【酒・酒】吉田健一【酒・酒】
酒と文学をこよなく愛した吉田健一のスレがなくなって久しいので
立てました。文庫本で復刊が相継ぎ小さなブームの観を呈していますが、
吉田文学の魅力を語りましょう。TO THE HAPPY FEW >>83に全面的に同意ですね。
吉田健一の板だけにはなにか、79とか82などの、ほんと通俗の悪さだけをあらわすような、
与太公の与太話、在ってほしくはないのです。 どこが偉そうなのかね。
たんに、何々に書いてある、いっただけのことだろう。 偉そうだから叩く、という発想のみじめさを酒の肴にするスレはここかな? >>76
ご教示、かたじけなう御座る。
>「文学が文学でなくなる」とは、吉田健一にとって、肯定的な意味ですよ。
といふご指摘はその通りなり。全体的な意味としてはそれが正しいと存ずる。
ただ、氏はこの書の中で「文學」といふ語を肯定的な意味にも、否定的意味にも使ってをる。
また、「何々が何々でなくなる」とは、否定的な意味にとるのが、日本語の勢いの自然ににあらずや。
(「吉田健一が吉田健一でなくなる時」)それゆえ、そこにひとへにかくなりと決めつけ難きものを感ずるなり。
とまれかくまれ日本語は難しきもの哉。このこと猶よく考ふべし。
『文學が文學でなくなる時』を何十年ぶりかに再読し、そこにある「文學」「言葉」「生活」
「詩」「生命」「親しみ」などは「吉田文學」のキーワードなりと感じけり。この本が講談社文庫になきはくちをし。
なお同文庫の「文學の楽しみ」はよく似たものなので、関心のあるご仁は読まれたし。
言はずもがなのことかもしれぬが、以前どこかのスレにあつたので序に言つておくが、エリオツト批判がこの書の一つの筋也。 >>91
76をカキコして、一部のかたを感情的にしてしまったようなので、若干凹んでました。
一言、あなたのレスは嬉しいです。吉田健一を再読する喜び。 76本人かなりすましか知らないが、
どうでもいい知識を押し付けるから、アンタは批判されるんだよ。 >>93へ
もうそろそろあなた、このスレから出ていくべきだと思うけど。
オレ、はっきりいって議論の当事者ではないけれど、どうにも、93、美しくないぜ。 >>94
そうそう、粋じゃないんだよね。
どうでもいいというように対象を曖昧にした否定的言辞は批判ではなく、癇癪持ちのいちゃもんですわな。
内省の猶予もなく反射的に自衛を試みる人もいるようですが、あまりにも吉田健一の身振りからは遠い。
もっとも吉田を嫌う人が見に来ても何ら問題のないスレッドではありましょうが。 彼は書物を読み嘘をつかず身なりを気にせずわざを磨くために飯を食わなかった
後指をさされると腹を切った
恥しい心が生じると腹を切った
かいしゃくは友達にしてもらった 吉田健一って、高価そうなスーツ着てたな。
街中で引き立つほど、ああ、英国製生地だなと一見して思うような。
まあ、口は甥っ子と一緒で歪んでいたがね。 >>98
ミーハー的好奇心で恥ずかしいけど、
吉田健一の声質・口調の印象は何かありますか?
