紀州【中上健次】熊野
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柄谷は美男だからね。しかし残念なのは学校の先生的なファッションというか佇まいなんだよな。見た目に無頓着というか。 柄谷は自分の美貌は自分でわかって意識していて
法政大学のトイレの鏡でナルシスティックに髪型を気にしているとの目撃情報が
かつてあった
どこで読んだかは忘れた >>487
偉人も含めて他人をくさすときの言葉のキレ味がハンパない! 柄谷行人の文芸時評(東京新聞で連載された)の第一回は大江健三郎批判なんだよね。主に「ピンチランナー調書」をこきおろしている。で、それのオルタナティブとして示されるのが連載中だった中上健次の「枯木灘」だったんだよね。 やっぱホモは三島由紀夫の影響とかあるのかね?
それとも元から? >>492
そうか、三島の影響ね
鋭い
あるかもです 電子全集には例の気が狂ったフォントの自筆原稿が載っているんだぜ 昨日のNHKのETV特集「路地の声」なんたらかんたらっての見たが、掘り下げる部分が違っていたというか、
もっと違うところをフォーカスしてほしかった 電子全集80年代エッセイは
オンザボーダーの村上春樹との対談収録されておらず
春樹が断ったのか? 崖そばの危険地域に地区があったら
自治体が崖を全部削ったって話がすごかった
地区はそのまま残すんだな、
そんなに移住されると嫌なのか >>501
そりゃそれ以外に考えられないだろう
ホント陰険だよな >>504
>そんなに移住されると嫌なのか
予算枠が地域改良事業名目なら地域自体は残す
その計画や予算が莫大なものなら周辺住民の反感が強くなる
また、施工業者の選定が地域優先なので地域内外の格差が問題になり
改良事業終了後も業者と行政との癒着が残る
まあ、対策事業に関わらずバラまき行政の問題点だね
結果として当該地区住人の行政依存体質と他地域との対立が温存される
で、せっかく地域改善をしたのに嫌気がさして出ていく若者が後を絶たず、
やがて高齢化と過疎化で地域全体が衰退する
ああいう所で地域おこしが盛んなのはそのため 「ああいう所」という表現に書きての官僚的、あるいは小市民リベラルな視線が窺える。
untouchableなものに触れてみるのが、文学の視線なんだが。 ホントに俊寛でいいというのならそれでもいいけどね
こっちも無理してまですることは一切ない いてもいなくても支障のないどうでもいい存在でしかない俊寛が
無理をする必要性は一切ない 中上ってジャズをコアにガリガリ聴いては無さそうなんだよな
学生運動の参加も嘘の履歴らしいし
英語は高卒カタコトのくせに英訳ラテアメ読んでるとか
吹かし芸、盛り芸なんだよな
そういう健次だからかえって愛おしいわけだが そもそも、やる気自体がかなり失せているのだが
目が悪化したのは致命的だった
メガネがいろいろと合わず、まともに掛けていられず、
本の字もまともに読める状態ではないのだから
腰痛もあり、今の環境のままなら無理なのは当たり前
吹かしていると思っているのなら致命的に救いがたい
目が悪化したのもストレスで体調を崩したのも何が原因だったかご存知ですよねw こんなストレスまみれの数年間で
何らかの体の異常が存在している可能性すらある
がんの可能性もあり得ると思っているし
甲状腺の異常もあり得るだろう だから無理です
あきらめてください
今のままではやる気はほとんど失せています やるにしても小説サイトもあるのだから
体調面も考え、あまり無理せずやらざる負えない
当分先の話になるだろうね あまり期待しないでください
やる気はかなり失せているのが正直なところですから 要するに春の時点で身も心も完全に進退窮まった状態だったのに
放置され続けたのがどうしようもなかったのよ
やる気がかなり失せてんだよ、もう
5〜6年も放置され続けてやる気も糞もねえんだよ
連絡する気がないのならもうほっといてくれ 今後ともこちらから連絡などの行動をとることは永遠に一切ありませんので
連絡などをするのはそちらの義務なのであって、こっちの知ったことではない
そちら側が全面的に非があるのに
