マルセル・プルースト20 [無断転載禁止]©2ch.net
いやいや、フランスの作家の中でも格別読みにくいと言うね。
プルーストは読みにくい。何か都合悪いかね? 井上訳は確かに読みづらかったが、だからといって悪訳、悪文とは思わないな。
意味が通らない文章ではなかったからね。>>230の訳では井上訳のほうが吉川訳より好き。
篠田一士、蓮實重彦も賞賛していたね。 プルーストがそれほど読みにくいと思ったことはないな。
小説で読みにくいフランス語というと有名どころからあげるとバルザックとかね。
以前、必要があってバルザックを大量に読んでいた頃、夕食後の気分転換に
プルーストを読むと流れに身を任せるように心地よく読めた快感が忘れられない。
なかなかポワンがこないが、そのために意味が拡散しないように周到な工夫が
なされているから決して読みづらいフランス語じゃないと思う。
フランス語を読む日本の作家、評論家でもプルーストを読みづらいと書いてる人は
すぐに思いあたらないし。中村真一郎など電車を乗り越すほど夢中で読んだと回想していた。 230では、吉川訳の明解さ、井上訳の流れ重視が典型的に現れてる?
だが、今までの井上訳への苦情を見ると、訳の出来にムラがあり過ぎるんじゃないかな?
余り責任感のない、不誠実な訳では?と思われたらおしまいでは? 確かに、記憶が流れ出す文章が滑らかにながれてることは重要なんだか。 >>298
>中村真一郎など電車を乗り越すほど夢中で読んだと回想していた
プルーストを読む正しい態度だね、一駅や二駅乗り越さなくては
本当にプルーストを読んでいるとは言えない、
日本語の翻訳家諸氏がそういう至福をもたらしてくれるか?
まあ期待薄だね 長たらしい小説に至福を求めるのは生活に余裕のある人だけ。 高等遊民だった20代の時『失われた時を求めて』を自室に閉じこもって読みふけった。
井上訳が筑摩大系で完結して間もなくのころで、3か月かかったね。 >>274
その思い出を大切にしてね、人間が持っている確かなものは
思い出だけだからね、−プルースト >>277
定年退職したら今度は岩波の吉川訳で通読するつもりだ。 低学歴で貧乏な生家の出身で、現在も貧乏な人間のための『失われた時を求めて』を少年ジャンプで20年にかけて連載するとかの、斬新な企画をしろよ! ソドムとごモラなんてホモセクシャルの描写にうんざりした
思い出がある 所詮は金があって暇を持て余してたブルジョアの衒学趣味の羅列だな それを金持ち貴族のほうへ奪い返したのがプルースト。 図書館から10巻が用意出来たとのメールが来たから、早速借りて来るか
ただ2週間で読まないとまずいからな、今借りてるエルクマン=シャトリアンの民衆のフランス革命(上)を早く読み終えねばなるまい 借りたことを忘れていたがマドレーヌ食べたとき思いだしたよ 甘いものは大体は食わないことにしてるので、まだマドレーヌとやらは食したことがない プルーストにでてくるマドレーヌは今の日本でふつうに売ってる
マドレーヌをイメーると違う。甘いお菓子じゃないんです。 マドレーヌはマグダラのマリアから名前を取っている
深層心理では娼婦のイメージを喚起している
紅茶に浸して口の中という粘膜の接触、その直前の場面は母親との近親相姦を思わせる描写
普段飲まない紅茶を勧めたのは誰か?母親なのだ
構想段階ではマドレーヌという名前ではなく、クッキーだった
名前へのフェティシズムがテーマとなる章の思い出を作り出すためにマドレーヌとなった
母親が眠れぬ夜に読んでくれたジョルジョ・サンドの「捨て子フランソワ」も逆若紫状態の女主人公、その名前はマドレーヌ
塗りこめられた近親相姦のイメージ マドレーヌを見ると女性のセックスを連想する(^^; >深層心理では娼婦のイメージを喚起している
なるほどねえ。
たしかにマリー・マドゥレーヌからきてるんだろうけど。
娼婦のイメージというよりは悔悛のイメージのほうが強いような気もするな。
