>>48
日本人には総合小説が書けないというのはなぜなんでしょうね?まあ隣の芝は青いんでしょう。
それは、日本人が情緒的で、物事をきっちり白黒つけず「お察しする文化」の人々だからかな。
書き手と読み手が、あうんの呼吸で、みなまで語らずとも真実を掬い上げるようなというのか、
小説の中に、あれもこれも詰め込んで全部説明しなくても、読者が行間から察するというのか。
それに名前がついているならそう呼びますけど、何か名状しがたいこの、日本人的な感覚が、
私小説の潮流を育んできたのかなあ、と思っています。

それで、村上春樹の野心というのも分る気がするのですが、どうしても総合小説が無理なら、
ドストエフスキーの研究の第一人者になればいいのではないかと思います。
悪霊、罪と罰、カラマーゾフその他に、ドストエフスキーの「醜悪さの中に真実がある」という、
強い信念が見え隠れしていると思うのですが、春樹ならそれをもっと研究して、可能性を広げ、
それらが実社会の中でどのように適用できるものか、具体的に語れば良いのではないでしょうか。

美術史は、美大にいた頃、日本美術史、世界美術史、日本建築史、デザイン史を取っていました。
単位をとれればいい的な感覚で、遊びたかったため、ろくに勉強もせずじまいでしたが…(笑)
遊びたいというか、友人や恋人とサークルで映画三昧で、それは作ったり見たりなのですが、
大学生活のほとんどは映画に費やしたようなものでした。

そういえば阿部さんは映画についても一見識あるようですよね?詳しくは知りませんが…。
ちょっと興味があります。