【酒・酒】吉田健一【酒・酒】
吉田氏は静かな生活を愛されけり。生活があって詩や文学が生まれけり。
昨今のノベル賞騒動、『文學が文學でなくなる時』と嘆かれたまひなむ。 白洲正子の随筆に、酒に酔ったケン坊(吉田健一)の
おう吐の仕方がすごかったと書いてある。
面白かったけど、きたない話なので詳しい内容はここには書かない。 >>74
「文学が文学でなくなる」とは、吉田健一にとって、肯定的な意味ですよ。
例えば、『文學が文學でなくなる時』の62-63頁にはっきり書いてある。 >>76
そんな当たり前のことを偉そうに書かないほうがいい。恥ずかしい。 >>75
へえ、白洲は嫌いなので読んでない。
ご紹介願えないでしょうか、その汚いハナシ。 76みたいな無意味な知識のひけらかしはやめよう
シラスさんは吉田氏を見下してたんでしょ なんで吉田健一スレで、吉田の「持論」はこうだろう、と書いて、
82のようなことを言う人が出るのか。
そういうのが文学板の奇怪なところだね。
わたしは、76とは別人である。吉田健一について詳しくないので、
76のレスは、なるほどそんなものか、と思った。 >>83に全面的に同意ですね。
吉田健一の板だけにはなにか、79とか82などの、ほんと通俗の悪さだけをあらわすような、
与太公の与太話、在ってほしくはないのです。 どこが偉そうなのかね。
たんに、何々に書いてある、いっただけのことだろう。 偉そうだから叩く、という発想のみじめさを酒の肴にするスレはここかな? >>76
ご教示、かたじけなう御座る。
>「文学が文学でなくなる」とは、吉田健一にとって、肯定的な意味ですよ。
といふご指摘はその通りなり。全体的な意味としてはそれが正しいと存ずる。
ただ、氏はこの書の中で「文學」といふ語を肯定的な意味にも、否定的意味にも使ってをる。
また、「何々が何々でなくなる」とは、否定的な意味にとるのが、日本語の勢いの自然ににあらずや。
(「吉田健一が吉田健一でなくなる時」)それゆえ、そこにひとへにかくなりと決めつけ難きものを感ずるなり。
とまれかくまれ日本語は難しきもの哉。このこと猶よく考ふべし。
『文學が文學でなくなる時』を何十年ぶりかに再読し、そこにある「文學」「言葉」「生活」
「詩」「生命」「親しみ」などは「吉田文學」のキーワードなりと感じけり。この本が講談社文庫になきはくちをし。
なお同文庫の「文學の楽しみ」はよく似たものなので、関心のあるご仁は読まれたし。
言はずもがなのことかもしれぬが、以前どこかのスレにあつたので序に言つておくが、エリオツト批判がこの書の一つの筋也。 >>91
76をカキコして、一部のかたを感情的にしてしまったようなので、若干凹んでました。
一言、あなたのレスは嬉しいです。吉田健一を再読する喜び。 76本人かなりすましか知らないが、
どうでもいい知識を押し付けるから、アンタは批判されるんだよ。 >>93へ
もうそろそろあなた、このスレから出ていくべきだと思うけど。
オレ、はっきりいって議論の当事者ではないけれど、どうにも、93、美しくないぜ。 >>94
そうそう、粋じゃないんだよね。
どうでもいいというように対象を曖昧にした否定的言辞は批判ではなく、癇癪持ちのいちゃもんですわな。
内省の猶予もなく反射的に自衛を試みる人もいるようですが、あまりにも吉田健一の身振りからは遠い。
もっとも吉田を嫌う人が見に来ても何ら問題のないスレッドではありましょうが。 彼は書物を読み嘘をつかず身なりを気にせずわざを磨くために飯を食わなかった
後指をさされると腹を切った
恥しい心が生じると腹を切った
かいしゃくは友達にしてもらった 吉田健一って、高価そうなスーツ着てたな。
街中で引き立つほど、ああ、英国製生地だなと一見して思うような。
まあ、口は甥っ子と一緒で歪んでいたがね。 >>98
ミーハー的好奇心で恥ずかしいけど、
吉田健一の声質・口調の印象は何かありますか?
やはり吉田茂に似た豪放磊落な感じ? >>99
吉田暁子の『父、吉田健一』がそのへんのことにも触れていたような。
因みに、あの本で印象に残っていること。
酒浸りのひとというようなイメージの吉田健一だったが、じつは彼の日常はけっしてそんなふうではなかったということ。
たいがいは書斎にて、読書なり執筆なりに時を費やしていたらしい。
穏やかな、落ち着きのある、そして家族との対話も十分にある、すこぶる健全な、繰り返しの日々。
しかし、考えてみれば、それはそうだよなー、と。
作家、翻訳家、評論家、いろんな顔において特別に優れた仕事をなしたひと。
飲んだくれではなかなか、ねえ。
非常に悲しそうな顔をふとみせることがあった、といったような記述が数回出てきた記憶もあり、
そこにこそ、吉田健一の凄さの秘密も隠されているのかなあ、なんて思った記憶もあり。
吉田健一は、たえず酒の中にいて、酒の夢中に漂っていてほしかったという思いもあるけれど、
しかし、さすがに吉田健一は偉人、酒がなくとも十分に書斎の本に囲まれながら夢中にあったのだ… かれが並の人間であるはずもなし…
なお、暁子さんの本を読んだのは1〜2年前。
記憶違いな、いい加減なことをここに書いたに違いありませんが、ーーお許しを。 ご息女の本は、当然ながら下劣な暴露本の類と正反対で、
父上への思慕が伝わる、穏やかな筆致で一貫してるね。
そういえば、週一回の「饗宴」の列席者だった三浦雅士の回想中に、
ある時偶々、裏手近くの扉からランチョンに入店した際、
一人で席に座って、普段見せることのない極めて厳しい表情で、
何事かを思索している吉田健一の横顔を瞥見してしまった、
しかし、三浦氏に気付いた吉田健一は、いつもの笑顔に変わり、
「君、ビールね?」とすぐにオーダーしてくれた、
という記述があったような。 偉人だとか、並みの人間であるはずもなし、とかって・・・
ランチョンに裏手近くの扉なんてあったかなあ。
言われてみれば正面から入って左手奥に勝手口みたいなのがあったような
気もするが、いまや記憶も茫々として。 >>101は何の典拠もない狂人の妄想なんだから、真に受けちゃ駄目ですよ >>101
三浦雅士の回想を紹介して何を言いたいのか。お得意のムダ知識のひけらかし? >>105
そう言ってしまえば、>>101は何を言いたいのかまったく無意味なエピソードの
紹介で、三浦のオリジナルはもっと内容があったに違いないが、
しかしこれはたんに>>101のあたまの働きがあんまり澄み渡っていないせいだろうと
考えることができるわけで、お得意のひけらかし?などと意地悪に取る必要もない。 お前ら吉田健一を美化しすぎ。
だから>>101みたいな気持ち悪いカキコが現れる。
どうせ無意味なエピソードを書くなら、こんなのもある。
「吉田健一はランチョンで酔っぱらうと、
ビールのジョッキをわざと床に落として割りまくっていた」 その程度のつまらない酒絡みの逸話なら、俺ですらいくつか知ってる
・酒席で川村二郎が「毛唐」という発言をしたら、怒ってお膳をひっくり返した
・英国視察旅行の際、酔ってホテルに戻り、「お釣りが遅い」とボーイに絡んだ
(これは吉田健一本人が随筆で書いている)
・同旅行中「英詩がなかなか覚えられない」と愚痴った福原麟太郎(15歳年上)に対し、
「だったら英文学者をやめちまえ」と激昂した エピソードを羅列されるだけだと、読むほうは辛い。
書いているアナタも楽しくないのではないか? 書き方でニュアンスがずいぶん変わるからね。
>>109だったら「ランチョンで酔っ払うと」という振り方では、毎度そんな
あばれかたをしている印象になるけど、そんなはずはないのでやはり歪んだ
伝わり方をするね。ランチョンの生ビールは薄いガラスの中ジョッキなので、
たしかに床に落とせば割れただろうが当時の店はオープンのワンフロアなので
そんなことをすればほかの客への迷惑どころか危険だし、常連客といえども警察沙汰もの。
ひとりで飲んでたわけでもなく連れがとめないはずもない。
だから、「酔っ払うと・・・・割りまくっていた」はうそ。 >>110もなんとはなしの悪意が背後にかんじられる言葉使いのせいで、
三つの総和とも共通した嫌な雰囲気をかもしている。
「怒ってお膳をひっくり返した」と書かれると、読むほうは一徹式お膳返し
をイメージするだろうが、そうなのだろうか?福原に対して「激昂」したというが
健一は福原を尊敬していたはずだし、こうしたエピソードを語るにしては言葉使いが
粗雑すぎるのではないか。 >>110
英国のボーイとの話は、ちゃんと続きがあるだろ。
酔って絡んだ、という部分だけを紹介するのは、悪意しか感じられない。 ああ、ホテルのボーイの正体はネス湖の怪物だった、というオチがあったね なんか他者の書いた文章の揚げ足取りばかりでつまらないね。
吉田健一スレに来るひとの大方も、結局は典型的2ちゃねらーなんだな。
吉田健一を読んでも下らない人間は下らない人間だ、という当然の事実が明るみになるばかり。 自論に沿わない書込みを粘着的に攻撃するのが常駐してるからね。
しかもそいつは、吉田健一を碌に読んだことのないハッタリ野郎か、
読んだことがあってもあらかたを忘れてしまった痴呆症のどちらか。
因みに俺は、>>115のような内容の文章を読んだ記憶がない。
俺の記憶違いだったら謝るが、いくら2ちゃんとはいえ、
混乱を招くような尤もらしい嘘を書くべきではないだろう。 吉田健一なんて1冊も読んでません。適当なイメージでカキコしてました。
すみませんでした。 >>117
>>115のボーイがネス湖の怪物だったという話、おれはちょっと覚えてるから
嘘じゃないでしょう。たしか、「酒に呑まれた頭」所収だったような。
かんたんに謝るはめに陥るような軽率なことは書くべきではないだろう。
うそうそ、誤りにはおよびませんとも。 自分が読んだ記憶がないから、そんな文章はないと断言しちゃうってすごい。
きっと、全集を全巻揃えて、すべて読んでるんでしょうな。
だとすれば、このかたは少なくとも「碌に読んだことのないハッタリ野郎」ではない
と考えてよさそうです。と同時に、あんなマカ不思議な怪文章を読んで、かつ記憶に
ないということは普通ないですから「読んだことがあってもあらかたを忘れてしまった痴呆症」
だと疑われてもしかたなさそうです。 自分は>>115と>>118を書き込んだ人間です。
>>118で書いた通り、>>115はネタのつもりでいい加減にカキコしました。
>>119にある、
> >>115のボーイがネス湖の怪物だったという話、おれはちょっと覚えてるから
> 嘘じゃないでしょう。たしか、「酒に呑まれた頭」所収だったような。
というのを読んで、正直、とても驚いています。
これも何かの縁だと思うので、吉田健一の最初の一冊として、
「酒に呑まれた頭」を読んでみます。ちくま文庫にあるみたいなんで。 >>122
水を差すようで悪いけど、少なくとも、ちくま文庫『酒に呑まれた頭』には
ボーイがネス湖の怪物になるような話はないよ
(「ロッホ・ネスの怪物」という小説?は収録されているけど)
自分は117の人とは逆で、吉田健一の本をわずかしか読んでいないので、他の作品集に
「酔った吉田健一がボーイに絡み、そのボーイがネス湖の怪物になる話」
があるかどうかはわからない わたしなどは、一冊、どころか、短いものをいくつか、しか読んでないな。 >「ボーイがネス湖の怪物になる話」
適当な思いつきだけど、「酒宴」と何か別の随筆とがごちゃまぜになってないか? 只今、>>119さんが、手元の吉田健一作品を総チェックして
「ボーイがネス湖の怪物になる話」を探していますので、
もうしばらくお待ち下さい。 >>119(「ボーイが怪物になる話」がある)を前提として
>>121で思い切り毒を吐いちゃってるからね、、、
119=121と別人でもいいので
心当たりがある人は情報をぜひ 真面目な話、>>119=>>121は、
「あんなマカ不思議な怪文章を読んで、かつ記憶に
ないということは普通ないですから」
と豪語して、他人を非難しているのだから、
件の作品が実在していないわけがない。
万一、作品が実在しないならば、
そのあまりに病的な精神に耐えられない。
だから、絶対に該当する作品を見つけて教えてくれ。
本当に頼む。
(自宅に数冊しかないが、私も吉田健一の文庫本を確認している。) ボーイが怪物になる話があるのかないのか知らないけどよ、
>ネチネチ他人の揚足取りばっかりしてる狭量な屁理屈野郎
>「成城だより」も裸足で逃げ出す、トンチキ擬古文の自己陶酔野郎
>突っ込んだ質問をされるといなくなる、
「改装前のランチョン」が決め台詞の吉健との遭遇野郎
これら全部、同一人物のカキコミだよな?
