純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何? [転載禁止]©2ch.net
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学
らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
>>69
個人の主観に過ぎないものを論駁希望なんて添えて書き込むレスは目障りでないと?
自分を何か特別な高いもの(少なくとも論駁する価値をもった存在程度には)と思ってるんでしょうか
純文学なんてもはや誰も気にしてない今にも完全に消滅しそうなんだから他の大多数のように無視すればいいだけ
それができないのはコンプレックス
自分や自分の愛好するものが「純文学」のように扱われたいという密かな願望、権威主義 >>70
僕は反サブカルなので、そういうものが淘汰されて純文学が称揚されればよいと思っています。ただし石原慎太郎が死んだ後に。 >>69は軽く議論のネタを提供してくれただけでしょ。
なんで>>70みたいに過剰反応するのか理解できない。 純文学が内容の中に「死」を取り扱う
大衆文学は「死」を取り扱わない 石原慎太郎なんか純文学にしては「イキイキ」しすぎてるし、大衆的でもないし。 そういう風に装っているだけだよ。本が売れなくても別の金儲けに使えるからね。 スレタイの違いは自分も全然分かんないだけど、大抵の大衆小説は読み終わった後なんか言い様のない物足りなさが残るんだよなあ 感性が乏しいのか あ、けど道尾秀介の『月と蟹』は面白かった >>73
中村文則の「銃」を読んだときに何となく気づいた 「ありのままの自分」を書くのが純文学だと言う人もいる
自然主義崇拝者の近視眼とはいえ
犯罪者の手記が売れることを考えれば、間違いとも言い切れない 娯楽性と芸術性とは、果たして対立するものなのだろうか? 「クオバディス」「白鯨」
ここらへんは娯楽性と芸術性を兼ね備えてると思う 当たり前だ。真の娯楽と真の芸術は対立する。
どっちつかずの中途半端なもんはそりゃ混ざり合う部分もあるだろうが、本物は混ざり合わない。 女性限定、恋愛相談サイトオープン。
4000名のイケメンカウンセラーが在籍中♪
自己紹介動画はいつでも見放題です!
メンガ って検索してください
※本当のサイト名は英字です アクション映画は娯楽だろうか芸術だろうか
人体の美しい動きを愛でる行為は、ギリシャ彫刻の肉体美を愛でる
行為とそんなにかけ離れているのだろうか 最高のアクション映画って何だと思います?僕は007の「カジノ・ロワイヤル」かな〜 >>80-81
どちらも兼ね備えているとかいいや、混ざり合うとか言うよりも
そもそもこの二つは違うものなのか、違うとしたらどこが違うのかってこと
例えば「ゴジラ」を芸術映画に分類するのは適切か
娯楽映画に分類することは適切か 日本の純文学は和歌の花鳥風月にを引きずる
私小説あるいは私的要視点を遠回しに(つまり“上品に”)に表現したものが純文学とみなされやすい
構成上、文体上の装飾のため虚偽や美化などを混ぜることはみとめられるが、あくまで“私的な感受”であることは必須で、一般化は敬遠される
テーマや舞台が広すぎたり、社会的な問題や主張などを前面に出し過ぎる、出し過ぎていると思われると大衆小説とされる
そんな傾向はある だとしたら、「純文学」を読みたい人がいないのも当然ですな。そんなものを読みたいと思いますか? 今出てる小説のうち、百年後も文学史の名作として語られる作品てあるんだろうか ないよ。
いま100年前のものが名作と呼ばれているのは、100年前に始まった初期のものだから。
だいたい「古いものがいい」という信仰は現代人の価値観。民度が上がった100年後の人間が100年前のものを有り難がるわけないだろ。 芥川の時代ではそれより60年前の人気作家である馬琴が悪評ふんぷんたる有様だったけど。
それから30年ほど後の織田作之助の時代では250年前の郷土の大作家西鶴ですら貶められていたので
「諸君のなかで西鶴の恩恵に浴していないものはいないだろう?」と啖呵をきったほどですが。
古典の再評価というのは実は大正末から昭和初期の小林あたりの世代が始めたことだと思いますけどね。
これに戦時下の日本主義が加わって本来は娯楽に過ぎない小説なども「文化」的評価対象になった。
戦後だと戦後民主主義の文化国家による庶民文化の積極評価とか。 芥川や夏目の前の時代は言文一致じゃなかったから今と別世界。
馬琴とか西鶴が作家とか、韓国みたいな捏造やめろ。恥ずかしいわ。 >>94
小林秀雄は戦後民主主義を肯定していたの? ラノベやゲームやアニメが今の古典見たいに扱われる時代は来るだろうか 漫画やアニメの一部の作品はもちろんクラシックとして扱われるでしょう。ラノベはひとつも読んだ事がないからわからないけど。 扱われるわけないだろ、アホか。
ラノベやアニメは客観的な物語だ。もちろん大衆文学もだ。傍観者として体験する。
しかし真の文学は内面からの考察。それを読むことによって読者が主観的な体験をする。
全然ものが違うんだよバカ。 その言説で括れない作品があるんじゃないですかね。漫画はクラシックとして扱われる資格がないとでも? 僕は全然好きじゃないけど、例えば宮崎駿のアニメは将来見向きもされなくなりますかね? ディズニーやピクサーの映画は数十年経ったら無価値になりますかね? まあ、アニメの事はよく知らないから確かな事は言えないけど。 とくに子供向けアニメはずっと残る。毎年新しい視聴者が誕生してくるから。 >>100
成る程文学が詰まらんわけだ
低脳の俺には難し過ぎる世界のようだな 純文学は一種の古典なんだよ
読みたいと思う、思わないではなく、いやしくも文芸の道に進みたければ、それは最低限の基礎教養で、
「読んでおかなければならない」「読んでいて当たり前」のもの
混乱しているのは大衆文学の方で、なんとか賞を受賞するような小説にしてもライトノベルと呼ばれるものにしても、
出来不出来は結局、古典や純を読む、という通過儀礼を踏んだかどうかにある
(アニメだの漫画だのは映像系文化であって、“文”芸でも“文”学でもない)
好む好まざるはともかく、古典(純)文学を抑えておかなければ、上質な大衆文学さえ書くことは不可能なんだよ >>110
冨野監督「文学を読まずに映画やアニメを作れると思うな」てことか
最低限、自国の古典ぐらいは読む必要があるかね
まあ一部のラノベ作家とか、確実に文学的な技巧使ってるしな
出来不出来はともかくとして 挿絵があるのが大衆文学
ないのが純文学
単行本はそうでもないけど、雑誌ではそんな感じだったみたい 人間を主体とする物語が純文学
筋やトリックなどの仕掛け、あるいは極めて短絡的な人間行動(?)を主体とする物語が大衆文学
適当だけど 純文学というジャンルと権威主義者の関係について、誰か究明してくれないかな。純文学とか文壇とかいずれ消滅するだろうな。喜ばしいことだ。あんな権威主義的なバベルの塔は、神の怒りに触れて崩れ去るのが人類のためだ。大衆文学と呼ばれているものが真の文学になるだろう。 大衆文学ってのは消費されて消えていく文学をいうんだよw
今「エンタメ」っていうものが後世に残ればそれは権威化されて「純文学化」されていくことだろうよ
純文学や文壇を権威だといって攻撃してるのに、別のなにかを「真の文学」なんて権威化するんだから程度が低いね いま時間による試練なんてことを言ったけど、それじゃ時間による試練を受けてもいないものが、最初から純文学を名のるというのは、どういう訳だい?
そう名のってはいても、次から次へと忘れさられて行くみたいだが、それなら君のいう大衆文学とたいして変わらないじゃないか? 矛盾した理屈だね。 例えば、アガサ・クリスティのミステリはいまでも読まれているが、誰もあれを純文学とは呼ばないのはどうしたわけかな。 純文学そのものを権威主義と言ったわけじゃなくてね、雑談スレを読んでたらなぜか発言者たちは法律の教養がないやつは論外だ。。みたいな事を話してて、ひとりのたぶん有名なコテハンが「東大法学部卒」だというので、狂ったように嫉妬して暴言吐いてるわけ。 だから、こいつら何て権威主義者なんだ!とあきれたし、文学板雑談スレに集まっている以上いちおう純文学ファンなんだろうからさ。だから純文学と権威主義者の関係について思いを致したわけ。純文学ファンとは学歴というものに超こだわる権威主義者たちなのか、とね。 >>123
>雑談スレを読んでたらなぜか発言者たちは法律の教養がないやつは論外だ。。みたいな事を話してて
読んで言及するなら真面目に読んで下さいよ。東大法学部を自称するコテに法律的な教養があるとは思えないと書いただけで、一般論として法律の教養がないやつは論外だなんて一切書いてないから。
文学板雑談スレッド171 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1458305287/ 純文学といわゆるアート界隈は似ている気がする。
権威主義なんだよね。
ただ、大衆文学と比べて文章や構成の上手さは感じる。
大衆文学は物語とわかりやすさ重視。
どちらがいいという話でもない。 >>123
雑談スレのコテや半コテは頭がおかしい人たちばかりだから 雑談スレにいるやつらはほとんど純文学の話をしていないよ
ひたすらお互いの悪口と精神分析をしているだけだもん 歴史小説とかのほうが、面白いな。純文学にしても歴史がらみのやつなら何とか読める。
ナチス物の「HHhH」とかね。 >>132が?誤爆じゃないですよ。なんで誤爆だと思うんですか? >>132
いや、あそこで悪口言ってたやつとか、間違いなく法学部至上主義の権威主義者だし。 東大法学部出身だからといって人格者とは限らないのにね。完全に東大法学部を神格化してるの。あれ、宗教だよな。 >>121
そう勝手に名乗ってるだけだよ
勝手に名乗ってる奴らのことまでこちらの責任にしてもらっては困る
彼等は残りたいから名乗ってるんでしょ
でも残れる保証はない
実際に多くのものが消えていったし、消えていく
けれども消えていったものを何物かとすることはできないわけで、残ったものの総称を「文学」とするしかない >>137
どのレスから「法学部至上主義」という事が読み取れるのですか。僕は昨夜法学部ネタを連投していたけど、法学部至上主義なんてモノとは無縁だと思っている。 興味がないなら、ここで間違った解釈に基づいてネタにするのはやめてください。 クトルゥ―神話の初期の作品(ラブクラフトの書いた「ダゴン」とか)
戦前に発表されたけど
今でも読まれているから大衆文学じゃなくて純文学なの?>>120 漱石だってリアルタイムでは純文学かどうかは微妙な扱いだったし >>120
というか、文学が「消費される」てのがどういう現象なのかわからん 純文学、大衆文学というくくりは外国でもあるのかな? 小林秀雄は「純文学」を「日本だけで通用する方言」だと言い切っていましたね。 日本特有の「優れた文化」といってもいいだろう。
日本語は他に類を見ない優れた言語で、いかようにも表現できる。
人称ひとつにとっても様々。語尾の変化は言うに及ばず。
逆をいえば、日本語が論理的な構成でできていないためだ。
日本語には文法がないと言う人までいる。
だから翻訳機にかけるとおかしな日本語の文章になってしまう。
そういった言語であるからこそ、情緒的で心にしみいる美しい表現ができる。
それが和歌や俳句といったものに凝縮されている。純文学はまさにそこで生まれた。
つまり文章表現の美しさに特化したものが、純文学。
海外であるのは、文学とエンターテイメント小説という括りだけ。
純文学というものは海外にはない。あったとしても日本語のそれの足下にも及ばない。
一部英語で俳句をつくる外人がいるが、日本語表現のような域には達せないだろう。
またアニメの影響で百人一首にのめり込む西欧人もいるが、それは日本語における純文学というものが全人類に通用するということ。
純文学とは、日本人の心であり、人の魂を明文化したものである。キリッ。 “日本のこころを大切にする党 ジングル - YouTube”
https://youtu.be/wt9bZhsIUoc
これ何度聴いても笑えるわwwwwww それ、演歌だろ。
演歌は日本の文化ではない。1960年代の一時期に生まれた流行歌。
それがなぜか日本の心となっているが、それこそ笑止千万。
三国人によってつくられた偽装日本のような気がしてならない。
演歌好き世代がペ・ヨン様ブームをつくり韓流ブームをつくった経緯と同じだ。
ニセモノの日本の心、ニセモノの日本人。
いまホンモノの日本の心が外来種によって汚されているのかもしれない。
これはのんきに笑ってはいられない。 ホンモノの日本の心を汚してるのはどう考えても「三国人」じゃなくてレイシストのほう。 レイシストはもはや某国の文化だよ。
日本人は標的にされているだけ。日本人に恨みがあるわけでもない。 >>160
これネトウヨの言い訳のテンプレ。在特会のヘイトデモも「日本人に対するヘイトスピーチをやめろ」とか言いつつヘイトスピーチしてる。こんなクズが多すぎるんだよ日本は。 逆。在特会も反日朝鮮人がいなければ存在できないんだから。 日本人は悪くいえば、気が小さくて臆病。よくいえば、繊細で他人に気を使う。
他人を殺すより自殺するほうを選ぶ。
ただ一つ、日本人が強くなれるとしたら(悪党になれるとしたら)、
それは、他人のために尽くすとき。忠義を尽くすとき。
在特会も日本人が貶められているという義憤から過激なデモをするのだろう。
そもそも「ネトウヨ」という表現自体がどうにも怪しい。
日本を擁護したり、いい国だというと、必ず「ネトウヨ」というレッテルを貼られる。
しかし、日本人が日本をいい国だといわれてなぜ反発をするのか? いや、しないだろう。
つまり「ネトウヨ」というレッテル貼りをしている人間が、日本人じゃないってこと。
ネットは匿名だから相手の人種はわからない。
日本語を見れば、書いた人間を日本人だと思ってしまうが、違うのではないだろうか?
これを読んでいる日本人はネットでの書き込みに警戒してもらいたい。
ここからは言いすぎだが、
2ちゃんねるの暴言、誹謗中傷。便所の落書きといわれるほどの酷い表現。
こういったものは生来の日本人のメンタリティーではないような気がする。
日本語が書けるアンチ日本人がいるということを忘れてはならない。 長々と書いているけど、お前は在特会の動機を「義憤」と呼んでいるし、その後も暗に在日外国人に対する憎悪を扇動しているし、誰がどう見ても正真正銘のレイシストじゃん。 >>167
>、お前は在特会の動機を「義憤」と呼んでいるし、
だから、そうじゃなかったら、何なのかを説明してみろよ。
こちらは偏りなく冷静にちゃんと調べて書いているのだから。
理屈で負けるから「レイシスト」というレッテル貼るしかないんだろ?
そういった感情論では日本人を納得させることはできないよ。