紀州【中上健次】熊野
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「岬」における兄妹姦に関してのリアルではないという
それについての批判に関して
あれは周囲で実際にあった話だと
中上自身が言っていたからかなりリアルな話なんでしょ
蓮實や柄谷はそんなことは事実かどうかはどうでもいいという趣旨の話をを
「闘争のエチカ」で話していたが 「岬」の「きょうだい」に現実のモデルが存在するとして、存在すると認めるのってほとんど人権侵害でしょ。 闘争のエチカこの前買ったけど読んでない。楽しみだな 闘争のエチカは単行本も文庫本も持っているよ
小説から遠く離れても探究Uも両方ある
陥没地帯も両方持っている
近代日本の批評も福武書店版の単行本と講談社文芸文庫の両方持っている
探究Uはまだ文庫本が出てなかったから単行本を買ったわけだが
他にも両方持っている本があるけど基本文庫派だから
文庫が出たらそれを買う
失われた時を求めては新潮社版の単行本とちくま文庫の両方ある
それと岩波文庫の第一巻のみ 『闘争のエチカ』は、両義的というか、曖昧というか、今は全く流行らない表現法が取られてることは置くとしても、中上の最良部分、或いは本質を掴むのに多分、失敗してるのではないかな? 僕はちくま学芸文庫の新刊「柄谷行人講演集成1995-2015」を買ったよ。さっき最初の2つ読んで、それは読んだことあったけどやはり面白かったな。 pは柄谷の弟子なんだろ?
師匠と高尚な話をしてるんだろうな。 ある意味、ジャネも柄谷の影響を多大に受けてるから、二人は兄弟弟子とも言える。 僕は話した事ないけど、柄谷行人はタイガースとギャグ漫画の話しかしないらしいよ。 十九歳のジェイコブがいちばん好きなんだ
傑作と呼ばれる事はこの先もきっとないんだろうけど
ごく個人的に忘れられない作品
初読の時点から淡い印象しかないのにずーっと心に残ってる ジェイコブは1ページ目から
コルトレーンのアルトが、とやらかして萎える 阿部和重 - アメリカの夜 (講談社文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/406273057X/
これは明確に「中上健次以後」という文脈を意識している こいつどのスレでも的はずれなこと言ってハブられてるな
「アルト」サックスが問題とすぐわからないなら
しゃしゃりでてくんなって そんなの誰も興味ないでしょ。コルトレーンはアルトサックスじゃないって?だから何だっつーのよ(笑) 「十九歳のジェイコブ」を読んだことがないので
作中のコルトレーンのアルバムの詳細は知りませんが
ジョン・コルトレーンの「Live in Japan」(1966)では
YAMAHAからプレゼントされたアルト・サックスを吹いているのですよ
ジャケ写にもばっちり写ってます 少なくともコルトレーンがアルトサックス吹けたのは確かだよね アルトだけじゃなくソプラノも吹いてるしクラリネットやフルートも吹いてるだろ そんな遊びでやっている特殊なものは吹いたうちに入らない
トレーンがソプラノを本気の楽器として併用できたのはテナーと
フィンガリングが同じだから
まともなジャズファンからしたら
コルトレーン、アルトなんて違和感しかない 中上もそういうこと言われたくてわざと書いたんだと思うよ(笑) だからよく知らないことについてしゃしゃりでるなって
コルトレーンについて体験に裏打ちされた確たる像が
自分の中に無いやつが
コルトレーンなら阿部和重にもでてきた
とか固有名詞だけペラペラさせてはしゃいでるのは馬鹿の極み
だいたい阿部和重こそどうでもいいわ てか冒頭でジェイコブが聴いてるのがアルトサックスだったらテナーサックスと書く方が間違ってるだろ?
http://i.imgur.com/eEIVvee.jpg ジェイコブが聴いているのがコルトレーンなのだとしたら
それはテナーかソプラノでないと物凄く不自然
コルトレーンは極めて稀な例外の座興を別とすれば
テナーかソプラノしか吹かないのだから
中上は口で言うほどジャズは好きでなかっただろう
サックスの区別も怪しいレベルだから
風俗として消費してはいたが音自体をちゃんと聴けていたとは思われない お勉強したこと喋りたくてたまらないタイプだな(笑) 小説の時代背景が合致するならば、アルト該当曲のアルバム発売が1973年ですので
コルトレーンを熟知している人はこの部分に引っかかって
アルトということは『live in Japan』(日本発売当時『コルトレーン・イン・ジャパン』)の
「My Favorite Things」かしら?この曲だけでLP1枚(一時間弱)だったなあ…20分に及ぶソロ、
フリージャズどっぷりのころだな…翌年死んじゃうんだよな…
とか思いを巡らせるのではないでしょうか
読んでないのに長文すみません はあ、晩年はアルトも吹いていたわけね
ジェイコブは学生運動が下火になった70年代中頃が背景だから
時代的にはあっているね いやそんな無理矢理な辻褄合わせをする必要ないんじゃないの?
想定される一般読者はコルトレーンコンプしようという人間な?
中上がジャズに詳しく無いのは、ジャズ関連エッセイからも
伺い知れるでしょ 町田の評を出すまでもなく、新世紀にはやはり「軽蔑」は再評価されねばなるまい メロドロマの定型に嵌まるまいと十分に意識しながらも定型に敗れていく登場人物たち >>569
>新世紀にはやはり「軽蔑」は再評価されねばなるまい
逆に前世紀には評価されていなかったのか?
発表当初は作者の新境地と言われていたんだけど 「日輪の翼」以降の作品は「奇蹟」以外は評価対象外という感じ Kentaro_SUZUKI
『Mother』脚本の坂元裕二氏は『東京ラブストーリー』脚本も書いた人だが、当時の中上健次との対談でも骨があった。
中上は「赤名リカ」を絶讃した
http://www.sakuhinsha.com/japan/20626.html
2013年7月3日
坂元裕二氏との対談で中上健次氏は赤名リカ(鈴木保奈美)を絶賛する一方、カンチ(織田裕二)を田舎者として罵倒していた。
その後、今の坂元氏は、織田のごとき男を主人公にする必要なく、女を主として劇をつくっている。
2017年3月10日
中上健次「周りの空気を読みながら、でも内側ではブツブツと「本当はわたし、
違うのよ」と言う、そういう日本独特の女の子たち・・・」
坂元裕二「それは悪しき部分ですよ。僕のまわりでは、本当に自分を持っている子は
思いを口に出しているんです。でもそういう子は、周りから確実に
嫌われるんです。僕はまずその子たちをかばいたいんですよ。」 中島みゆき『時代』が今日も歌い継がれる理由
〜縁の深い3人が、その答えを出した
田家 僕がみゆきさんと出会ったのは、じつは『週刊現代』がきっかけだったんです。
'75年か'76年に東京の豊島公会堂で『週刊現代』の記者が主催した作家や歌手との交流イベントがあって、
僕もそれに誘われて出かけていった。
そしたら、まだデビューしてまもないみゆきさんがゲストで来ていて、楽屋で紹介されたんです。
彼女はジーパンはいて、白いシャツを着ていました。
田家 そのイベントには作家の中上健次さんもゲストで来ていて、「愛唱歌だ」と言って、
みゆきさんとふたりでデビューシングルの『アザミ嬢のララバイ』を歌っていました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48297
甲斐さんが、当時のインタビューで…
「80年代なんて80年からは始まらないって
中上健次が言ってたけど、その通りだと思う
突然80年ですからって始まったものこそ、ウソっぱちなんだよ」
「2〜3年前は、80年ってスゴく意識してたけど
これだけ80年代という言葉が氾濫すると
誤魔化されてるって思えて来るのね
80年代に向けて放ったりはしない
俺たちは今を撃ちたいよね、79年の今を」
http://blog.goo.ne.jp/noheji327/e/b37a55d5c1d0b0a3037194841f682ed3 「異族」。
良かった、面白かったといいたいのだが、そうさせないものがある