何でこちらがなんで連絡等のことをしなければならないのか
意味がさっぱりわからない >>517
本の字がまともに読みづらい状態なのだから
と訂正 いてもいなくてもどうでもいい存在でしかない俊寛が
今までの数々の失礼な言動などについてお詫びしたいと思います
今後はそっとしておいてください >>498の「中上健次と会った夜」は何度も読んでる。すごくいい。 中上は文化人類学や構造主義とか、詳しかったのかな? 詳しかったと思うよ。もちろん作品に直接書いたりはしないけど。 「岬」における兄妹姦に関してのリアルではないという
それについての批判に関して
あれは周囲で実際にあった話だと
中上自身が言っていたからかなりリアルな話なんでしょ
蓮實や柄谷はそんなことは事実かどうかはどうでもいいという趣旨の話をを
「闘争のエチカ」で話していたが 「岬」の「きょうだい」に現実のモデルが存在するとして、存在すると認めるのってほとんど人権侵害でしょ。 闘争のエチカこの前買ったけど読んでない。楽しみだな 闘争のエチカは単行本も文庫本も持っているよ
小説から遠く離れても探究Uも両方ある
陥没地帯も両方持っている
近代日本の批評も福武書店版の単行本と講談社文芸文庫の両方持っている
探究Uはまだ文庫本が出てなかったから単行本を買ったわけだが
他にも両方持っている本があるけど基本文庫派だから
文庫が出たらそれを買う
失われた時を求めては新潮社版の単行本とちくま文庫の両方ある
それと岩波文庫の第一巻のみ 『闘争のエチカ』は、両義的というか、曖昧というか、今は全く流行らない表現法が取られてることは置くとしても、中上の最良部分、或いは本質を掴むのに多分、失敗してるのではないかな? 僕はちくま学芸文庫の新刊「柄谷行人講演集成1995-2015」を買ったよ。さっき最初の2つ読んで、それは読んだことあったけどやはり面白かったな。 pは柄谷の弟子なんだろ?
師匠と高尚な話をしてるんだろうな。 ある意味、ジャネも柄谷の影響を多大に受けてるから、二人は兄弟弟子とも言える。 僕は話した事ないけど、柄谷行人はタイガースとギャグ漫画の話しかしないらしいよ。 十九歳のジェイコブがいちばん好きなんだ
傑作と呼ばれる事はこの先もきっとないんだろうけど
ごく個人的に忘れられない作品
初読の時点から淡い印象しかないのにずーっと心に残ってる ジェイコブは1ページ目から
コルトレーンのアルトが、とやらかして萎える 阿部和重 - アメリカの夜 (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/406273057X/
これは明確に「中上健次以後」という文脈を意識している こいつどのスレでも的はずれなこと言ってハブられてるな
「アルト」サックスが問題とすぐわからないなら
しゃしゃりでてくんなって そんなの誰も興味ないでしょ。コルトレーンはアルトサックスじゃないって?だから何だっつーのよ(笑) 「十九歳のジェイコブ」を読んだことがないので
作中のコルトレーンのアルバムの詳細は知りませんが
ジョン・コルトレーンの「Live in Japan」(1966)では
YAMAHAからプレゼントされたアルト・サックスを吹いているのですよ
ジャケ写にもばっちり写ってます 少なくともコルトレーンがアルトサックス吹けたのは確かだよね アルトだけじゃなくソプラノも吹いてるしクラリネットやフルートも吹いてるだろ そんな遊びでやっている特殊なものは吹いたうちに入らない
トレーンがソプラノを本気の楽器として併用できたのはテナーと
フィンガリングが同じだから
まともなジャズファンからしたら
コルトレーン、アルトなんて違和感しかない 中上もそういうこと言われたくてわざと書いたんだと思うよ(笑) だからよく知らないことについてしゃしゃりでるなって
コルトレーンについて体験に裏打ちされた確たる像が
自分の中に無いやつが
コルトレーンなら阿部和重にもでてきた
とか固有名詞だけペラペラさせてはしゃいでるのは馬鹿の極み
だいたい阿部和重こそどうでもいいわ てか冒頭でジェイコブが聴いてるのがアルトサックスだったらテナーサックスと書く方が間違ってるだろ?
