結局「文学」そのものを分かってない奴が大半だよな [転載禁止]©2ch.net
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本来ならまず「文学」とはどんな試みをすることでどんな趣があるのか、理解しているのが前提のはず
そこをスタートラインとして、じゃあ「あの作家はどうなのか」とか「あの作品は〜」という風に語るべきなのに、そもそも文学を理解するところから始めなきゃいけないような奴が多すぎる
結局のところ理解がないが故に「これはつまらない」と批判してるようなもので、まったくもって話にならない
村上春樹を例にとってみても、村上春樹が文学的にどんな立ち位置にいてどんな評価を受けているのかを知ろうとせず
作品の構造やその「意味」を考えることもせずに
ただ「一部のお洒落読者に人気の作家」としてしか捉えていない人間ばかり
そういう人間がオナニーだのセックスばかりだのと批判するからただガヤガヤうるさいだけになる
そもそも何も考えていないくせに、どうやって「これは無価値なもの」と判断しているのか不思議でしかたがない
とにかく、そういう層こそが昨今の文学界隈じゃ一番の癌だと思う
だから先ずはそこらの評論なり巻末の解説なりを読んで深く考えてみることが重要だと思う
そういうステップを端折っておいて無帽にも通を気取ろうとするから良くないんだよ
そう思わんか >>1
『結局「文学」そのものを分かってない奴が大半だよな』
そうだよ。おまえも其のひとり。 この前ブッカー賞をとったハン・ガンの菜食主義者は翻訳されてるみたい 伊藤整の『文学入門』はいいぞ。小説がどのように興って行ったのかが
わかりやすく説明されている。 俺は土日には8時間も読書をする
でもあまり文学というものをわかっていない
文学というものは永久に理解できないものだろう
文学を極めるということは誰一人できないことだろう
文学なんてものはそういうものだ >>203
そもそも「文学」なんてものが本当にあるのか?
文字で構成された物語や詩があるのは分かるが
文学という一つの存在があるのかどうかが疑わしい >>206
まぁ、「文字で構成された」モノの総称を、一応、文学って名付けているだけのことでしょう。
何事も名前が必要だから。 酔った時に切れ端みたいに書いたけど、文学は学問じゃない。あくまで文芸であって芸術や芸能の一環。文学は定義できないものと思うな
物理学や数学とは何かと問うと定義もしやすいだろうけど、音楽とは、絵画とは何かとなれば定義に困る
もちろん人間性を高めるためには文化は必須で、文学部などを否定するつもりはないけど、「学」の一文字にとらわれ過ぎている >>212 中原昌也『知的生き方教室』のある章のタイトルが
『文学 Do the Right Thing』だったね(笑) なんかもう「あいつはマジROCKだぜ」的に「あいつはマジ文学だぜ」みたいな感じでいい気がしてきた ロックって、色んな人間がその言葉の意味を拡大解釈あるいは希釈していって「お前はrockじゃねぇ!」のような意味不明のところまで辿りついたから、「文学」って単語も「文学的○○」と拡大解釈していけば「文学的な音楽」とかにまで辿りつけるのではないかということ
自分で言っててよくわかりません、申し訳ない ゴシップや、でまかせのたとえ話しかできない奴らが得意顔の板だからしょうがない。 技法やら質感やら傾向やら、分かるにも色々あると思うけど、それって「作者がなにを書いたか」の範囲内で「作者はなにを書かなかったか」はぼんやりとしか見えない >>224
評論家って「そろそろポストモダンを越えた作品を」って平気で言うからね、
近代文学じゃなかったらすべてポストモダン文学になるブラックホールみたいな定義だって知らないんだよね。
前衛に逃げるな、とか、古典級の作品が読みたいって意味で言ってるんだろうけど。
そして未だに、たとえばAというニヒリズムの敗北を描いた作品を指して「ニヒリズムの敗北を描いたに過ぎない」と「ニヒリズムの敗北を見事に描いている」
の間でぐにゃぐにゃエッセイレベルのことを書いて絶対評価の構築に寄与してないし、
作家にもなれないやつってレッテルに立ち向かったり、評論家は最初に就く職業だという後ろめたさに向き合ってないやつが多すぎる。 編集者も自分の判断に自信がないから(自信がある振りはしているけど)
評論家の言葉を鵜呑みにするのかね・・・
それとも評論家の影響力を考慮して媚びているのだろうかね >>226
単に読み込む暇がないだけだと思うよ、実務に追われているから、良くも悪くも、編集者が一番日本文学、というより、出版や文学作品の力自体の衰退を知ってる人たちではあると思う。
明治時代の刀鍛冶みたいな気分だろうな。 >>228
文学知識を猿の縄張り争いにつかうおっさんやババアたちのせいだろうな。たくさんのスノッブな罵倒の中から真意を取り出すのにも限度がある。量が質になったんだよ。 >>230
リチャードブローティガンみたいな作家すら後発的にしか出てこないよね。
選考の人も肉体のある作品が好きだけど円城搭は大事にしないといけないみたいな、残さなきゃ!って感覚に乏しい。
内戦の方が多い国だからか、作品は人類の遺産って感覚がないのはすごく問題で、世界遺産や黒澤明みたいに、白人だけが人類の評価者になってしまう。 比較的若手で世界に通用するのって円城塔くらいだもんなあ 例えばああいうのを書く人は他にもいるんだろうが、
編集の時点で「それでは読者に不親切だ。それは小説ではない」みたいなことを言われて
止められる人が大半なんじゃないかな 上田岳弘は円城塔を意識しまくってるんだろうけど実力が伴ってない印象 文学とは文を学ぶことだよ。
こんな簡単なことも知らん奴がいるのか。 「読んだ。
図書館で150人待ちだったのがやっと回ってきたんだけど
一気に読んで後何も残らない。」
読書好きの奥様スレはこんなのばっかだから
出版社はマーケティングを考え直したほうがいい >>239
俺達が好きな作品を5冊でも買わないとマーケティングを考え直すわけないよ。マーケティングなんだから
村上春樹やらの売り上げで出版させてもらってる村上春樹嫌いの硬派な作家がいるとかそういうものの見方をする世界だよ経済って 文学ひいては芸術全般のリテラシーが低すぎるんだよなあ >>242
作者の人物の好き嫌いから作品論を組み立てる「なんとでも言える」ファンやアンチの仕事しかしない作家に選考させるからね 作者自身や批評家らの既成の批評や書評に影響された一般人の何の発見もないプチ書評の蔓延→潜在購買者のウンザリ感が、本の売り上げの伸びの障害になってることはほぼ確実ではないか?
批評家の本来の役目である、作家の意識し得なかった面の提示においては、現状の批評家達は
全く役目を果たせてなかったのが中上健次の場合だった。 >>244
そして、新規の読者としては愛着のある作品を知らないおじさんに分解される不快感。そりゃ売り上げも落ちるよ
理論と感性がお互いを潰しあってるのは、評論家タイプも好き嫌いタイプも作り手も、心地いい空間から出なくなったってことなんだろうね >>245
2ch用語に「巣に帰れ」というのがあるけど、internetは小さな巣窟を彼方此方に作りやすい。
その手のinternestは、読者の広い意味でのinterestの成長を助けないばかりか、むしろ阻害してしまいかねない。
>>246ツイッターやらで議論になると同じ意見で固まる >>247
基本的に異見の人は「荒し」と認定される。
twitterはfollowerしか生まない。
twitterでの意見のぶつかりは何物も生み出さない。
インターネットのスーパーフラットな構造が仇になってるのかもしれない。
ある面で多層な構造が必要なのかも。 >>248
ネットに触れてだけど、代弁者の他に、他人の結論をヒントだと思える人がうまくやってるみたいだね。今や主婦のレシピも、古典の名言も等価なんだよ。
どうやら、多層でも一層でも、選挙パンフレットや掲示板、SNSや本棚みたいに、思想の受け皿に従事したほうが名前を残さず儲けられる時代らしい。
教条を巡る宗教戦争で一番儲けるのは武器屋で、出版社独占の時代が終わったって考えたら、衰退も悪くないかも。 編集者「読書メーターでリサーチしたから間違いありませんよ!」 分かったつもりになりたいのはそうしないと不安だからだろうな
でもその不安に負けないで考えていくことが大事だとおもうわ
不断の思考というかなんというかな
本を読むということはそういうことでもあるとおもうし 文学なんて一生わかるやつはいない
わかったとか極めたなんていうやつは
まやかしだよ
人生は有限だ
作家なんて何万人もいる
こういう分野を理解できるほうがおかしい
すべての人間は未完成で終わる >>249
思想の受け皿と言っても、ある程度の主体性はあるわけで、そういう場合のは近代前の唱導などの芸能者に似ている。
パフォーミングアーテイストのやなぎみわが、エレベーター案内嬢の中に見る演技性とも似てます。
あるいは熊野比丘尼とか。 >>254
熊野比丘尼やエレベーターガールはまさにバイラルメディアの文章だよね。自我のない文章。 >>255
全然自我がなくて書けたら、独りでに書いてました,の島田雅彦になっちゃうw >>256
ああ、「ない」の使い方間違えた。書いてる本人の主語がないやつね。歴史の教科書みたいに、まるで文面自体が語ってるような書き方のことねw
島田雅彦は、まあ、うんw >>251
興味のある人を集めて広告を見てもらうって意味の等価。言葉足らずですまん フラットな気持ちで小説を読む。
そして感動する。
人生ってそんなもんだろ。 文学に一番大切に思われる書くことですら・・・・
疑似的なものなのだよ。 命がけでシャープペンをとり日記のよう?なもの
書かないと死んでしまう
それを書くことでしか生きて行けない、生きるために書かざるを得ない
という壮絶な心境技巧肉体に達した時、文才を確信した
。
モーリスブランショが―日記作者が一番文学的である―というような・・・。
今やタイプの時代で
あの頃の情熱には戻れないがタイプにも文学のはげしい顕現
となる秘密が宿っている
ことも知っている。 タイプ打ちで怒ったり、冷静になったりするとブレーンやバディーがスパーク
するような天才感覚ってあると思う。 文学なんて感じるものだぜ。
>>1っの馬鹿童貞wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>267
性的コンプレクスを持っている人間に特有の言い回し。
理性を排除しようとする、もしくは、知性に抗おうとする幼児性も感じられる。
文学には興味がないが、2chに入り浸り、実生活が虚しい心も読み取れる。
孤独で人生に喜びが見出せない不幸者。
恋人もできず、やがては一人さびしく死を迎える、悪魔に魅入られた人物像が浮かび上がってくるね。 短い言葉で人を決めつけるなんて2chみたいなことするなよ 文学の本質は文を学ぶこと。
この本質を見抜けない愚か者は掃いて捨てるほどいる。 文を学ぶこと?
じゃ、楽しみで純文学に接するのは文学とは言えないのか?
学びて思わざれば…(笑
狹いな。 一般人の大半が文学を分からないのは、別に問題じゃないが、文芸誌の編集者や批評家の殆どが現実に文学を全然分かってないから困りものなんだろ。 近年の文芸誌の対談や座談会の無内容さは酷すぎる。
何の明晰さもない。 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! 人生は有限だ 文学のほうが人生よりも深い
だからわかったなんていうほうが無理だ
1万冊読むことができれば凄いほうじゃないのか 韓国の姫なら俺とのあいだにすでに子供がいる。
彼女の親父は経団連の民団の大物だしだいぶ前からここらにいるし特に心配は無い。
パクなんてきっしょくわるいババアなんてまじ知らん。
頼むから一瞬たりともパッとした顔をするんじゃない。
まともな人間なら何人だろうが受け入れる。
なめた口聞いた奴は何人だろうが韓国人だろうが受け入れない。
それぞれ死にたい場所で死んでくれ。
まあそうは言ってもソウルも九割方北朝鮮だからな、歩いてる奴も店も土地も。
自分の遊び場に爆弾落とすバカいないわけでほとんど大丈夫だろうが散発的には少しはあるかもな。 で、なめた口聞いた奴らしか残していないからな、そんなもん知らんっつーことだ。
お前らなんていらないからキチガイになって死んでくれ。 文学そのものをというてみても文学とは何かと考えてみてもしょうがあるまい。
つながれてきた文学の最後から入るのも成功法。 各国料理旅文学もいいだろうな。
日本文学もよろしくね。 文学といえば女体かグルメだよな
。ホテルとか。旅とか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています