純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何? [転載禁止]©2ch.net
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学
らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
そのチラシが案外おもろくて価値がつくからこまったもんだナー 濹東綺譚でした
内容は主人公→ボンボン育ちが底辺の置屋の女との恋愛話 >>32
こういうの本気で言ってる人間がほんとにいるから嫌になるわ
司馬遼太郎って馬鹿だよね
ざっくり芸術としての文学(小説)が純文学ってことで問題ないだろ >>40
すみませんちょっとうまく理解できないので、もう少し詳しく書いてもらえませんか? 芸術性があるのが純文学
濹東綺譚は内容は通俗でも最高傑作と言われている
文章の美しさと余韻を残す どう考えてもできそうにないのが芸術
頑張れば出来そうなのが通俗 どう売り込むか、どういう媒体で発表できるかなんだろなけっきょく >>41
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/news/20160126-OYT8T50089.html?from=tw
この記事にあるように前回の直木賞で選考委員が、司馬を引き合いに出して
自分について書けば芥川賞だって言ったからそれを皮肉って司馬は馬鹿って言っただけ
よく通俗文学側から「これは純文学でも通用する」っていわれる小説は純文学のフィールドに立つとどうしようもないのが多い
(逆に芥川賞作家が売れるためにエンタメ寄りに書いたものだってひどいのがわんさかあるはず、というか総じてひどいはず)
よくあるのは太宰治を浅薄に解したような自己語りだけの小説とか
単に長ったらしい直喩だけをしつこくたくさん入れてあったりするだけのものとか
芸術としての文学っていうのは
音楽にも絵画にも彫刻にも演劇にも映画にも(たぶん)漫画にも、芸術(的な)作品というものが一般にはあるとされているわけで
文学とか小説という表現においては純文学がそれだろってこと
じゃあどうやって芸術かそうでないかを分けるのかっていうと、それは批評の仕事なんだろうけど
批評家であろうが一般読者であろうが、現代の作品を鑑賞するときに古典をぜんぜん知らないでは芸術性は読み取れないと思うよ
その上で、ただし現状の文壇(つまり大手を中心とした出版業界、ということは編集者の趣味ってことになるしかないわけだが)では
>>44が指摘している通りに媒体によって純文学としてあつかわれるか通俗文学としてあつかわれるかが決まる
朝井リョウが文学界に書いた作品は純文学としてあつかわれる
もちろん見るべきところがなくてほぼ無視されて消えていくわけだが
とはいえ現状、文芸批評なんて機能してるとは言いがたいわけで
佐々木敦なんていう音楽畑のいっちょ噛みが重宝されて書き散らしてるくらいだし
今純文学としてともかく世に出ている作品のほぼすべてが消えていくだろうね
ということはつまり、われわれ大衆は芸術それ自体を尊重するとしても
芸術としての評価の定まっていない、おそらく99.9%以上の確率で消えて行くであろう
現代の純文学作家を読むよりもエンタメを面白がる方が得だと考える
芸術としての文学に触れたいなら古典を読むよてなもんだ
こんな感じでどうでしょうか >>45
僕が言うところの「個人の物語」は「自分について書く」という事が条件ではないです。「他人についてのみ書く」事でも「個人の物語」は表現できます。 そうだね。真田雪村個人を描いたってそれは大衆文学だよね。大河ドラマになっちゃう。「個人の物語」にはならないよね。
だけど真田雪村の馬の飼育係を描いたら純文学だよね。たとえ大河ドラマとして描いても。「個人の物語」だよね。 司馬遼太郎の大河ドラマに「獅子の時代」ってのがあったな。
歴史的人間としてならなんでもない会津藩下級武士の開国と維新と明治の物語。
じゃあそれは「個人」を描いてるから純文学か?ってばやっぱりそうじゃなかったな。
うん、面白かったから。(笑 個人を描くっても大衆作家系のは、
社会的には非常にちっぽけな人間でも
物語の中では銭形平次的スーパーヒーローにしちゃうんだな。
「大人(たいじん)」にしちゃう。
だから面白いんだけど、その文学は純文学じゃなくなっちゃうんだ。 物語の主人公にね、純文学でも「聖人君子・大人」を使うこともある。
だけど他の登場人物や事件・状況設定でその主人公を「タダの小人」として苦しめさせる。
そうして「個人」としての主人公を描くんだな。
それで詰まんなくなるか面白くなるか?は それは作者の腕ね。大衆・純の問題じゃない。^^ >>46
それでも同じことだよ
なんで一人の人間について書くことだけが芸術としての文芸になるんだ
芸術も文芸もそんなに狭いもんじゃないって言ってるんです >>51
いや伝わってないみたい。他人について書くというのは、一人の人間を描写するという意味ではないです。僕が強調したいのは書き手の主観性の問題です。 通俗小説は今までにも考えられる思考
純文学は人間の新しい思考 万人にもっている側面を描く
斬新さが必要かと
真田幸村ではなかったかな 司馬遼太郎は良いと思う
大衆文学でも純文学でも個人の嗜好でええ 定義の話じゃないけど、純文学系とエンタ系両方の雑誌に発表してる島本理生が、
純文学系に発表するときは削って削ってという作業をするのに対し、
エンタ系に発表するときはもっともっと書き込む作業をするというようなことを言ってた。 純文学は死を忌避するから完璧じゃないわけ。
殺人からは最も遠いところにあるしね。
ヨーロッパの本質的な文学なんかはほとんどが死について書いてある。
といってもいいぐらい。愛じゃないわけだな。これからはLOVEであって。
日本文学や国文学は。 >愛じゃないわけだな。これからはLOVEであって。
>日本文学や国文学は。
これどういう意味かわかんない。
それに死をテーマにしたり死を描いた純文学はいくらでもあるじゃん。 むしろそれだけでいいわけよ。あとは何の雑談でもいい。
要するに日本文学国文学を敵や敵国に従属している文学と見て
そこから叫び声をあげればいい。 女は高飛車高慢でいいが。女性の方がだいぶよく書けてる傾向にある。 >>52
そんな君の恣意的な判断でどうとでもなるような基準は基準と呼べないし定義でもなんでもないよ しかし純文学っていうのはさ、お高くとまっていて目障りだよな!(論駁希望) >>69
個人の主観に過ぎないものを論駁希望なんて添えて書き込むレスは目障りでないと?
自分を何か特別な高いもの(少なくとも論駁する価値をもった存在程度には)と思ってるんでしょうか
純文学なんてもはや誰も気にしてない今にも完全に消滅しそうなんだから他の大多数のように無視すればいいだけ
それができないのはコンプレックス
自分や自分の愛好するものが「純文学」のように扱われたいという密かな願望、権威主義 >>70
僕は反サブカルなので、そういうものが淘汰されて純文学が称揚されればよいと思っています。ただし石原慎太郎が死んだ後に。 >>69は軽く議論のネタを提供してくれただけでしょ。
なんで>>70みたいに過剰反応するのか理解できない。 純文学が内容の中に「死」を取り扱う
大衆文学は「死」を取り扱わない 石原慎太郎なんか純文学にしては「イキイキ」しすぎてるし、大衆的でもないし。 そういう風に装っているだけだよ。本が売れなくても別の金儲けに使えるからね。 スレタイの違いは自分も全然分かんないだけど、大抵の大衆小説は読み終わった後なんか言い様のない物足りなさが残るんだよなあ 感性が乏しいのか あ、けど道尾秀介の『月と蟹』は面白かった >>73
中村文則の「銃」を読んだときに何となく気づいた 「ありのままの自分」を書くのが純文学だと言う人もいる
自然主義崇拝者の近視眼とはいえ
犯罪者の手記が売れることを考えれば、間違いとも言い切れない 娯楽性と芸術性とは、果たして対立するものなのだろうか? 「クオバディス」「白鯨」
ここらへんは娯楽性と芸術性を兼ね備えてると思う 当たり前だ。真の娯楽と真の芸術は対立する。
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人体の美しい動きを愛でる行為は、ギリシャ彫刻の肉体美を愛でる
行為とそんなにかけ離れているのだろうか 最高のアクション映画って何だと思います?僕は007の「カジノ・ロワイヤル」かな〜 >>80-81
どちらも兼ね備えているとかいいや、混ざり合うとか言うよりも
そもそもこの二つは違うものなのか、違うとしたらどこが違うのかってこと
例えば「ゴジラ」を芸術映画に分類するのは適切か
娯楽映画に分類することは適切か 日本の純文学は和歌の花鳥風月にを引きずる
私小説あるいは私的要視点を遠回しに(つまり“上品に”)に表現したものが純文学とみなされやすい
構成上、文体上の装飾のため虚偽や美化などを混ぜることはみとめられるが、あくまで“私的な感受”であることは必須で、一般化は敬遠される
テーマや舞台が広すぎたり、社会的な問題や主張などを前面に出し過ぎる、出し過ぎていると思われると大衆小説とされる
そんな傾向はある だとしたら、「純文学」を読みたい人がいないのも当然ですな。そんなものを読みたいと思いますか? 今出てる小説のうち、百年後も文学史の名作として語られる作品てあるんだろうか ないよ。
いま100年前のものが名作と呼ばれているのは、100年前に始まった初期のものだから。
だいたい「古いものがいい」という信仰は現代人の価値観。民度が上がった100年後の人間が100年前のものを有り難がるわけないだろ。 芥川の時代ではそれより60年前の人気作家である馬琴が悪評ふんぷんたる有様だったけど。
それから30年ほど後の織田作之助の時代では250年前の郷土の大作家西鶴ですら貶められていたので
「諸君のなかで西鶴の恩恵に浴していないものはいないだろう?」と啖呵をきったほどですが。
古典の再評価というのは実は大正末から昭和初期の小林あたりの世代が始めたことだと思いますけどね。
これに戦時下の日本主義が加わって本来は娯楽に過ぎない小説なども「文化」的評価対象になった。
戦後だと戦後民主主義の文化国家による庶民文化の積極評価とか。 芥川や夏目の前の時代は言文一致じゃなかったから今と別世界。
馬琴とか西鶴が作家とか、韓国みたいな捏造やめろ。恥ずかしいわ。 >>94
小林秀雄は戦後民主主義を肯定していたの? ラノベやゲームやアニメが今の古典見たいに扱われる時代は来るだろうか 漫画やアニメの一部の作品はもちろんクラシックとして扱われるでしょう。ラノベはひとつも読んだ事がないからわからないけど。 扱われるわけないだろ、アホか。
ラノベやアニメは客観的な物語だ。もちろん大衆文学もだ。傍観者として体験する。
しかし真の文学は内面からの考察。それを読むことによって読者が主観的な体験をする。
全然ものが違うんだよバカ。 その言説で括れない作品があるんじゃないですかね。漫画はクラシックとして扱われる資格がないとでも? 僕は全然好きじゃないけど、例えば宮崎駿のアニメは将来見向きもされなくなりますかね? ディズニーやピクサーの映画は数十年経ったら無価値になりますかね? まあ、アニメの事はよく知らないから確かな事は言えないけど。 とくに子供向けアニメはずっと残る。毎年新しい視聴者が誕生してくるから。 >>100
成る程文学が詰まらんわけだ
低脳の俺には難し過ぎる世界のようだな 純文学は一種の古典なんだよ
読みたいと思う、思わないではなく、いやしくも文芸の道に進みたければ、それは最低限の基礎教養で、
「読んでおかなければならない」「読んでいて当たり前」のもの
混乱しているのは大衆文学の方で、なんとか賞を受賞するような小説にしてもライトノベルと呼ばれるものにしても、
出来不出来は結局、古典や純を読む、という通過儀礼を踏んだかどうかにある
(アニメだの漫画だのは映像系文化であって、“文”芸でも“文”学でもない)
好む好まざるはともかく、古典(純)文学を抑えておかなければ、上質な大衆文学さえ書くことは不可能なんだよ >>110
冨野監督「文学を読まずに映画やアニメを作れると思うな」てことか
最低限、自国の古典ぐらいは読む必要があるかね
まあ一部のラノベ作家とか、確実に文学的な技巧使ってるしな
出来不出来はともかくとして 挿絵があるのが大衆文学
ないのが純文学
単行本はそうでもないけど、雑誌ではそんな感じだったみたい 人間を主体とする物語が純文学
筋やトリックなどの仕掛け、あるいは極めて短絡的な人間行動(?)を主体とする物語が大衆文学
適当だけど 純文学というジャンルと権威主義者の関係について、誰か究明してくれないかな。純文学とか文壇とかいずれ消滅するだろうな。喜ばしいことだ。あんな権威主義的なバベルの塔は、神の怒りに触れて崩れ去るのが人類のためだ。大衆文学と呼ばれているものが真の文学になるだろう。 大衆文学ってのは消費されて消えていく文学をいうんだよw
今「エンタメ」っていうものが後世に残ればそれは権威化されて「純文学化」されていくことだろうよ
純文学や文壇を権威だといって攻撃してるのに、別のなにかを「真の文学」なんて権威化するんだから程度が低いね いま時間による試練なんてことを言ったけど、それじゃ時間による試練を受けてもいないものが、最初から純文学を名のるというのは、どういう訳だい?
そう名のってはいても、次から次へと忘れさられて行くみたいだが、それなら君のいう大衆文学とたいして変わらないじゃないか? 矛盾した理屈だね。 例えば、アガサ・クリスティのミステリはいまでも読まれているが、誰もあれを純文学とは呼ばないのはどうしたわけかな。 純文学そのものを権威主義と言ったわけじゃなくてね、雑談スレを読んでたらなぜか発言者たちは法律の教養がないやつは論外だ。。みたいな事を話してて、ひとりのたぶん有名なコテハンが「東大法学部卒」だというので、狂ったように嫉妬して暴言吐いてるわけ。 だから、こいつら何て権威主義者なんだ!とあきれたし、文学板雑談スレに集まっている以上いちおう純文学ファンなんだろうからさ。だから純文学と権威主義者の関係について思いを致したわけ。純文学ファンとは学歴というものに超こだわる権威主義者たちなのか、とね。 >>123
>雑談スレを読んでたらなぜか発言者たちは法律の教養がないやつは論外だ。。みたいな事を話してて
読んで言及するなら真面目に読んで下さいよ。東大法学部を自称するコテに法律的な教養があるとは思えないと書いただけで、一般論として法律の教養がないやつは論外だなんて一切書いてないから。
文学板雑談スレッド171 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1458305287/ 純文学といわゆるアート界隈は似ている気がする。
権威主義なんだよね。
ただ、大衆文学と比べて文章や構成の上手さは感じる。
大衆文学は物語とわかりやすさ重視。
どちらがいいという話でもない。 >>123
雑談スレのコテや半コテは頭がおかしい人たちばかりだから 雑談スレにいるやつらはほとんど純文学の話をしていないよ
ひたすらお互いの悪口と精神分析をしているだけだもん 歴史小説とかのほうが、面白いな。純文学にしても歴史がらみのやつなら何とか読める。
ナチス物の「HHhH」とかね。 >>132が?誤爆じゃないですよ。なんで誤爆だと思うんですか? >>132
いや、あそこで悪口言ってたやつとか、間違いなく法学部至上主義の権威主義者だし。