このスレ見てる殆どが気付いてると思うが?
こう書いても、なんのかんのと理屈をこねて改まらないだろうが、
スレの流れを無理矢理思い通りにしようとするのはやめてくれ。 オレは中村剣だ!文学の、物語の革命を!http://ameblo.jp/tn2009/中村剣のお笑い祭り >>129
まあまあ、気持ちはわかるけど、誰と誰が同一人とかいう議論は、
どうしても泥仕合になっちゃうから
昨日からのこのスレのゴタゴタは、
今日明日、吉田健一をまとめて読み返すきっかけになった
特定の文章を本から見つけるのは、意外に時間がかかる場合があるので、
ボーイ=怪物の話の確証も、気長に待つほうがいいだろうね 「STAP細胞はあります!」
「ボーイが怪物だった話はあります!」
なんか似てるよな
ともに主張者が××××っぽいし、現状、限りなくクロに近い灰色だし、
起死回生でシロになる一縷の望みはあるみたいだし?? >>133
いろいろな意味で最高!!
ブックオフじゃなくて俺に売ってほしい。10倍は出す(笑) >>132-133の流れ
「吉田健一:起死回生でシロ」→「吉田健一:岸部四郎」
133は大天才 昨日は笑えるカキコが多かったんだな
>>119-121のドヤ顔の罵倒は、その後の展開を踏まえて読むと、
きれいなブーメランになって書いた当人を直撃してるし、
(「ボーイが怪物だった話」が実在していれば別だが)
>>129では、このスレの暗黙の了解めいていたものがあっけらかんと曝け出されるし、
(個人的には「『成城だより』も裸足で逃げ出す」がツボった)
締めは>>132-133で、まさかの岸部四郎!
日曜の朝にまとめて読めて楽しかったわ >>133
吉田健一著作集だけで30冊強だろ
残りの売るべき本が40冊しか残っていなかったというのも不思議だな たぶんだけどさあ
たぶん、
吉田健一をじっくり読み込んでいるような人間には
ここのやり取り、もう堪えられないんじゃないのかなあ、阿呆臭すぎて
(余計なひと言でした) 2ちゃんなんか牛の糞なんだから、
「吉田健一を読み込んでいる人間」とはそもそも全く無縁だろ。
俺もあんたも、浅薄な知識を振り回して、面白半分に書き込みするのが関の山。
但し、牛の糞にも段々があるんで。 糞でない、ましな媒体とは、どういうものがあるの。
ましなのがあれば、本心から読みたいと思うので、
教えてもらいたい。まこと、これは、切実な気持ちだ。 まずは、吉田健一の執筆物そのもの。
(刻々生まれているものであれば、)なんやかんやいっても、文芸誌。
松浦寿輝、若島正、野崎歓などの評論。 ゼミ、勉強会、読書会。
リアルでも、ヴァーチャルでも。
匿名でないのが絶対条件。
具体的には全く心当たりがない。ごめん。 >>143
この板にのってくる文章よりは文芸誌の文章の方が遥かにマシだが。
何か異論でも? >>145
それはきみが文章を読む力がないからだな
勉強するんだな AKBとそのへんのキャバクラのこも、
あまり変わらないと思うから、
目も悪いかもしれない。
ご意見どうも、気を付けますよ。 >>141さんの「まずは、吉田健一の執筆物そのもの」これだろ。
このスレでの直近のやり取りを見れば歴然としてるが、
吉田健一のテキストをきちんと読んでいないことが原因で、幼稚な混乱が生じている。
岸部四郎さんじゃないが、全32冊の著作集が、(状態にもよるが)3〜4万で揃う時代だよ。
あるいは、文庫本に頼るとしても、相当数の著作を読むことができるよ。 このスレが駄目な理由は、テキスト読んでるとか読んでないとかじゃなく、
それ以前の話じゃないの?
自分の思い通りにならないことがあると、すぐ頭に血が上っちゃって、
勝手に築いた吉田健一像にそぐわないカキコは、言葉尻をとらえて全てインチキ扱い、
他人をやり込めたさに、ありもしない作品の存在を狂信しちゃう、
旗色が悪くなると「ここのやり取り、もう堪えられないんじゃないのかなあ、
阿呆臭すぎて」とケツを捲って他人面、挙句の果てはAKBだ、キャバクラだ、
ほとぼりさめたらキモい擬古文か、他人の回想文のツギハギ使って自慰行為。
こんな低劣なのが幅を利かせているからじゃないの?
自戒を込めていうが、吉田健一の理解を少しでも深めたいなら、こんなスレに関わるな。
このままだと、吉田健一を好きで読んでる自分がだんだん惨めに思えてくる。
俺は今離脱する。俺も負けず劣らず愚劣だが、今までの応答を他山の石にする。ありがとう。 ビアホールの話はよくて、キャバクラがダメというのも、
よくわからないな。 >>150
きみの「切実な気持ち」はどうなったのかね?
だからきみの話は全部ダメなんだよ 今現在のもので、日本語で書かれた素晴らしい作品は切実に読みたいよ。
何を見てもそんなのがないから、あきらめてはいるが。
だから外国のものか、すごく古いものばかり読むことになる。
文学に限らず、音楽も、美術も、近代日本人の作品は、
本心を言えば、どれ一つとして観賞に値しない。
たとえ漱石でも例外ではない。私個人的には、そうである。 >>152
・きみが読む「すごく古いもの」は、例えばどんなもの?
・きみが読む「外国のもの」は、例えばどんなもの?
(「外国のもの」ならば、近代以降のものも読むの?)
・その「外国のもの」を原語で読む? それとも日本語の翻訳で?
・きみが吉田健一に興味を持ったきっかけは?
個人的な興味からの質問だけど、決して冷やかしで訊ねているのではない。
時間があるときにレスを貰えればうれしいし、もちろん嫌だったらスルーでいい。 大切なことが忘れられてしまっているようだ。
第一に、こんな掲示板で何かまともな情報を得よう、何事かをストレートなかたちで
学びたいなどと卑しい心は持たないことだ。とくに文学というのは、フィクションを
援用して何事かを生み出すものであるとしたら、極端な書き込みがあったってフィク
ションとして笑い飛ばせばいいではないか。それをシャレのわからないやつが
妙な説教をはじめたりなどするから雰囲気がわるくなるんだよ。
>>153みたいのは面白いね。どんあレスが付くか楽しみ。 極端なことなどは、何も言っていいないだろう。
美術や音楽の場合、近代日本の作品が、欧米のそれと比べて、
あまりにお粗末だということは、見聞きすればわかることだ。
文学の場合は、言葉の壁があるので、そこまで痛感しくてもよい、
ということにすぎないのじゃないか。
だが、すこし外国のものを読むのに慣れれば、おおきな違いに気づいて、愕然とする、
ということはあるだろう。
日本の前近代の芸術作品は、わたしとしては、「別のもの」として、
比較しないで鑑賞できるので、そういうことが気にならない。 わざわざ変な人のふりなんてしなくていいのに
>>154は>>152に書かれてることを「極端」と言ってるのではなかろう
普通に>>153の質問に答えてあげたら?
具体名が出たほうが、どういう方向であっても、話がしやすいと思うよ そういうことです。
>>154はこの2,3日の書き込み全般についていったので、>>152はまったく
無関係です。
>>152の人はよっぽど自分が極端なことを言ったつもりだったので、つい、
自分ガ言われたと思ったんでしょうね。残念でした。
では、具体的な例をあげながらどうぞ! 極端なことを言ったつもりがないから、
極端なことは何もいっていない、と書いたのじゃないか。
153、ときて、154だったから、勘違いしたのだろう。 スラムを探訪することには、良いところがある。
とりつくろいのない世情がわかることだ。
2ちゃんねる文学板では、日本の文学を取り巻くそれがわかる。 >>153
答えてやろうと思ったが、気が変わった。
スラムは、しょせんスラムだ。
まじめに答えてやっても、理解できないだろう。
もう、二度と書き込まないでほしい。 >>153
あらためて、気が変わった。
土下座して頼むなら、ひとつぐらいは、答えてやってもいい。
ハンガリー語を、たぶん勉強したほうがいいだろう。 >>160
「もう、二度と書き込まないでほしい。」←意味不明
ああ、太宰治と飲んでみてえなあ……
作家である太宰に対して学生というお気楽な立場で……
吉田健一とは……、う〜んちょっと緊張するなあ……、あまりにこちらが
阿呆なもんで、なんか失礼にあたりそうで…… >>162
ばかには書き込んでほしくないから、
書き込まないでほしい、と書いたのじゃないか。
太宰治は、学生の三島由紀夫と酒をのんだ。
吉田健一は、三島由紀夫ののみ友だちだったが、太宰治のせいで、絶交した。
吉田健一は、孤高のひとだから、年下の人間とはのまないだろう。 でたらめを書くひとばかりので、補足しておく。
吉田健一は、ランチョンで、太宰治の霊と、河上徹太郎の霊にいのっていた。
河上徹太郎は無名で、吉田健一の本にもでてこない。 太宰治は、無名ではないが、やはり、吉田健一の本にはでてこない。
本に書かれないことに、私はきづいて愕然とする。
太宰治の墓のとなりには、漱石の墓があるはずだ。
吉田健一は、ランチョンで、漱石をあまりほめないらしい。
やはり、漱石は観賞に値しない。 いったい、なにがだめなのか。
ひとに背侠するならば、外国のものぐらいは読んでほしい。
じぶんがいかにお粗末のか、痛感するだろう。 >河上徹太郎は無名で
ちょっと意味がわからない。
健一の本にもいくらでもでてくる、昭和の代表的批評家の一人を無名って・・・
まあ、あまり係わりをもたないほうが賢明か、さばら! どうも、ここにも、オツムがいっちゃってるひとが何人かいるようで、
どうも、その人たちが主体となって頑張っているようで、
……オレもオサラバするよ! 169だけど、補足しとく。
せっかく1に
「TO THE HAPPY FEW(幸福なる少数者に〈野崎歓訳〉)」
と、スタンダールに「いわば決めの言葉として」(野崎歓)使われた言葉が
書かれていたのになあ、結局はこんなスレになってしまって…… 残念だ…… もうまともな人たちはここを見に来ないのかもしれないけど、
それに、妄言の類に反論しても意味がないかもしれないけど、念のため。
>「吉田健一は、三島由紀夫ののみ友だちだったが、太宰治のせいで、絶交した。 」
→鉢の木会での親交から一転、絶交状態になったのは事実だが、太宰治が原因ではないだろう。
Wikiの吉田健一の項に原因として挙げてあるのは、三島家の家具、『鏡子の家』、『宴のあと』。
>「吉田健一は、孤高のひとだから、年下の人間とはのまないだろう。」
→まず、三島由紀夫は年下。
吉田健一の『交友録』 に「若い人達」という章があるし、そこに挙げられている人物以外でも、
辻邦生や三浦雅士などに、吉田健一と酒席を共にした回想がある。
>「吉田健一は、ランチョンで、太宰治の霊と、河上徹太郎の霊にいのっていた。」
→「霊」とは生霊も含むのかもしれないが、吉田健一は1977年没、河上徹太郎は1980年没。
>「河上徹太郎は無名で、吉田健一の本にもでてこない。 」
→>>168さんが書いている通り。河上徹太郎は吉田健一に大きな影響を与えた師であり、友人。
吉田健一による言及は多数あるが、『日本の現代文学』や『交友録』に「河上徹太郎」の章がある。
>「太宰治の墓のとなりには、漱石の墓があるはずだ。 」
→三鷹禅林寺の太宰治の墓の斜め前にあるのは、鴎外の墓。漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にある。 >>171
でたらめを書いて、なにが面白いのか。
こんあうそばっかりだから、スラムなのだろう。
吉田健一は、交友録など書いていない。遠藤周作のまちがいだろう。
だから、近代日本のものは読めない。 >>172
ごめん、確かに吉田健一の『交友録』はないね。
正しくは吉田健一『交遊録』。
書名をミスしたのは悪かったけど、>>171に「でたらめ」を書いたつもりはないよ。
自分もしばらくこのスレから離れます。
以前、いろいろ楽しいカキコをしてくれた人たち、どうもありがとう。 >>173
漢字のことを、いっているのではない。でたらめはだめだ。
おおきなうそから、目をそらしてはいけない。
近代文学にこだわるから、うそばかりなのだろう。
ほんとうに吉田健一を好きな人は、いないだろう。 わたしは152であるが、159が最後で、今まで書き込んでいなかった。
誤解があるといけないので、おことわりしておく。 『吉田健一対談集成』を読む(講談社文庫)。「対談集」といへども軽んずべからず。
吉田氏の肉声の聞こゆる珍重すべき「音源」なり。
鼎談『東京の昔』は殊に味い深し。共演者は池田彌三郎、佐多稲子なり。
役者に不足なし。なにとか評すべき、まことにめだきものなり。これこそ「教養」なれ。
余の心もきれいに洗はるるごとく覚ゆ。 過日、本屋に小説家・高橋源一郎が選ぶ「講談社文庫ベストテン」という催しがありけり。
高橋源一郎はその第一位に『時間』を挙げていたりき。余は意外の感に打たれけり。
一つには、余は高橋和巳は読みたれど、源一郎は読んだこと無し。テレビの競馬場番組で見たりしのみ。
源一郎と『時間』がどうもつながらぬなり。二つ目は、『時間』なり。源一郎は酒飲みのように
みえたれば、『酒に呑まれた頭』などあげていたれば、さもありなんと余も納得したれど、あの哲学的随筆なる
『時間』とは意表をつかれしなり。吉田文學の愛好者は広いと感じけり。 このスレはさいごのあたり結構面白く推移したんだね。
で、ちょっとオカしくなりスーッとみんなが引いた後、
>>177と>>179が止めを刺して凍りつかせちゃった。
春が来て凍てついた空気が溶けるまでには、まだだいぶ間がありそうだ。 余はこのスレで学びしことも多かりき。その一つが、170さんの「TO THE HAPPY FEW」の
解説なり。初めてその意味を知り、よき言葉かなと心に深く刻まれぬ。
さて、この「 HAPPY 」はまた吉田文學の本質ならざらんや。
読者に HAPPY感を与へ、作者ももちろん HAPPY なり。すなはち、人生の肯定なり。
これぞ吉田文學の真骨頂ならざらんや。不安、絶望、自殺を専売特許とせる
我が国の文学界にあって、氏の文學が独歩の地位を占めたるゆゑんならん。
氏の文学の人生肯定、豪放な笑いはまことに得難し。現代において吉田文學に
親しむ功徳もまたここに存んせんか。 >>181
ありがとうございます。
じつは、当方、170であり、41でありました。
双方に目を留めていただき、光栄です。
貴殿の文体、語彙の選択など、いろいろと勉強になります。
「吉田文學の本質」を「人生の肯定」と喝破するなどお見事というほかない。
ここに巣食う俗物に敗退することなく、 HAPPY FEW の代表者として、ここに棲息し続けてくださいませ。 >>182
過分のお言葉、痛み入り候。
ネットを介して同好の士が語り集合ふのも21世紀の文学の楽しみなり。 自己流のへんてこな擬古文、おかしいですよ。
コロ助をマネたギャグのつもりならそれなりの効果はあがっていますが・・・ >>179
高橋源一郎は失語症か何かに罹ったとき
ひたすら吉田健一を読んで言葉を取り戻した
と書いてた >>185
頗る興味深き発言なり。
余はかつて源一郎を揶揄するがごとき文をものせしが、その折も源一郎の書きしものについては
つゆ知らざりき。もし185に書き給ひし如くなりせば、源一郎にはさぞいと深き文学体験やあらむ。
源一郎がいかなることをしるせしか、いとも知りたきことどもなりけり。 吉田氏の多彩な活動の中で翻訳は重要な地位を占めたり。
小説の翻訳では、イヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』は名訳の誉れ高し。
余も吉田氏の翻訳、紹介によりてウォーを知り、『ブライヅヘッド』を読みき。
本は、筑摩の世界文学大系の「ウォー/グリーン集」なり。今は、岩波文庫が
得やすかるらんが、題名が『回想のブライヅヘッド』と痛く散文的にて甚だ興ざめなり。
ウォーは他に、『ピンフォールド氏の試練』(集英社)『黒いいたずら』(白水社)を訳したまひぬ。
『黒いいたずら』はグロテスクな小説なり。
以上のやうなことは、吉田ファンには周知のことどもにて改めて記すまでもなきやうなれど、
吉田文學ファンになられて日も浅くご存じなき方もおはすらんと思ひ、老婆心で筆をとりつ。 あんなに闊達自在に自前の文体を発明した吉田健一の「愛読者」らしい人が、
どうして窮屈な死んだスタイル(しかも使い切れてもいない)に拘るんでしょうね。
たとえば石川淳が推薦文などで戯れに漢文体を使ってみせたときには、古い文体に
新しいエネルギーを吹き込みえたから、見事な文人の芸だった。
しかしこの人の擬古文にはいったいどんな意味があるんでしょう。
これを読んで引かない人っていないんじゃないか。正直きもちわるい。
まあ、人それぞれですから、いいんですけど。 >>人それぞれですから、いいんですけど。
そう思うんならあえていわないほうがいいような気もするけど……?
ぼく自身は、187の独特な語りの調子に大いに興味を抱くとともに、勉強をさせてもらっている部分も大きいといわざるを得ないのだけれど。
それにしても、ひとはなんでこんなにも、ひとを拒絶したがるのか。
問題があるのは自分の方だ、どうすれば許容できるのだろう、などと、少しは省察ということができないものなのだろうか。
(吉田健一など、たぶん一冊もまともに読んだことがないひとに、こんなことをいってみたところで、無意味ではあろうけれども。) いいや、自演乙、じゃないよ、心配しなくていいんだよ、お子様あ…
お子様は、吉田健一なんて読んだこと、ないよねえ
読んでみて!
一行でもそれについての感想を! 気違いが立てて、気違いが露骨な自演を繰り返している糞スレ >>189
>それにしても、ひとはなんでこんなにも、ひとを拒絶したがるのか。
ほんとうにそう、残念なことですが。
しかし、>>188は人を拒絶してなどいなくて、>>187について一応内容のある
疑問符を提示して問いかけをしている。それに対して>>187さんはあなたと違って大人のようだから、
信念をもってやっていることなら、自分はこういう考えであると、>>188に答えるような形で
応じられるように書かれている。
また一方で、「吉田健一など、たぶん一冊もまともに読んだことがないひと」などとなんの根拠も
ない幼稚なののしりをぶつけて>>189を拒絶しているのはあなたのほうです。
>こんなことをいってみたところで、無意味ではあろうけれども。
そう思うんならあえて言わないほうがいいような気がします(笑 >>194
外は少し寒いかもしれないけど、部屋の窓を開けて、空気を入れ替えて、大きく深呼吸してみたら?
そして、あなたの書込みを読み直して、他人に意味が通じる文章なのか、冷静に確認してください。 >>187=>>189=>>191=>>194
馬鹿が自演ばっかりしてるから、
元々ダメな頭が尚更こんがらがっちゃったんだろ
みずから自演を認めちゃったことに気づいてないんだろうか それにしても吉田健一氏は2ちゃんではついてないね。
ところで>>187=>>189=>>191=>>194 はぜんぜんちがうだろう。
とくにわれらがヒーロー>>187さんは、>>187以降は書き込んでいないと思うよ。
もし、書き込んでいるとしたら>>195かな、おばさんに化けてカムフラージュ。 おそらく>>1さんがスレを盛り上げようとしているのは判る。
人の少ない文学板で、マッチポンプをしたくなる気持ちも判る。
しかし、その無理が、わずかながらあった、あなた以外のカキコをゼロに近づけたことは自覚してる?
人が少ないから自演までして頑張ってたはずなのに、自演が目的になってしまって、
他人を排斥する結果になっている。
正直、自演するなら自演するでいいけど、せめて巧妙にするように努力してよ。
読んでるこっちが赤面するような稚拙な自画自賛・言い逃れはやめようよ。 気違いに忠告なんかしてる奴も気違いと見なされるぞ
ここは一人の痴呆老人のお遊戯会を生暖かく見守るスレだろ? >>199=>>1
馬鹿馬鹿しい、見え見えだよいいかげんにしないか。 恥知らず、という言葉がこれほどぴったりくる自演野郎も珍しいな。
直近だと>>182 >>189 >>194 >>197あたりの臆面のなさといったら…
特に>>194はアンカー間違いまくり、内容は支離滅裂、直球ど真ん中の頭の悪さ。 わたしは>>199であるが、>>1さんとは別人である。
誤解があるといけないので、おことわりしておく。 自演中毒みたいになってる擬古文の人は、いい年こいて偏執狂的なのも不気味だが、
肝心の吉田健一について、胡散臭い言説を振り回すのが致命的だ。
実際に存在しない小説の存在を強弁して罵詈雑言を浴びせたこともあったし、
辛うじてまともな?話題を提示していると思われる>>187は、素直に読むと、
岩波文庫『回想のブライズヘッド』が吉田訳を改題して収録している、との誤解を招く。
生煮えの擬古文なんかを振り回す文章力の低さのせいかもしれないが、
過去の経緯からすると、この書き手自身が事実誤認をしているように思われてならない。
いずれにせよ、したり顔で「老婆心で」と言ってるのに、こんな不親切はないだろう。 馬鹿に構うの、いい加減にやめなって
不快な文体とかバレバレの自演とかインチキな知識とか、
前々から何度も指摘されてんのに全く改まらないんだから >>197
>それにしても吉田健一氏は2ちゃんではついてないね。
このスレにまともなレスがつかず、お前が叩かれるのは、わが物顔のお前が低能すぎるから。それだけ。
吉田健一は全く関係ない。 >>206
ずいぶんわが物顔な物言いをしてくれるじゃないかジエン女が。 まともなレスがつかず、>>206みたいなのばっかり集まってしまうなんて
吉田健一はついてないね、2ちゃんでは。
という意味を読み取る理解力がないんだよ、その人には。 >>207
なんで>>206を女性だと思うの?
「ジエン」ということは>>197=>>206ということ? >>207=>>208
本当にお前は馬鹿だな。
2ちゃん内で吉田健一が幸運だとか不運だとか、なんだそりゃ?
2ちゃんの過大評価にも程がある。 というか、わたしの思うには自演というのはあまりない気がする。
擬古文の人は擬古文一点張りの妙な方が一人いて、それに対してわりと
みんな引いていた。
そんな中で擬古文がいいと思ってる若い人が一人いたのだと思う。それが
なにかありえないような感じで擬古に敬意を表したので、それを自演だと
思い込んだ人がいたということじゃないかな。
わたしは擬古文の人は自演をするような器用な人じゃないと思うがね。
だいたい自演自演と騒ぎ出すこと自体がみっともない現象だな。 変体擬古文氏が現代文wで何人か分自演していてそれをDISってる人がレス空けてレスして自演もどきになって・・・
自演は2chの文化wだそうだけど、ここまで自演だらけで自演が入り乱れているグチャグチャなスレも珍しいw
なにがなんだか誰が誰やら、ROMにはさっぱり判らないw >>211 >>212
もちろん釣りとして、笑いのネタとして冗談で書き込んでるんだよね?
万一、マジレスのつもりならば、あなたの状況を真剣に憂慮せざるを得ない。 >>213
ば〜か、あたまの悪いのもいいかげんにしなさい。
おまえこそ、本気で言ってるなら病院行き。香山先生にでも相談なさい。
釣りだとか自演だとか、うわ言癖を放置しておくと取り返しのつかないことになるぞ。 おかしなカキコはスルーしようと言ってるのに...
何人で盛り上がってるのかわからないが、
あなたたちは幸福だね
THE HAPPY FEWとは、
平日の昼間から2chで思う存分罵声を浴びせ合える
ごく少数の幸福な人たちのことなんだね >>215
アンタも同類だ、ば〜か
偉そうに何様なんだ? >>215
自分だけ気が利いたこと言ったつもり(笑 >>215
おい、野崎先生に失礼だろう。ちゃんと謝れ。 >>215
野崎先生だけじゃない、アンリ・ベイル先生にお詫びしろ。 野崎歓の名前が出たので、詳しいかたに質問。
野崎歓の吉田健一論、あるいは、吉田健一について書いた文章は、何という本で読めるの? >>220=野崎歓 m9(^Д^)プギャー (笑 \ 釣れますか? ,/ヽ
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ,/ ヽ
∧_∧ ∧∧ ,/ ヽ
( ´∀`) (゚Д゚,,),/ ← >>1 ヽ
( ) (| つ@ ヽ
| | | ___ 〜| | ヽ
(__)_) |――|. ∪∪ ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ヽ
/⌒\/⌒\/⌒\/⌒\|彡~゚ ゜~ ~。゜ ~ ~ ~ ~~ ~ ~~ ~ ~~ ~~ ~~
⌒\/⌒\/⌒\/⌒\/⌒\彡 〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜 〜 /7、
// `)
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____ .// `ヽ、 なんか釣れたおっ!
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/( ●) (●)\ //. ',
/::::::⌒(__人__)⌒ノ彡手、 . U
| |r┬-| / て(_.ノ ',
\ `ー/ /// ',
/ ../ / // . .. ) . ____
./ /_ノ三ヽ、\
.(_./(○)Ξ(○ ).\
/\,.(__人__) . \
. | `フゞ〈 ノ( |
. \ ..ノ⌒ヽゞ .. ⌒ / しかし、久しぶりにきてみたら、相変わらずやのう
何番と何番が同一人の発言で、これは野崎歓の出現で、なんてやっていて
おめえら、楽しいのか?
どのみち、みんな、匿名でねえか。
もう、そのこと自体は絶対に動かないことだ。
そこをぐちぐちとこねくり回すのはもう止めようぜ。
そうでないんなら、人生止めようや。
高倉健に学ぼうや。 /7、
// `)
. // (
____ .// `ヽ、 また釣れたおっ!
/⌒ ⌒\ // \
/( ●) (●)\ //. ',
/::::::⌒(__人__)⌒ノ彡手、 . U
| |r┬-| / て(_.ノ ',
\ `ー/ /// ',
/ ../ / // . .. ) . ____
./ /_ノ三ヽ、\ ← >>229
.(_./(○)Ξ(○ ).\
/\,.(__人__) . \
. | `フゞ〈 ノ( |
. \ ..ノ⌒ヽゞ .. ⌒ / >>229=野崎歓 m9(^Д^)プギャー (笑 バカばっかりで厭きない m9(^Д^)プギャー (笑 >>229
お、今度は田吾作風での登場ですか、いろいろお疲れ様です
>>230
吉田健一が愛読したスタンダールの新訳を出して物議を醸した人、という程度の縁しか思い浮かばないなあ
>>1=>>170=>>181を読む限りでは、野崎氏が特に吉田健一を好んでいるようなこともないようだが?
まあ、自分はまったくもって不勉強なので、なにか野崎氏と吉田健一に由縁があるならば、
いずれ>>1氏が、つまり擬古文氏が、あ、今はAA氏と田吾作氏もかな、まあ、どれかの設定で語ってくれると思うよ 呼び捨てとか、野崎氏とか、お前ら馴れ馴れしいんだよ。
ちゃんと野崎先生と呼べ、糞ども。 11/19付だけで30レス以上! すごい!
擬古文その他で自演しまくっても、全く無視されていた日々を思えば、まさに夢のようではないですか。
長い冬の時代が終わったのです。これからは真にあなたの時代です。
ここまであなたの底が割れた以上、もはや自演だのなんだのと咎めるような野暮天はいないでしょう。
新キャラ(田吾作?)も準備万端のようですし、一人芝居での更なるご活躍を期待しております。 >>229って何気にとんでもないこと言ってるな
俺の自演を指摘するな、指摘したけりゃ死ね、ってことだもんな
こりゃ確かにもう怖いものなんかないわ 何を今更驚いているの?
煩雑ではあるが、>>211→>>181-182→>>170→>>41の順番で読んでみなよ。
この人の凄さが一朝一夕のものでないことがわかる。
虚言とか自演とか言うのはたやすいが、常識で測ってはいけない人、というか、
他人が触れるべきではない人みたいだね。 >>239
もってまわった書き方だが、要は癇癪持ちの耄碌爺(法政大卒)ということだろ。
この手の「万年文学青年」は、田舎図書館の閲覧コーナー等にも多数生息してる。 年齢的にもう少し上で、中央大学の学生だったら、吉田健一教授の講義を受けられたのに >>239
おまえの空想力、構想力のほうが凄いよ。
これがぜんぶ同一人物のレスとして考えればたしかに楽しい。
残念ながらそれがおれにはできないけど。
なぜって5個のうちおれのが一個含まれてるからね。 >>243
先生、すみませんでした。われわれ下衆の勘繰りなど気にせず、どうぞお健やかに。 >>245
オマエが人からなんと言われているのか知らないけど、オマエバカだよw あ、すみません、慣用的な表現(もともと江戸川柳?)を書いただけだったんですけど、
お気に障っちゃいました?