その名を関した寺院もあり、フランスの女の名前としてあんなにポピュラーなこと
からもどうだろうか。 急いで読むのも勿体無いので、ゆっくりゆっくり一日50頁で10日掛けるか しばらく他の本読んで来て、また失われた時を求めてに戻ると、そのあまりにもネチネチとした文章に思わず懐かしさを覚えた 確か「私」はワルキューレを絶賛してたような気もするが
最安席の当日券を無事ゲット出来たら行ってこよう
今日は端末操作ミスで惜しくもゲット出来ず(・_・;)
http://i.imgur.com/eO8L5zm.png 昨日、紀伊国屋書店経由で LIGARAN という出版社の「Le Cote de Guermantes」が届いた。
ペーパーバックだけど、大きな分厚い本。紙が良くて字が大きい。
これをじっくりと読もうと思っている。
吉川一義さんは本当に優れた文学者ですね。
残りの部分は吉川さんの日本語訳でのみで読むつもり。 こういう妙なボケをかまされると、どこから突っ込もうかオロオロしてしまうな(笑 岩波文庫『ゲルマントの方 T』、P.32 図1 「ラン大聖堂の牡牛」
説明ではラスキンの「塔の石材を運んだ牡牛たちへのしゃれた謝意・・」が引用されている。
聖書「ヨハネ黙示録」には、4つの動物が現れるが、
人間=マタイ、ライオン=マルコ、牛=ルカ、鷹=ヨハネ・・・と習った。
ルカが牛なのは、ルカは礼拝に詳しく、捧げものとして牛が使われていたから。
有名なところでは、ヴェネチアのサン・マルコ寺院にはライオンの像が沢山。
東京のカトリック神田教会は聖ヨハネの教会なので鷹の像が沢山。
ラン大聖堂に牛の像が並んでいるのは、聖ルカの教会ということではないのかなぁ?と思ったが。 ランス大聖堂にはきみのいう意味での人間や牛や鷹の像はべつにあるんだ。
岩波文庫『ゲルマントの方 T』がいま手元にないけれど、ラスキンの解釈そのものが
しゃれているね。さすがラスキンという感じ。
そんなことより「ラン」大聖堂って吉川は「ランス」って書いてるんじゃですか? >>307
「ラン」になっていますが。
自分の持っている仏文では "Laon"。 >>308
>>307
ラン大聖堂とランス大聖堂は別物ですね
たまたまエミール・マーレの「13世紀のフランス美術」(英語版)ラスキンの「建築の七灯」プルーストの「大聖堂の死」が手元にあったので少し読んでみました
ラスキンはランスもランも両者が触れられていますがラン(ルアン)大聖堂のほうが好きのようです
ラスキンの訃報を聞き、プルーストはルアンに行き、ラスキンが建築の七灯でスケッチした小男の像を見に行きます
くだんの牛たちについては「牛酪塔」として何度か言及されています
牛酪塔(Tour de Beurre)と名づけられた所以は信徒が四句祭のあいだに牛酪を用いる許可を得るために献じた金を持って建てられた(訳注)から、とあります
建立はむしろ15世紀のようで、wikipediaの昔のスケッチには牛達の塔が存在しません
プルーストは「大聖堂の死」でも牛たちが「大聖堂を作る際に建材をもちあげるために働いたので建築家たちがそれに報いるため」教会の外に置いた、となっています
マーレやラスキンが牛たちの塔は同時代に作られた、と信じていたのではあると思いますが、他のゴシック的要素からの違和も表明しており、やはり批評眼はすごいですね
「ゴシックの本質」そのうち読み直そうと思いました
また、一応ルアンのノートルダム大聖堂で、「聖母の教会」でもあるので聖ルカの教会ではないのだと思いました
(キリスト以前の予言者シビルがいたりするようなので断言は出来ませんが) >>309
はちょっと自信持てなくなってきた
とりあえずラスキンのプルーストの「大聖堂の死」で「ゲルマントの方へ」と同じかより詳しい説明しているという程度で >>306
>聖書「ヨハネ黙示録」には、4つの動物が現れるが、
>人間=マタイ、ライオン=マルコ、牛=ルカ、鷹=ヨハネ・・・と習った。
それは旧約のエゼキエル書に登場する智天使じゃないの?
そのおのおのには四つの顔があった
第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三はししの顔、第四はわしの顔であった
その時ケルビムはのぼった。これがケバル川でわたしが見た生きものである >>311
ケルビムとうのはケルブの複数形でヘブライ語の語形をそのまま映して
いるんだけど、おいらの知ってる日本語訳は単数も複数もケルビムで統一してると
思ってたら、こういう表記もあるんだね。 ケバブってトルコ人がぐるぐる回して焼いてる肉のことだろ >私がワーグナー作品がもつ現実的なものをすべて理解したのは、
その執拗にしてすぐ消えてゆくさまざまな主題を目の当たりにしたからで、
そうした主題はある一幕に出てくると、遠ざかってもまた戻ってきて、
ときには遠くでまどろみ、ほとんど超然としているが、
べつのときには茫漠としているものの、せき立てるようにごく間近に迫って、まるで生体内の五臓六腑のなかにまで響いてくるので、
動機の再来というよりも神経痛の再発かと思われるのだ
うーん、ここは凄く納得する
http://i.imgur.com/6XKnT1D.jpg
http://i.imgur.com/jtiLYVz.jpg 『失われた時を求めて5 第三篇「ゲルマントのほう I」』(プルースト/高遠弘美・訳)《12月刊行》 フミ SAGA (祈り)
プルーストはサント=ブーヴの文学観を批判したわけですが、サント=ブーヴの方法はどういう方法だったのかを今調べております。
そして、サント=ブーヴがプルーストの失われた時を求めてと対抗できるような文章量の
『月曜閑談』全15巻、『新月曜閑談』全13巻を書いていることをしりました。
2013年4月27日 Little Miss Sunshine (2006)
Frank: Do you know who Marcel Proust is?
Dwayne: He's the guy you teach.
Frank: Yeah. French writer. Total loser. Never had a real job. Unrequited love affairs.
Gay. Spent 20 years writing a book almost no one reads.
But he's also probably the greatest writer since Shakespeare.
Anyway, he uh... he gets down to the end of his life, and he looks back and decides that
all those years he suffered, Those were the best years of his life, 'cause they made him who he was.
All those years he was happy? You know, total waste.
Didn't learn a thing. So, if you sleep until you're 18... Ah, think of the suffering you're gonna miss.
I mean high school? High school-those are your prime suffering years.
You don't get better suffering than that.
Little Miss Sunshine (4/5) Movie CLIP - Remembrance of Things (2006) HD
https://www.youtube.com/watch?v=7VbYokM9dY4 「スワンの恋」の朗読 CD(10 枚)が届いた。
「コンブレー」の方を注文したつもりだったのに間違っちゃった。
いいけどさ。 無料なら行ってくるか、滅茶混み必至だけど、プルーストが愛したヴェネチア派だしね
>明日2/15(水)はシルバーデーです。
65歳以上の方は無料で「 #ティツィアーノ とヴェネツィア派展」をご鑑賞いただけます。
展示会場入口で年齢を証明できるものをご提示ください。初来日の《ダナエ》、傑作《フローラ》など、ヴェネツィア美術を堪能できるこの機会をお見逃しなく。
http://i.imgur.com/mXhDLNU.jpg
https://twitter.com/tobikan_jp/status/831407823615438848/photo/1
http://www.tobikan.jp/ プルーストも下手すぎて退屈。死ぬよな。退屈すぎて。患者が。
看護師やら医師とか。パリ ソルボンヌはいいだろうな。
カフェでさ。 モンマルトル ムーランルュージュ。
https://vimeo.com/76654374
文学旅行しよ。将来。 失われた時を求めて フランスコミック版 スワン家のほうへ
マルセル・プルースト (著), ステファヌ・ウエ (イラスト), 中条 省平 (翻訳)
出版社: 祥伝社 (2016/10/1)
投稿者 Amazon カスタマー 投稿日 2016/10/8
かつて白夜版が2巻で中止となって寂しい思いをしただけに、書店で見つけて速攻で購入しましたが、
内容は白夜書房版にスワンの恋を追加したもので少しがっかりでした。
2巻以降は期待できるのでしょうか?大体本国でどこまで出版されているのでしょう? リディア・デイヴィス(Lydia Davis、1947年7月15日 - )は、アメリカ合衆国の小説家、翻訳家。
本国ではフランス文学の翻訳家としても知られている。
