マルセル・プルースト20 [無断転載禁止]©2ch.net
>>390
学者なら原文を確認するだろうが、翻訳は原文を読めない人に向けたもの
原文はこんなに文章が長いんだよと読者に翻訳で教えようとしたのが井上訳
井上はよい仕事をしたと思うね つーか井上以降の鈴木・高遠・吉川訳はみんな適度に区切ってるでしょ
そのうえで原文の調子を再現できる所はやったと異口同音に書いてる プルーストなんて、そんなに面白いか?読了してわかったけど、単なる評論に過ぎない。新潮社の角田光代がリライトした全一冊は、ストーリーのみで、まるでつまらなかった。 >>393
君はプルーストに選ばれなかったのだよ
諦めて星の王子さまでも読んでれば? >>394
選ばれたいとは思わない。村上春樹オタのように、現実に戻れない、あえて戻らない人もいる。
また、話は変わるが翻訳が信用できないのは、冒頭の単純な文章でも何種類かの翻訳があるということ。
あれは、単に「長い間、早くから寝た」で十分。文法なんて「代名動詞+複合過去」に過ぎない。
>諦めて
諦めるも何も読了してるし、原文も持っている。
>星の王子さま
原文は「小さな王子」なんだが(笑) プルースト『失われた時を求めて』の冒頭は、様々な訳で溢れ返っている。
文法構造を見れば、これが代名動詞+複合過去なので、「長い間、早めに寝た」で良いと思う。
それなのに、他者と同じでは嫌なのか、様々なバリエーションがある。
翻訳は色々でも、原文は1つだ。なのに某訳は味わいがあるとか、勝手なことを言って原文にあたろうとしない。
それではいつまで経っても本質に迫れないということではないだろうか?翻訳者は小説の作者ではない。
まるでブログの受け売りやないか >>396
そんなものは見たことがありません。わたしのオリジナルな考えです。
>>394
>君はプルーストに選ばれなかったのだよ
「なるほど、プルースト読んでる奴は、選民意識があるのだった」
by 究一郎 >>398
まだこのスレ見てたの?
星の王子さまでも読んでなよ >>399
De rien. À bientôt! プルーストはまだ売れてないし読むに堪えないほど退屈だから、
シェイクス メイクス マーダー の方がいいんじゃないの。 収容所のプルースト (境界の文学)
Joseph Czapski (原著), ジョゼフ チャプスキ (著), 岩津 航 (翻訳)
出版社: 共和国 (2018/1/27)
1939年のナチスとソ連による相次ぐポーランド侵攻。
このときソ連の強制収容所に連行されたポーランド人画家のジョゼフ・チャプスキ(1896 - 1993)は、
零下40度の極寒と厳しい監視のもと、プルースト『失われた時を求めて』の連続講義を開始する。
その2年後にチャプスキは解放されるが、同房のほとんどが行方不明となり、
「カティンの森」事件の犠牲になるという歴史的事実の過程にあって、
『失われた時を求めて』はどのように想起され、語られたのか?
