江戸文学総合 [転載禁止]©2ch.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%BF%91%E4%B8%96%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2
●日本の近世文学史
江戸期を享保年間(1716-1735)で前期の上方文芸、中後期の江戸文芸に分けるんだね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%A6%E4%BD%9C%E5%93%81
●江戸時代の文学作品…曲亭馬琴の八犬伝は特段の評価。
○戯作
○○八犬伝
○○戯作者
○○○曲亭馬琴
○江戸時代の随筆
○○江戸時代の随筆家
○江戸時代の日記
●江戸時代の書籍(江戸文学総合、というジャンルだと、それに含まれないものもあるかも、だけど、一応念のため)
○江戸時代の地誌
○江戸時代の日記
○幕末の書籍
○蘭学書
○江戸時代の歴史書
URLをつけたらNGワードではじかれてしまったので、タイトルだけ。ぐぐってくれ。
こういうジャンル分けしても全部網羅してるのかはわからない。
古川柳(江戸期の川柳)でも、「末摘花」みたいなものを考えなければ、江戸期の文芸の全体像を掴んでいる、なんぞとは言えないと思う。
作家と作品、って感じで単純にリストアップしたほうがいいかも。
テンプレだけでも1スレ使って議論できそう(笑 江戸時代ってのはつくづくすごい。 :::::::::::::::::...... ....:::::::゜::::::::::.. ∩___∩ ::::。::::::::::::::::: ゜.::::::::::::
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:.. 三 | 三 | 三 | 三 |
:.... ∪ ∪ ∪ ∪ .∪ ∪ ∪ ∪ 近世奇人伝見てます
当時の人の忠孝に対する価値の置き方はすごいね。これは儒者の人が書いてるみたいだから余計かも知れないけど
あと実見したとか誰それに聞いたとか厳密であろうとしてるとこもおもろい。性格かな 文学史的に見ると、江戸期ってのは、純粋な日本文学の最後の時代。
日本文学は漢字とひらがな、カタカナのつながりを考えると、支那の古典とは非常に親和性が高い、独特の文化だ。
支那文化を取り込んで日本風にデフォルメしてしまったから、支那文化圏と言うよりは、やはり日本文化圏なんだと思う。
明治以降は西洋の影響が、当時でも蘭学で交流はあったものの、それとはくらべものにならないほど大きい、と言えると思う。
西洋の文物を学び、言葉を漢字の熟語に当てはめるなどで、明治以降に使用する漢語を規定したのは、支那人ではなくて日本人だそうだ。
明治の文豪たち、露伴や漱石、鴎外と言った人たちは、近現代の日本とそれ以前の日本文化の架け橋のような存在と考えられるわけだ。
源氏のように時代がかなりさかのぼってしまうと、言葉そのものの意味の把握が難しいから、それに多大な労力をかけてきた。
それはそれで大切だし、後世大いに役立ったことはまったくそのとおり、なのだけれど、源氏と同じアプローチで江戸期の文芸を見ると、
言葉そのものは難しくないので、軽くかんがえられがちなのは、ちょっと間違えているんじゃないかと思う。
戯作、なんて言葉も江戸期の文学を必要以上に軽く見る風潮を増長させるように思うな。 古川柳ってジャンルがある。
現代川柳ってのは自分で詠むわけだけど、古川柳は訓古の学。つまりは解釈だ。
●役人の子はにぎにぎをよく覚え
なんてのを、体制批判、風刺として学校教育で教えられた。はっきり言ってつまらん。
●いやならばいいがかかあにそういうな
これは話体川柳。そのまんま、ひとつのセリフになっているわけ。かかあ、ってのはヨメさんです。
ある商家の話。住み込みのオサンちゃんとご主人のエロベエ氏の台所での会話。無論ブサ面のエロベエ氏にはヨメがいる。
ヤラナイカ?
マアヤラシイ!イヤでございます!
