結局「文学」そのものを分かってない奴が大半だよな [転載禁止]©2ch.net
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本来ならまず「文学」とはどんな試みをすることでどんな趣があるのか、理解しているのが前提のはず
そこをスタートラインとして、じゃあ「あの作家はどうなのか」とか「あの作品は〜」という風に語るべきなのに、そもそも文学を理解するところから始めなきゃいけないような奴が多すぎる
結局のところ理解がないが故に「これはつまらない」と批判してるようなもので、まったくもって話にならない
村上春樹を例にとってみても、村上春樹が文学的にどんな立ち位置にいてどんな評価を受けているのかを知ろうとせず
作品の構造やその「意味」を考えることもせずに
ただ「一部のお洒落読者に人気の作家」としてしか捉えていない人間ばかり
そういう人間がオナニーだのセックスばかりだのと批判するからただガヤガヤうるさいだけになる
そもそも何も考えていないくせに、どうやって「これは無価値なもの」と判断しているのか不思議でしかたがない
とにかく、そういう層こそが昨今の文学界隈じゃ一番の癌だと思う
だから先ずはそこらの評論なり巻末の解説なりを読んで深く考えてみることが重要だと思う
そういうステップを端折っておいて無帽にも通を気取ろうとするから良くないんだよ
そう思わんか 「文学というものは普通文学者が考えるよりも遥かに文学的なものではない。(中略)この考え方は文学的ではないか」という小林秀雄の有名な台詞があるけど、これについて誰か解説して下さい。 小林秀雄はカフカをあまり評価してなかったんだよね。でもカフカは小林が尊敬してやまないドストエフスキーを愛読してたみたい。 「でも」なしで、カフカ「は」を「も」にして、文末を「みたいだけど」かな 最終的にはできないと思うけど、あえて無理矢理するとしたら、ですね。 期待しすぎってのもわからんな
結局個人差があるが世の中心の底から読めてよかったと思える作品があるわけだし
いつの時代もそんな作家がどこかにいることを期待している ばか、人と書いたモノが≒でつながるわけないだろ。ホントアタマ悪いな >>1
これに近いことを西加奈子が語ってたが本人じゃないよな? 作家が「読者が不勉強だから自分の文学は理解されない」とか嘆いて見せるような芸風は端的にダサいんじゃないかと思うけどな。撃つなら批評家を撃った方がいいよ。 どこかのスレであったけど、露伴が読めないから駄作だ、ってのと同じだな。
ターゲット層に入りたければ、読者も努力しなければならないのは当然、
なのは考えりゃわかるだろ。
努力せずに読めるモノなら春樹にしろ!(笑 Bエントランスのチンピラ一家に悩まされていましす。親子4人ですが、
親父は見るからにハゲベブな輩、嫁もそれなりの豚。
会っても勿論、挨拶なんて一言も無し、
臭すぎ!頼むから風呂入ってくれと思う
中学生のガキも夜遅くまで外で万引き仲間とモノを取り合いギャーギャー騒いでました。
アトラス調布でも評判のバカ一家ですが、先日タバコでボヤ騒ぎ!
娘は犯罪者?桐光学園中学校周辺の女子生徒(しまnざき結子)で友人
Mさんの後頭部を鈍器で殴り首を絞めて転害した後、首と手を切り音した件 別に読んでおもしろければいい。
文学なんて考えたい人が考えればいいだけのこと。
音楽が何たるかなんて考えて普通の奴はきいてねーだろ?おめーら
物事なんてすべて自分にとって有益か無益かで判断すればいいこと。
みんな死ぬんだから いや、それじゃよくないよ。僕はなるべく多くの人がよりよい生き方をして欲しいと思っている。 ↑おせっかいは迷惑ってことしらねーのか?