やはり吉田茂に似た豪放磊落な感じ? >>99
吉田暁子の『父、吉田健一』がそのへんのことにも触れていたような。
因みに、あの本で印象に残っていること。
酒浸りのひとというようなイメージの吉田健一だったが、じつは彼の日常はけっしてそんなふうではなかったということ。
たいがいは書斎にて、読書なり執筆なりに時を費やしていたらしい。
穏やかな、落ち着きのある、そして家族との対話も十分にある、すこぶる健全な、繰り返しの日々。
しかし、考えてみれば、それはそうだよなー、と。
作家、翻訳家、評論家、いろんな顔において特別に優れた仕事をなしたひと。
飲んだくれではなかなか、ねえ。
非常に悲しそうな顔をふとみせることがあった、といったような記述が数回出てきた記憶もあり、
そこにこそ、吉田健一の凄さの秘密も隠されているのかなあ、なんて思った記憶もあり。
吉田健一は、たえず酒の中にいて、酒の夢中に漂っていてほしかったという思いもあるけれど、
しかし、さすがに吉田健一は偉人、酒がなくとも十分に書斎の本に囲まれながら夢中にあったのだ… かれが並の人間であるはずもなし…
なお、暁子さんの本を読んだのは1〜2年前。
記憶違いな、いい加減なことをここに書いたに違いありませんが、ーーお許しを。 ご息女の本は、当然ながら下劣な暴露本の類と正反対で、
父上への思慕が伝わる、穏やかな筆致で一貫してるね。
そういえば、週一回の「饗宴」の列席者だった三浦雅士の回想中に、
ある時偶々、裏手近くの扉からランチョンに入店した際、
一人で席に座って、普段見せることのない極めて厳しい表情で、
何事かを思索している吉田健一の横顔を瞥見してしまった、
しかし、三浦氏に気付いた吉田健一は、いつもの笑顔に変わり、
「君、ビールね?」とすぐにオーダーしてくれた、
という記述があったような。 偉人だとか、並みの人間であるはずもなし、とかって・・・
ランチョンに裏手近くの扉なんてあったかなあ。
言われてみれば正面から入って左手奥に勝手口みたいなのがあったような
気もするが、いまや記憶も茫々として。 >>101は何の典拠もない狂人の妄想なんだから、真に受けちゃ駄目ですよ >>101
三浦雅士の回想を紹介して何を言いたいのか。お得意のムダ知識のひけらかし? >>105
そう言ってしまえば、>>101は何を言いたいのかまったく無意味なエピソードの
紹介で、三浦のオリジナルはもっと内容があったに違いないが、
しかしこれはたんに>>101のあたまの働きがあんまり澄み渡っていないせいだろうと
考えることができるわけで、お得意のひけらかし?などと意地悪に取る必要もない。 お前ら吉田健一を美化しすぎ。
だから>>101みたいな気持ち悪いカキコが現れる。
どうせ無意味なエピソードを書くなら、こんなのもある。
「吉田健一はランチョンで酔っぱらうと、
ビールのジョッキをわざと床に落として割りまくっていた」 その程度のつまらない酒絡みの逸話なら、俺ですらいくつか知ってる
・酒席で川村二郎が「毛唐」という発言をしたら、怒ってお膳をひっくり返した
・英国視察旅行の際、酔ってホテルに戻り、「お釣りが遅い」とボーイに絡んだ
(これは吉田健一本人が随筆で書いている)
・同旅行中「英詩がなかなか覚えられない」と愚痴った福原麟太郎(15歳年上)に対し、
「だったら英文学者をやめちまえ」と激昂した エピソードを羅列されるだけだと、読むほうは辛い。
書いているアナタも楽しくないのではないか? 書き方でニュアンスがずいぶん変わるからね。
>>109だったら「ランチョンで酔っ払うと」という振り方では、毎度そんな
あばれかたをしている印象になるけど、そんなはずはないのでやはり歪んだ
伝わり方をするね。ランチョンの生ビールは薄いガラスの中ジョッキなので、
たしかに床に落とせば割れただろうが当時の店はオープンのワンフロアなので
そんなことをすればほかの客への迷惑どころか危険だし、常連客といえども警察沙汰もの。
ひとりで飲んでたわけでもなく連れがとめないはずもない。
だから、「酔っ払うと・・・・割りまくっていた」はうそ。 >>110もなんとはなしの悪意が背後にかんじられる言葉使いのせいで、
三つの総和とも共通した嫌な雰囲気をかもしている。
「怒ってお膳をひっくり返した」と書かれると、読むほうは一徹式お膳返し
をイメージするだろうが、そうなのだろうか?福原に対して「激昂」したというが
