なぜ日本文学は権力構造を描き得なかったか
自分がアウトローになる形ばかりだよね
偉大な作家たちですら権力そのものを描こうとするとみんな通俗的になっちゃう 日本文学は茶道や華道と同じで、閉じられたサークルで美を競うものだったから
始めから、一般社会は排除されてるし、権力なんて野暮なものは扱わない いや、扱おうとしても失敗するんだ
どれだけ想像力豊かな作家達でも途端にイマジネーションを保てなくなる不思議
そこらの学生、おっさん、おばちゃんと変わらなくなってしまう 権力が書けてないなんて思ったこともないけど
どういうのが読みたいんだ? 日本にはビシっとした
権力機構はなく(安倍政権は知らないけど)、
官僚が恣意的に、多国籍企業の都合のいいように
運用されている。
村上龍「愛と幻想のファシズム」じゃ
フィクションすぎるか?
ウォルフレンの「日本/権力構造の謎」は
文学じゃないし古いけど、綿密だよ。 政治の実務者よりも地域の代表議員のほうが立場上偉いという構造こそ矛盾なんだけど
そのタテマエが自由民主主義なんだよな
それが守られているうちは、国民も心おだやかに暮らせてた 作家と言えどもイマジネーションだけでは何もかけない。
日本の社会は、エライ人たちのことを多くは語らなくなる。
マツリゴトは神聖だ、とは思っていないが、下手に口にすると仲間から
はずされると思っているんじゃね。 実際、そういうところがある。
日本中がムラ社会構造だ。今のところはね。どこへ行っても”空気読め”だよ たぶん、いとうせいこうの「ワールズ・エンド・ガーデン」がいちばん実態に近い。
あまり大した社会(権力)構造じゃない。 なぜか?
権力構造は、初期から中期の大江健三郎様が描いてしまったからじゃ 日本の権力構造はガラパゴスの文化。なにがなんだか日本人にさえよーわからんからだよ。
鎌倉幕府の北条支配なんか誰が一番偉いかはひでーもんだ。
室町時代なんて公方が同時期に何人いたんだ?本家だって京都一国支配もおぼつかない。それでも将軍だ。
織豊政権もよー解らん。江戸時代になるとかなりすっきりするけど幕末になると滅茶苦茶。
明治からは省あって国家無し。
その省も陸軍なんかなにがなんだかどこがどう政策決定してるんだか?が皆目判らないチョー無責任。
日本政治は日本文化だっつってもねえ、スパっとはとても解析できるような日本文化じゃないからねえ。 西郷隆盛なんて正規の武士じゃない郷士だよ。
他のあの時期のお上りさんたちも似たかよったか。
その連中が殿様・ご重役たちに有無を言わせずOKさせて
「廃藩置県」「武士の家禄取り上げ」なんて
国の権力構造を根底から覆す大革命を大した反対もなく
「ええじゃないかええじゃないか」でやっちゃえるんだよ。
こんなこと判らないよ。絶対に。外国人には。日本人にも。 あの当時は各藩財政がひっ迫していて大規模なリストラや
新規採用を抑制しちたので階層としての武士は崩壊していたわけです。
浪人や下士が体制打倒を目指したのはそういうこと。
だから維新ではなく幕藩体制の瓦解というのが正解。
この廃墟に幕府の官僚をドイツ風の官僚制度に衣変えをさせて
幕府を打倒したテロリストたちが軍閥として君臨した。
そしてこの際に資金供与をした御用商人たちを政府系企業として育成した。
別に、フィリッピンや東南アジアの開発独裁国家群と変わらないわけです。 >>16
日本の「軍閥」とは、そういう意味で使われているのですか、それで軍部の
暴走などがおこったわけですかね。 >大規模なリストラや新規採用を抑制しち(ママ)たので階層としての武士は崩壊していた
こういった現代の状況を持ち出して同じだとする
コジツケの比喩で歴史を云々するバカ丸出しの解ったぶりはよそうね。
ご都合主義歴史解釈の司馬遼太郎と同じだから。