【小説】サルトル【戯曲】
『出口なし』だげどよう、
女が二人居んだぞ、あーじゃこーじゃ言わんと、俺ならまずはセックスセックスしまくるけどな、
おまーらだってそーだろ、チンコ付いた男だろが、あーっ!? サルトルの本業は哲学だからね
哲学書は書けないでしょ大江には 家の馬鹿息子サルトル全集にはいるといいんだけどな
絶版なのかな 人文書院に電話なりすれば
ゲーテ全集そうして買ったから>>182
サルトル全集に編入してもらった方が安く買えるからね サルトル読んでるヤツの勘違い振りが見るに耐えない。 サルトル全集4巻と12巻が未刊なんだな。もう出版しないのかな? サルトルはやはり人文書院だよな
岩波は訳がよくない サルトルは戦争と平和だけど大江は四国の森のお花畑だもんな
格が違いすぎる>>192 >サルトルはやはり人文書院だよな
人文書院のサルトル全集は誤訳であふれているので有名だよ。
おれはサルトルならガリマールしか読まない。 花畑とサルトルを同列にいうとこがバカっぽいんだが>>178
大江がサルトルの影響を受けるのは勝手だが
サルトルに及ぶものではない >>198
178はサルトルと大江を同列にしてないのに、そう見るお前が低能 サルトルも海老坂武も俺も結婚しない。自由だからだ。 >>205
しないんじゃない。出来ないんだよ。現実に向き合いたまえ >>206
酷いこというなよ、>>205が自殺しちゃったらどうすんだよ。 ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか
ニ、ニ、ニーチェかサルトルか 詠もうかなーと思ってるんだけどどれから読めばいいの シロトが読んでみるなら芝居が面白いんじゃないかな。 文学評論にあたるくらいなら小説を読んだ方がいいし
政治評論は誤謬が多い >文学評論にあたるくらいなら小説を読んだ方がいいし
文学評論ってものがわかっていないらしいな。 >たとえば文学とは何かを読んでも身につかないよ
ば〜か、それは評論じゃないよ、講演だろ。 ボードレール論
聖ジュネ
家の馬鹿息子
マラルメ論 >>231=>>232
ふたりのフリをするんじゃないよ、おばかさん。 自由への道は未完だけど素晴らしい
岩波版読んだ人いるのかな >>239
誤訳のない翻訳なんて存在しません。
そういうものはありえないんです。 サルトルとドストスレをやたら更新する輩がいるけど
中身がない 中身って言うけどさあ、素人に対してそんな風にハードル上げても仕方ない。死ぬほど過疎板なんだから気軽に回す事が重要なんだよ。
「中身がない」なんていうレス書くくらいなら、何か有意義な話題を提供してみなよ。あなたの今のレスは確実に僕のレス以下だから。 なんて話をしても仕方ないか。「嘔吐」の鈴木道彦の注釈はイカ臭くて途中で参照するのをやめた。文庫化する時はもっと読む人の事を考えた注釈の付け方にして欲しいな。 NHKスペシャルにサルトル出てるぞ!60年代についての「新・映像の世紀」 嘔吐なんかよんで思ったけど
「実存は本質の先に立つ」だっけ?この一言でこいつの思想は充分だよな >>248
実存主義に関する最も有名な言葉だけど、なぜそれで「充分」だと思うの? スレチですが質問です
バタイユの残した小説って「目玉の話」、「マダム・エドワルダ」、「青空」の他に何かありますか? >>252
意外にスレ違いではない。
サルトルは初期に「新しい神秘家」というバタイユ論を書いてるし
第二次大戦中1944年、既にこの時バタイユは『ドキュマン』所収論文や
『社会批評』所収論文また哲学的エッセイ集『内的体験』を発表していたが、
サルトル含めた数人とバタイユ本人も交え討論会を行っている。
この討論は『バタイユの世界』(青土社)に「討論 罪について」として
収録されている。 >>256
二見書房の『バタイユ著作集』を見てみればいいんじゃないの?w
俺もそう詳しくはないよ。
『C神父』『聖なる神』『死者・空の青み』『眼球譚・太陽肛門』
あたりが小説群でしょう。
ちなみに複数収録巻では
『聖なる神』「マダム・エドワルダ」「わが母」「シャルロット・
ダンジェルヴィル」3編とも小説。「わが母」が長編。僧である息子
を堕落させ乱交に引きずり込み結ばれる母。
『死者・空の青み』「死者」「空の青み」2編とも小説。「空の青み」
が長編。「死者」は短編。恋人を亡くした女が酒場に現れ酔客と
乱交に及ぶ話。
『眼球譚・太陽肛門』「眼球譚」が小説。「太陽肛門」「供儀」
「松毬の眼」は思想的エッセイだったと思う。 今泉富美子(雑誌でスワッピング募集している淫乱ドスケベ変態老衰よぼよぼしわくちゃ婆)
今泉一八(音感ゼロの自己陶酔ED音痴爺) 実存主義とはなにかでサルトルが言ってる全人類に対しての責任があるって
何しても当人の自由っていう思想があまりに無秩序で節操がないから取って付けた考えに思えてならないんだが 自己は他者との関連で成立し、この関係性から責任が生じる
これはマルクス主義に近い考え方だけど
マルクスの場合は世界市場の出現と
市場内経済主体の相関性が論拠となっている
サルトルはヒューマニズム的マルクス主義
あるいはヘーゲル左派ていどで片付けられる >>269
諸思想に関してミスリーディング多過ぎてお話にならない
記憶みたいだな
つりでもなければ
ただの馬鹿過ぎる奴!!! >>269
サルトルの実存主義とはなにかによると
「自身と同時に全人類をも選ぶ立法者であることを理解する人は
全面的な、かつ深刻な責任感から逃れることはできないと自覚し、
そのために常に不安が付きまとう」
とあるけど
これって常に他者の利益を考えて行動するという”明瞭な神意”を
作り出してることになると思うんだが
それなのに神の存在を否定して
「我々は自分の行いを正当化する明白な価値や命令を眼前に見出すことはできない。
そのため自身の選択の逃げ口上も見出せず孤独である」
と書いてるし
これって”全人類の責任を常に考えて行動する”という明確な価値を
作り出してる時点で矛盾してないか? たとえ自身の選択が失敗しても
”全人類のために行動したから許される”と
”逃げ口上”を与えることになると思うんだが 責任とは「或る出来事もしくは対象の、あらそう余地のない作者であることについての意識」である、というのが『存在と無』における定義
つまり責任とは、自分が何らかの状況や事物を「存在させている」という意識のこと
「全人類に対する責任」論は、他者の利益を考慮する以前に「そもそも全人類を存在させるか否か」ということじゃないかな >>273
全人類は自分が存在させているという意識か
そりゃ確かに責任重大で不安だな
まあ破滅させようと望む良心にやましい人間がひとりくらいいても不思議はないか ビートたけし「あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!アナルが裂けちゃううううううっ!」 あと数日で受験終わるからサルトルの実存主義の本とか読もうかな