マルセル・プルースト20 [無断転載禁止]©2ch.net
いや、面白かったよ。
終末の深夜に興味深い考察をありがとう。 暇な時に読んで、その内時間があれば感想書きますね・・・ >七月には第六巻が出ます。校正は凡て終はりました。
高遠6巻キター 失われた時を求めてってタイトルがいい
いつかフランス語で読んでみたい(夢ね、笑) 長文失礼します。
学生です。フランスに留学経験あります。
(失われた〜はコンブレーの巻だけ、仏語で読みました。)
プルーストの翻訳についてみなさんに質問したいのですが‥
いままで井上訳、鈴木道彦訳、高遠訳を手にとりました。鈴木訳と高遠訳はリーダブルなのですが味が薄いというか、プルーストの原文のもつフランス語の幻妖な雰囲気が希薄というか、ちょっと納得できません。
その点、井上訳は読みにくいですが、その幻妖な雰囲気をみごとに醸しだせているように感じられました。(結果、井上訳で全巻読破しました。)
ネットで調べみたところ、井上訳は、あまり評判が芳しくないようで‥。
みなさんは井上訳をどう思ってらっしゃいますか?ご意見お聞かせください。 俺は読んでないからなぁ。
井上訳の評判と言えば、誤訳の指摘が文学板で割とあったような。
文学に限らず、世界的に音楽、絵画など表現全般が平板化してるわな。
音楽など最も典型的で、音楽の作りがマイルド化してる。
少なくとも現代の日本人は端正で癖のない当たり障りの少ないものを好む傾向があるようだ。 井上訳、いいと思うけどな〜ある意味実験的で。
まあたしかに読みやすくはないわなw 井上訳は何回も訳し直してるからな
最後のちくま文庫版は読みにくい
弟子の吉川一義ですら「幾分読みにくくなったのは否めない」と言ってるし
そういえば『収容所のプルースト』読んだらポーランド語訳はプルーストの文を改行やセンテンスの切り離しで徹底的にアレンジして読みやすいらしい
ただ著者は「原文のエッセンスを台無しにした」と苦言を呈してたけど
それに比べたら日本語訳はまだ忠実な方か 読みにくい=だめな訳って思いこんでる人いない?
なんでもかんでも、つるっと喉越しさわやかが至高だと思いこんでませんか?
とくに光文社古典新訳文庫はみんなおんなじような仕上がりの翻訳だからキライ!
おいおいラノベかよって感じ。 ラノベw
まあ光文社古典新訳文庫はゆとり世代向けだからな
とくにカントの純粋理性批判の訳はひどかった
総じてカントは日本語じゃなくて英訳で読んだほうが解りやすい >>434
岩波のは読みやすいと思う
ただちょっとのっぺりしてるかも
平板な印象
プルーストは、「スワンの恋」だけ原語で読んだ
プルーストの文章って読みやすくはないと思う
ときどき、比喩や言い回しがピタリとハマってすっごく詩的&文学的な瞬間が立ち顕れるけど、それ以外のときは悪くいえば冗長
まあその長ったらしいところがいい!と波長の合う人ははまるかも
よくプルーストの文章はフランス人にとって読みやすいとズレたことを言う人がいるけど
それはクロード・シモンとか読んでる文学好きのブルジョワを対象とした場合であって
ふだん文学に親しんでないひとにはキツイ・読みづらい文章 シモンといえばフランドルへの道における平岡篤頼先生の邦訳は素晴らしかったな
あの辛辣な柳瀬尚紀も絶賛していたほどだ
改行が滅多にないしやたらと息が長いし決して読みやすくはないんだけど、あれがシモンの文体だからな
もしそれを読みやすくするためにセンテンスをぶつ切りにでもしたら台無しってもんだ シモンなんか今読んでたのしいの?
あんなの面白がるなんてスノビズム以外のなにものでもないよ 自分が読んで分からなかったものをスノビズムと攻撃する
あるある >>437
面白いかどうかはかなり主観的な問題だからあんたも読んで楽しめるって保証はできないが俺は楽しめたね
まあはなからスノビズムなんて決めてかかるような手合いだとしたらどれだけ言葉を重ねてもその魅力は伝わらんだろう
というかシモンをそう軽々と否定するような奴がプルーストスレにいたのが驚きだ シモンは文学板でやたらもちあげる奴いるからな、最近はいないけど
ま、俺は好きだけど言い過ぎやろと思ってた
まあでも好きだ、時間の無駄ではないしそんな作家は大切にしたい >>441
あなた、原語でシモン読んでもおんなじこと言えるの?