健一は福原を尊敬していたはずだし、こうしたエピソードを語るにしては言葉使いが
粗雑すぎるのではないか。 >>110
英国のボーイとの話は、ちゃんと続きがあるだろ。
酔って絡んだ、という部分だけを紹介するのは、悪意しか感じられない。 ああ、ホテルのボーイの正体はネス湖の怪物だった、というオチがあったね なんか他者の書いた文章の揚げ足取りばかりでつまらないね。
吉田健一スレに来るひとの大方も、結局は典型的2ちゃねらーなんだな。
吉田健一を読んでも下らない人間は下らない人間だ、という当然の事実が明るみになるばかり。 自論に沿わない書込みを粘着的に攻撃するのが常駐してるからね。
しかもそいつは、吉田健一を碌に読んだことのないハッタリ野郎か、
読んだことがあってもあらかたを忘れてしまった痴呆症のどちらか。
因みに俺は、>>115のような内容の文章を読んだ記憶がない。
俺の記憶違いだったら謝るが、いくら2ちゃんとはいえ、
混乱を招くような尤もらしい嘘を書くべきではないだろう。 吉田健一なんて1冊も読んでません。適当なイメージでカキコしてました。
すみませんでした。 >>117
>>115のボーイがネス湖の怪物だったという話、おれはちょっと覚えてるから
嘘じゃないでしょう。たしか、「酒に呑まれた頭」所収だったような。
かんたんに謝るはめに陥るような軽率なことは書くべきではないだろう。
うそうそ、誤りにはおよびませんとも。 自分が読んだ記憶がないから、そんな文章はないと断言しちゃうってすごい。
きっと、全集を全巻揃えて、すべて読んでるんでしょうな。
だとすれば、このかたは少なくとも「碌に読んだことのないハッタリ野郎」ではない
と考えてよさそうです。と同時に、あんなマカ不思議な怪文章を読んで、かつ記憶に
ないということは普通ないですから「読んだことがあってもあらかたを忘れてしまった痴呆症」
だと疑われてもしかたなさそうです。 自分は>>115と>>118を書き込んだ人間です。
>>118で書いた通り、>>115はネタのつもりでいい加減にカキコしました。
>>119にある、
> >>115のボーイがネス湖の怪物だったという話、おれはちょっと覚えてるから
> 嘘じゃないでしょう。たしか、「酒に呑まれた頭」所収だったような。
というのを読んで、正直、とても驚いています。
これも何かの縁だと思うので、吉田健一の最初の一冊として、
「酒に呑まれた頭」を読んでみます。ちくま文庫にあるみたいなんで。 >>122
水を差すようで悪いけど、少なくとも、ちくま文庫『酒に呑まれた頭』には
ボーイがネス湖の怪物になるような話はないよ
(「ロッホ・ネスの怪物」という小説?は収録されているけど)
自分は117の人とは逆で、吉田健一の本をわずかしか読んでいないので、他の作品集に
「酔った吉田健一がボーイに絡み、そのボーイがネス湖の怪物になる話」
があるかどうかはわからない わたしなどは、一冊、どころか、短いものをいくつか、しか読んでないな。 >「ボーイがネス湖の怪物になる話」
適当な思いつきだけど、「酒宴」と何か別の随筆とがごちゃまぜになってないか? 只今、>>119さんが、手元の吉田健一作品を総チェックして
「ボーイがネス湖の怪物になる話」を探していますので、
もうしばらくお待ち下さい。 >>119(「ボーイが怪物になる話」がある)を前提として
>>121で思い切り毒を吐いちゃってるからね、、、
119=121と別人でもいいので
心当たりがある人は情報をぜひ 真面目な話、>>119=>>121は、
「あんなマカ不思議な怪文章を読んで、かつ記憶に
ないということは普通ないですから」
と豪語して、他人を非難しているのだから、
件の作品が実在していないわけがない。
万一、作品が実在しないならば、
そのあまりに病的な精神に耐えられない。
だから、絶対に該当する作品を見つけて教えてくれ。
本当に頼む。
(自宅に数冊しかないが、私も吉田健一の文庫本を確認している。) ボーイが怪物になる話があるのかないのか知らないけどよ、
>ネチネチ他人の揚足取りばっかりしてる狭量な屁理屈野郎
>「成城だより」も裸足で逃げ出す、トンチキ擬古文の自己陶酔野郎
>突っ込んだ質問をされるといなくなる、
「改装前のランチョン」が決め台詞の吉健との遭遇野郎
これら全部、同一人物のカキコミだよな?
