紀州【中上健次】熊野
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>>336
キャラは三部作通してかわってるでしょ
どんどん社交的になって、地の果てに至ってはさらにインテリになってヘーゲルがどうとか言い出す
地の果てが微妙なのは、リアルタイムの読み手もそう感じたはずで
滅茶苦茶力をいれて書いた地の果てを失敗と断じられた
中上がいじけて、その後の作品がいい加減になって駄作の山を築いた
そういう分水嶺だな 岬枯木灘の続編として書き下ろしているんだから、思い入れは最大にこめただろう
ただ腰を据えてでなく、アメリカやら韓国やらに行ったりしながら)書き下ろしているから
推敲不足は否めない 「地の果て」は自身で「俺の最高傑作」との評価をしていた あまり良い印象がないのだけど、よく読むとすごく面白かったりするのかな?芸者と野球拳をするシーンは爆笑したけど。 俺なんか逆だけどな
岬、枯木灘があまり好きじゃなくて、褒めあげる人も嫌いで、地の果てのほうが好ましく感じる すごく珍しいと思うよ。岬と枯木灘はビンビンくるけど地の果てはちょっと乗れないというのが一般的な中上ファンなのではないか。でもその意見を詳しく聞いてみたい。 『枯木灘』の文体はリズムがあって読んで心地いい日本語だ。誰からも評価が高いのは頷ける。
『地の果て 至上の時』はそれをあえて継承せず、知的に作り上げた文体だ。
推敲不足なんてことはなく、十分練り上げられている。読みにくいが、パワーが漲っている。
自分はかつて箱入りハードカバーの初版本を新本で購入したが、一読して中上が本物だと確信した。
この作で欲しがっていた谷崎賞をあげたかったな。若いくせに威張るからと丸谷や吉行が反対した。 中上健次「こんな言い方をすると傲慢かも知れませんが、僕はこの『地の果て 至上の時』を
書き上げて、今初めて、本当に小説を書いたという気がしているんです。小説はなんて面白いのだろうと、
嬉しくてならない。」『地の果て 至上の時』付録 小島信夫との対談にて 「地の果て〜」は2回読んだけど、もう一回読んでみようかな! 枯木灘の土方シーンが地の果てでは山林になっているわけだが
枯木灘の繰り返しがリズムを生んでいるのに比して、単に繰り返しにしか感じられないんだよ
その反復があることの意味があまりないというか、ただだらだらだらだら書いたものを
ブラッシュアップなしに提示されているというか
結局創作の仕方も関係あると睨んでいて、枯木灘は月百枚六回という連載の区切りが
作品に締りを与えたのではないか 「地の果て〜」は、よく言われているほどダメな小説ではないよ。でも「枯木灘」の頃があまりに神がかっていたから、それと比べると数段劣ると感じてしまうのは仕方ないのではないかと思う。 『枯木灘』『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』が3大傑作。異論は認めない。 鳳仙花がフサの一代記になっている
徳田秋声のあらくれなんかを参考にして書いている超オーソドックス自然主義小説なので
枯木灘的なものを期待すると肩透かしくらうかもだけど >>349
僕は「地の果て〜」よりも「鳳仙花」の方が好きだよ。 >>343
自分は「男の孤独」が上手く描けている作品が好きですよ
そして中上健次はそれが書ける作家
「地の果て」は3部作の中で一番秋幸の孤独が上手く描かれてると思う
だから好き
「岬」は単に悪文だと思うし、「枯木灘」は皆が皆口を揃えて絶賛する程には俺はいまいちのれなくて、単なる井戸端会議ではないか、と思っている >>356
でも結局一番孤独だったのは浜村龍造だよね。 「十九歳の地図」とかも男の孤独が書かれているのではないかしら。 >>357
だけど地の果ての文体は短編ばかり書いていた若い頃のものと地続きでしょう
岬は新しいことにチャレンジしてるというのか、敢えて文体を崩しているように思う 岬は安岡章太郎が「おそろしく読みづらい」と書いていたけど、そんなに読みづらいかね? youtubeに小学館のPDブックスと電子全集刊行記念で
いとうせいこうと中上紀のトークショーがあがっている 【中上紀氏インタビュー】中上健次:路地と世界、家族の存在 | P+D MAGAZINE
http://pdmagazine.jp/people/nakagami-interview/
"ペーパーバック書籍と電子書籍で発売・配信するP+D BOOKSからは、『鳳仙花』や『熱風』など、中上健次作品の刊行が続いています。" 電子全集についてでるという話はきくが具体的な情報ってないの?
検索してもなにもひっかからないんだけど リズムはあるんじゃないの。NHKのドキュメンタリーの一部のナレーションにも影響与えてるよな。 リズムがあるってこととリズミカルであることは決してイコールではないけども、悪酔いのリズムはあるでしょう そうなの?声が聞こえてくるというのはいい表現だなと思った 「プロジェクトX」のナレーションの人の声で聞こえてくるよ(笑) いやいや、「プロジェクトX」の声で頭の中で朗読しながら中上健次の「枯木灘」とか読んでみ。感動するからさ。それはもちろん「プロジェクトX」の影響ではない。 三回読み直すと、その後は定期的に読まずにいられなくなるよ。 最近、少しずつ読み始めた者なんですが、ちょっと気になる事が。
「エレクトラ」に書かれているリキさん(一力干城)のプロフィールと、
「軽蔑」の設定が似ているような気がしたんですが、どうでしょう? 長いけど、ちょっと引用してみます。
本名を、一力干城といった。唐津の素封家の跡取り息子として生まれたリキは、父親が立教大学の
学生時代にひとめ惚れしたダンサーとのあいだに生まれた混血児であった。「フロリダ」という
ダンスホールでダンサーをしていた母親は、スペインかポルトガルかイタリアあたりのいずれに
しても欧州人で、小麦色の肌をしていた。ふたりは唐津に帰って結婚し、リキを産んだ。それから
何年かたって娘をもうけたが、格式を重んじる一族の態度は冷たかった。ことに叔母は母親に
冷たく当たり、どうせ男をたくさんたぶらかしてきた海千山千の女だろうから、一力家の財産を
狙っているんだろう、と面と向かって言った。 それだとリキの親のプロフィールじゃない
多分関係ないと思う ゴールデン街燃えたね。燃えるべき建造物は他に沢山あるのにね。 jiyin_0
漫画だと昔はよくエログロナンセンスを読んでいたのですが、最近は嗜好が変わってきて模索中です。
小説は村上龍や坂口安吾、水上勉や中上健次、ノンフィクションだと上原善広、本田豊、沖浦和光が好きですね〜〜。大分偏屈です;;; 村上龍と中上健次の小説を並べるのはよくわかってない証拠なのではないかと思います。彼らは仲が良くて、対談で自作を褒めあったりもしてますが、根本的に全く違います。村上龍は勘違いしてますけどね。 中上健次
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%8A%E5%81%A5%E6%AC%A1
影響を受けたもの
ガブリエル・ガルシア=マルケス
ウィリアム・フォークナー
大江健三郎
石原慎太郎
谷崎潤一郎
体の大きかった中上は中学生のころは不良青年だったが、一方で精力的に本を読み始め、
高校に入るとサド、セリーヌ、ジュネなどを愛読、
また当時新進作家だった大江健三郎や石原慎太郎などの日本人作家の作品を含め、膨大な量の読書をした。 jomonsugi
ふはつにおわった受賞第一作の自己嫌悪。それはのちにハードボイルドワンダーランドとしてリベンジするんだけど。
そのときの村上春樹についての、加藤典洋さんの記述こう。
「村上はその後、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』をゲラの段階で読んで衝撃を受け、
「さらに村上龍から薦められた中上健次の『枯木灘』を読んで
同世代の小説家が文芸誌のレベルを隔絶した世界水準の長編を書いていることを知り、
「読んだあとしばらく」「落ち込んで何も書けな」くなった、という。
「そして、自分も「長いもの、ストーリーテリング、それから力技という、この三つでいこうと思」い、
その後経営していた喫茶店を畳み、小説に専念する覚悟で次の長編小説『羊をめぐる冒険』に向かう。」
めもおわります。ガチだ羊。
2016年5月11日 >>403
中上の日本語ってそんなに変かな?