これまでにフーコー、ブランショ、ミショー、サルトル、ミシェル・レリス、ミシェル・ビュトールなどの訳書を出しており、
2002年にはプルーストの『失われた時を求めて』の「スワン家の方へ」を80年ぶりに新訳して高い評価を得た。
この功績により、2003年にフランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを受けている。
その後はフロベールの『ボヴァリー夫人』の新訳などを出しており、スペイン語やスウェーデン語からの翻訳も手掛けている。 吉川訳で11巻目が出てるな。訳者あとがきを読むと、次巻の出版までおよそ1年の猶予が欲しいとのことで、以降は半年毎を目標に出版したいとの内容。
ということは、吉川訳の完結は2019年5月頃か。あくまで予定だから前後はするだろうが、訳者の身体に障りなく、大過なく完訳してほしい。 失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)2010/11/17
失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)2011/5/18
失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)2011/11/17
失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)2012/6/16
失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)2013/5/17
失われた時を求めて(6)――ゲルマントのほうII (岩波文庫)2013/11/16
失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)2014/6/18
失われた時を求めて(8)――ソドムとゴモラI (岩波文庫)2015/5/16
失われた時を求めて(9) ソドムとゴモラ II (岩波文庫)2015/11/18
失われた時を求めて(10) 囚われの女I (岩波文庫)2016/9/17
失われた時を求めて(11)――囚われの女II (岩波文庫)2017/5/17 当初の予定では、2017年5月で完結のはずだったのにな。 ミランクンデラがいいんじゃないの
。放送大学で見たけどタイトルからして趣味いい
。 結局、最初の1巻目の刊行からの読者は完読まで10年かかるのな。 オイラは前立腺ガンだから完読出来るか解らない\(^o^)/ ま、私の場合も毎日読んで84日間掛かったからな、時間がないと完読するのは無理だな
しかしフランスの労働者は夏休みが4週間もあるんだな
それに比べて我が日の本は、長時間働かせて殺すことしか考えてないのは実に嘆かわしい
http://i.imgur.com/zfsivih.jpg
http://i.imgur.com/S5YE8fz.jpg 自分は20代後半の無職の頃、一日中『失われた時を求めて』を読み続ける生活を
3ヶ月続け、ようやく完読した。長いだけならまだしも、とにかく複雑で、
一筋縄ではいかない文体を読み進めるのはある種の苦行に似ていたものである。
長時間労働の日本人が働きながらこれを完読するのはまず不可能だろう。大学生で読み、
定年退職後に再び読むというのがこの大作の正しい読み方ではないだろうか。 アレヴィのユダヤの女を観てみたいが、日本じゃ無理だなw >>337
11巻が出てたんだな、早速読んでみよう ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ この本って、最初から最後まで通読したほうがいいのでしょうか?
それとも、1,2ヶ月間をおいたほうがいいのでしょうか? >>349
そんな事さえ人に聞かなきゃならないような人にはたぶん通読不可能 >>350
では、休み休み1年くらいかけて読もうかと 井上訳と吉川訳を混ぜて一度全巻読んだ俺は、今2回目のスワン家のほうへを読んでいる
プルーストってどうってことはないことを、わざと解りにくく描写してる嫌な作者だとつくづく思ったw >>350
自分が通読できなかった腹いせですかwww
反面教師の典型 >>352
吉川訳は完結してないのに全巻読めるわけなかろう >>354
だから未訳のところは井上訳でと言ってる >>354
>>352の発言すら理解出来ない奴がプルーストw 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 本の記事 : カズオ・イシグロが語る「ホームズ・谷崎・プルースト」
>それで、序章と「コンブレー」(第1篇「スワン家の方へ」の第1部)を特に子細に読み、観察していきました。
この本は、まるで抽象画や、コラージュ作品のような本と言ってもいいかもしれません。
ある一つのイメージから、次のイメージへ。一つの記憶から次の記憶へと、自由に物語をつむいでいくよう。
それによって、ただプロットを追うよりも、はるかに自由で、大きなことができるようになるのです。
「記憶」は、語られる「対象」としてだけでなく、物語を語る「形式」にもなりうることを学びました。
一番好きな作家とは今も言えないのですが、間違いなく、多大な影響を受けた作家です。 つまるところ20世紀にプルーストで頂点を極めた小説という芸術形式は、
21世紀も17年を過ぎた現在において「文字のみ」という措定された形式自体の限界故、
その使命を全うして朽ち果てたと言うしかなかろう。 詩はずっとあるからね
フローベール式の小説が廃れてもイメージと音の芸術は朽ち果てないと思うよ
プルーストが極めダンテもキーツも極めたというふうに考える