このスレ見てる殆どが気付いてると思うが?
こう書いても、なんのかんのと理屈をこねて改まらないだろうが、
スレの流れを無理矢理思い通りにしようとするのはやめてくれ。 オレは中村剣だ!文学の、物語の革命を!http://ameblo.jp/tn2009/中村剣のお笑い祭り >>129
まあまあ、気持ちはわかるけど、誰と誰が同一人とかいう議論は、
どうしても泥仕合になっちゃうから
昨日からのこのスレのゴタゴタは、
今日明日、吉田健一をまとめて読み返すきっかけになった
特定の文章を本から見つけるのは、意外に時間がかかる場合があるので、
ボーイ=怪物の話の確証も、気長に待つほうがいいだろうね 「STAP細胞はあります!」
「ボーイが怪物だった話はあります!」
なんか似てるよな
ともに主張者が××××っぽいし、現状、限りなくクロに近い灰色だし、
起死回生でシロになる一縷の望みはあるみたいだし?? >>133
いろいろな意味で最高!!
ブックオフじゃなくて俺に売ってほしい。10倍は出す(笑) >>132-133の流れ
「吉田健一:起死回生でシロ」→「吉田健一:岸部四郎」
133は大天才 昨日は笑えるカキコが多かったんだな
>>119-121のドヤ顔の罵倒は、その後の展開を踏まえて読むと、
きれいなブーメランになって書いた当人を直撃してるし、
(「ボーイが怪物だった話」が実在していれば別だが)
>>129では、このスレの暗黙の了解めいていたものがあっけらかんと曝け出されるし、
(個人的には「『成城だより』も裸足で逃げ出す」がツボった)
締めは>>132-133で、まさかの岸部四郎!
日曜の朝にまとめて読めて楽しかったわ >>133
吉田健一著作集だけで30冊強だろ
残りの売るべき本が40冊しか残っていなかったというのも不思議だな たぶんだけどさあ
たぶん、
吉田健一をじっくり読み込んでいるような人間には
ここのやり取り、もう堪えられないんじゃないのかなあ、阿呆臭すぎて
(余計なひと言でした) 2ちゃんなんか牛の糞なんだから、
「吉田健一を読み込んでいる人間」とはそもそも全く無縁だろ。
俺もあんたも、浅薄な知識を振り回して、面白半分に書き込みするのが関の山。
但し、牛の糞にも段々があるんで。 糞でない、ましな媒体とは、どういうものがあるの。
ましなのがあれば、本心から読みたいと思うので、
教えてもらいたい。まこと、これは、切実な気持ちだ。 まずは、吉田健一の執筆物そのもの。
(刻々生まれているものであれば、)なんやかんやいっても、文芸誌。
松浦寿輝、若島正、野崎歓などの評論。 ゼミ、勉強会、読書会。
リアルでも、ヴァーチャルでも。
匿名でないのが絶対条件。
具体的には全く心当たりがない。ごめん。 >>143
この板にのってくる文章よりは文芸誌の文章の方が遥かにマシだが。
何か異論でも? >>145
それはきみが文章を読む力がないからだな
勉強するんだな AKBとそのへんのキャバクラのこも、
あまり変わらないと思うから、
目も悪いかもしれない。
ご意見どうも、気を付けますよ。 >>141さんの「まずは、吉田健一の執筆物そのもの」これだろ。
このスレでの直近のやり取りを見れば歴然としてるが、
吉田健一のテキストをきちんと読んでいないことが原因で、幼稚な混乱が生じている。
岸部四郎さんじゃないが、全32冊の著作集が、(状態にもよるが)3〜4万で揃う時代だよ。
あるいは、文庫本に頼るとしても、相当数の著作を読むことができるよ。 このスレが駄目な理由は、テキスト読んでるとか読んでないとかじゃなく、
それ以前の話じゃないの?
自分の思い通りにならないことがあると、すぐ頭に血が上っちゃって、
勝手に築いた吉田健一像にそぐわないカキコは、言葉尻をとらえて全てインチキ扱い、
他人をやり込めたさに、ありもしない作品の存在を狂信しちゃう、
旗色が悪くなると「ここのやり取り、もう堪えられないんじゃないのかなあ、
阿呆臭すぎて」とケツを捲って他人面、挙句の果てはAKBだ、キャバクラだ、
ほとぼりさめたらキモい擬古文か、他人の回想文のツギハギ使って自慰行為。
こんな低劣なのが幅を利かせているからじゃないの?
自戒を込めていうが、吉田健一の理解を少しでも深めたいなら、こんなスレに関わるな。
このままだと、吉田健一を好きで読んでる自分がだんだん惨めに思えてくる。
俺は今離脱する。俺も負けず劣らず愚劣だが、今までの応答を他山の石にする。ありがとう。 ビアホールの話はよくて、キャバクラがダメというのも、
よくわからないな。 >>150
きみの「切実な気持ち」はどうなったのかね?
だからきみの話は全部ダメなんだよ 今現在のもので、日本語で書かれた素晴らしい作品は切実に読みたいよ。
何を見てもそんなのがないから、あきらめてはいるが。
だから外国のものか、すごく古いものばかり読むことになる。
文学に限らず、音楽も、美術も、近代日本人の作品は、
本心を言えば、どれ一つとして観賞に値しない。
たとえ漱石でも例外ではない。私個人的には、そうである。 >>152
・きみが読む「すごく古いもの」は、例えばどんなもの?
・きみが読む「外国のもの」は、例えばどんなもの?
(「外国のもの」ならば、近代以降のものも読むの?)
・その「外国のもの」を原語で読む? それとも日本語の翻訳で?
・きみが吉田健一に興味を持ったきっかけは?
個人的な興味からの質問だけど、決して冷やかしで訊ねているのではない。
時間があるときにレスを貰えればうれしいし、もちろん嫌だったらスルーでいい。 大切なことが忘れられてしまっているようだ。
第一に、こんな掲示板で何かまともな情報を得よう、何事かをストレートなかたちで
学びたいなどと卑しい心は持たないことだ。とくに文学というのは、フィクションを
援用して何事かを生み出すものであるとしたら、極端な書き込みがあったってフィク
ションとして笑い飛ばせばいいではないか。それをシャレのわからないやつが
妙な説教をはじめたりなどするから雰囲気がわるくなるんだよ。
>>153みたいのは面白いね。どんあレスが付くか楽しみ。 極端なことなどは、何も言っていいないだろう。
美術や音楽の場合、近代日本の作品が、欧米のそれと比べて、
あまりにお粗末だということは、見聞きすればわかることだ。
文学の場合は、言葉の壁があるので、そこまで痛感しくてもよい、
ということにすぎないのじゃないか。
だが、すこし外国のものを読むのに慣れれば、おおきな違いに気づいて、愕然とする、
ということはあるだろう。
日本の前近代の芸術作品は、わたしとしては、「別のもの」として、
比較しないで鑑賞できるので、そういうことが気にならない。 わざわざ変な人のふりなんてしなくていいのに
>>154は>>152に書かれてることを「極端」と言ってるのではなかろう
普通に>>153の質問に答えてあげたら?
