「美しい文章」って、そもそも何なのか。 [転載禁止]©2ch.net
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「正確な位置に置かれたコンマは
どんな鋭利な金属よりも鋭く我々を引き裂く」
て外人が言ってたけど要は受け手の感じ方なんだろうね >>9
世間の評価はしらんが川端康成は千羽鶴が最も綺麗だと思う。
長ったらしい文は最小限で、改行を多くして文にリズムを持たせてる。
余計な描写は無く、日本文化と日本語との確かな合致を感じられる。
読んでて日本語そのものに感動したのは今でも千羽鶴だけだなぁ。 >>1
人間の美的判断はカントの『判断力批判』では悟性と実践理性の間に
位置する、とある。
美の判断というものは十人十色でありながら、普遍的な要素もある。 風景として美しいのは川端康成
日本語として美しいのは谷崎潤一郎 先生が「文章が上手くなりたい人は志賀直哉を読め」とか言ってたんだよね。
志賀直哉の文章は淡々としていて微妙なんだけど、上手いのか? 中川郁子・門問題
大事なのは唯一つ。
公金の流用のありやなしや。
和歌山、北海道間の旅費、交通費などどうなってた? (2年間付き合っていたとも)
政務官室がラブホ代わりに、ってのは実際のところどうなん? (2時間こもっていたとも)
多額の税金によって生きている二人が
税金をこんなふうに使っていたとしたならば。
庶民はやりきれんのだよ。 >>17
>志賀直哉の文章は淡々としていて微妙なんだけど、上手いのか?
上手くはないでしょう。
・・・・た。・・・た。・・・た。で続くから
切断力による歯切れよさが文章の上手さと錯覚されるだけであって。
散文としてはぜんぜん駄目ですね。
俳句などと同じ感覚で文章を書いているだけです。 誰かが翻訳文が主述一番整っていて美しいとか書いてた気がする まわりくどい文章は美しくない。
条件を積み重ねていく経緯が潔さに欠ける感じを受ける。 それは違うな。
男の脳は結論を目的にテキストを読む。
だから簡潔を好む傾向にあるがそれは普遍的な美しさとは別だ。性差における個人の好み。 私は>>27に同意だ。
簡潔でなおかつ、論理的で筋がしっかりと通っている文章は理解もしやすく客観的に美しい。
哲学者の文章にしばしば見受けられる。 美しさはそれだけで観賞に堪えうるものだから、
もし簡潔さが美しいというのなら、
簡潔で筋が通っている取説でも読んでおけ、ってことだろう。
つまり、そういったものは美しい文章とはいわないってこと。 美しい文章が表現するのは対象の「説明」ではなく「描写」ではないか?
そこに簡潔さは必要なものの一つだと思っている。 俺としては簡潔でも複雑でもいいけど、その文章に詩情があるかどうかが、美しい文章とそうでない文章を区分すると考えてる。 この文美しいなぁって思いながら読むとどんな文もまじで美しく見えてくる 一説に、読者に美感を起こさせることを目的とする文章を美文と言う。 友成純一の文章は美しいな。緻密な肉体描写の中にある下品なまでの官能。
もっと有名になってもいいのに。 「凌辱の魔界」しか読んだことが無いけど
そんなに美しかったかな? 簡潔で筋が通っていて、しかも筋以上のなにか、感情や気持ちやふいんきや空気感みたいなものが伝わってくる文章がいい。 2chではふいんきの形勢有利だけど、世間では真逆。みっともないから使わないほうがいいよ。
美しいは必ずしもえろいと同義ではないと思う。 美しい文章なんて音に決まってるじゃないかなに言ってんのバカばかりなの? 俺が美しさと感じたのは徒然草だな。
美しさの記述は難しいんだよな。
言葉でたとえようもなく、言語的把握を拒否するくらいのことを、
美術品やら芸術品は平気でできるわけだよ。
卑近な例で言うと絶世の美女に男心が奪われたとして、それは男性としての敗北を突きつけられたんだな。
軍門に下るってやつだ。そういう暴力を美はふるうわけだ。
倫理だとか、美の善悪とかは考えると面倒になるけどな。
文学でも同じことで、
美しい文章(例えば徒然草第一九段)があって、それは日本語で作られているけれども、
そう簡単に平易な日本語ではかみ砕きようがない。
つまり、本当のところ俺にも分かってないんだよな。
だから、説明ができない。個々人で味わうしかない。
味わうしかないと言うことは、読むしかない、黙るしかない。
しかし、美に触れればその体験を共有したくて喋りたい、つまり記述したくなる。
そこでの、美について語る言葉は熱に浮かされたようなもので、
あまり信用がならない。といっても、もちろん独力で美は探せない。
だから、美に触れたければ
「みんなが美しいと言っているものを、これはほんとに美しいのかな?
