もうまともな人たちはここを見に来ないのかもしれないけど、
それに、妄言の類に反論しても意味がないかもしれないけど、念のため。

>「吉田健一は、三島由紀夫ののみ友だちだったが、太宰治のせいで、絶交した。 」
→鉢の木会での親交から一転、絶交状態になったのは事実だが、太宰治が原因ではないだろう。
 Wikiの吉田健一の項に原因として挙げてあるのは、三島家の家具、『鏡子の家』、『宴のあと』。

>「吉田健一は、孤高のひとだから、年下の人間とはのまないだろう。」
→まず、三島由紀夫は年下。
 吉田健一の『交友録』 に「若い人達」という章があるし、そこに挙げられている人物以外でも、
 辻邦生や三浦雅士などに、吉田健一と酒席を共にした回想がある。

>「吉田健一は、ランチョンで、太宰治の霊と、河上徹太郎の霊にいのっていた。」
→「霊」とは生霊も含むのかもしれないが、吉田健一は1977年没、河上徹太郎は1980年没。

>「河上徹太郎は無名で、吉田健一の本にもでてこない。 」
>>168さんが書いている通り。河上徹太郎は吉田健一に大きな影響を与えた師であり、友人。
 吉田健一による言及は多数あるが、『日本の現代文学』や『交友録』に「河上徹太郎」の章がある。

>「太宰治の墓のとなりには、漱石の墓があるはずだ。 」
→三鷹禅林寺の太宰治の墓の斜め前にあるのは、鴎外の墓。漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にある。