それに対して、エロベエ氏が発したのが、この有名な一句なのであ〜る。 学校教育も、英語の時間をもっと減らして、古典教育に力を注ぐべきである。
たけくらべさえ、現代語訳でなければ読めないのでは、情けない。 近松門左衛門の作品を読むとどんよりした気分になるわ
古今亭志ん生の落語聴いてて確か「寝床」だったかな「浄瑠璃てのはもう…情けねえのばっかりだからね」
てのがあってわろた。ほんとそうなんだよね女々しいというか…鑑賞できてないんだろうけど 世の中がそういうものを受け入れる下地だったんだろう。
現代の感覚で過去を判断するのはどうかな。まるで東京リンチ裁判の事後法みたいなものを感じる。 そもそも当時のメインは世話物ではなく、時代物だったと思うが。 ニワカしかいないね
こんなレベルの低いスレで語る事はないね 岩波文庫の女殺油地獄には「出世景清」てのがカップルになってて時代物。これは良かったやれば出来るんじゃんて思ったよ
若書きで先行する作品を踏襲してる部分が多いらしいことが書いてあったけど悲惨な話よりは楽しめたなー 世の中が平和で安定すると人々は生に倦んで死を美化するようになる
というのはマキャベリの言だけど、元禄年間は平和だったのかな?
心中がそうとう流行ったそうだけど。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E4%B8%96%E9%A2%A8%E5%91%82
なんも書いてないウイキペディアの「浮世風呂」(笑
角書ってのは、見出しの上に小さい字で二行に分けたりして書くやつだね。
2chでスレタイの見出しに【風流仏・五重塔】幸田露伴【運命・露団々】みたいに書く雰囲気かな。後ろはさしづめ尻書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E4%BA%AD%E4%B8%89%E9%A6%AC
「浮世風呂」の作者、式亭三馬
浮世風呂みたいな作品は、絵がついてるやつを読んだほうがわかりやすい。
斧琴菊のそれぞれの絵柄の着物がたしか挿絵に入っていたけれど、これは斧(よき)琴(こと)菊(きく)
つまり、良き事を聞く、って判じ物なわけだ。
姉妹編に「浮世床」ってのがあって、こっちは床やさん。
風呂やさんと床やさんが、イギリスのパブみたいな雰囲気を感じる。
いま、こういうところはないな。
日本は進歩してるのかね? 近松の作品はつまりは音楽劇の台本だからね。リブレットだけ見ても片手落ちではあるんだよな
人形浄瑠璃はもう少し…テンポの上がんないもんですかねて思ってしまうが、親しみたい気持ちがないではない
大阪の文楽てどうなったんだっけか 1682
井原西鶴『好色一代男』
1692
井原西鶴『世間胸算用』
1703
近松門左衛門『曽根崎心中』
1768
上田秋成『雨月物語』
1795
本居宣長『玉勝間』
1802
十返舎一九『東海道中膝栗毛』
1814
滝沢馬琴『南総里見八犬伝』 ぬかるまいと思いながらも踏み込めば足のぬけぬが恋路なるらん
徳和歌後萬載集巻第九(1785刊行。よものあから撰)
古川柳が俳句と対をなすものならば、和歌と対をなすものは狂歌ですね。
これは読んでわかるし、解説も不要な、大人しやかな狂歌の部類、なんだけど、一応ね。
最近はぬかるみなんて都会では経験できないけれど、舗装されていない道では、雨が降ると土が雨水と混じり合ってぐちゃぐちゃの状態になるわけだ。
山口六平太のようにゴム長があるわけではないから、ぬかるみに足を入れるってのは、想像を絶する勇気(笑 が必要でした。
わらで編んだ草鞋か木製の下駄か、それでなければ裸足かな。
ぬかるまい、ってのは失敗するまい、ってのと、今直面している道はぬかっていないだろう、って希望的観測をかけ言葉にしています。
で、踏み込んじゃったのは、ぬかるみでありながら恋の道。
案の定、ぬかるみから容易に足はぬけないし、女との恋路がもつれてどうしようもない、
ってのが趣旨のようだと思われます。 川柳ははじめ「前句付け」て呼ばれてた。七七の前句がお題としてありそれに五七五で応えるというもの
「聞きたくもあり聞きたくもなし」とか「ならぬ堪忍するが堪忍」みたいな前句に上手く付けられた人が賞品をもらう的な遊び
この前句付けは柄井川柳以外のグループもやってた。
川柳撰万句合はせ興業の秀句のなかから前句無しでも意味の通りやすいものを集めて撰集にしたものが「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」俳の字はごんべん
第一巻は明和2(1765)年に出てるとか 前句って問題として先に出された句って意味?
例えば 切りたくもあり切りたくもなし の後ろの句を問題として出して、さてこの前の句は?って遊ぶ。
それで 盗人を捕まえてみればわが子なり って前の句を付けるとか。
違ったか? たぶんそうじゃないかな
和歌的には五七五七七なんだけども七七に対する付け合いは連歌などもあってふつうに行われてたしたぶんそうだよ
ちなみに七七だけ独立させた文芸もあってこちらは武玉川て言われてる 川柳は興津要氏の著書で親しんだ
あの人ずっと前に亡くなってたんだないまさらながらご冥福。近世文芸の専門家なんだね https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%B3%B6%E9%AD%9A
三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)
江戸学の祖
文庫もいろいろ出てますね。
アカデミズムには無縁だったそうだけれど、いろんな江戸期の作品の研究本なんかを読むと、
著者がいろいろお世話に成りましたって謝辞を入れているのが、鳶魚三田村玄龍(笑 なるほどそんな人がてウィキ見ると柴田宵曲の名前があった
この人の「古句を観る」てあるわ。江戸の無名の人たちの佳吟をあつめて一言二言述べたもの
湯殿出る若葉の上の月夜かな
李千という人の句。「月夜かな」では少しつながりが悪いのではても思うけど何しろいい匂いで良いわ 恋川春町、山東京伝、十返舎一九、この三人の戯作者に共通していることは?
三人とも絵も自分で描いていたこと。若いとき両方やっていてどうやら文のほうがやって行けそうだというので作者になった
結構上手いんだわ才能あるねー これとは逆に葛飾北斎、渓斎英泉、歌川国芳は絵だけではなく文も書いた作品がある
やっぱりうまく行きそうな道へ進もうということだったみたいだね 「諺臍の宿替(ことわざへそのやどがえ」なる代物の…現代語訳してある本を見てる
幕末から明治にかけての大阪での出版。一荷堂半水作、歌川芳梅画。
元の文が見たいかなりおもろい。当時人気だったらしい。
ことわざや慣用句を変形させて短い戯文にしたもの。 趣向が卓抜、文もなかなか。でも内容的に大阪のむき出しというかえげつないというか、そういう笑いも多くて俺的には減点
芳梅は国芳門下だとか。
埋もれた奇書はまだまだありそうだね 「江馬細香」門怜子が文庫か新書になってくれるとありがたい。
あと「紅蘭小集」も所望。 江戸期の文化、思想や文学は、高校レベルまでであんまり語られることがないのが不満だね。
平安鎌倉あたりは中学生までにすませて、高校生は江戸期、なんてのがムリなら、せめて
義務教育でも江戸期の、子供が興味を持てそうな題材を早くに取り上げる工夫がほしい。
幼稚園で教育勅語などの素読をやっているところもあるくらいだから、
早すぎるなんてのは教師の力量不足のいいわけに過ぎないように思う。
歴史だと日教組イデオロギの壁が厚そうだけど、文学ならもっと日本の文学教育に
熱心になってもいいんじゃないかと思う。 >>43
しかし江戸の思想はやってみてもべつに深みがないと思う。
本居宣長あたりからして、文献に対する考証は一流だが、
思想になるといきなりレベルが下がる。
未だに通用するのって文人だと上田秋成くらいなんじゃないか。 江戸の板本 書誌学談義 (岩波現代文庫)新刊
中野三敏 (著)
発売日:2015/12/16 変態仮名という言い方はあまりにも変態なのでくづし字と言うことが多くなっています 木村蒹葭堂が図書館や博物館のミニサイズとしてのサロンを設けた所為で
大阪に上田秋成の『雨月物語』が生まれたのではないか?
後の『春雨物語』と対にすれば、秋成が彼なりに西洋のヘルメス思想を
理解していたことが分かる。
ヘルメス思想を伝奇化したという点で彼はエドガー・アラン・ポーの先駆
者だと思う。
木村蒹葭堂はラテン語やオランダ語を読めたというから、本居宣長の思想
など、子供だましだと、多分思っていた。 >>48
「木村兼葭堂のサロン」(中村真一郎)買って積読になっているので
読んでみようかな。そんなすごい人とは思わなんだ。 森銑三氏の一代男以外の西鶴別人説、当時から国文学のしかも西鶴研究者からも完全に無視されていたとか。
「私が100パーセント正しいとは思っていない。おかしいと思ったらそう言ってほしい。そこから議論も学問もはじまるのではないか」
みたいに言っててなんか悲しかったですね。刀を抜いてさあ来いって感じなのに当時の研究者は腰ぬけだな 木村兼葭堂のサロン、読みたいな。中公文庫辺りで出ないものか。 頼山陽とその時代の文庫が70年代に出たっきりのようだ。
売れないのかなあ。単行本は箱入りでゴツすぎる。字小さいし。 山鹿素行、荻生徂徠、伊藤仁斎、中江藤樹、藤原惺窩、本居宣長、賀茂真淵、契沖
橋本左内、吉田松陰、勝海舟Γ(x)Γ(1-x)=π/sinπx
dodecagon and Rhombus
129,131,134,135,138
モンテネグロの口風琴 芭蕉庵のあった辺りに記念館みたいのあるけどちょっと離れたとこに芭蕉稲荷てのがあるね 石川淳の晩年のエッセイ集『夷齋風雅』は、154ページで24の
エッセイを集めた。
中でも神崎与五郎や森嶋中良の話など面白し。 神崎与五郎が町人の生まれでありながら、武士の家の養子になったお蔭で
切腹して武士であることを証明した話などから見れば、三島由紀夫の祖父・
平岡定太郎が加古川藩の農民だったことも面白い。 『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」を執筆したと言われる
初代竹田出雲は泣かせの名人。
『芦屋道満大内鑑』の「葛の葉子別れ」も泣かせるけれど
驚いたのは今や全く上演されない『三荘大夫五人嬢』三段目。
マックの隅っこで読んでて、涙と鼻水が止まらなくなった。
まあ三荘大夫(=山椒大夫)の娘五人のうち
四人までが不具者という反則ワザだが・・・
因みにこれの改作が三代目竹田出雲も関わった
『由良湊千軒長者』なのだそうだけど、
浄瑠璃台本は今のところ活字化されてないようで、
歌舞伎台本を見る限り不具の四人娘は消えてしまった 菅原も芦屋も山椒も、異世界に対する作者の態度がかなりシリアスで、
ミステリーでもあり、その点が、江戸時代の笑いを伴った荒唐無稽な
怪談とは反対だ。 手習鑑はびっくりしちゃうよね。素晴らしい伏線回収力。史上最高の芝居の台本だなと思いましたねー
でもこの人チームで書いてるんだよね。これだけ才能があるなら一人で書けばいいのに
全体を客観視出来るプロデューサー的才覚もあったんだろうな 初代竹田出雲は、初代竹本義太夫が自ら経営していた一座を畳んで引退しようとした時
それを押しとどめて経営を引き受け、座付作者として近松門左衛門を京から招いて竹本座を
軌道に乗せ、やがて義太夫や近松の後継者を育て自分でも台本を書きつつ合作制を取り入れ、
更にライバル豊竹座で長らく立作者を勤め当時歌舞伎作者に転じていた並木宗輔を
恐らくは三顧の礼をもって迎え入れたことで
現在「人形浄瑠璃黄金期」と呼ばれる傑作連発期を創出したのだから、
プロデューサーとしても並のプロデューサーではない。
本人は『菅原』のあと死んでしまったが。 浄瑠璃は近松以外、文学としてはあまり評価されない、
あるいは相手にされないのは、合作制のせい、と見るのは僻みか? 「江戸文学」というタイトルは紛らわしいぞよ。
ここは、「徳川時代の文学」ではないか。
訂正しやれ!
よいな 『菅原伝授手習鑑』の作者竹田出雲に松王が一言
「江戸文学」と「徳川時代の文学」は相顔が変わる
などと身替りの贋題 ソレもたべぬ。 烏亭焉馬(うていえんば)という人がいる
職業大工、戯作者、狂歌師。両国で「噺の会」というのを主催する
基本自作自演で新作の小咄をみんなで披露して遊ぶ。他の人たちもやるようになってそのブームのなかから専業の咄家も出て、ために焉馬を「落語中興の祖」と言うこともある
市川団十郎の贔屓グループ「三升連」も組織。
江戸の痛快男児だね。人生を思いきり楽しんだ感じだ 烏亭焉馬のことを書いてサントリー学芸賞をもらった人がいたけど、
あれほど、どこを探しても才能の欠片も見つからない本もなかったね。 市川団十郎の狂歌名「花道(の)つらね」を考えたのは四方赤良
むかし国芳の絵で団十郎を讃えるファンの俳句がたくさん書いてあるのを見たことがある。まるで団十郎贔屓じゃなきゃ江戸っ子じゃないという感じだ
当時の人気が偲ばれるね ああ調べたら焉馬たちが贔屓した団十郎と国芳描く団十朗は時代が違うわ
五代目と八代目のようだね 表題は矢張り
「徳川時代の文学」
が、ふさわしいぞ! 延広真治
『落語はいかにして形成されたか』(平凡社, 1987年)
改題増補 『江戸落語 誕生と発展』(講談社学術文庫, 2011年4月) 江戸文学と言うと、江戸だけと思いガチだからってことで徳川って話が出るんだろうけど、
別に江戸文学で日本全体を現すと考えてもいいんじゃないの? 上方はいざしらず、箱根より東の参勤交代の殿様がいる城下町は「小江戸」だったんだよ。
江戸の文化ってのは「普遍」なものだったんだよ。 頼山陽は昌平黌に来たがすぐに広島に戻ってしまった。
そのあとは大阪京都九州瀬戸内を行ったり来たり
菅茶山も広島を出なかったし、別に江戸だけ栄えていたわけでもあるまい。 「江戸」という言葉にアレルギー感じる人いるみたいだけど
時代の区分と認識するよりも地名のイメージが強いのかな?
だからといって「徳川時代」なんて言い方は今の時代小説的な言い方。
そこまで含んじゃっていいの?
学問的には「近世文学」が正しいと思うけど、ちょっと堅苦しいし。
「江戸文学」でいいんじゃね?
25年位前には「叢書江戸文庫」なんてのも出てたんだし。 小学校の歴史の時間に「江戸時代」と教えるからね。
日本の歴史区分は政治的中枢のあった「地域」で分けるのね。
でも、文化的にはそういうわけでもないから異議が唱えられる。 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 細かく分けていくと
「寛永時代」「元禄時代」「化政時代」とか元号使うのもあるね
しかし明和・安永は「田沼時代」が普通なのかな
あと「寛永時代」から「元禄時代」の間、延宝のあたりまでとか
徳川吉宗の時代(享保〜宝暦の前あたり)は通称として何時代と
よぶんだろう?…ああ「寛文期」とか「吉宗時代」とかいうな
天保の後は「幕末」で一括り 北越雪譜は岩波文庫で何度も再版されてるようで今も当時も興味深く見てる人が多いんだなて思う
鮭の漁の話、織物織る娘たち、雪女、吹雪で死んでしまう若夫婦の無念、かなり心に残ってるよ
鈴木牧之の原文を編集した山東京山が最初雪の積もる量を信用しなかったていうのもおもしろエピソード「そりゃたくさん降るんだろうけど嘘はいかんよ嘘は」みたいに言ったんだったかな 江戸文学というと戯作本とか川柳狂歌が挙げられるが
知識人の文学はまだ漢詩文が主流だったはず。
少しは取り上げろよ。 中野三敏氏による「師恩 忘れ得ぬ江戸文芸研究者」が岩波より出ました。買いなのか
こういう先生らしい。まず草書くづし字の理解をと力説
https://youtu.be/iinaQ1fOLRE 和本リテラシー運動盛り上がればいいね
仮名ならなんとかなるかな…混同しやすいものも多くて苦戦はする。漢字はだめだなー「給」なんてこれをどう省略したらこうなるんだよて感じ >>81
漢詩になると結局徂徠学派と儒教との対立とか出てくるからなぁ
清流派とか叙情派とか誹謗中傷の嵐でもあってしかももうどうでもいいことで喧嘩しまくっているから 狂歌は赤良、橘州、菅江ら才人たちが奇を競った天明期に止めを指すということだけども
それ以前にも狂歌はあり秀歌もたくさんあったということらしいね 海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門 (図書館サポートフォーラムシリーズ)
高橋 智 (著)
出版社: 日外アソシエーツ (2016/6/17) 西鶴の良さがまったくわからん。剽窃剽窃て言われる江島其磧のほうがはるかに良いと思うんですけど
図書館の緑の本しか見たことないけどね 江戸時代の作者は挿絵を自分で描いた人も多いけど、専門の画家からのテキストへの接近も多かった。
司馬江漢、その他など。 >>95
自己レスだが、幕末土佐の河田小龍、絵金なども含まれる。 木村兼暇堂のコレクションが幕府に没収されたり、本居宣長が大家に成り上がったのも背景は徳川の200年以上もの鎖国政策があったから。
鎖国政策による国際社会からの長すぎた引きこもりによる文化的損失は現代イスラムテロ組織のよる遺跡破壊よりも遥に遙かに甚大なことは間違いない。 絵草紙に鎮置く店や春の風
鎮…しづ、店…たな と読みます
高井几董の名吟。素晴らしい 中野三敏「江戸狂者伝」は漢文の素養がなければすらすらは読めないほど
知ってる人が深井志道軒しかいない。各人について調べられる限りのことを調べて真っ当で視野の広い考察をしています
これ凄い名著な気がするがわからない人が多すぎて評判にならない…そんな本ですかね >> 99
取り上げられてるライター達の名前を列挙するぐらいの機転?が君には無い?