>>299

これも分からん理屈だな。要するに定義だけの問題だな。

貴殿の言う『人間の情操つまり高いレベルの複雑な感情が表現されている』
ものは何も百人一首に限るまい。「大衆」の文章にも、その「人間の情操」
とやらが無いとは言えまい。してみれば、その文章は「純文学」となる
ではないか。貴殿の理屈も破綻している。

要するにオレの言いたいことはこうだ。

ここにAとBなる2つ「文学」があったとして、お偉いさんたちが、勝手に、Aは
「純文学」だ、Bは「大衆文学」だと、のたまっているだけのことさ。

お偉いさんとは何を指すか言わなくも分かるだろう。蛇足すれば
つまり「権威者」さ。

少なくともオレには、AとBの区別は、面白いか、面白くないか、
そのいずれかさ。「純」も「不純」も、へったくれもない。お偉いさんが
どう評価しようが、オレの知ったことじゃぁない。

貴殿が、それは違うと言うなら、つまりは見解の相違だな。

ついでに言えばノーベル賞とやらもオレは大嫌い。こんなもん、ただの
お祭りさ。いわんや芥川賞。つまらん世俗のお遊びよ。