現存するノートをもとに再現された魂の文学論にして、この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック。 プルーストは部分部分ではとても鋭利で本質を穿つような視点を感じたり、文学としても表現が素晴らしいなあと思うところはあるんだけど
感度が良すぎるというか、あまり重要性を感じない部分もそれなりに多く感じる
全てを受け入れて読むことがどうもできないし、過敏すぎて辛くなるときがある 夢の中で段差を降りた時にドキッとしちゃうみたいな感じだよね。後から考えてみるとなんてことはない段差なんだけど。 20世紀文学という点においてはプルースト読めたらムジールにも手を伸ばしてほしい。後者の方が文体がこごっていて難解だが、硬質な文学の極致を味わえる。
プルーストの「記憶による遡行」に対してムジールは「思考による可能性の探求」を書いてる。
多分プルーストより読むのに時間かかるけど。。 両方原語で読んでるよね、当然
フランス語からの逸脱、ドイツ語からの逸脱がすごい
よければ二人の気に入ったフレーズを紹介してくれ 緩やかな時の流れで交わされるレスバトルは、もはや電子の大海原から抜け出し、現実に迫る高齢化社会の確かな足音として仮想を超え、現実社会を顕在化していたのであった フランス語からの逸脱、ドイツ語からの逸脱ってどんな感じ? >>409
ムージルの表現主義的言語は通常のドイツ語ではない
印象主義的(Impressive)の逆の表現主義(expressive)
プルーストにおいてはベルクソンを読みながらムジールにおいてはマッハを読みながら、であるかのような表現が頻出する
どちらも意味をそのまま素直に伝える語順を時に無視している
その無視の仕方が、例えばムジールにおける可能性世界、なんでも出来るけれどもアイデンティティを固着される描写をぐるりと回避した形でしか描写されない
プルーストで言えば唐突な記憶の割り込みを思わせる、文末に至るまでイメージが浮かび上がらないように工夫され、奇妙な時制を使うフランス語を駆使する
古井由吉がムジールのドイツ語の難解さとその翻訳の苦労に触れているけれど、自分で訳しながら読んでいくとよくわかる
何を描写しないかに細心の注意を払っている二人の作家
いびつなドイツ語・フランス語
これがまたクセになる 古井由吉のムージルへ執着をもっとも味わう小説は行隠という彼にとってのはじめての長編小説
小説が進むに連れて、失われた姉が失われていないかのように現れ続ける
これこそムージルの残滓を吸い込んで生みだした異常な「可能性世界」
角を横切る度に魔物が生じる「体験」がある
これは経験と体験を厳格に峻別したムジールの影響を抜きにしては考えられない
たったひとつの角を曲がる、そこに経験でなく体験が、世界を変える発見が存在する
それが個人的な私的な感覚的な「知覚」という虚妄とされる経験に過ぎなくても体験となりうる
それをムジールは書き続け、プルーストも経験でない体験を、特権視されたなにものでもない無意味でありながら記憶を喚起し、それが表現主義的なフォルムを獲得するに至る経緯を書き続けたのだった
そのような体験は、未完の近親相姦としてムジールに書かれたにもかかわらず、可能態として完成されられなかった
近親相姦ですらなく、同一物の愛の一致を書くために、双子でもなく、ただの交渉のない兄妹を選んだ選択に古井吉吉は賛同できないだろう
それでもあの兄妹関係に憧れ続ける古井由吉は良い作家だ、成功しているかは別として しかし古井由吉の悪戦苦闘、らしき恬淡は挑発でもある
全集をゆっくりと、langsamに読み続けていくしかない
langweilを自身の標語とした
lang長くweil時間の掛かる/langweil退屈な/読書を強いる古井由吉を単純な切り口によって切断し要約する愚行は戒められなくてはならない
langweiligに読めば読むほど得るものが大きいという確信は揺らがない
愉しみたければゆっくりと向き合うこと
プルーストやムジール、現代の数人の素晴らしい作家、と同じ態度で接さざるを得ない作家
t しかし・・・行隠れは本当に長編小説なのか、という疑問がつきまとう
角を曲がり(行って)、そこにある幻影(姉)が「隠れ」続ける
それは暗い他者(杳子)に遭遇する彼の短編小説の延長ではないのか
古井由吉は、経験によって変化していく長編小説を一編でも書いたことがあるのか
ただ、どうしても幻想の杳子に出会い続ける行き隠れという小説が独自のものだという印象は強い
姉が失踪し、弟が姉を探し、次の角には姉がいるのではないかと希望を持つ
それだけの筋を、「表現主義」、あたかも姉が待ち受けていて、姉にあったかのように読者に思わせるだけの技巧を凝らす
Expressionism、横光利一の文章と、(渋々ながら川端とも)比較しなくてはならない文章
このような歪な日本語、を強く思わせるドイツ語とフランス語がムジールとプルーストにはあると思うのだが 又吉という作家の書いた「火花」は経験を徹底的に否定し、「体験」を書いている
経験侮蔑主義者の主人公は、にもかかわらず経験によって成功していく
生きていること自体が経験に支えられながら、体験に憧れ、体験の失敗を見つめ続ける
暗い他者を、敬しながら、杳子と添い遂げることのない主人公は実に古井吉吉の世界に似ている
そうはいっても、なんだか近年において違う「古井由吉」が書かれているようでもあって、しかしlangsamに/ゆっくり時代遅れに古井を追う読者としてはついていけていない
「プルーストの幸せ、それは誰しも読むたびに、決して同じ箇所は飛ばさないということだ」この鈴木道彦に習い、読み続けるだろう なんか一つも意味がわからない
すごい優秀そうだけど
わかるように書かないとダメだ ああ、単に俺ってすごいだろって見せたいだけだったら
それもあるよな
否定はしない いや、面白かったよ。
終末の深夜に興味深い考察をありがとう。 暇な時に読んで、その内時間があれば感想書きますね・・・ >七月には第六巻が出ます。校正は凡て終はりました。
高遠6巻キター 失われた時を求めてってタイトルがいい
いつかフランス語で読んでみたい(夢ね、笑) 長文失礼します。
学生です。フランスに留学経験あります。
(失われた〜はコンブレーの巻だけ、仏語で読みました。)
プルーストの翻訳についてみなさんに質問したいのですが‥
いままで井上訳、鈴木道彦訳、高遠訳を手にとりました。鈴木訳と高遠訳はリーダブルなのですが味が薄いというか、プルーストの原文のもつフランス語の幻妖な雰囲気が希薄というか、ちょっと納得できません。
その点、井上訳は読みにくいですが、その幻妖な雰囲気をみごとに醸しだせているように感じられました。(結果、井上訳で全巻読破しました。)
ネットで調べみたところ、井上訳は、あまり評判が芳しくないようで‥。
みなさんは井上訳をどう思ってらっしゃいますか?ご意見お聞かせください。 俺は読んでないからなぁ。
井上訳の評判と言えば、誤訳の指摘が文学板で割とあったような。
文学に限らず、世界的に音楽、絵画など表現全般が平板化してるわな。
音楽など最も典型的で、音楽の作りがマイルド化してる。
少なくとも現代の日本人は端正で癖のない当たり障りの少ないものを好む傾向があるようだ。 井上訳、いいと思うけどな〜ある意味実験的で。
まあたしかに読みやすくはないわなw 井上訳は何回も訳し直してるからな
最後のちくま文庫版は読みにくい
弟子の吉川一義ですら「幾分読みにくくなったのは否めない」と言ってるし
そういえば『収容所のプルースト』読んだらポーランド語訳はプルーストの文を改行やセンテンスの切り離しで徹底的にアレンジして読みやすいらしい
ただ著者は「原文のエッセンスを台無しにした」と苦言を呈してたけど
それに比べたら日本語訳はまだ忠実な方か 読みにくい=だめな訳って思いこんでる人いない?
なんでもかんでも、つるっと喉越しさわやかが至高だと思いこんでませんか?
とくに光文社古典新訳文庫はみんなおんなじような仕上がりの翻訳だからキライ!
おいおいラノベかよって感じ。 ラノベw
まあ光文社古典新訳文庫はゆとり世代向けだからな
とくにカントの純粋理性批判の訳はひどかった
総じてカントは日本語じゃなくて英訳で読んだほうが解りやすい >>434
岩波のは読みやすいと思う
ただちょっとのっぺりしてるかも
平板な印象
プルーストは、「スワンの恋」だけ原語で読んだ
プルーストの文章って読みやすくはないと思う
ときどき、比喩や言い回しがピタリとハマってすっごく詩的&文学的な瞬間が立ち顕れるけど、それ以外のときは悪くいえば冗長
まあその長ったらしいところがいい!と波長の合う人ははまるかも
よくプルーストの文章はフランス人にとって読みやすいとズレたことを言う人がいるけど
それはクロード・シモンとか読んでる文学好きのブルジョワを対象とした場合であって
ふだん文学に親しんでないひとにはキツイ・読みづらい文章 シモンといえばフランドルへの道における平岡篤頼先生の邦訳は素晴らしかったな
あの辛辣な柳瀬尚紀も絶賛していたほどだ
改行が滅多にないしやたらと息が長いし決して読みやすくはないんだけど、あれがシモンの文体だからな
もしそれを読みやすくするためにセンテンスをぶつ切りにでもしたら台無しってもんだ シモンなんか今読んでたのしいの?
あんなの面白がるなんてスノビズム以外のなにものでもないよ 自分が読んで分からなかったものをスノビズムと攻撃する
あるある >>437
面白いかどうかはかなり主観的な問題だからあんたも読んで楽しめるって保証はできないが俺は楽しめたね
まあはなからスノビズムなんて決めてかかるような手合いだとしたらどれだけ言葉を重ねてもその魅力は伝わらんだろう
というかシモンをそう軽々と否定するような奴がプルーストスレにいたのが驚きだ シモンは文学板でやたらもちあげる奴いるからな、最近はいないけど
ま、俺は好きだけど言い過ぎやろと思ってた
まあでも好きだ、時間の無駄ではないしそんな作家は大切にしたい >>441
あなた、原語でシモン読んでもおんなじこと言えるの?
あれ、相当きついフランス語だよ
翻訳ならともかく原語だとお手上げ、つきあってられない
パリ留学してるとき、カフェで知り合ったパリジャンとシモンの話ししたら
言下に「クロード・シモンなんか読んでるのか?おまえスノッブだな〜」といわれた
すくなくとも一般大衆が読むようなものじゃないと思うが >>440さんへの返信でした
すいません
間違えてました。 >>442
きついから楽しめないって人間ばかりじゃないのよな
すらすらと読みやすいくて分かりやすくて共感しやすいもの以外を楽しむ奴はスノッブかね
んなこと言ったらプルーストだって相当だろう
百年前のフランスにおけるブルジョワの一人称なんだから、それこそ今の日本人大衆が読むもんじゃないわな 他人の趣味をスノビズムだなんだお茶々入れなきゃ気が済まない人間が一番のスノッブ ほんそれ
ブルジョワとか以前に人の趣味やがな
失われたときを求めてにも書いてある クロード・シモン読んでるひとって植松聖の思想と行動を肯定してるってほんとう?
最低だな あ〜
やっと読了しましたよん
井上訳、なかなかよかったですよ 俺も井上訳で完読した
最初の筑摩大系の訳
今も本棚には青い表紙の大系5巻本が鎮座している
吉川訳も全て訳し終わったら読むつもりだ 井上訳、いいですよー
読みづらいとは言っても、もとのプルーストの文章自体がリーダブルってわけじゃないし
いきつもどりつしながらじっくり翫賞すべき文章かと思います
読みやすいに越したことはないけど
文学に効率ばかりをもとめるのは疑問 >>442
シモンはフランスでも本がさっぱり売れなかったから大衆向けではない
一部の文学好きが読む作家だ
見栄をはるためでも気取るためでもなく、好きだから読む
ただ、それだけ マルセル、デュシャンのほうが立体的なテーマで、身体にうったえるものがあるから、
プルーストの読書だけじゃ補完できないかも。 みなさん、ヴァントゥイユのヴァイオリンソナタのもとになった、サン=サーンスとフランクのソナタって聴いたことありますか?
じぶん、クラシックに疎くて。やっぱ聴いといたほうがいいのかな? >>455
二曲ともクラシックのなかでも名曲だから
聴いといて損はないよ フォーレのヴァイオリンソナタはドビュッシーと並んで名曲として名高いけど
サン=サーンスのヴァイオリンソナタは今日ではほとんど演奏されないんじゃ? ごめん
フランクのヴァイオリンはフォーレやドビュッシーと並んで〜の間違い クラシックだからってかまえることはない
近代現代曲はともかく基本的にポップス聴くように聴いてもそれなりに掴めるようにできてる…話は逆なんだけど
興味あれば、機会があれば触れてみればいいんじゃない >>457
サン=サーンスのソナタですが、第1番はまあまあ演奏されますよ。第2番はほとんど演奏されません。
ヴァントゥイユのもとネタになっているのは、第1番のほう。 プルースト好きなひとって、ヘンリー・ジェイムズも読む? クラシックというと RB HIPHOP のような現代
的なもののほうが記憶に新しいよな。昔の原盤なんて手に入れられないし、
故郷NYはそういう町だろうさ。 フランクのソナタと言うとオイストラフ&リヒテル、フォーレはグリュミオーと歴史的名盤がすぐに上がるが
サン・サーンスのソナタと言うとはて?誰のだろうとなる
フランクのソナタはとりあえずとっつきやすい第4楽章を聴いてみるのがいいと思う
この楽章は本当にわかりやすいから
気に入ったなら、第1楽章から聴いてみるといいよ
リンク先はBSで繰り返し放送されたロシアの名手、マクシム・ヴェンゲーロフの演奏 第4楽章からスタート
Franck Violin Sonata mov.3+4
https://youtu.be/uM2nnZAS-H4?t=464 楽器はいいものだが音楽家作曲家は下手で遅くて飽きるね。 学術はdtmとか使って?エレクトロニック音楽でも作ってそうだなw エレクトリカルパレードしようとか?ごらんぱれーどがいくよしってる?
つじあやのさん。 つじあやの「風になる」のbest wind videoを見たが、しゃべりの音声が非常にクリア
なのに感心した。
ゲンロン批評再生塾のヴィデオの音声が聴き取りにくいのは工夫が必要だなw
いい加減佐々木敦の言語不明瞭が障害なのに、音響が悪くちゃ話にならないよw カタカナと一緒にアルファベット併記しろよw
検索してyoutubeで聴くんだからw >>469
reynaldo+all musicで検索すれば良い。 >>470
プルースト読んでればわかるよね?
アーンは、hから始まるから。
ちなみに、フランス人は日立をいたち、
ホンダをおんだと発音する。知り合いのフランス人が
教えてくれた。 世界文学全集のっているから読むのだろうか。駄作なら駄作、退屈なね、と本音が言えないと。
本屋のはじに隠れた名作を
試しに読んでみる方が楽しいだろう。
読者が取り入れられた選集として、大事にするのはいいだろうけど。 文学ははパストタイムかもしれないが、暇つぶしより暇になる有意義な時間が持てる
という意味で失われた時を求めては名作なんだよな。リアライズしていく時間を失ったあわれな人間が、時をもとめて、ロマンを描くことなどできるわけがないんだよ。
原理的にはね。 読み返す機会はないだろうから
良い箇所には線引いたり付箋を貼ったりしとくんだぞ
間に合えー! あまりに長すぎるんで、最初のコンブレーの次に「スワン家のほうへ」を読んだ後、粗筋で確認していきなり「見出された時」というのはアリですか? 挫折すると決めた人は「消え去ったアルベルチーヌ」「見出だされた時」にいきなりいっていいかな
前後の繋がり強い箇所もあるんだけどいいでしょどうせ挫折したんだから
俺的に「消え去ったアルベルチーヌ」もハイライトだからそこからな >>480
いいよ
スーパーマリオの土管ワープみたいなもんだ 見い出された時のデコボコ踏んで思い出すところと、最後の1ページだけ読めばいいだろう
消え去ったアルベルチーヌも見出された時も挫折要素満載だから ワーグナーのニーベルングの指環全曲にフルトヴェングラー盤、ショルティ盤、カラヤン盤、ベーム盤があるように、
失われた時を求めてには井上訳、鈴木訳、高遠訳、吉川訳がある 源氏物語には与謝野、谷崎、圓地、田辺、瀬戸内、林、角谷、漫画版…
なんぼあるんか分からん、エネルギーの無駄だ リング全曲盤も4万円以上する高嶺の花だったが、2000円、3000円台で手に入るようになって
上の4つの他、ブーレーズ、レヴァイン、サヴァリッシュ、バレンボイム、ハイティンク、ヤノフスキ、ノイホルト、クナッパーツブッシュ
やたらと集めた 長いから途中を飛ばすなんて読み方は邪道で、それなら全く読まない方が良い
むしろ20歳から読み始めて80歳で完読するほうがずっと良い >>486
自分の人生を一つの文学作品に併走させるかのようにそこまで託す奴はアホでしかない
良いも悪いもない、ただのアホ
誰も真に受ける奴いないだろうからいいけど 岩波文庫は、ついに後一冊まで来た。
光文社は私事だの言い訳して読者に迷惑をかけているが、過去にも想定外に刊行が遅れてしまったなどと他人事のように言っていた。
これがBtoBの取引なら契約解除の事案ではないだろうか。 「プルーストの全訳という大航海」は難破しかかっています。
プルースト自身の『見出だされた時』が刊行されるまでに、14年かかったと言われています。光文社の訳者は第1巻で、そこまでお待たせするつもりはないと書いていましたが、どうやら完訳まで20年は掛かりそうです。