高澤修次の文学者たちの大逆事件と韓国併合 (平凡社新書)にも中上の文章を丸谷才一や大江が批判したみたいなことが書かれていたが、
具体的にどう批判したかは明らかにしてない。丸谷ならともかく大江がそんなことを言うとは思えないんだが。 ■ヒューマニスト・大江健三郎の日本人離れした“邪悪さ”(SPA! 2003.12/30・2004.1/6合併号)
坪内祐三:大江さんには、とんでもないエピソードがいろいろあるからね。
福田和也:そのうち連続殺人で挙げられても全然不思議じゃない、みたいな邪悪さ。
坪内:ある雑誌に大江健三郎が――ここがまた大江さんらしいんだけど「中上健次」という名
前は出さずに、「少し前に某文芸誌で対談したある若手実力派作家から、石原慎太郎がこん
なことを書いているといって、その記事のコピーが送られてきた」と、やるわけだよ。
福田:有名な“波事件”だ。しかし、わははは、大江さんの所には、いつもコピーが送られ
てくるんですな。
坪内:その送られてきたコピーというのは、石原慎太郎が講演で大江健三郎のことを批判して
いる――という内容で。それを読んだ大江健三郎は、すぐに石原慎太郎批判を始めたんだけど、その複雑な構造!
福田:ですなあ。
坪内:大江は石原とはナイスにつき合ってて、一方で中上健次とも仲良くしてて、その中上か
らコピーが送られて来て、それで批判を始める、だからね。しかも中上は中上で、その頃、
今その大江や石原の世代の作家で生きていると言えるのは石原慎太郎しかいない、とか言っ
てたんだよ。
福田:これは、作家の宮本輝さんからから聞いたんだけど、三島由紀夫賞第一回審査員が、
江藤淳、大江健三郎、中上健次、筒井康隆で・・・。
坪内:開高健もいたんじゃない?
福田:え? いたかな・・・。まあ、とにかくその選考会の時、選考会場の密室で、中上健
次が始めから終わりまで、大江さんに「おまえ悪人、死ね」ってずっと言ってるんだって。
「死ねおまえ、悪人死ね」と。
坪内:なんだろ、やはり“波事件”の影響?
福田:でしょうかねえ。宮本さんは、「筒井さんか江藤さんが止めるかな」と思ったら2人
とも止めないから、結局最後までずっと、中上は大江に「死ね、おまえ死ね」だったんだ。
でも、大江さんも全然へらへらしてて。
中上:死ね、おまえ死ね!
大江:それではつぎの作品ですが。
江藤:これはですね。
中上:おまえ死ね。死ね、大江死ね!
と、平気で選考やってたんだって。 >>405
これもまたどういう事だかわからないけど、中上の文章を批判したの? naokki
「kotoba」の中上健次特集を読んでいたら、菊地成孔と安岡真のジャズをめぐる対談で、菊池と中上の接触について触れられている。
NTTの企画で、中上が歌う都はるみの「アンコ椿は恋の花」にサックスをかぶせフリージャズのアレンジを行ったという。
これ91の企画だから、中上の最晩年だ
2016年5月13日
do_dling
《蓮實 […]たとえば三島賞というのをとってみても、どうもその三島賞の審査員の少なくとも二人は小説家として三島より偉大だと思っているんです。
高橋 そうですね。わかります、誰と誰かは。》p36
(当時の審査員は江藤淳・大江健三郎・筒井康隆・中上健次・宮本輝)
bantowblog
故・中上健次を回顧するにあたってみんなが一文寄せたときにひとりだけ
「中上さんはジーンズがよく似合っていた」ってトンチンカンなこと書いてた辻仁成、見方によってはブレてませんね
2016年5月16日 大江死ね死ね連呼は単純に
おまえが居なかったら次のノーベル賞は俺が取るんだからはよ死ねよ
と解釈していいんじゃないかなw いちろう階段・ジ・エンド
昔『批評空間』で中上健次賞を作るとか言ってたような気がするんだけど、結局、ポシャッちゃったのが残念で仕方がない。
2016年5月17日 柄谷行人が5年ぶりに熊野大学に来るってどこかのスレに書いてあった。 383 名前:吾輩は名無しである :2016/05/17(火) 10:42:13.76
【特報】中上健次生誕70年企画 2016夏期特別セミナー開催決定
【期間】 2016年8月5日(金)〜7日(日)
【場所】 和歌山県新宮市
【参加費(予価)】 33,000円
柄谷行人(思想家)
このひとがいなければ始まらない。
1968年に「群像新人文学賞」の最終候補落選者同士として出会い、中上健次にフォークナーを教え、
以後生涯の盟友となった20世紀日本を代表する思想家・5年ぶりの熊野降臨。
http://kumanodaigaku.com/#2016 朝の日が山の端から徐々に降りて来て渓流の上の方を照らし水を細かい粘る粉末のよう