と思いながら半信半疑で読んだり鑑賞して自分で判断していくしかない。」
つまり、1に文章の美しさは教えられません。 55です。
ビシッと決まったかと思ったんだけど、失敗しました、すまん。
まあクラッシックをユーチューブで聞いたり、
家族の料理の愛情をもっと感じてみようとしたり、
簡単な古典を読んだりしてみてよ。
万葉集の入門書(斎藤茂吉「万葉秀歌」)とか良いんじゃない? こういう時にとりあえず王道の古典出しときゃオッケーみたいな人っているよね 俺は、枕草子の文章は美しくないと思う。
ひとつの文章の中で、「いと・・・云々」「いと・・・云々」と同じ副詞を立て続けに使っている。
他にも同じ意味の副詞はあるだろうに、実に芸が無い。
「美しい文章」と言われるものならば、こういうつまらない書き方はしていないだろう。 物狂おしいきらめきが読み手を辱めるはしたなさを、
慈悲と教養で丁重につまびらく徒然草(の例えば一九段)が美しくなくて、
どこに美しい文章があるか具体的に知りたいね。
(それが万葉集なら俺にもわかる。) 美少女が書く文章は全て美しい。
ブサイクは何やってもダメ。 美しい文章というのは、描かれている内容ではなく、文章それ自体が艶やかで官能的であるので、たとえ何気ない日常のスケッチであったとしても、読むと恍惚とさせられる。 昔の人は何を持って、文章の評価をしていたんだろうね。 某書には、「美しい文章とは、言い表し方が露骨でなく、蕪雜でなく、どこか綺麗に優美に綴られた文章のことである。…」
と書いてある。ちょっとトートロジーっぽいけど、実際に定義するとなると似たようなものだろう。 自分が文章に対して持つ美しさの定義を考えてみるべき 三十歳──今後に予想される孤独の十年間。
独身の友の数はほそり、感激を蔵した袋もほそり、髪の毛もまたほそってゆくことだろう。
しかし、ぼくの傍にはジョーダンがいた。
これは、ディズィとちがって、きれいに忘れ去られた夢を、年から年へと持ち続けてゆくことの愚かさをわきまえている女だった。
車が暗い橋を渡ったとき、蒼ざめた彼女の顔が、ものうげに、ぼくの上着の肩にもたれかかってきた。そして、ぼくを励ますかに堅く握りしめてくる彼女の手に、三十歳のぼくの衝撃は消え去ってしまった。
こうしてぼくたちは、涼しくなりかけた暮色の中を、死にむかって疾走していったのだった。
どうでしょ? 『ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく話』
三十歳――。これから想定される孤独な十年。独り身の友は徐々に減り、共有の思い出も細りて、この黒々とした頭髪さえもおもむろに減っては細ってゆくであろう。だがしかし、ぼくの傍らにはルイーザがいる。いつも。
そう、この子はディズィーと違って、子どもっぽい夢をいつまでも持ち続けてゆく、そんな愚かさをわきまえているレイディーだった。
夜通し走りっぱなしでガタゴト悲鳴をあげていた中古のキューブが、暗い橋を渡り終えたとき、ものうげな彼女の体がぼくの肩に寄りかかってきた。
ハンドルから解放されたぼくの手を掴まえると堅く握りしめる。その、少し小さな手のひらに、すうっとぼくの胸のの淀みが溶けてゆく。
人生をフルコースで深く味わうための、いくつものスパイスが誰もに用意されていて、時には苦かったり渋く思うこともあるだろう。でも、最後のデザートを笑って食べる君のそばに、僕はいたい……
https://www.youtube.com/watch?v=ofYTAoS4LzE 日本人にとっての美しい文章は、文語で書かれたものだと個人的に思う。ベタだけど、平家物語の冒頭や枕草子等の古典は本当に素晴らしい。 しかし実際には祇園精舎に鐘なんてなかったと知ると
色あせて見える 個人的には太宰。言葉に独特の雰囲気があって、太宰の言葉は本当に美しいと思う 美という奴は恐ろしい怕かないもんだよ。つまり杓子定規にきめることができないから、それで恐ろしいのだ。
美の中では両方の岸が一つに出会って、すべての矛盾が一しょに住んでいるのだ。 いまあんまり装飾過剰な文章だとむしろ美しくないと思ってしまうな
かと言って簡潔なだけの文章がいいともおもわないし 修飾の程度に限定するなら
芥川以上三島未満がちょうど良い
それに合致するのが谷崎潤一郎 谷崎は英語の文法をかなり勉強仕込んでいるから
意味が明晰だし流暢
三島の美文とレトリックは論理が通らない部分がかなり多い 村上春樹の文章が美しいだとよ
大江の方がまだましだよ 大江健三郎の文章、表現力は凄いと思うけど美しいとは思わないな。
読者が読んで、頭の中に美しい情景が浮かんでくる文章が、美しいそれ。 >読者が読んで、頭の中に美しい情景が浮かんでくる文章が、美しいそれ。
それは文章の美しさとは別のものだね。
もう少しよく考えてね。 何を美しいとするかによる
文章に作家の美意識が表れるというだけでそれは明確に定義されているものでもない
一方で美しいとされる文章にはなにか一貫性や共通点があるようにも思える 頭の中に美しい情景が浮かんでくる文章がいいなら、なにも文章など読まないで
美しい自然を見に行けばいい話。それは文学の否定以外のなにものでもない。 よくこういうことを言って「ドヤ」顔をしてるのがいるけどw
奥の細道を読んで美しい情景が浮んで、美しい文章(作品)とはこういうものだ、と思っていいじゃん。
そんなら読まずに東北観光に行け、そのほうがずっと感動する、じゃないだろよw 身も蓋もないけど、美しい文章なんて人それぞれじゃん
議論はいいけど押し付けんなよ >美しい文章なんて人それぞれ
そんなもん、まだわかっていない 分かるまでは人それぞれってことだろ
つか本当に分かるのかよ(笑)
みんな自分が良いと感じたスタイルを美しいと思い込んでるだけじゃん >奥の細道を読んで美しい情景が浮んで、美しい文章(作品)とはこういうものだ、
>と思っていいじゃん。
一生勘違いしていなさい。
どうせ、仕事をするようになったら本など読まなくなるよ、キミみたいのは。
なんにもわからないでヒマツブシに読む程度だろ、今でも。 >分かるまでは人それぞれってことだろ
美しくないなぁ 文学板ってもう少し期待してたけどこんな返ししか来ないんだな >>101
お前の下らない書き込みにお似合いのレスじゃね? ☆ 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLですわ。☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願いします。☆ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています