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純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net
0001吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 18:06:24.39
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学

らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
  
0002吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 18:33:12.03
純文学と大衆文学というような絶対的な基準よりも、もっと相対的な
基準を問題にする方がメリットあると思うんだが。
例えば、ポモの批評家に媚びる作家が一時、多かったという現象は
思い出す必要がある。
いとうせいこう、島田、高橋源一郎などは、露骨にポモに媚びてた。
批評家に媚びる純文学など有り得ない。

純文学と大衆文学の明確な境界線などない。
時間が経って、純文学と評価された作品が大衆文学に評価されたり、
その逆の例など、我々は数多見て来たはずだと思うが。
一見しての思想小説が実は定型をなぞっただけの、実質は大衆小説だった
例とか。詳しい例は挙げられない。適当な勘で俺は書いてるから。

どっちにも跨がって評価された作品なら大菩薩峠とかある。
0003吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 18:40:11.13
谷崎作品は芸術至上主義の立場をとる芥川から
奇を衒っただけの低俗な作品だ、と批判されたけれど(国会で問題になったことすらある)
現在では純文学の王道とされている。
0004吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 18:40:37.85
純文学と大衆文学とをくらべてみる時、「どうあってもいい。」のが純文学であって、「かくあらねばならぬ。」のが大衆文学ではないのだろうか。
つまり、純文学の場合では、「かくあらねばならぬ。」ことの条件が、作家自身のうちにある。大衆文学の場合では、その条件が、作家以外の他人のうちにある。
0005吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 19:14:12.15
そういえば芥川龍之介が書簡で
直木三十なんとかという男は悪人であると書いていたのだけれど
純文学派は作家の人間性を重視するところがあるのかも知れない。

たとえば大正から昭和初期の代表的純文学作家である志賀直哉は
その人間性が賛美されたわけで。
そう考えると大正時代の白樺派や新思潮派の文芸運動が
「純文学」の起源と考え得るのかも。

今となっては死語となった観のある「志」という批評用語がよく使われたのも
その種の思想性が重視された時代があったからなのかも知れない。
0006吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/06(火) 09:28:47.35
作品の内容で定義しようとすると必ず定義から外れようとするものが出てくるから明確な境界線が欲しければ発表する雑誌で分ければいいよ
純文学の雑誌で発表されれば純文学
0007吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/06(火) 11:51:27.70
今、川端康成の古都と山崎豊子の白い巨塔を並行して読んでいる。
こうやって読むと純文学と大衆文学との違いが明瞭にわかる。
勉強のためには純文学のほうがなるが、ストーリーの面白さは大衆文学のほうが上かな。
つまりは純文学は読みにくくて難しいものが多いが、大衆文学は読みやすくてやさしいものが多い。
俺的には
0008吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/06(火) 15:18:36.76
なんだろう〜
0010吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/07(水) 12:25:39.15
>>5
逆だよ
そもそも芥川は自分を善人だなんて自称するタイプではない
ただ単に事実として直木を悪人だと思ったから悪人だと手紙に書いただけだろ
0011吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/07(水) 12:47:15.07
俺にとって大衆文学は純文学以外のすべて。
推理小説、SF、ハードボイルド等は結構読んだが、
今思うと大方が時間の無駄だと思う。
ただ面白かったとかつまんなかったとか程度の感想しか残らない。

そのてん明治文豪の純文学はさすがに教養あふれているので勉強になるな。
時間の無駄となる小説は少ない。
0012吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/07(水) 22:35:41.97
>>10

でも、芥川は「作品ではなく人を推すのです」と漱石に言われたんでしょう?
例えば藤村の事を「老獪な偽善者」と揶揄したりもしていた。
ただ、遺書では都会人気取りにの僕も一皮むけばこんなものさ、と述べていたわけだけど。
それなりに道徳的なことは意識していたと思うんですよね。
0013吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/12(月) 12:13:15.97
   
0014吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/12(月) 15:26:29.98
音楽で例える

純文学  クラシックをオーケストラで演奏する 金持ち高学歴の客層
大衆文学 ロックをバンドで演奏する      貧乏低学歴の客層
0015吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 17:25:34.60
>面白かったとかつまんなかったとか程度の感想しか残らない
その程度の感想しか持てない感性だからだろう
0016吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 17:32:32.45
「幼年期の終わり」を読んで「面白かった」しか言えない奴は感性がない
0017吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 17:41:36.82
>教養あふれているので勉強になるな
はあ? SFにも教養は沢山溢れていますが?
欧米のプロ作家の作品なんて最新の科学知識が沢山は言ってますよ
例えば太陽は「ソル」といい、ED論はインチキだと分かる
対して、明治文豪の小説でどんな教養を得られる?
0018吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 18:06:43.39
品格と格式、その内側に秘められた情緒的な弱さ、繊細さ、そして他者への思いやり、深遠なる情愛、まさにそこには生きとし生けるものの推し量るべき教養が潜伏し充ち満ちている。
欧米の作家などこれら日本人の思考の足下にも及ばない。彼らの出鱈目と誇大表現は浅はかで品のないコソ泥の無知蒙昧を曝け出している擬い物。やはり文化的にも歴史的にも浅く、ありていにいえば野蛮人である。
0019吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 18:15:16.94
>>18
君がそう感じてるならそうなんだろうね
君の中では
0022吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/11(木) 22:56:16.26
>>14
クラシックのオーケストラって大衆向けの娯楽じゃないの?
0025吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/15(月) 14:07:51.60
大衆文学は面白い興奮する、早く続きが読みたい、テンション上がる、読後サッパリすがすがしい
純文学は美しい、生々しい、読後作品に魂を持ってかれる
0026吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/18(木) 14:28:05.71
つまらない小説が純文学
面白い小説が大衆文学
0027学術デジタルアーカイヴ
垢版 |
2016/02/18(木) 14:34:39.75
違いはない。最近は直木賞の方がレベル難易度が高く又吉は又として、
いいテーマが多い。
0028学術デジタルアーカイヴ
垢版 |
2016/02/18(木) 14:36:15.76
ま、俺は自殺した弱気の作家の賞なんていらんよ。
0030吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/18(木) 22:16:21.93
エロイ描写も詩的なおかつ客観的で旋律を奏でる
哲学的な色を匂わせるのが純文学
0031吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/18(木) 22:21:04.67
着想としか表現できない印象的ないつまでも色あせない場面を読めるのが純文学
あとは娯楽だ
0032吾輩は名無しである
垢版 |
2016/02/19(金) 00:35:51.79
純文学は個人の物語
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