何というか、中身のない言葉ほどある種の暴力的な強さがあるもんだな
思慮の足りなさから来る「遠慮のなさ」というのか…
それははたから見れば愚かではあっても、本人にとっては「全能感」にも近い何かがあるのかもしれん
もちろん論理的に敗北している以上それはただの錯覚に過ぎないわけなんだけど
そのスタンスが文学や映画の批評にも通用すると思っているからイヤなんだよなー
まあそんな風に強がりつつも、若干の「後ろめたさ」を感じてくれているならまだ救いはあると思う
流石にここまでの内容を踏まえてもなお、全く自覚できないなんてことは無いはずだからな