0431吾輩は名無しである
2016/05/26(木) 21:48:34.11それは>>426程度に頭が弱いからだ。少しおまえのレベルを上げてやろう。
そのまえにアンカーを振るときは「>>」を番号の前に打て。それが読者を意識するということだ。
大抵の人間は「自己満足」のために生きている。まさにそれが大衆というものだ。
しかし自己満足だけでは高度な自己実現はできない。だから優れた人間は成長とともに我慢を覚える。その過程で、自分を見つめることになる。
何のために、我慢しているんだろう、何のために、こんなことをしているのだろう、何のために、生きているのだろう、と。
そういった自分に対する疑問はいずれ自己否定へとつながる。高すぎる理想ゆえに、最悪の場合、生きていてもしょうがないと思うようになり、自殺する。
自殺しなかった人間は「自己肯定」つまり生きる力を得て生きながらえている。
むろんただ薄ぼんやりと「自己満足」のみで生きているその他大勢には無縁のことだ。彼らは辛いことがあっても満足させるものを探し一時の快楽でストレスを解消する。
何をするにしても、どんな苦難にぶち当たろうと、抗いながら「自己肯定」することで、乗り切れる。逆にそれを失ったら、濁流に呑まれ、もう死んでもいい、となる。
論ずるまでもなく、これは高潔な精神世界での出来事だ。
「自己肯定」の「自己」とはまさに「個性」だ。他人に認められるものだけが、また他人に賞賛されるものだけが、個性ではない。
ときに個性は人々から忌み嫌われ、神からも見放され、全否定される。多くの天才たちの苦悩はそこにある。
どうせ理解できないだろうから、まとめておくと、
大衆とは自己満足で生きる者。それが大衆文学。
個性的な人間とは己肯定で生きている者。それが純文学。
と、まずはそういう括りで、自分の思索を深めていけ。他人に説得力を求めているうちはおまえはまだ自分の哲学をもっていない。お話しにならないレベルだ。