具体名が出たほうが、どういう方向であっても、話がしやすいと思うよ そういうことです。
>>154はこの2,3日の書き込み全般についていったので、>>152はまったく
無関係です。
>>152の人はよっぽど自分が極端なことを言ったつもりだったので、つい、
自分ガ言われたと思ったんでしょうね。残念でした。
では、具体的な例をあげながらどうぞ! 極端なことを言ったつもりがないから、
極端なことは何もいっていない、と書いたのじゃないか。
153、ときて、154だったから、勘違いしたのだろう。 スラムを探訪することには、良いところがある。
とりつくろいのない世情がわかることだ。
2ちゃんねる文学板では、日本の文学を取り巻くそれがわかる。 >>153
答えてやろうと思ったが、気が変わった。
スラムは、しょせんスラムだ。
まじめに答えてやっても、理解できないだろう。
もう、二度と書き込まないでほしい。 >>153
あらためて、気が変わった。
土下座して頼むなら、ひとつぐらいは、答えてやってもいい。
ハンガリー語を、たぶん勉強したほうがいいだろう。 >>160
「もう、二度と書き込まないでほしい。」←意味不明
ああ、太宰治と飲んでみてえなあ……
作家である太宰に対して学生というお気楽な立場で……
吉田健一とは……、う〜んちょっと緊張するなあ……、あまりにこちらが
阿呆なもんで、なんか失礼にあたりそうで…… >>162
ばかには書き込んでほしくないから、
書き込まないでほしい、と書いたのじゃないか。
太宰治は、学生の三島由紀夫と酒をのんだ。
吉田健一は、三島由紀夫ののみ友だちだったが、太宰治のせいで、絶交した。
吉田健一は、孤高のひとだから、年下の人間とはのまないだろう。 でたらめを書くひとばかりので、補足しておく。
吉田健一は、ランチョンで、太宰治の霊と、河上徹太郎の霊にいのっていた。
河上徹太郎は無名で、吉田健一の本にもでてこない。 太宰治は、無名ではないが、やはり、吉田健一の本にはでてこない。
本に書かれないことに、私はきづいて愕然とする。
太宰治の墓のとなりには、漱石の墓があるはずだ。
吉田健一は、ランチョンで、漱石をあまりほめないらしい。
やはり、漱石は観賞に値しない。 いったい、なにがだめなのか。
ひとに背侠するならば、外国のものぐらいは読んでほしい。
じぶんがいかにお粗末のか、痛感するだろう。 >河上徹太郎は無名で
ちょっと意味がわからない。
健一の本にもいくらでもでてくる、昭和の代表的批評家の一人を無名って・・・
まあ、あまり係わりをもたないほうが賢明か、さばら! どうも、ここにも、オツムがいっちゃってるひとが何人かいるようで、
どうも、その人たちが主体となって頑張っているようで、
……オレもオサラバするよ! 169だけど、補足しとく。
せっかく1に
「TO THE HAPPY FEW(幸福なる少数者に〈野崎歓訳〉)」
と、スタンダールに「いわば決めの言葉として」(野崎歓)使われた言葉が
書かれていたのになあ、結局はこんなスレになってしまって…… 残念だ…… もうまともな人たちはここを見に来ないのかもしれないけど、
それに、妄言の類に反論しても意味がないかもしれないけど、念のため。
>「吉田健一は、三島由紀夫ののみ友だちだったが、太宰治のせいで、絶交した。 」
→鉢の木会での親交から一転、絶交状態になったのは事実だが、太宰治が原因ではないだろう。
Wikiの吉田健一の項に原因として挙げてあるのは、三島家の家具、『鏡子の家』、『宴のあと』。
>「吉田健一は、孤高のひとだから、年下の人間とはのまないだろう。」
→まず、三島由紀夫は年下。
吉田健一の『交友録』 に「若い人達」という章があるし、そこに挙げられている人物以外でも、
辻邦生や三浦雅士などに、吉田健一と酒席を共にした回想がある。
>「吉田健一は、ランチョンで、太宰治の霊と、河上徹太郎の霊にいのっていた。」
→「霊」とは生霊も含むのかもしれないが、吉田健一は1977年没、河上徹太郎は1980年没。