http://i.imgur.com/eEIVvee.jpg ジェイコブが聴いているのがコルトレーンなのだとしたら
それはテナーかソプラノでないと物凄く不自然
コルトレーンは極めて稀な例外の座興を別とすれば
テナーかソプラノしか吹かないのだから
中上は口で言うほどジャズは好きでなかっただろう
サックスの区別も怪しいレベルだから
風俗として消費してはいたが音自体をちゃんと聴けていたとは思われない お勉強したこと喋りたくてたまらないタイプだな(笑) 小説の時代背景が合致するならば、アルト該当曲のアルバム発売が1973年ですので
コルトレーンを熟知している人はこの部分に引っかかって
アルトということは『live in Japan』(日本発売当時『コルトレーン・イン・ジャパン』)の
「My Favorite Things」かしら?この曲だけでLP1枚(一時間弱)だったなあ…20分に及ぶソロ、
フリージャズどっぷりのころだな…翌年死んじゃうんだよな…
とか思いを巡らせるのではないでしょうか
読んでないのに長文すみません はあ、晩年はアルトも吹いていたわけね
ジェイコブは学生運動が下火になった70年代中頃が背景だから
時代的にはあっているね いやそんな無理矢理な辻褄合わせをする必要ないんじゃないの?
想定される一般読者はコルトレーンコンプしようという人間な?
中上がジャズに詳しく無いのは、ジャズ関連エッセイからも
伺い知れるでしょ 町田の評を出すまでもなく、新世紀にはやはり「軽蔑」は再評価されねばなるまい メロドロマの定型に嵌まるまいと十分に意識しながらも定型に敗れていく登場人物たち >>569
>新世紀にはやはり「軽蔑」は再評価されねばなるまい
逆に前世紀には評価されていなかったのか?
発表当初は作者の新境地と言われていたんだけど 「日輪の翼」以降の作品は「奇蹟」以外は評価対象外という感じ Kentaro_SUZUKI
『Mother』脚本の坂元裕二氏は『東京ラブストーリー』脚本も書いた人だが、当時の中上健次との対談でも骨があった。
中上は「赤名リカ」を絶讃した
http://www.sakuhinsha.com/japan/20626.html
2013年7月3日
坂元裕二氏との対談で中上健次氏は赤名リカ(鈴木保奈美)を絶賛する一方、カンチ(織田裕二)を田舎者として罵倒していた。
その後、今の坂元氏は、織田のごとき男を主人公にする必要なく、女を主として劇をつくっている。
2017年3月10日
中上健次「周りの空気を読みながら、でも内側ではブツブツと「本当はわたし、
違うのよ」と言う、そういう日本独特の女の子たち・・・」
坂元裕二「それは悪しき部分ですよ。僕のまわりでは、本当に自分を持っている子は
思いを口に出しているんです。でもそういう子は、周りから確実に
嫌われるんです。僕はまずその子たちをかばいたいんですよ。」 中島みゆき『時代』が今日も歌い継がれる理由
〜縁の深い3人が、その答えを出した
田家 僕がみゆきさんと出会ったのは、じつは『週刊現代』がきっかけだったんです。
'75年か'76年に東京の豊島公会堂で『週刊現代』の記者が主催した作家や歌手との交流イベントがあって、
僕もそれに誘われて出かけていった。
そしたら、まだデビューしてまもないみゆきさんがゲストで来ていて、楽屋で紹介されたんです。
彼女はジーパンはいて、白いシャツを着ていました。
田家 そのイベントには作家の中上健次さんもゲストで来ていて、「愛唱歌だ」と言って、
みゆきさんとふたりでデビューシングルの『アザミ嬢のララバイ』を歌っていました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48297
甲斐さんが、当時のインタビューで…
「80年代なんて80年からは始まらないって
中上健次が言ってたけど、その通りだと思う
突然80年ですからって始まったものこそ、ウソっぱちなんだよ」
「2〜3年前は、80年ってスゴく意識してたけど
これだけ80年代という言葉が氾濫すると
誤魔化されてるって思えて来るのね
80年代に向けて放ったりはしない
俺たちは今を撃ちたいよね、79年の今を」
http://blog.goo.ne.jp/noheji327/e/b37a55d5c1d0b0a3037194841f682ed3 「異族」。
良かった、面白かったといいたいのだが、そうさせないものがある
根本的に何か違う気がする 「異族」に好意的な書評なんてほとんどないだろう
失敗作というのが定説だし 中上が読んだフォークナー作品って誰の翻訳かわかりますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています