人生の一片を描いているにも関わらず。
たとえばベケットでいうと有名なゴドーもそうですし、僕のお勧めである「クラップ氏
最後のテープ」なんてのもそうなんだけれども。

村上春樹が一時期、「ドストエフスキーのような総合小説を書きたい」とかいって、
その「総合」っていうのは「全体」にも通じると思うんだけれど、けっきょく
こけてしまったのは、彼個人の問題ではなくて、あなたのいうようになんというかな、
民族性という言葉が正しいかどうかはわからないけれど、日本人にはやはり無理なのかな
って気もします(ちなみに僕は村上の長編「世界の終わり…」と、いくつかの短編は
高く評価しています。阿部スレでこんなこと書くと笑われるかもしれませんが)。
どうして無理かっていうのは考えなくてはならないというか、まあ、逆にヨーロッパ人だから
そういうの、書けたのかなあって気もします。神様ね。

世界史もよいですが、美術史も押さえておくといろいろと面白いと思います。私見ですが、
あらゆる芸術の中で美術が一番「早い」し、遠くまで届いているような気がします。
現代文学が現代美術から学ぶことはたくさんあると思うな。上述の「abさんご」
もそういうところがある。阿部ちゃんの「□」はどうなのかな。まだ読んでないんだ。
ごめん、阿部ちゃん。最初のあたりを立ち読みして、「こりゃすごいかも」って
閉じてしまったんだ。もう少し時間があるときに読むわさ。