根本的に何か違う気がする 「異族」に好意的な書評なんてほとんどないだろう
失敗作というのが定説だし 中上が読んだフォークナー作品って誰の翻訳かわかりますか? フランスかどっかの笑い話。
青年が女の子を好きになった。結婚したいと自分の父親にいった。
父親は暗い顔をしていった。
母さんには内緒だが、あの女の子はおれの子どもなんだ。
それでもあきらめきれない青年は、母親に相談した。
それじゃあ大丈夫だね。あなたは父さんのほんとうの子どもじゃないから。
中上健次も要約だけすると、わりとこういう話なんだけど。 中上健次集〈1〉野性の火炎樹、熱風、他十一篇 単行本 – 2017/7/7
中上健次 (著)
単行本 ¥ 4,320
内容紹介
病に斃れ未完に終わった晩年の大作「熱風」570枚、路地の混血青年マウイを主人公にした「野性の火炎樹」390枚、いずれも「千年の愉楽」「奇蹟」でお馴染みの中本の一統が活躍する二作をカップリング。
併せて単行本未収録の連作「町よ」、アキユキが登場する「火ねずみの恋」など知る人の少ない短篇五篇、柄谷行人との最後の対談、逝去直前の渡部直己によるインタビューなど、最晩年必読の読み物を収録、
1984年神保町・東京堂でのブックフェア用に作家が選んだ選書リスト150冊などの資料を満載し、大澤真幸の解説を得て、シリーズ最大720頁で贈る決定版!
目次
野性の火炎樹
熱風
香港
シンガポール
ヒタノスの涙
タンヘルの雨
イテウォンの女
踊り子イメルダ
天の歌
火ねずみの恋
大鴉
青い朝顔
蘭の崇高
私の因業な兄たち
[講演]小説家の想像力
[対談]柄谷行人、中上健次 路地の消失と流亡─中上健次の軌跡
[インタビュー]渡部直己 シジフォスのように病と戯れて
物語/反物語をめぐる150冊
解説─大澤真幸
解題─高澤秀次
校異 彼や彼の周辺人物が被差別部落を「路地」としてしまったのは当時の時代背景や自身への影響を
考えてのことかもしれないけど、ある意味で罪深いよね。 中上の実父も母も新宮の路地出身ではなく流れ着いただけらしいがそれで中上は非差別部落民になっちゃうの?
たまたま部落地区に一時的に住んでただけでも部落民になってしまうものなの? 商品の詳細
中上健次『枯木灘』を読む(文芸漫談コレクション) (集英社ebookオリジナル)2017/7/28
奥泉光、 いとうせいこう
Kindle版
¥ 108 鰐の聖域は路地の解体後の路地を扱った隠れた傑作だな
蘭の崇高、これはなんというか・・・うーむ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 「地の果て至上の時」=「万延元年のフットボール」
「枯木灘」=「個人的な体験」
を提唱したい
枯木灘は明らかに過大評価で地の果ては明らかに過小評価 地の果ての評価をもう少しあげたいという気持ちはわかるが
枯木灘の優位は揺るがないでしょ
枯木灘に贅肉、いらない細部はないし
クライマックスの盛り上げも物語の終結もバッチリ決まっている
地の果てはその必要性があるのか不明に単に長いし
どうやって終わらせるかもかなり苦慮している
ジンギスカンがとかポモへの目配せも妙に
観念的に過ぎ浮ついた感じになっている
まあもちろんただの個人の感想だけどね
岬 個人的
枯木灘 万延元年
地の果て 同時代ゲーム
奇蹟 懐かしい年への手紙
かな
奇蹟はちょっと褒めすぎかもだが naoto (脱原発に一票)
犬にどこまで日本語が理解できるか #bookmeter
田村さと子先生の講演(中上健次文学会)と講座(NHK青山教室)があります。
田村さと子「我家の犬神さま」幼馴染の木下健次君(のちの作家中上健次)もクマ子を飼っていた。
2017年10月11日
中沢けい
来月韓国の光州へ行く。中上健次と親しかった作家の韓勝源さんのお嬢さん韓江さんに案内してもらう。
韓江さんは新宮で会って以来なので楽しみ。
韓江さんは「菜食主義者」で国際ブッカー賞を受賞されたお祝いを言わなくっちゃ。
光州は鴨鍋が名物。私は菜食主義者じゃないから鴨鍋を食べてこようっと。
2017年10月12日 枯木灘、読んでるんだけど
人物の関係が難しくてよく分からない
誰と誰が本当の親子で、誰が連れ子でとか
ややこしい
あと、「女にエライ」ってどういう意味なの? >>607
枯木灘の本文に
「おれより○○(人名)の方が、女にエライ」とあるんだけど
文脈からしてモテるってことなのかな?
しかし、人物関係が複雑な小説だ… 人物相関図ついてるでしょ
連れ子に限定すれば
アキユキが兄弟姉妹のなかで一人父親が違い、
そしてアキユキのみが連れごとして母親の再婚相手竹原につれられていった
女にえらいは
甲斐性があってモテる
とか
セックスが得意で喜ばせられる
とかいろんな含みがあるのでしょう >>609
人物相関図言われて初めて気が付いたw
女にえらいについてありがとう 中上健次・津島佑子・大江健三郎 NAKAGAMI Kenji, TSUSHIMA Yuko, OE Kenzaburo
1990年、フランクフルトの書籍市場、Frankfurter Buchmesse 1990
http://www.art-it.asia/p/sfztpm/DAtZCqHWw4VSsE7LKOYe/8.jpg
中上健次と大江健三郎
(厳しい意見交換)
http://www.art-it.asia/p/sfztpm/DAtZCqHWw4VSsE7LKOYe/9.jpg あいてあってのことだから仕方ないかもだが
電子全集の対談、端折られたもの多く全然網羅的でないな
大江、四方田、スガ、あたり本来あったと思うんだが >>612
「全発言」とか欲しいけど高すぎるよね…しかし電子全集で端折るって電子全集の意味が全くないですな。 大江が「草稿を仕上げてから書き直すのが私の作家としての仕事」みたいな事を言ったら、中上が激昂して「作家に書き直しはあり得ないんだ!」とか言い出す対談あったよね 高橋源一郎のジェイムス ジョイスを読んだ猫の、
P21からの荻窪タイムスに中上健次のことと写真が5枚載ってるで。 名作の現場
第35回 中上健次『枯木灘』 案内人・島田雅彦(その1)
https://mainichi.jp/articles/20180203/ddm/014/070/018000c
日本の近代文学は前近代の家族制度に伴う呪縛から逃れることを目指し、
おのが出自、血縁を呪う主人公を複数輩出して来た。
彼らは良家と姻戚関係を結ぶための政略としての結婚、家業や家名を存続させるための養子縁組、
家督の相続を巡る骨肉の争い、世襲化、固定化された職業、階級といった問題に常に直面していた。
『破戒』の島崎藤村然(しか)り、養子としての過去に悩んだ夏目漱石然り、母の狂気の血統を恐れた芥川龍之介然りである。
小松左京は『日本沈没』で「琵琶湖の小アユ論」なるものを展開している。
戦前の日本社会では「家」や「世間」が基本単位になっていて、成人男子は「家」を代表し、世間の荒波に向かっていったが、
戦後は核家族化と福祉の充実により、社会の過保護状態がすすみ、成人男子が女性化、幼児化しつつある。
いわば、琵琶湖のアユのように小型化し、世界の大人としての成熟の機会を失ったというのだ。
高度成長期の保守言論人が唱えそうな説ではあるが、この議論に一つ付け加えるとすれば、
日本の父権の権威は敗戦によって、地に落ち、アメリカという新たな超自我が現れ、
日本の父はそれにただ追従する社会になったので、もはやオイディプス的な「父殺し」のテーマ設定は成り立たなくなった。
しかし、紀州出身の中上健次は例外だった。 「日輪の翼」でお粥のことを"お粥さん"と呼ぶことを知りました。
お婆さんたちが最後に全員消えた理由は、わかりませんでした。
主人公が婆さんを待ちきれず無慈悲な出発をしたのは「おいおい(汗)」と思いました。 >>619
>日本の父はそれにただ追従する社会になったので、
>もはやオイディプス的な「父殺し」のテーマ設定は成り立たなくなった。
>しかし、紀州出身の中上健次は例外だった。
中上文学の本質は父性の否定などではなく
不在の父を超越的な一者と設定することで
母子相姦や親族殺人を回避しようと試みに過ぎない
結局、異母兄弟を姦・殺する結果に終わり
そのやましさからの逃避先として父の定義を再改定したが
現実の父は単なる中年男に過ぎず、あっけなく死んでしまう
倫理基盤の薄弱な「罪」の意識をもつ主体が残っただけで
これが別系統の中本の一統による欲望にバトンタッチされるのだが
これも現代資本によってあっさりと消費されて終わり
この段階で作者中上の人生も終わった 母親殺しのテーマは?精神的殺害とか。分析でよくなるけど。 7月の幽霊 カズオイシグロにそんなこと書いてあったけど。 Shoko Egawa
『朝日ジャーナル』の伊藤正孝編集長は、私が『諸君!』に書きつつ、朝ジャにも書くことを、むしろ褒めてくれた。
イデオロギーで縛られない自由な思考を許容し、思いや好き嫌いを越えた事実の力を大事にした時代。
それを過去のものにはしたくないなぁ
Hard Blow!
伊藤編集長時代は田中康夫のフライデー批判があり、中上健次の小説があり、
四方田犬彦や渡辺直巳のエッセイがあり、有田さんや江川さんのカルト批判記事があり、
別役実と朝倉喬司の犯罪季評対談がありそりゃあ面白かった。
後任の下村満子編集長時代はオカルトやニューエイジ全開で最悪だった。
2018年3月24日 ぼくの熊野を読み解くために
中上健次(作家)
京都の太秦の家に保田與重郎氏をたずねたことがあった。
やくたいもなく私の故郷熊野と保田與重郎氏の大和のいずれが強力なのか,と問うと,
保田與重郎氏は,若い頃,熊野を歩き廻った,熊野の玉置山の大杉を見たかと問い返された。
保田與重郎氏のその時の言葉は,ことごとく謎として今もある。
古典に殉じる程の書物の人が,歩いているのである,熊野を。(中略)
私には,大和の保田與重郎を読むことは,熊野を新たに読み解くことなのである。(昭和六十年執筆) 電気サーカス|唐辺葉介
あの頃に挑戦したアルバイトのうち最悪だったのは、地下鉄の工事現場の仕事だったろうか。
そこは中上健次の小説の主人公が、強姦をする前に働いていそうな現場だった。
地下の奥深くで職人がドリルで掘り崩したコンクリートの瓦礫を、
ガラ袋一杯に詰めて地上まで担いで登るのだけれど、肉体的に過酷なのはもちろん、
空中に舞い上がる粉塵が視界を真っ白に染めて、それを吸い込むとマスク越しでも口元が真っ黒になるのが辛い。
おまけにその時僕は感冒にかかっていたので、次第に意識もぼんやりとし、ここが自分の墓場になるのだと確信した。 昨年、玉置山山頂と玉置神社に行ってきた。原生林がそこらじゅうにあって
確かに杉の大木がいくつもあった。
検索したらいくらでも出てくるけど、玉置神社は呼ばれないと
たどり着くことができないらしい。
谷底の国道からでも車で1時間近く登ったところにある。 サントリー文化財団 2017年度 海外出版助成の決定
『日輪の翼』(中上 健次著)
住み慣れた熊野の「路地」から立ち退きを迫られ、トレーラーで旅する老女の物語。
人間の原初の輝きを生き生きと描き出した中上健次の傑作。黒眼晴文化事業有限公司(台湾)より出版予定。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています