>>308
>>307
ラン大聖堂とランス大聖堂は別物ですね
たまたまエミール・マーレの「13世紀のフランス美術」(英語版)ラスキンの「建築の七灯」プルーストの「大聖堂の死」が手元にあったので少し読んでみました

ラスキンはランスもランも両者が触れられていますがラン(ルアン)大聖堂のほうが好きのようです
ラスキンの訃報を聞き、プルーストはルアンに行き、ラスキンが建築の七灯でスケッチした小男の像を見に行きます
くだんの牛たちについては「牛酪塔」として何度か言及されています
牛酪塔(Tour de Beurre)と名づけられた所以は信徒が四句祭のあいだに牛酪を用いる許可を得るために献じた金を持って建てられた(訳注)から、とあります
建立はむしろ15世紀のようで、wikipediaの昔のスケッチには牛達の塔が存在しません
プルーストは「大聖堂の死」でも牛たちが「大聖堂を作る際に建材をもちあげるために働いたので建築家たちがそれに報いるため」教会の外に置いた、となっています
マーレやラスキンが牛たちの塔は同時代に作られた、と信じていたのではあると思いますが、他のゴシック的要素からの違和も表明しており、やはり批評眼はすごいですね
「ゴシックの本質」そのうち読み直そうと思いました

また、一応ルアンのノートルダム大聖堂で、「聖母の教会」でもあるので聖ルカの教会ではないのだと思いました
(キリスト以前の予言者シビルがいたりするようなので断言は出来ませんが)