馬鹿ガキ 「私は文学をわかってます感」出すやつの寒さ
そもそも実態のない自由なものだろ
傲慢な言いがかり勝負に勝とうとしてるだけ
だから作家は嫌われる 他人との関係性の構築を諦めるのが大人になる事だというような考え方は厳しく否定されるべき。 >>1は分かってない奴が多過ぎることが癌だと言ったけれど
下を見れば馬鹿が多いという印象が起るのは当然のことで
それが現在の最悪の現象ということはないんじゃないかな
例えば英雄と反英雄を可能にするようなイデオロギーが成立しないとか
だから価値判断を示して読者を指導するような批評も成立しないとか
いかがわしくないものが存在しないところでいかがわしく振舞っても
ただの凡庸な俗悪さにしかならないとかそういうことの方が悪性が
強いし文学自体に対する影響も大きいと思うんだけどどうなのかな 文学を構えて分析的に読む必要性は感じないけどなあ。何か感じて、いいなってなれば、繰り返して読むけど。 批評家みたいに読むのが正しいとは限らないよね。むしろ批評家は読者が読むように読むべき。 提灯持ちみたいな批評やってるような批評家は無視すべきですね。 レイシストほんと目障り。社会に悪影響を与えるビョーニンを公衆の面前に出すのやめろって。 批評家は本当にどうでもいい。文学わかってる?なんてかっこつけ。わからなくてもいい。図書館で数ページ立ち読みして、なんかいいなって感じたら、それが読書の入り口。 結局>>1の動機は、分かってない奴が自分が凄いと思う物を否定するのが嫌だってことだね
そして発言権を学問的な読みをする人だけに制限して、そういう人たちを入ってこれないようにしようとしてる
けれども、分からん奴は分からん、別にそれでいいじゃないか
そのために教養主義で普通に楽しむ人の権利を侵す方が、よっぽど傲慢だね 一般社会の中で文学を解っていないなんてな会話ってあるか?
全くないといっても過言ではあるまい。
いざとなったらそれだけ文学なんて芸術は糞の役にもならねーってことだ。
絵画や彫刻も同様全くの無価値。
その中で唯一、音楽は人の心を和やかにするので、これは立派な芸術だといえる。
文学なん考えてる方が愚かなんだってことだな。 ↑飢饉のときに本読んで腹が膨れるのか?
歌は慰み物にはなるだろが。 読書に救われる事だってあるよ。鑑賞によって救われる人が多いという事は芸術の条件ではないけど。 哲学は戦場での議論指示だから一番かっこいい。行動性も
ピカイチ。 思考、策略、奸計とかが文学の役目だろうな。戦地では。 神学が何をおいてもトップ。東洋でも神将とかいわれるけど。
宗教学は不思議な軍人になれるでしょう。 >>132
飢餓の状態で読書をするって相当の余裕だな。
物事は最悪を想定してコメントすべきじゃねーの >>138
飢餓の状態で本を読んで飢餓が解消されると絶対に言わないけど、例えば死刑囚が本を読んで心の平安を得るということは実際あるしあり得るでしょう。そういう意味ですよ。 文学ではないけど、原始時代にその日の食事にありつくのがやっとの時代から芸術家的なものはいたからな 文学ってのは、要するに文字で書かれた、虚実を含んだ森羅万象、
多くは人間のいきざまなどでしょう。
文学には、書き手、読み手、研究者、って切り口とビジネスって側面もあるか。
学問的に文学を素材にしている読み手以外は、多くが娯楽だろうから、
文学そのものをわかってない、と言うのはまともな状況なのかも。
わかる、ってのは単なる主観だろう。
書き手と同感できたらそれがわかったことなのか?
ってのも書き手が単なるあふぉの場合もありうるからちょっとあやしい。
それに、人間を描くと言っても、それは書き手の人生で得られた知見と言える
かもしれないけれど、実際に他人の思考を見られるわけではないから、どうしても
自分の思考と類推、と限界は見えている。他人の思考は類推するしかないから。
さらに、自分のことをどう書くかは別にすると、本当に自分のことが、書き手はわかって
いるのか、ってところも疑問がわいてくるところ。
まあ、単なる娯楽として小説を読むときには、文学にはあんまり期待していない。
面白ければそれでいい。 >>129
文学云々の前にきちんとした国語で書いてくれ
別に美文とは言わん そうね。
評論家は論じればいい。
だけど一般人の私たちにとって、芸術は感じるものだ。 『文学とは何か』というようなタイトルの本は、どのくらいあるのだろうか。
例、T・イーグルトン『文学とは何か』 夏目漱石の「こころ」
と
奈須きのこの「空の境界」
の
根本的違いが分からない 後者はラノベ扱いを受けるんだよ
その理由が不明
根本とは、ようはジャンル分けだな
同じ尺度での評価ではなく、評価自体が間違っていて、
後者が低級とする見解の根拠が分からん >>151
このレスの後半二行の文を読む限り、
君があまり日本語能力が高くないため両者の違いが
わからないんじゃないかと思う >>151
ライトノベルのことをよく知らないけど、ライトノベルとして売り出したからライトノベルとして扱われているのではないですか。ビジネス的に純文学として売るよりライトノベルとして売った方が有利だからそうしただけなのでは。 ラノベとかの区別は別にどうでもいいよ。面白いなって思えればいいんじゃない?そもそも、大衆文学と純文学の間に中間小説だってあるし。 俺の中での文学の定義
自分の意思によって、主体的に読み進めなければ面白くないもの
そこが映像との違いだな
また、ノベルゲーは文学に属する 文学板って言う割には国語が崩壊している奴が多すぎだししようがないだろ
所詮ネラーはネラー 日本語がどう崩壊しているか、どのように崩壊させられるかというのが文学の歴史でもあるからね。 作者の意図を読み取るとか、作品に潜む政治的社会的背景とか、そんな批評の仕方は一時代古いでしょう。作者や政治からは切り離されたテクストを読者がどう読むかだと思うけどなぁ。 それは二昔前で、158みたいな素直なのが言ってるようなやつが一昔前じゃないか? なんでもアリだよ
極端に目立つ欠点があってなおかつほかの部分が魅力的な作品もある 文学批評や文学理論というものは文学じゃない
こういうことを言っている本を始末しよう 土日だけで文学批評3冊読んで捨てた。この調子で3月は10冊目標に読み捨てるぞ!
目指せ究極のミニマリスト! 捨てたに意味があるのか?
たぶん、電車で拾ったやつだぜ(笑 今ある蔵書は普通では購入できないものばかりで
流通している本はだいぶ減らした
流通本は15冊以内で購入不可能本は100冊程度あるから
あと2〜30冊減らせばミニマリスト完成レベルに近づく
ここからの選択が難しいな
(注)ここでいう本とはハードカバーのみをいい安価なペーパーバックや
文庫新書は含めないものとする。ちなみにペーパーバックや文庫などは相手にしていない 文学は娯楽の基本だよ
それだけわかっていれば何も屁理屈をこねるものではない
映画だってその基本は文学にある
それだけで十分だよ
一言いえば文学とは他人の意見を聞くことに等しい
長時間かけて作り上げた他人の考えだ
要するに他人の考えに触れることだ 国語の授業が好きだったとか
人の話を聞いて考えるのが好きだとか
道徳について考えていたりとか
結局人と人のコミュニケーションについて強い興味やコンプレックスがないと
文学との融和はなさそうに思うのですが >>169
邦書は神田へ行けば手に入るだろ。ほとんど。
洋書はそれなりの書店にョめばなんとかなるはずだし。
まさか、グーテンベルグの聖書を持っているわけでもなかろう?(笑 現代のライトノベルは登場人物やシチュエーション設定がより記号的であると思う。
すべてはオレカッケーに集約するための駒に過ぎないというか
すべての登場人物が作者のピースであって