ちなみに自分はここ5年ぐらい家から出てないんで、他人と話してないですね
それ以前は…「キモい」とかはしょっちゅう言われてましたが… >>癇癪持ちの耄碌爺(法政大卒)
図星だよ、まさにオレのことだ。
ここまで、自分の事を的確に表現されたことはない。
あなたはだれよりもオレのことを理解したお方だ。
なお、オレが書いたのは、佐多稲子の件、the happy few(the+形容詞=何々の者)に触れたこと(1は違う)、
高倉健に学ぼう、と呼び掛けたやつ、糞ども、擬古文万歳!のやつ、など。
同一人が書いたのはどれか? 全てを言い当てられる天才などこの世にはいない。 >>248
おまえか!佐多稲子の〇〇をしゃぶったとか言ってたやつは! 野崎歓の下手なかく乱 m9(^Д^)プギャー (笑 この村で
ラムプをつけて
ミルトンのように勉強しよう 241さんから、簡にして要を得た人物評をいただいた。
ここからこれをそのまま、今後、わたしの名前に使わせていただく。
深甚なる感謝を申し上げる。
(なお、ただもう、書き込まないかもしれないが。)
オレ、52なんだけど、もちろん「爺」の範疇だいねえ。
その昔、オレの尊敬する山下清も、「40も過ぎたらもう隠居しないと」といった意味のことをいってたいね。 >>253
先輩、52歳はまだまだこれから、十分脂の乗った年齢ですよ!
吉田健一が52歳の1964年は、『わがシェイクスピア』『謎の怪物・謎の動物』を上梓、
『葡萄酒の色(訳詩集)』『黒いいたずら(ウォー)』を翻訳刊行した年です
中央大文学部教授になって2年目、新宿区に自宅を新築したのも同年ですね
年譜を単に写しただけで恐縮ですが、「隠居」には早すぎるでしょう!
若輩のクズが偉そうに失礼しました 52にしては薄っぺらいな いや いい意味で
老婆の捨てたタバコの吸殻を大事にひろったなんて
いかに匿名でも ふつうは書かないだろう
つまり普通じゃない いや いい意味で
だってそりゃあ変態としか思えないもの いや いい意味でね
ああ いい意味だなあ 世界はいい意味で満ちているぞう
えっけー ほーもー 変態芸で売ってた頃のタモリですら、大学時代、
吉永小百合の学食での食べ残しをどうしようか一瞬迷って、
でも結局なにもしなかった、って言ってた。
個人的には、写真で見る限り、
吉永小百合よりも佐多稲子のほうがずっと美人だと思うけど。 >>258
俺も昔の文士の顔は好きだが(もちろん吉田健一の顔も)
ここ以外であんまりそういうこと言わない方がいいよ
真の異常者だと思われるから ごめん、>>259だが、宮本百合子の顔を佐多稲子の顔だと思い込んでた。
佐多稲子なら大丈夫、申し訳なかった。 そんなことを言って百合子さんにはどう落とし前つけるんじゃ?
百合子のレコは怖ええぞ、ん? ハマコー「ミヤザワケンジ君が人を殺したと言っただけじゃないですか!」 宮本百合子=百合子女史
武田百合子=百合子さん
という感じじゃない?
この二人は、夫が強面で、殺○経験あり、とされているのが共通してる。 >ミヤザワケンジ君
昭和共産党インター闘争も遠くなりにけり、とひときわの感慨が・・・
♪立て〜 飢えたる者よ 今ぞ日は近し〜
♪立てよ わが兄弟 奮い〜立て いざ〜
♪ああインターナショナ〜ル 我等がもの〜〜 徳田球ーがマッカーサーの釈放で網走から帰ってきて火炎瓶闘争をやる。
(多分ソ連からの指令で)野坂と宮本が党内クーデターで徳田派を追放して合法闘争に移る。
追い出された連中が大学学生自治会を拠点にして革共同を作る。これが全学連の始まり。
革共同は更に内部対立を起こして共産同が分派する。
かくして60年後半の大学紛争の基礎が出来上がった、ってわけ。 ミヤケンの事件はさすがに知ってたが、武田泰淳のは今ググって知った...
武田泰淳と吉田健一は同い年で、大岡昇平や石川淳を通じて交流があったみたいだ
吉田健一は、泰淳の本の好意的な書評もいくつか書いてるね >>265
はい、よくできまちたね、ごくろちゃま。 >>265
なるほど。若輩で引きこもりの自分には、実感なんかとてもできないけど、
こうした流れの中で、吉田健一は「保守反動」とかレッテル貼りされて、
黙殺されるような恰好になっていたのかな
うろ覚えだけど、最初の著作集が売れなくて刊行中断しちゃって、
神保町のゾッキ本屋で叩き売られてた、なんて、痛ましい話を読んだ記憶がある 父親との対談集を出したり、出版社の意向で随筆集を「宰相御曹司貧窮す」なんて題名にされたり、
そんなことも色眼鏡で見られる原因になったのか。
俺も同時代体験があるわけではないが。
そういえば、昨年辺り、渡辺謙が吉田茂を演じた犬HKの連続ドラマ、見てた人いる?
俺は途中で見るのを止めちゃったし、TVごときに腹を立てるのもみっともないが、
茂へのプロテストとして健一が銀座で物乞いを始める、という展開になっていて、
健一が紋切り型の生っ白いアプレゲール的に描写されていたことも相まって、ものすごい違和感があった。 そのドラマ、番宣で存在は知ったけど、結局みなかったわ
吉田茂役といえば、やっぱり森繁だろ
「小説吉田学校」だっけ、
あの映画にもほんの少しだけ吉田健一が出てくるよな
偉大な親父に反発して文学の道に進んだ、
的な、案の定のわかりやす〜い解釈だったはず >>269
べつに保守反動のレッテルを貼られて無視されてなどいなかっただろ。
どうして勝手にそういう見方をするのかね。おまえが今、レッテル貼ってるんだよ。
最初の著作集ってたしか「垂水書房」のだろ。批評AとかBとかいうの、おれも
確かに三茶書房あたりでゾッキ本を買ったおぼえがあるが、あれは「垂水書房」が
健一に惚れて出したんで、個人の著作集なんかよほど人気がなければ売れなくてあたりまえさ。
まして代表作がまだなにもなくて、「大衆文芸時評」かなにかをせっせと書いてるおっさんの
著作集が売れたらそっちのほうがフシギ。 >吉田茂役といえば、やっぱり森繁だろ
というくらい、おめえもわかりやす〜い人間だな(笑 うむ。ゾッキ本と言ったって著者には印税は行くわけだから、
痛ましいのは垂水書房であって健一じゃない >>272 >>274
ありがと。
垂水書房との間にはそういう関係があったのか。
『葡萄酒の色』の500部限定本も同じ出版社か。綺麗な状態なのをいつか手に入れたいけど、
引きこもりしてるうちは無理だね。 >>274
銭金のことももちろん大切だけどよ(笑
ゾッキ本として自分の著作が棚晒しにされてたら、
誰だっていい気持ちはしないだろうさ
俺たち吉田健一の愛読者(だよな?)にとっても、
少なくとも嬉しい話ではないだろ 引きこもりをやめてしょぼく働くのもいいが、
引きこもったまま稼ぐ手を考えるってのもある(笑 >>276
まあね、しかしそれは本屋が見込み違いをやったってことで。
良い本がだれにでも手の届く値段で市場に放出されたと、喜べない
こともないね著者として、また愛読者として。
村上春樹の本だってケタ間違えて1000万部刷っちゃったらゾッキ本に
せざるを得なくなるだろうし。 >>278
そうか、ゾッキ本は、単行本が文庫本になるのと同じような感覚とも言えるのか
残念ながら今の文庫本は割高感がハンパないが
それにしても>>1に書いてある通り、吉田健一の著作がこんなに文庫化される時代が来るとは
単行本で欲しい派の俺も、素直に嬉しいわ 覚書、詩に就て、昔話、変化
晩年のユリイカ四部作、 擬古氏が>>179で書いてるが、『時間』が文芸文庫になって、
そのあと青土社から新装単行本が出たりもしたから、
そのへんの著作も文庫になってるもんだと勝手に思ってた
まだまだ宝が残ってるんだな >>280
文庫化済の2作も加えて、
『覚書』('73/7-'74/7「ユリイカ」)
『詩に就て』('74/8-'75/8「ユリイカ」)
『時間』('75/1-12「新潮」)
『昔話』('75/9-'76/8「ユリイカ」)
『思ひ出すままに』('75/12-'76/2「すばる」)
『変化』('76/9-'77/6「ユリイカ」・絶筆)
《長篇評論の極北六部作》じゃだめかい? >>283
6冊のセレクション:100点満点
ネーミングセンス:0点 >>284
100点と0点ありがとう。再ネーミングはご随意にどうぞ! 《払方町六部作》一択だね
金井美恵子の本の売行きは、《目白四部作》がダントツらしいから(笑
文庫化希望なら、販売戦略も考えないと シニア層アピールで、本屋で佐伯泰英の隣とかに並べてもらえばいい
《さらば宰相御曹司! 別れの六部作》
《乞食王子絶唱! 男涙の六部作》
《ヨシケンさん安らかに! 黄昏六部作》 時代小説について、『大衆文学時評』では、
山本周五郎を筆頭に、子母澤・海音寺・池波・司馬・村上元三あたりが概ね高評価だった。
佐伯泰英って俺は読んだことないが、確かに本屋でいやでも目につくね。 >>283
自分らみたいなヨシケン中毒患者だったら、
題名を見るだけで幸福に包まれる六冊だけど、
灘の生一本がライトユーザーには旨く感じられないこともある。
どうも拙い表現で悪いが、これらの文章は、
吉田健一がリミッターを完全に外した状態で書いたものだと思う。
だからあなたの《極北》という表現には納得できる。惹句として良いかどうかは別にして。 Wikiの著作一覧ながめてるが、青土社と小澤書店から出た単行本は全く文庫になってないのかよ
古本でよければ単行本を安価で買えるみたいだが、例えばエッセイの『時をたたせる為に』等、
文庫で持ち歩いて細切れの時間に読むのも悪くないな >『時をたたせる為に』
傑作だね、中身は読んだことないけどw、題名だけでも 題名だけじゃなく中身もいいぜ >『時をたたせる為に』
>>283に挙がってるようなヘヴィ級の思索の結晶ではないが
