>>194
岩波の二つのチッポラのうち、左の拡大図がそもそもラスキンの模写です
舞台は1880年代なわけですが、この当時、ラスキン、あるいはイギリス唯美主義者がボッティチエリを「発見した」わけです
こんな美人もありだよ、と
それ以前の300年間「醜い」とされてきたのであって、今の時代の読者が「美しい」と思うかは別問題です
ラスキンやペイターはラファエル以前、要はルネサンス盛期より前の人々を持ち上げるわけです
重要なのはスワンの美的趣味は性的欲望の先を行っていることであって、これはスワンと語り手に共通する性質なのですね
ただしこれは多かれ少なかれ当時のスノッブが持っていた属性でもあって、オデットも「名前」や「イギリス語」に内容よりも優先する物神崇拝が見えます
性的欲望(感覚=アイギストス)だけではsensationの道徳的(≠宗教的・倫理的)側面にいたらず、美的趣味となるためには・・・というのは当時ラスキンを翻訳しながらプルーストが考えていたことなのでしょう
ラスキンの(世俗的)唯美主義批判とも重なるとこなんだと思います

語り手がはじめてラ・ベルムを実際に聞いたときの幻滅と、現実の女優を離れて初めて自由に愛せるようになるというとこ見ても分かるように繰り返される変奏のひとつです