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純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net
0001吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/05(月) 18:06:24.39
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学

らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
  
0596吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/06(土) 14:14:28.58ID:0m+VNDnW
公募ガイド
書くために学ぶ文学史4:近代文学の潮流 大正・昭和編(鈴木信一先
生インタビュー)
2024/02/22

明治維新とともに印刷技術が普及し、世は新聞創刊ラッシュを迎えます。当時、新聞には二種類あり、
大新聞は政論中心のインテリ向け、小こ新聞は大衆紙で、食いっぱぐれた読本作家や戯作者は小新聞で
活躍しました。最初は雑報を書いていましたが、のちにこれが新聞連載に発展、明治10年代の人気は毒
婦物と白浪物、つまり悪女と怪盗でした。
明治20年代は黒岩涙香の海外探偵小説翻案物が流行。尾崎紅葉の硯友社は小説大衆文学の台頭に娯楽性
を求めていましたが、涙香のせいで本が売れなくなり、探偵小説人気にあやかって『探偵小説叢書』を
出版、しかし、結果は惨敗だったそうです。
また、三遊亭円朝などの速記講談、立川文庫などの書き講談、講談倶楽部の新講談など庶民の娯楽が人
気を博し、なかでも明治44年創刊の講談倶楽部(現「小説現代」)は昭和10年当時、発行部数50万部と
いう怪物に成長します。
文学史で言う上の文学は、それまではこれら下の文学を別種のものとし、自分たちに対抗するものとは
見なしていませんでしたが、大正時代には純文学×大衆文学という構図ができ始めます。
大正15年、芥川龍之介は中央公論誌上で、「大衆文芸家ももっと大きい顔をして小説家の領分へ切り込
んで来るが好い。さもないと却って小説家が大衆文芸家の領分へ切り込むかもしれぬ」と言い、昭和10
年、横光利一は『純粋小説論』の中で「純文学にして通俗小説」の実現以外に文芸復興はないと説きま
す。
戦後は通俗性やストーリー性のない純文学はますます売れなくなり、各出版社は危機感を覚えます。
昭和22年、林房雄は「日本の小説を発展させる道は純文学と大衆小説の中央にある」と発言、久米正雄
はこれを中間小説と言い、日本初の中間小説誌『小説新潮』が創刊。『オール讀物』『講談倶楽部』も
中間小説誌になり、活況を呈します。
現在、中間小説という言葉はほとんど使われません。それは中間小説がなくなったからではなく、市販
されている小説の大半を占めているからかもしれません。
そして、中間小説の中には、今では純文学より遥かに重いテーマを扱ったものがあると言われていま
す。
0597吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/28(日) 18:25:24.17ID:KhF981+/
現代ビジネス
2023.12.21
芥川賞作家・市川沙央さんが語った「結婚観」「大学へのコンプレックス」「日本の
教育」「理想の作家像」
市川 沙央 , 村嶋 章紀

市川:いわゆるキャラクター文芸というジャンルのものですが、

・世紀転換期ウィーン。建築家志望の伯爵令嬢が失踪した姉を探すうち、恩師の遺し
たオカルティックな設計図に絡み、昔マイヤーリングで死んだルドルフ皇太子を生き
返らせようとする諸民族独立連邦化構想カルト集団の企みに巻き込まれていく話。

・戦間期イギリス。かつてMI5に両親を殺されて拉致された公爵令嬢が正体不明の男
に救出されてスパイ教育を受け、嘘を判別できる共感覚を武器にドイツ諜報機関アプ
ヴェーアのスパイとなって母国に赴き過去の真相を探る話。

・ある日突然お前は天才人形師が作った文楽人形の生まれ変わりだと祖父から告げら
れた帰国子女の主人公(女子高生)。人形師の生まれ変わりらしい無口なくろごの少年
とともに各地に散らばって呪具化している人形のパーツを回収せよと命じられ……。
ラブコメ。

市川:怒りの作家のままでいてほしいというお声はちらほらいただいています。私、
もともとエンタメではハッピーエンドのラブストーリー専門だったんですけどね。
(笑)あれはスピーチに恨み節で起伏をつけてからのポジティブな〆はやっぱりラヴだ
ろうと思いまして……。ただ「愛の作家」は難易度が高いんですよ。芸術性と愛は両
立が難しく、通俗の烙印を押されがちなので。だから将来的にはその難しいことをや
るんだという、向上心が込められています。

市川:作風はオールラウンダーを目指したいです。また、難病・障害者というと命を
削ってとか燃やしてとか大袈裟な形容がつくイメージもありますが、削らず燃やさず
普通にやっていきたいです。
0598吾輩は名無しである
垢版 |
2024/04/29(月) 08:26:37.89ID:EV6cBIAq
0599吾輩は名無しである
垢版 |
2024/05/07(火) 01:15:51.14ID:PdarszJN
「直観を磨くもの ―小林秀雄対談集―」[小林秀雄ほか著, 新潮文庫]
 「例えばフランスですと、近代になっても文学運動の先端を切るとか、革新的なことをやる
とか、そういう事は詩人がやった事が多いのです。二十世紀になってもそうなのですが、日
本では外国文学が入って来て詩人の権威というものが近代文学の中になくなって了ったので
す」
 「だから文学の先端を切るのは小説家という事になった。ところが小説という形式は、もと
もと社会的な大衆的な形式なのだから、そこにいろいろ日本独特な動きが現れたわけです。
純文学と大衆文学との異常な対立という事も日本でなければ考えられぬ現象です。日本で
は、文学の指導性というものを小説家が握っているという事になったから、そうならざるを
得んのです」
 「純文学なんていう言葉も妙な言葉です。純文学運動は小説の運動というより、寧ろ西洋流
に言えば詩の運動なのです。小説の形式で詩を書いているのです。それが日本の純文学」
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