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純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net
0595吾輩は名無しである
垢版 |
2023/06/27(火) 01:37:53.44ID:IeJX/sAq
New Century New Cinema
ひとはイメージという病にかかった
2009/01/15

ロッセリーニの『不安』は女を操って浮気をした妻を脅迫する夫という話で、
この「操作する」という点が共通していて面白いんですが、
後に出てきたファスビンダーやジーバーベルクらニュージャーマン・シネマの人々は
ヒトラー時代に人々を操っていたメディアの作り出したイメージを
批判するための映像を発明しなければならなかったということがあります。
フランスはもちろんヌーヴェル・ヴァーグがそれ以前の老人の映画を攻撃して出てきたわけですが、
今のフランスの映画批評がなお芸術という領域にとどまり続けている(笑)というところに問題があると思います。

問題なのは映像を見る側がいまだに芸術とか娯楽とかの古い枠内にとどまってしまって、
映像イメージを日常のツールとして誰もが使用する時代に我々がかかった
「イメージの病」について考えることから背を向けていることです。
それは映像イメージが意図的または非意図的に人を操る能力を仮にそう呼んでみたんですが、
かつての映画が持っていて今のテレビが行使している機能のように、
イメージが世界を覆ってその外側がないかのように思わせる操作や、
あるいはカップルの間、人と人との間にも過剰なイメージというものが介在していて、
互いの見方を固定しにかかったり孤独にさせたりするということがあります。
そういった諸々の操作から、見る側がイメージ自身の成り立ちを考えることによって
解き放たれることができるようにする現代映画は、
イメージの病に対する一種の処方箋とも呼べるものなんです。
©Akasaka Daisuke
0596吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/06(土) 14:14:28.58ID:0m+VNDnW
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書くために学ぶ文学史4:近代文学の潮流 大正・昭和編(鈴木信一先
生インタビュー)
2024/02/22

明治維新とともに印刷技術が普及し、世は新聞創刊ラッシュを迎えます。当時、新聞には二種類あり、
大新聞は政論中心のインテリ向け、小こ新聞は大衆紙で、食いっぱぐれた読本作家や戯作者は小新聞で
活躍しました。最初は雑報を書いていましたが、のちにこれが新聞連載に発展、明治10年代の人気は毒
婦物と白浪物、つまり悪女と怪盗でした。
明治20年代は黒岩涙香の海外探偵小説翻案物が流行。尾崎紅葉の硯友社は小説大衆文学の台頭に娯楽性
を求めていましたが、涙香のせいで本が売れなくなり、探偵小説人気にあやかって『探偵小説叢書』を
出版、しかし、結果は惨敗だったそうです。
また、三遊亭円朝などの速記講談、立川文庫などの書き講談、講談倶楽部の新講談など庶民の娯楽が人
気を博し、なかでも明治44年創刊の講談倶楽部(現「小説現代」)は昭和10年当時、発行部数50万部と
いう怪物に成長します。
文学史で言う上の文学は、それまではこれら下の文学を別種のものとし、自分たちに対抗するものとは
見なしていませんでしたが、大正時代には純文学×大衆文学という構図ができ始めます。
大正15年、芥川龍之介は中央公論誌上で、「大衆文芸家ももっと大きい顔をして小説家の領分へ切り込
んで来るが好い。さもないと却って小説家が大衆文芸家の領分へ切り込むかもしれぬ」と言い、昭和10
年、横光利一は『純粋小説論』の中で「純文学にして通俗小説」の実現以外に文芸復興はないと説きま
す。
戦後は通俗性やストーリー性のない純文学はますます売れなくなり、各出版社は危機感を覚えます。
昭和22年、林房雄は「日本の小説を発展させる道は純文学と大衆小説の中央にある」と発言、久米正雄
はこれを中間小説と言い、日本初の中間小説誌『小説新潮』が創刊。『オール讀物』『講談倶楽部』も
中間小説誌になり、活況を呈します。
現在、中間小説という言葉はほとんど使われません。それは中間小説がなくなったからではなく、市販
されている小説の大半を占めているからかもしれません。
そして、中間小説の中には、今では純文学より遥かに重いテーマを扱ったものがあると言われていま
す。
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