ブックオフにて\100で売られていた「鉛のバラ」をパラパラとめくっていたら

畢竟するに彼は××に会わないようにしている(大意)

という使い方がなされていた。

「畢竟」とは本来仏教用語であり「究極的には」という意味(その派生で“詰まる所”と意味することもある)だから
このケースで解釈すると、“究極的に彼は彼女と会わないようにしている”ということになる。
察するに作者としては「詰まる所」か「要するに」の高尚語として使用したのだろうが、
第三者の行動様式にたいする推測の場面で使用するのは間違いだろう。
この場合は素直に「要するに」か「観ずるに」を使うのが妥当かと思われる。