>「河上徹太郎は無名で、吉田健一の本にもでてこない。 」
→>>168さんが書いている通り。河上徹太郎は吉田健一に大きな影響を与えた師であり、友人。
吉田健一による言及は多数あるが、『日本の現代文学』や『交友録』に「河上徹太郎」の章がある。
>「太宰治の墓のとなりには、漱石の墓があるはずだ。 」
→三鷹禅林寺の太宰治の墓の斜め前にあるのは、鴎外の墓。漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にある。 >>171
でたらめを書いて、なにが面白いのか。
こんあうそばっかりだから、スラムなのだろう。
吉田健一は、交友録など書いていない。遠藤周作のまちがいだろう。
だから、近代日本のものは読めない。 >>172
ごめん、確かに吉田健一の『交友録』はないね。
正しくは吉田健一『交遊録』。
書名をミスしたのは悪かったけど、>>171に「でたらめ」を書いたつもりはないよ。
自分もしばらくこのスレから離れます。
以前、いろいろ楽しいカキコをしてくれた人たち、どうもありがとう。 >>173
漢字のことを、いっているのではない。でたらめはだめだ。
おおきなうそから、目をそらしてはいけない。
近代文学にこだわるから、うそばかりなのだろう。
ほんとうに吉田健一を好きな人は、いないだろう。 わたしは152であるが、159が最後で、今まで書き込んでいなかった。
誤解があるといけないので、おことわりしておく。 『吉田健一対談集成』を読む(講談社文庫)。「対談集」といへども軽んずべからず。
吉田氏の肉声の聞こゆる珍重すべき「音源」なり。
鼎談『東京の昔』は殊に味い深し。共演者は池田彌三郎、佐多稲子なり。
役者に不足なし。なにとか評すべき、まことにめだきものなり。これこそ「教養」なれ。
余の心もきれいに洗はるるごとく覚ゆ。 過日、本屋に小説家・高橋源一郎が選ぶ「講談社文庫ベストテン」という催しがありけり。
高橋源一郎はその第一位に『時間』を挙げていたりき。余は意外の感に打たれけり。
一つには、余は高橋和巳は読みたれど、源一郎は読んだこと無し。テレビの競馬場番組で見たりしのみ。
源一郎と『時間』がどうもつながらぬなり。二つ目は、『時間』なり。源一郎は酒飲みのように
みえたれば、『酒に呑まれた頭』などあげていたれば、さもありなんと余も納得したれど、あの哲学的随筆なる
『時間』とは意表をつかれしなり。吉田文學の愛好者は広いと感じけり。 このスレはさいごのあたり結構面白く推移したんだね。
で、ちょっとオカしくなりスーッとみんなが引いた後、
>>177と>>179が止めを刺して凍りつかせちゃった。
春が来て凍てついた空気が溶けるまでには、まだだいぶ間がありそうだ。 余はこのスレで学びしことも多かりき。その一つが、170さんの「TO THE HAPPY FEW」の
解説なり。初めてその意味を知り、よき言葉かなと心に深く刻まれぬ。
さて、この「 HAPPY 」はまた吉田文學の本質ならざらんや。
読者に HAPPY感を与へ、作者ももちろん HAPPY なり。すなはち、人生の肯定なり。
これぞ吉田文學の真骨頂ならざらんや。不安、絶望、自殺を専売特許とせる
我が国の文学界にあって、氏の文學が独歩の地位を占めたるゆゑんならん。
氏の文学の人生肯定、豪放な笑いはまことに得難し。現代において吉田文學に
親しむ功徳もまたここに存んせんか。 >>181
ありがとうございます。
じつは、当方、170であり、41でありました。
双方に目を留めていただき、光栄です。
貴殿の文体、語彙の選択など、いろいろと勉強になります。
「吉田文學の本質」を「人生の肯定」と喝破するなどお見事というほかない。
ここに巣食う俗物に敗退することなく、 HAPPY FEW の代表者として、ここに棲息し続けてくださいませ。 >>182
過分のお言葉、痛み入り候。
ネットを介して同好の士が語り集合ふのも21世紀の文学の楽しみなり。