すべてのピースを集めても作者一人分の厚みしかない 文学にひたっている自分が好きなやつはまず人の意見を聞かない、話ができない
それは
文学は皮を剥がすと何でもない人々の日常から成り立っているという事実に
我慢ができないからではないかと思う
文学作品は一般的に何の価値がないとされるものであっても
作者によって見出されればすごく美しくて悲しくて価値のあるもののように描き出される
たとえば日常を捨ててインターネットで日がな一日書き込み、動画を見、
などして人間的な生活を破棄している人には、
文学作品を読んでも、そこから人々の平穏な日常を逆順にさかのぼる能力がなく、
虚飾的な「作者の言いたいこと」を追いかけ決め付け自己完結し、言いふらし続けることしかできない 文学は俺にとっては単なる娯楽。
ごたいそうな文学礼賛にはヘドが出る。そういうやつは娯楽もできないハンパモン。 物事を結論付けすることに慣れていると文学を娯楽としてさえ楽しめなそう
とも思う 娯楽ってのは自分が樂しめていると思えればそれでおk。 >>173
僕は文学板でピースと呼ばれているんだけど、一見して遠回しにディスられているのかと勘違いしてしまった(笑) >>1の3行目以降をいまさら読んでほほうそうですねとおもた。
昨今は金集めのためにとにかく人を呼び込んでいるが、質でふるいにかける仕組みが必要なんじゃないか 西鶴が天才なのは彼が売れたことによる。時代にマッチしたということだな。
西鶴を今よんでもおもしろくないだろ。
>文学は俺にとっては単なる娯楽。
凄いなとおもう。いまは読める人がすくない。
俺も読めない。だから娯楽にすらならない。しかし面白い小説の朗読なら聴ける。
朗読はジャンジャン聞いてる。だから俺にとって文学は朗読にして面白いものだけ。
でも殆どの小説は面白い。さすがに漱石は朗読で聞いてもだめだが。W >一言いえば文学とは他人の意見を聞くことに等しい
>長時間かけて作り上げた他人の考えだ
>要するに他人の考えに触れることだ
深いなー。「面白い」から読むのだけど、面白いということは
そういうことなんだろうか?
自分ににとっては面白いということが、単に快感があるというだけではなくて
知識になっていくようなこと、例えば歴史を知るとか経済問題について知るとか
茶道について知るとかもある。単に知識の羅列を読むよりも、背後にある精神
エネルギーと共にくみ取る方が面白いからそういう知識も文学にちかいところ
から得られると面白い。 >>4
ほんとこれ
映画でもマンガでもそうだけど、その作品の背景とか思想とか考えるのって作品を楽しむ醍醐味だと思うし、今はネットがあるから誰でも簡単に調べられる
でもそんなことする人なんてあんまりいないんだよなぁ
最近酷かったのが「東京グールの話って深いよ」とか言っときながら、カフカの変身知らない奴がいたこと
引用されてる書籍ぐらいググろうよ... >>1
長い文章だな。要点を数行で書けよ。
このスレのタイトルへのオレの回答。べつに「文学」なんざ、どうでもいい。
そなもの分からなくなくって読めるさ。 文学がよくわかっているやつなんていないよ
映画の黒沢だっていっていた
まだ映画というものがよくわかっていない
おそらく一生理解できないで終わるのが実情だろう
ひとつだけわかっていることがある
とにかくひたすら読み続けることだ
これだけは理解している
文学は人生だけではたりない
文学は他人の意見を文章にしたもの
文学は日本と西洋だけに限定してはいけない
ラテンアメリカ、中国、韓国、東南アジア、インド、アラブ、アフリカに
だって立派なものがある
こういうものにも目を向ける必要がある
そうでないと偏りがでてしまう 「中国と韓国の文学の方が日本の文学より上」みたいな事を純文学5誌スレで書いてる人がいたけど、僕は中国や韓国の文学を全く知らないんだよな。 中上健次や大江健三郎に匹敵する作家がいるなら、是非とも読んでみたい。 どれもすごいよ
豊乳肥臀、転生夢現が最高傑作かな
蛙鳴、白檀の刑もかなりいい
少なくとも二人に匹敵してるし部分的には超えてるかと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています