0361吾輩は名無しである
2016/04/15(金) 12:11:49.23>要するに美醜も相対的なものだぜ。絶対的基準など有り得ない、というのが
>オイラの考えさ。
当たり前だ。だから人間は絶対的なものを求めようとするんだろ。真実とは何かを探すんだろ。それが文化の基本だ。
>貴殿は、よほど短歌・俳句が好きらしいな。しかし、所詮、そんなものも、 相対的基準しか有り得ない。
短歌・俳句がわかりやすいから出しているんだろ。バカか。
>『教室へ行け』とは嗤わせる。貴殿の職業は教師か。 まぁ、そんなところだろう。いかにも教師らしい発言だからな。
バカか。そこは、教室ではどんなことをしているのだろう、と想起させ、相手に考えさせる文章表現テクニックの基本だろ。字面通りしか読めないおまえはバカか。
この「バカか」というのもの同じだ。おまえがバカかどうかを聞いているのではない。
>さて、例えばショークスヒアなりゲーテなり、誰でもよいが、日本人より彼らが繊細さに劣ると言えるのか。
バカか。日本語に見られる日本人の繊細さだ。日本語がどれだけ繊細かを教え諭しているんだろ。だから短歌や俳句を出したり、翻訳におけるその差異を明示して説明しているんだろ。バカかおまえは。
おまえも「貴殿」と書いているが、それはなぜだ? おまえが、気の小さい、臆病な人間だからだろ? 日本人の繊細さとは裏を返せばそういうことでもある。
「あなた」と書くか「君」と書くか「おまえ」と書くか。それとも書かずにそれとなくわかる表現をするか。おちゃらけて「おぬし」と書くか「ユー」と書くか。
これが日本人の繊細な感覚であり、センスだ。そこから日本語が他の言語に競べ、曖昧で非論理的なものとして発達してきた。
それゆえに、純文学というものが日本には存在する。日本語だからこそ育まれた世界であり、日本人のセンスが生み出した文学だ。理解したら死ね。