没後刊行の『春 その他』と共に、晩年の随筆を集めたもの >>288
大昔読んだ印象では、水上勉がとにかく毎回褒められてて、
次いで結城昌治、新田次郎なんかが取り上げられてたような。
あとは(誰かの作品の引き合いとして)ダレルに何回か言及してたかも。 『大衆文学時評』は、>>272にある通り、吉田健一の主要な業績ではない。
全集(集英社の著作集)以外では再刊・再録されていないし、文庫化も当然されていない。
しかし、読売新聞に連載されており、書評というものの影響力が今よりは大きい時代だった。
新田次郎は新進作家として、気象庁職員との二足の草鞋でデビューしたが、
作家専業を決意した大きな理由のひとつに、吉田健一の時評で取り上げて貰ったことを挙げている。
複数回にわたって言及され、当然ながら毎回絶賛などではなく、厳しい評価もままあった。
同年生まれであっても文壇の大先輩だった吉田健一が亡くなった際、新田は慟哭したという。 >>294
いきなりなぜ、しんみりする話を? いや、別に嫌いじゃないが >>287
吉田健一作品とのマッチング度:0点
「特捜最前線」のサブタイとして:100点満点 新田次郎が専業を決意したのはカミさんの本がベストセラーに
なっちゃったからじゃないの?カミさんへの対抗心。 >>297
『流れる星は生きている』だっけ、あれは面白かったな うん、いま評判?の竹林のなんとかよりずっと奥行があるしすばらしい。
息子はすこしおかあさんを見習うべし。 正直に言うとさ、吉田健一の晩年?になるのかな、あの文体、すげえな、とは思うんだけど
なんかこう、ついていけない無念さがあるんだよ
いや、誰かをけなしたいんじゃなくて、俺の力不足なのはわかってるし、
吉田健一に興味あるからここを覗いてるんだけど
俺が読んだのは「時間」なんだが、う〜ん、その「読んだ」っていうのが、
言葉を追うので精一杯、何かを掴み損ねたまま最後のページまで来ちゃった、
だから果たして、俺はこの本を「読んだ」と言えるのかな、って >>300
「ベルグソンを読め!」なんて怖い人がこないように…w
まず、偉い。あなたは本当に偉い。
ちょっとでも意に沿わないところがあると、作者がバカだの、訳者がクソだの、他人のせいにばかりする御時世なのに。
あなたを見習いたいです、心から。
『時間』ですが、個人的に申し上げられることがあるとすれば、「あせらず寝かせる」ということでしょうか。
例えば私は、セリーヌ『夜の果てへの旅』を丸20年おいて再読、
いや、あなたの言葉を借りれば、真の意味で初めて「読んだ」と言えるようになりました。
わずかながら参考になれば、と。 >>300
吉田健一の世界はそんなに堅苦しいものじゃないぜ
肩の力抜いて、(ヨシケンのものに限らず)しっくり来る本を楽しんで読めばいいんよ
最初はピンと来なくても、何かのきっかけで愛読書になることは普通にあるさ >>301 >>302
二人ともどうもです
お礼が遅れてすみません
「東京の昔」とか「三文紳士」なんかは大好きなんで、引き続きこのスレに来ますね >>300
「ついていけない無念さ」
「果たして、俺はこの本を「読んだ」と言えるのかな」
いい言葉だなあ…。
「ついていけない無念さ」を生じさせる+快楽=文学 >>300-304
胸を衝かれる。自分なんか安易に「読んだ」なんてドヤ顔で言っちゃうが、
機械的に字面を追ってただけ、なんてことが(いつもではないが)あるなあ。
話の趣旨とは違う俗っぽい例ではあるが、
『白鯨』の延々と続く博物学的記述、『戦争と平和』の詳細極まる戦闘経過など、
映画ならば倍速再生で「観た」ことにしちゃったような、後ろめたい記憶がある。 後ろめたい記憶があるってことを読んだ記憶がある(笑 ×話の趣旨とは違う俗っぽい例ではあるが、
〇実体験とは違うほかで見かけた例ではあるが 『白鯨』『戦争と平和』の挫折体験とか、飛ばし読み推奨とか、
いろいろな本やらサイトやらに書かれまくってるからね。既視感がすごい。 >>305に嘘を書いたつもりはなかったが、言われてみれば思い当たる。
「読んだ」が、世評を確認しただけ、飛ばし読みすることすら先人の轍…
不毛な自己満足にもほどがあるな。まったくもってお恥ずかしい限り。 『白鯨』を日本語で読むなら、
このスレ的には、健一の弟子筋にあたる幾野宏の訳で、ということになるのか 丸山健二の「超訳」があるぜ! 俺は積ん読してるぜ! 幾野宏は、
吉田健一の『Japan is a circle』を『まろやかな日本』と訳して、
吉田未亡人に「健一は『まろやか』なんて日本語を決して使いませんでした」と
disられちゃったんだよな いいじゃねえか、「シンドラーのリスト」とその関連書の翻訳で一山当てたんだから そういや河出で出す池澤夏樹の日本文学全集に入るんだっけか、一冊丸々はおろか文学全集に収録されることすらまれだから楽しみだな
池澤は世界文学全集でハワーズ・エンドを入れた位だし結構好きなんだね その巻に番が回るまで全集の発刊が、というより河出本体が、もつといいね >>318
大型書店は何処も専用平台に並べてるけど
販促に力入れれば入れるほど痛々しいと言うか‥。
昨日早くも池袋のブックオフに出てたわ。 http://www.kawade.co.jp/nihon_bungaku_zenshu/
>吉田健一 文学の楽しみ ヨオロツパの世紀末 他
>批評という文学形式において近代日本が生んだ最も価値ある二冊。
>その傍らに巧緻な翻訳と機略の小説、洒脱のエッセーを配する。
吉田健一の巻は2015年5月刊行予定 >>322
この紹介文、池澤さん本人が書いてるのね
>批評という文学形式において近代日本が生んだ最も価値ある二冊。
吉田健一好きとしては嬉しいんだけど、ちょっと大げさに褒めすぎじゃないか… 個人編集(偏執?)ってのを最前面に出して、最大の売物にしてる全集だからな 個人偏執wなのはその通りだが、河出の創業130年記念事業でもあるからね。
『文学の楽しみ』『ヨオロツパの世紀末』がメインに来るのに違和感はないものの、
『文学の楽しみ』は、河出の「文藝」に連載→河出から単行本→河出文藝選書へ、
という出版過程も考慮されたんじゃないか。 もし殊更に「批評という文学形式」と言うのであれば
文学概論>文学の楽しみ
異論は認める ここでも池澤アンチが必死の工作かよ
第1巻、おかげさまで八重洲BCフィクション部門売上第4位!
アンチ涙目 >>328
お前が今朝の朝日新聞書評欄の
書籍売上ランキングを見たのはわかった。
ご苦労さん。 仮に今ならブックオフで1000円で買ってくれるとして
八重洲BCで100冊買ってブックオフに持って行くと
売れた売れた自演予算10万円。
4位でいいならしかし5万円くらいで済むか?
安い宣伝費のような高い宣伝費のようなw >>330
現実に幸○の科学なんかが一時期やってたよな
ベストセラー順位工作を 鴎外の巻には即興詩人が入る
吉田健一の巻に入る「巧緻な翻訳」とは、ヴァレリーか、ラフォルグか? >>332
あとは『葡萄酒の色』からの抜粋とか。無難な選だと。
個人的願望は『ファニイ・ヒル』。河出が版権持ってるはずだが、まず頁数的に厳しいか。 お堅い感じなのに、猥本を入れて欲しいなんて、アンタも好きねぇ〜www カタくなってイれるのは好きですよ、恥ずかしながら。 >>337
折角吉田健一に1巻を充てるような新機軸を打ち出すんだから、
中身も思い切って、例えば『時間』あたりをもってきても良かった気がする。
俺は正直、池澤夏樹の文学観をよく知らないが、
>>322の案内文では「モダニズム」「日本語のために」なんてのがキーワードになってるようだから、
吉田健一の「極北」をむしろ積極的に収録すべきだったのでは。 >>338
吉田健一『時間』 池澤夏樹訳 [新訳]
著者が、その最晩年に到達した人間的考察の頂点。
時の流れの意味を考察した錯綜のテクストを、今の我々が読める形に。
なんて悪夢が過ぎる… 池澤夏樹のモダニズムってのはいわゆる大正モダニズムみたいなあの自由主義のモダニズム(近代教養主義的粋(通俗的にはモボ・モガ))じゃないよ?
どんなバカでも芸術家を気取れるバカなダダもどき=アングラポモのアプレ・ヌーボー・前衛・ポモのことなんだよ(笑 >>339
思わずフイたが、実際にそんなバカをやりださないという保証はないな…
>>340
池澤夏樹って、俺の中では黒鉄ヒロシの下位互換って感じで(顔の話ね)、
今まで殆ど読まずに来ちゃった。
あ、10年前の世界文学全集は何冊か世話になったか。解説は…ごめん、記憶なし。 あの世界文学全集には本邦初訳や全面改訳も多かったし、少なくとも新鮮さはあったね
(読んでみて、???となった作品もないではなかったが) >>342
新訳がお好きなら、今回の日本文学全集にもいっぱいありますがな(笑 >>339
まだ半年先だから、変な入れ知恵したら本当にやりかねんぞww
店頭の束見本のジャケットも
鳥が飛んでるちゃんとしたデザインは既刊の古事記だけで、他はタイトルだけと云う無様さだし。先のことは何も考えてない感じだわ。 >鳥が飛んでるちゃんとしたデザインは既刊の古事記だけで、他はタイトルだけと云う無様さだし
どうやってこういう嘘を考え付くのか聞いてみたい。 隔世の感がするなり。
余の青春時代、神田の古書肆の店頭の箱の中に、垂水書房版の全集だか著作集だかが、
一冊百円くらいで並べられてゐたり。忘れられぬ光景なり。かくの如き扱いを受くる氏の著作を不憫に感じけり。
知らざりし、時移り世去り、「天声人語」に引用さるる時代が来むとは。
思へば氏ほど劇的なる評価の変転を経し文学者も世に稀なるらむ。
いかなるゆゑにかくも毀誉褒貶の激しきや?不可思議なる現象なり。 >>349
お久しぶりです、擬古文先生!
ゾッキ本の話は>>269-279あたりでも出てましたが、
是非いろいろ、懐旧譚を書き込んでください! わ〜い、コロ助が帰ってきた!
でも内容は上で誰かが言ったことそのままナリよ。
それをもっと通俗のカタにはめただけナリ〜
もっとがんばるナリ〜 文学者にしろ他の分野の芸術家にしろ評価が劇的に変わる例なんて珍しくもない。
まして健一の場合はブレーク前でもそれほど低い評価に泣いていたわけでもなく、
ただたまたま売れ残ったものがそういう形ででたというだけ。
逆に誰にも相手にされなければ、かりに出版にこぎつけたところでゾッキ本
になるほどの部数を刷ってもらえるはずがない。 書かれる内容じたいが擬古スタイルに縛られてしまう結果だな。
同じ人でもまともに自分の文章で書けば、自前の発想での意見表明になっただろうに。 第41回大佛次郎賞『吉田健一』長谷川郁夫
選考委員:鷲田清一・佐伯一麦・池内了・田中優子・船橋洋一 >>354
きのう丸善丸の内本店に買いに行ったら置いてなかった(泣 >>354,355,356
吉田文學フアンの一人として正に慶賀すべきことなり。
同書はあまりに価の高きゆゑに敬遠してありしが、選評を読むに頗る好著の予感有り。食指が動くなり。
かくなる上は今年最後の奮発をせねばなるまい。
余思へらく、年末年始、遠出もせで、この書を読みて過ごしなば、かへりて安上がりなるらんかと。 >>357
へえ、教頭代理先生、畑仕事の合間にどら焼きでも食いながら読んでくだせえ。 余は活動写真は見ぬゆゑくはしくは知らねども、吉田氏の『時間』が韓国の活動写真に
登場するとかや。氏の文学の「グローバル化」は実に驚嘆すべきなり。
吉田文學は頭の固き中高年より、感性の柔軟な若き世代にこそ共感を呼ぶならん。
もし件の写真を見し人あらば、感想をしるされたし。
http://www.bitters.co.jp/jiyugaoka/ どこまで本気でどこからジョークなのかわからない。>>360 >>361
>どこまで本気でどこからジョークなのかわからない
??余はいつも「本気」なり。 >>361
調子付かせるだけだからバカかまうなよ、って、しかし自演か?w >>360
活動写真という言葉はトーキーには使わん、というツッコミはともかくとして
その映画はまだ見てないが
加瀬亮がたまたま「時間」を読んでたのを使った、というゴシップは知ってる
加瀬はエドワード・ヤンの映画が好きだそうだから、まんざら嘘でもあるまい ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
そして、私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 吉田健一の後期の文体って従来の日本文のじっくり読んでいくやり方だと必ずつっかえるね
むしろ走り読みくらいの方が楽に進める ウォーの『ピンフォールドの試練』が白水Uブックスで復刊してた 「プレーンソング」って吉田健一の文体の影響があからさまにでてるね。
倉橋由美子ほどとはいわないが、くっきりと。 >>368
保坂は週刊現代の好きな本10冊あげる企画で東京の昔をあげてたくらい影響受けてる
何気に吉田健一の文体を上手く咀嚼して自分らしいスタイルを構築してるのはすごいと思う
福田和也の受け売りじゃないけど吉田健一の文体フォロワーってなんか無理してる感じが出るから 岩波文庫の辻征夫詩集の終わりの方に辻と谷川俊太郎が対談してるんだけど、その中で谷川が憧れたものの一つに吉健が訳したシェイクスピアのソネットをあげてて意外に感じた
谷川俊太郎と吉田健一ってあんま結びつかないイメージだったから 吉田健一訳・ラフォルグの『冬が来る』の朗讀をネットで拾へり。名朗讀なり。
当たり前のことなれど、詩はやはり聲に出だして味はふべきものなり。
吉田氏も日頃そのやうに詩を味はつてゐた様子を、丸谷才一エツセーに記したり。
https://www.youtube.com/watch?v=NQQutgSiCUE 花森安治に顔が似てるね。花森ほどキモくはないけど。 吉田健一はアメリカ文学については、一二の例外を除いて、ほとんど書いてないな。
戦後はアメリカ一辺倒の時代であるのに。アメリカ文学を馬鹿にしていたのか、
読んでいたが、書かなかったのだろうか。 >>50 知らなかった・・・
ビールは駄目なのでワインでも飲みながら読めそうな文庫、捜してみよう
西洋の詩が苦手なので、詩で遊ぶ感覚の本がいい 詩のやつがなかなか見つからない
旨いものはうまいにした
空腹で何か食べるのはいいことだとは、美食しながら冬太り解消の哲学だ・・・といいな〜 絵空ごと・百鬼の会 (講談社文芸文庫ワイド)
吉田 健一 (著)
出版社: 講談社 (2016/3/11) ふう、長谷川の「吉田健一」なかなか読み終わらないわ。分厚すぎて疲れるw 「英国に就て」読み始める
この文体に、なぜか懐かしさを感じる 「三島が家を新築したとき、お祝いにわれわれは招ばれたんだよ。
三島の例のロココ風の家というのはおれもあまり気に入らないけれど、新築祝いに招ばれたんだから、いろいろほめるわけだよ。
ところが吉田は、なにか置物を手に取って「おっ、これはどうも高そうなもんでございますね、エッヘッヘッヘッ」、って調子だ(笑)。
料理が出てくると、「あっ、これはとても普段食えない」って(笑)。
三島は東京会館のレストランからコックを呼んできてちゃんとした料理を出しているのに、吉田がその調子だから、三島はいやな顔をする。
おれたちも困ってね。それで吉田を送って、吉川逸治が帰ってから、おれと中村光夫が残って三島を慰めたよ(笑)。
そのころはおれも三島と仲がよかった。/
それから少したってだよ、とても耐え切らないからと言って三島がやめたのは。これは「雲」と杉村春子が別れた日付ではっきりしてるはずです」。
http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-785.html 翻訳家というのは作家に比べて低くみられる傾向があるんだね
他人が書いた作品を、その味わいを壊すことなく、異言語異民族の中で表現する再構築は、それはそれでひとつの素晴らしい才能なのだけどね ともの読書日記
"「しかし尊敬というのと、多少違うかもしれないけれど、とても自分は及ばないと驚いていたのは、吉田健一です」と中村光夫は蓮實重彦に語る。"
吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖) から
"中村光夫も小説を書き始めるわけですよね。
…『ある愛』は、大学の先生が女子学生とできちゃって結婚して離婚する話なんだけど、下品でかつ知的な意地の悪い小説です"(金井美恵子)
「対談 金井美恵子×丹生谷貴志 吉田健一が小説を書く時をめぐって」
「吉田健一の世界にはむしろエロスが横溢しているとわたしは思うんです。
それはしかし、男根的ではなく多形倒錯的なエロティシズムと呼ぶべきもので、性器を介さない官能性は彼の小説の至るところに見出されます」
松浦寿輝『吉田健一の「怪奇」な官能性』
2016年5月14日
文学たん
好きな本を友人や家族に送るのは素敵なことですよね。作家が作家へ送る場合はどうでしょうか?
山本周五郎は寄贈本を読まず、読みたい本は買って読むという主義であったそうです。
この主義に同調したのが吉田健一。銀座のバーで飲む機会にこの二人は大変意気投合します。
そして銀座のバーの出来事から3日後。山本周五郎の元に届いたのは吉田健一の著書でした
1950年には、江戸川乱歩、吉田健一などを発起人として、ベーカー・ストリート・イレギュラーズの東京バリツ支部が結成された。
発会式では、牧野伸顕(吉田健一の祖父、吉田茂の岳父)の「バリツの起源」に関する論文が朗読された。
牧野によれば、ホームズは「僕は日本式レスリングを含むブジツ(武術)の心得がある」と言ったのであって、
ワトスンは「bujitsuをbaritsuと間違えたのだ」という。 そう言えば、イギリスや英文学関連の話は多いのに、コカイン等について触れたことはないのかな
中流階級以上の社会での流通実態はなかなかわからないものだ
ひたすら酒と食べ物だから 「戦争に反対する唯一の手段は。―ピチカートファイヴのうたとことば」ていうCDがあって、そのタイトルの由来が吉田健一の一文なのですね。
「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び……と宣伝することであるとはどうしても思えない。」
「戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。
古傷は消えなければならないのである。」
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」
「核戦争が恐ろしいから戦争に反対するならば、核兵器で威しつければ戦争に賛成することになる。
もっと小さなこと、例えば、お前を殺すぞと言われるだけで賛成することになるかも知れなくて、大概そんなのがこの前の戦争に賛成した。
戦争に反対するのは道徳上の要求であり、我々自身の都合からではない。我々はこれから本腰で戦争に反対しなければならない。」
出典の書籍について。
件の「戦争に反対する唯一の…」ていう文を有するコラム「長崎」の所収を整理すると、
(1)初出は朝日新聞「きのうきょう」欄、1957年(昭和32年)1月4日〜6月28日にかけて連載。
(2)単行本「作法無作法」(宝文館、1958年(昭和33年)2月刊行)に「一枚半時評」と題されて所収。
(3)「作法無作法」から、「一枚半時評」他、新聞コラム的な性格の短文群が解体され、
他の連載なども付け加えられて「新聞一束」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)として単行本化、「籤つきの年賀状」と題されて所収。
(4)「吉田健一著作集 第十巻」(垂水書房、1963年(昭和38年)6月刊行)に所収。
(5)「感想B」(垂水書房、1966年(昭和41年)10月刊行)に所収。
(6)「吉田健一著作集 第十三巻(新聞一束 残光)」(集英社、1980年(昭和54年)10月刊行)に所収。
http://kiwamono.blog.so-net.ne.jp/2010-03-09 彼は理想主義だね
世代的にそうなるのも無理はないけど、現実的とはいえない これは本郷信樂町に住んでゐた頃の話である。
當時は帝大の前を電車が走つてゐたと書いても電車も帝大も戰後まであることはあつたのだからそれだけでは時代を示したことにならない。
それならば日本で戰前だとか戰後だとか言ふやうなことになるとは誰も夢にも思つてゐなかつた時代といふことにして置かうか。
兎に角帝大と電車が出たのだからこれが文久三年と言つた大昔でないこと位は解る筈である。
どうもその頃はその電車が通つてゐる道も砂利道だつたやうな氣がする。
それだから春になつて慍い風が吹き始めると埃が立ち、その爲に電車通りに並ぶ古本屋の店先の本がざらざらした。
尤もさういふ商賣をその頃してゐた譯ではない。ただ學生時代の癖で古本屋を覗いて見るといふことも偶にはしたといふだけのことで、
それでは何をして暮してゐたかといふことになるとこれが實はさう簡單に説明出來ることではないのである。
別に昔の時代はよかつたといふのでなくて確實にさういふことが考へられるのは例へばフランス革命の後で十八世紀のヨーロッパを振り返るとか
安祿山の亂の最中に玄宗皇帝が長安に都してゐた盛時を囘想するとかいふ特定の場合に限られたことであるが
帝大の前を電車が春風に砂埃を上げて走つてゐた頃に就て一つだけ言へることは生活が樂だつたといふことである。
その凡そ小さな古本屋は日本の本しかなくても神田のもつと大きな店でも掘り出しものと見られるものばかり置いてゐるのが特色だつた。
その晩出てゐたのがどういふ本だつたか、その中に芥川龍之介の「羅生門」の初版と一册になつた珍しい造本の梶井基次郎全集があつたのを覺えてゐる。
日夏耿之介の「黒衣聖母」もあつた。古木君がそこも始めてなのは熱心に棚をみてゐる様子で解つてそのうちに、
「これは、」と言つてその一段から引き出したのが金子光晴の「こがね蟲」だつた。
確かに掘り出しものでその箱はなくなつてゐる詩集の海老茶色の表紙に金で活字を押したのを見てゐて思つ たのは
それが前にこつちが持つてゐて賣つたのが廻り廻つてこの店の棚に納つてゐたのではないかといふことだつた。
http://www.yanesen.net/archives/horo/recommend/2002/04/ 最近じゃ神田の古本屋に自己啓発本だの芸人の小遣い稼ぎエッセイ本だのが並ぶ始末だよ
Boo〇offかと この人が翻訳したブライヅヘッド、なんでこんなに高いの?