に光らせていた。浜村龍造が水音をたてて歩いて川原に立ち、自分の脱いだ下着で胸を
ぬぐい、自慢の背の刺青をぬぐうのを見て、秋幸は上がろうと思ったが、川につかった
皮膚から粘るように光る水の精気が寒気と共に体に滲み込んでくる気がして、水の中に
何度も身を潜らせ、青みの淵で泳いだ。淵から足の立つ浅瀬にもどり、水の勢いに体を
もみしだかれながら歩き、ふとこの土地にもどった最初、六さんの家の前の渓流に引か
れるように入った事を思い出した。秋幸は自分が確めたかった事はこの事だと思った。
秋幸が歩いて来た山も夢を見て眠っていた草むらも今は粘る光に包まれ、歩いた事も眠っ
た事もなかったように無表情に光の中で包まれ脹れあがっている。渓流がただ音を立て
て流れていた。 「枯木灘」
空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高
い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白
い花が咲き、昼でも夜でもその周辺にくると白の色とにおいに人を染めた。その木の
横にとめたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずら
わせることのないよう道具を積み込んだ。組を、秋幸の義兄文昭が取りしきっていた。
文昭は、「道具をそろえることなど、人夫にさせたらええ」とよく言った。「それで
日傭賃を出しとるんやから、人夫らに楽させること要らん」そう言われても秋幸は人
より一時間ほどはやく起きて土方道具を点検し、揃えることをやめなかった。つるは
しが好きだった。シャベルが好きだった。秋幸はそう思った。それらによって土を掘
りおこし、すくう。人夫らに楽をさせているつもりはなかった。十人居る常やといの
人夫らに自分の分け与えた道具で仕事をさせる、それが今の自分の役目だと思ってい
た。義父の繁蔵はそんな秋幸を、「組もったら、文昭よりええ親方になる」と言った。
「地の果て 至上のとき」
朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う
鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上
げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏の初
めから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香に染める夏ふようだった。満
で二十九歳になった六尺はゆうに越すこの男は、あわてて眼をそらした。観光バスや
定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた。 電子全集の話題でないね
付録の生原稿の写真は別用途で撮影されたものを流用したのか
集計用紙に書かれているものなどはボケて一字一字読み取れないのがいたい おれは、草よりも犬よりも下等な、里の生活にもなずめず、そうかと言って、学問僧になるには智恵足らずの男だ
「穢土」 生原稿は一作品1〜4枚
岬
半蔵の鳥
六道の辻
天人五衰
奇蹟
あと構想メモとか献呈本のメッセージ付きのサインとかもある >>411
中上が海外でろくに評価されていないこと、お前は知らんのか? disco cat
作家の作品で打線を組むというハッシュタグ、自分も便乗したいのだけれど全作品読んだ作家が居ないんだよね。あ、中上健次が居たかな
まあ強いて中上健次の作品で打線を組むなら
十九歳の地図
岬
枯木灘
奇蹟
千年の愉楽
重力の都
地の果て 至上の時
鳳仙花
讃歌
となるんだけれど、個人的な好みが先走って入っている組み方なので歪んでます
中上健次は、昔ネット上の先輩に『枯木灘』は教養がないと読めないって言われたこと、覚えてます。
裏返せば『奇蹟』『重力の都』はパッと見迫力があるので私みたいなシロウトを驚かせる力を備えているのだとか
23 Jun 2016 中上健次集の四巻はずっと延期してるな
表紙と月報の紀和鏡だけが楽しみなんだが あれ全集じゃなくて選集な
紀州各地の表紙写真は確かに良い 巨人の星読み返してたら終盤フラフラと飛雄馬がかつて育った長屋を訪ねたらマンション建設中で驚愕する場面があった。
長屋の消滅w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています