純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何? [転載禁止]©2ch.net
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学
らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
「直観を磨くもの ―小林秀雄対談集―」[小林秀雄ほか著, 新潮文庫]
「例えばフランスですと、近代になっても文学運動の先端を切るとか、革新的なことをやる
とか、そういう事は詩人がやった事が多いのです。二十世紀になってもそうなのですが、日
本では外国文学が入って来て詩人の権威というものが近代文学の中になくなって了ったので
す」
「だから文学の先端を切るのは小説家という事になった。ところが小説という形式は、もと
もと社会的な大衆的な形式なのだから、そこにいろいろ日本独特な動きが現れたわけです。
純文学と大衆文学との異常な対立という事も日本でなければ考えられぬ現象です。日本で
は、文学の指導性というものを小説家が握っているという事になったから、そうならざるを
得んのです」
「純文学なんていう言葉も妙な言葉です。純文学運動は小説の運動というより、寧ろ西洋流
に言えば詩の運動なのです。小説の形式で詩を書いているのです。それが日本の純文学」 >>直観を磨くもの ―小林秀雄対談集―
純文学では詩の直感的な部分の比重が大きいことは確かで、それだけに分かりにくい面はある。
それを大衆にも分りやすく書けば大衆文学になるではないかと思われるかもしれないが、
現実的には難しい。
詩がある程度分るというのは一般読者の間での一つのステータスになってる面もあるから、
「純文学は難しいから良いのだ」という読者も多い。 オレが読むのが純文学
おまえら底辺が読むのが大衆文学 私も以前は純文学こそが「真の文学」だと思ってたけど、実際に色々な作品を読んでみると、大衆文学にも奥深い作品がたくさんあることに気づいた。それに、エンターテイメント性のある作品だって、人を感動させたり考えさせたりする力があると思う。だから、私は今はジャンルにとらわれずに、面白いと思った作品を読むようにしてる。