中古の文庫が2,500円〜とか
再版希望しまーす>ちくま ブッキングから出てたろ
ちくまは前に出した吉田の随筆を文芸文庫へ移してるぐらいだから さらに高いよ>単行本
新しいのは活字が馬鹿でかそうで嫌だし
たしかにちくま増刷は期待できない
講談社も学術文庫だか文芸文庫だかできてるけど、そういう時代なんだね 付記.かれの父上,吉田健一氏は,中村光夫氏や福田恒存氏,さらに亡父吉
川逸治と「鉢の木会」といふ文芸放談の会合を月当番の回り持ちで開いてゐ
た.わたくしの歴史的仮名遣は,「鉢の木会」編集の『聲』といふ季刊誌連載
の福田氏の「私の国語教室」で身に付けたものである.「鉢の木会」には,他
に,神西清氏がをられたが早く亡くなつてしまひ,また,大岡昇平氏や三島
由紀夫氏もをられた時期がある.鎌倉にゐたのは,神西,中村,吉田,吉川
で,当時はそれぞれの自宅で飲み会をしてゐたが,皆子供が小さかつた関係
で,家族ぐるみでの宴会準備であつたのか,鎌倉の市内のときは子連れで夫
人たちが会場のお宅に集まつて手伝ひをしてゐたやうに覚えてゐる.「鉢の木
会」は,結局は,中村,吉田,福田の各氏と亡父でしばらく続いた.最後は
福田氏と亡父だけになつた.亡父が世を去つて覚えてゐる人はゐなくなつた.
ここで,歴史的仮名遣を敢へて用ゐたのは,さういふ不思議な時代への私的
な追憶といふこともある.
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~851051/Yoshida/yoshikawaa.pdf 私はそれに就いて、今日、アメリカに住んでいる私たちには他のどこの国にいる人たちにも増して、
簡易な生活と複雑な生活のいずれかを選ぶ贅沢が許されてい るのだということを幾分、皮肉な気持ちになって思い返す。
そして私たちの中の大部分は、簡易な生活を選ぶことができるのにその反対の、複雑な生活を選ぶの である。
戦争とか、収容所とか、戦後の耐乏生活とかいうものは、人間にいや応なしに簡易な生き方をすることを強いて、
修道僧や尼さんは自分からそういう生き方を選ぶ。
勿論、誰も自分が孤独であるとは考えたくはない。
なんとでもしてそう考えることを避けようとするので、それは人に嫌われているとか、仲間外れにされている ということと同じに思われる。
我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛している訳ではない。
そんなことはできなくて、それができる振りをするのは嘘である。しかしそれにも拘らず、我々はそういうふうに愛されることを要求していて、
我々は生活や、愛情や、人間的な関係の満ち引きに対してそれほど自信がないのである。
(A・M・リンドバーグ著、吉田健一訳 『海からの贈物』) WISDOM堂書店 「人生を変えた一冊」 第14回
建築家 隈 研吾氏
https://www.blwisdom.com/skillcareer/interview/books/item/9145-14.html
未来につながる豊かな「諦め」を学ぶために
『ヨオロッパの世紀末』(吉田健一 著) 岩波書店 塚田某
ラフォルグについて、日本語で書かれたものとしては、
吉田健一の『書架記』(のなかの一章)と河上徹太郎の「宮廷住ひのサンボリスト」辺りが比較的に知られているだろうか。
両者ともラフォルグを語ることが、そのまま自らの文学観の披瀝になっていて、なかなか興味深い。
ランボーの「天才」よりも、ラフォルグの「頽唐」をとるのが、吉田健一の流儀。つまり文学になによりも「成熟」を求めるのである。
7 Feb 2017 藤原編集室
吉田健一といえばこの一冊。『謎の怪物・謎の動物』(新潮社、1964)。
UMA研究の泰斗ユーヴェルマンスなどをネタ本に、
ネス湖の怪物やマンモス、巨大魚、絶滅鳥モア、失われた民族、藻の海、竜伝説などを紹介した読物。
http://pbs.twimg.com/media/C4gUkFaUkAEF0Tm.jpg
12 Feb 2017 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 昔話 (講談社文芸文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 講談社 (2017/2/10)
酒談義 (中公文庫 よ)
吉田健一 著 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/4/21)
舌鼓ところどころ/私の食物誌 (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/5/23)
わが人生処方 (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/6/22)
父のこと (中公文庫)
吉田 健一 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/9/22) 作家で英文学者の吉田健一は食通、酒飲み、そして偏屈でも知られる人物。
かつて昭和40年代、当時、神田駿河台にあった中央大学で教鞭を取っていた吉田は講義の合間や終了後、
たびたびランチョンを訪れていた。
編集者との打ち合わせや原稿の受け渡しに利用していたそうだ。
ビーフシチューを好んだ吉田だが、「会話に夢中になると、ナイフとフォークで食べるのが面倒だ。
話しながらでも、手づかみで食べらないものか」と、先代マスター(故・鈴木一郎さん)に相談し、
それに応えて誕生したのが「ビーフパイ」だったのだ。
これに合わせるのは……吉田に倣うと「ウイスキーリプトン」である。これは熱々の紅茶にたっぷりのウイスキーを注いだもの。
今も昔もメニューにはない“吉田健一特性酒”である。
でも、現マスター、四代目の鈴木寛さん曰く、「ご要望があれば今でもお出しします」とのこと。
文豪気分を味わう一品だけに真似する人々多数。もちろん、看板メニューとしてもつとに知られるだけに売り切れ必至。
あれば試しておきたいメニューなのだ。
文=ひさだひさ 篠田一士『読書の楽しみ』
「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分というのが、吉田さんの口癖だっ
た」
「本は五百冊あればというのは、ズボラか、不勉強かとは逆に、よほどの禁欲、断念の
はてに実現するもので、これを実行するには、並大抵の精神のエネルギーではかなうこと
ではない。一日に三冊もの本を読む人間を、世間では読書家というらしいが、本当のとこ
ろをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を、一冊でも多くもっているひとこ
そ、言葉の正しい意味での読書家である」
「自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が、五、六
百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変ってゆくというのが、いわゆる完全な読書人な
のである」 酒肴酒と私の食物史と東京の昔を読んだ
ほかに読みたいのだけどあまり難解なのは・・
小説なら何が良いかな? 評伝「吉田健一」(大佛次郎賞)の著者、長谷川郁夫さん逝去
ご冥福をお祈りいたします 教養ある紳士の話を読むのではなく「聞いている」ような風情だな。
アランは散文の特質として、時間から解放されると言っている。
話が退屈になったら止めて、また会いたくなったら続きを読む。(聞く)
読書の楽しみが広がる。 >>408
読点が少ないから読みづらいって意見が多いけど、
それもあるけど単純に文章が不明瞭かつまどろっこしいんだよね
一文の中にいらない情報を盛り込みすぎ
下手な訳を読んでる気分になる >>413
吉田文學初心者には、まず入門としてユーモアエッセーや短編小説がオススメなり、
そこで多少文体に慣れて、本格的評論に進めば良し、面白くなければ、無理に読む必要なし、 神奈川県立文学館の吉田健一展、22日までなのでお早めに ○0o。( ̄∇ ̄〃)y--┛( 〃 ̄ー)y-┛( )-┛(ー ̄〃 )y--┛))クルクル 川本直(1980年1月13日 - )
川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』『吉田健一に就て』
麻生太郎の話が出ると吉田健一の話が出るが、吉田茂の国葬の時点から今
まで、吉田健一(国葬反対・茂のカトリック葬反対・遺産は「飲んでしま
えばいい」)及び子孫と麻生太郎(国葬賛成・カトリック葬にした・遺産
が欲しい)は対立している。丸谷才一証言や評伝を参照。私も麻生太郎な
ぞ好きではない。
吉田の長女・吉田暁子氏は、最近も吉田茂のカトリック葬に反対していた
ため、麻生家に分骨するよう強く主張してなんとか完遂した。吉田家は
孫・曾孫がイタリア人なので最早日本の政治と関係ない。豊臣秀吉(吉田
健一)が好きだからといって、甥の豊臣秀次(麻生太郎)が好きだと思う
か? アホらしい。
豊臣秀吉と豊臣秀次のアレゴリーは吉田健一の「余生の文学」から引い
た。何故か吉田健一は矢田挿雲の『太閤記』を愛読していて、「余生の文
学」で名護屋城での秀吉の晩年をデカダンの極地として描いている。
2024年1月29日 言葉というもの
吉田 健一 著
平凡社ライブラリー 968
2024/05
256ページ
定価1,870円
イエーツ、ヴァレリー、鷗外、宇治拾遺物語……。古今東西の文学を自在に横断しながら、
文学とは何か、言葉とは何かを解き明かし独自の文明論に至る、吉田健一随筆の真骨頂。