あれ、相当きついフランス語だよ
翻訳ならともかく原語だとお手上げ、つきあってられない
パリ留学してるとき、カフェで知り合ったパリジャンとシモンの話ししたら
言下に「クロード・シモンなんか読んでるのか?おまえスノッブだな〜」といわれた
すくなくとも一般大衆が読むようなものじゃないと思うが >>440さんへの返信でした
すいません
間違えてました。 >>442
きついから楽しめないって人間ばかりじゃないのよな
すらすらと読みやすいくて分かりやすくて共感しやすいもの以外を楽しむ奴はスノッブかね
んなこと言ったらプルーストだって相当だろう
百年前のフランスにおけるブルジョワの一人称なんだから、それこそ今の日本人大衆が読むもんじゃないわな 他人の趣味をスノビズムだなんだお茶々入れなきゃ気が済まない人間が一番のスノッブ ほんそれ
ブルジョワとか以前に人の趣味やがな
失われたときを求めてにも書いてある クロード・シモン読んでるひとって植松聖の思想と行動を肯定してるってほんとう?
最低だな あ〜
やっと読了しましたよん
井上訳、なかなかよかったですよ 俺も井上訳で完読した
最初の筑摩大系の訳
今も本棚には青い表紙の大系5巻本が鎮座している
吉川訳も全て訳し終わったら読むつもりだ 井上訳、いいですよー
読みづらいとは言っても、もとのプルーストの文章自体がリーダブルってわけじゃないし
いきつもどりつしながらじっくり翫賞すべき文章かと思います
読みやすいに越したことはないけど
文学に効率ばかりをもとめるのは疑問 >>442
シモンはフランスでも本がさっぱり売れなかったから大衆向けではない
一部の文学好きが読む作家だ
見栄をはるためでも気取るためでもなく、好きだから読む
ただ、それだけ マルセル、デュシャンのほうが立体的なテーマで、身体にうったえるものがあるから、
プルーストの読書だけじゃ補完できないかも。 みなさん、ヴァントゥイユのヴァイオリンソナタのもとになった、サン=サーンスとフランクのソナタって聴いたことありますか?
じぶん、クラシックに疎くて。やっぱ聴いといたほうがいいのかな? >>455
二曲ともクラシックのなかでも名曲だから
聴いといて損はないよ フォーレのヴァイオリンソナタはドビュッシーと並んで名曲として名高いけど
サン=サーンスのヴァイオリンソナタは今日ではほとんど演奏されないんじゃ? ごめん
フランクのヴァイオリンはフォーレやドビュッシーと並んで〜の間違い クラシックだからってかまえることはない
近代現代曲はともかく基本的にポップス聴くように聴いてもそれなりに掴めるようにできてる…話は逆なんだけど
興味あれば、機会があれば触れてみればいいんじゃない >>457
サン=サーンスのソナタですが、第1番はまあまあ演奏されますよ。第2番はほとんど演奏されません。
ヴァントゥイユのもとネタになっているのは、第1番のほう。 プルースト好きなひとって、ヘンリー・ジェイムズも読む? クラシックというと RB HIPHOP のような現代
的なもののほうが記憶に新しいよな。昔の原盤なんて手に入れられないし、
故郷NYはそういう町だろうさ。 フランクのソナタと言うとオイストラフ&リヒテル、フォーレはグリュミオーと歴史的名盤がすぐに上がるが
サン・サーンスのソナタと言うとはて?誰のだろうとなる
フランクのソナタはとりあえずとっつきやすい第4楽章を聴いてみるのがいいと思う
この楽章は本当にわかりやすいから
気に入ったなら、第1楽章から聴いてみるといいよ
リンク先はBSで繰り返し放送されたロシアの名手、マクシム・ヴェンゲーロフの演奏 第4楽章からスタート
Franck Violin Sonata mov.3+4
https://youtu.be/uM2nnZAS-H4?t=464 楽器はいいものだが音楽家作曲家は下手で遅くて飽きるね。 学術はdtmとか使って?エレクトロニック音楽でも作ってそうだなw エレクトリカルパレードしようとか?ごらんぱれーどがいくよしってる?
つじあやのさん。 つじあやの「風になる」のbest wind videoを見たが、しゃべりの音声が非常にクリア
なのに感心した。
ゲンロン批評再生塾のヴィデオの音声が聴き取りにくいのは工夫が必要だなw
いい加減佐々木敦の言語不明瞭が障害なのに、音響が悪くちゃ話にならないよw カタカナと一緒にアルファベット併記しろよw
検索してyoutubeで聴くんだからw >>469
reynaldo+all musicで検索すれば良い。 >>470
プルースト読んでればわかるよね?
アーンは、hから始まるから。
ちなみに、フランス人は日立をいたち、
ホンダをおんだと発音する。知り合いのフランス人が
教えてくれた。 世界文学全集のっているから読むのだろうか。駄作なら駄作、退屈なね、と本音が言えないと。
本屋のはじに隠れた名作を
試しに読んでみる方が楽しいだろう。
読者が取り入れられた選集として、大事にするのはいいだろうけど。 文学ははパストタイムかもしれないが、暇つぶしより暇になる有意義な時間が持てる
という意味で失われた時を求めては名作なんだよな。リアライズしていく時間を失ったあわれな人間が、時をもとめて、ロマンを描くことなどできるわけがないんだよ。
原理的にはね。 読み返す機会はないだろうから
良い箇所には線引いたり付箋を貼ったりしとくんだぞ
間に合えー! あまりに長すぎるんで、最初のコンブレーの次に「スワン家のほうへ」を読んだ後、粗筋で確認していきなり「見出された時」というのはアリですか? 挫折すると決めた人は「消え去ったアルベルチーヌ」「見出だされた時」にいきなりいっていいかな
前後の繋がり強い箇所もあるんだけどいいでしょどうせ挫折したんだから
俺的に「消え去ったアルベルチーヌ」もハイライトだからそこからな >>480
いいよ
スーパーマリオの土管ワープみたいなもんだ 見い出された時のデコボコ踏んで思い出すところと、最後の1ページだけ読めばいいだろう
消え去ったアルベルチーヌも見出された時も挫折要素満載だから ワーグナーのニーベルングの指環全曲にフルトヴェングラー盤、ショルティ盤、カラヤン盤、ベーム盤があるように、
失われた時を求めてには井上訳、鈴木訳、高遠訳、吉川訳がある 源氏物語には与謝野、谷崎、圓地、田辺、瀬戸内、林、角谷、漫画版…
なんぼあるんか分からん、エネルギーの無駄だ リング全曲盤も4万円以上する高嶺の花だったが、2000円、3000円台で手に入るようになって
上の4つの他、ブーレーズ、レヴァイン、サヴァリッシュ、バレンボイム、ハイティンク、ヤノフスキ、ノイホルト、クナッパーツブッシュ
やたらと集めた 長いから途中を飛ばすなんて読み方は邪道で、それなら全く読まない方が良い
むしろ20歳から読み始めて80歳で完読するほうがずっと良い >>486
自分の人生を一つの文学作品に併走させるかのようにそこまで託す奴はアホでしかない
良いも悪いもない、ただのアホ
誰も真に受ける奴いないだろうからいいけど 岩波文庫は、ついに後一冊まで来た。
光文社は私事だの言い訳して読者に迷惑をかけているが、過去にも想定外に刊行が遅れてしまったなどと他人事のように言っていた。
これがBtoBの取引なら契約解除の事案ではないだろうか。 「プルーストの全訳という大航海」は難破しかかっています。
プルースト自身の『見出だされた時』が刊行されるまでに、14年かかったと言われています。光文社の訳者は第1巻で、そこまでお待たせするつもりはないと書いていましたが、どうやら完訳まで20年は掛かりそうです。 だーかーらー、吉川さんは刊行開始のときにもう半分翻訳終わってたんだって
ホントケチつけるしか能がないのかよ Penguin modern classics は
全7巻で訳者がそれぞれ違うけど
そういうの出版社は考えないのかな
まあ不評だろうけど 光文社の訳者の方はあとがきでえらい吠えてたし
自分とプルーストの関係は特別、運命みたいなことも別のところで言っていた思いで シャルリュス男爵の登場シーンだけ読んでもいいんだよ 最後のオデットが作家になった私に披露する愛人たちとのあれこれが好きなんだが
(帽子ダサいですねからの雨が降ってってところせいぜい1ページぐらいの箇所)
ああいう場面がたくさん読める本て誰なんだろう
ありそうでない
キュートでちょっと不条理入っててかつすっと納得して入り込めるような 場面索引って再読用だよな
あと鈴木訳についてた人物索引も再読用 岩波で読み始めてそろそろ追いつきそうなのだが半年待つのはつらい、
と思い集英社の最終巻を買ったのだが、ちゃんとつながってますか教えて偉い人
一章あいてたりしたら嫌だが 井上究一郎が、東大生に評判悪い人だったのを立花隆の本で知った。 仏文豪のマルセル・プルーストが20代で書いたが失われていた短篇9作がB.ドファロワ氏によって発見された。
肉体の愛や同性愛といった大胆な内容のこの作品群はクローゼット作家だった彼には懸念の材料で、じつは『楽しみと日々』からも削除されていた。
10月に出版されるそう。
ttps://www.theguardian.com/books/2019/aug/08/lost-proust-stories-homosexual-love-masterpiece-le-mysterieux-correspondant?CMP=share_btn_tw ジョイスが好きで作中に何回も登場するのがシェイクスピアなら、プルーストはラシーヌなんだね いつ決まったのか吉川訳完結14巻の発売予定日が
2019年11月16日となってますね
楽しみ〜 第1巻の刊行が2010年11月17日だからちょうど9年かかったことになる 作者ガチホモのくせに、冒頭数ページで「女の接吻にほてり」とか表現出てきて萎える
はいはい、こういうのが良いんでしょ?的な感覚で書いてるんだろうなあ 『失われた時を求めて』吉川一義訳・岩波文庫全14巻購入完了
今年末までに申し込むと、14巻を収める美装ケースをもらえるらしい あんまりスレがだらだら続いてるので同じ内容のレスが何回も出て来るねw 今日忌日
とりあえず吉川先生翻訳完結おめでとうございます
高遠先生ゆっくりで構いませんので頑張ってください 吉川訳第1巻が刊行された頃と比べると、過疎化が激しいね >>518
本屋になく、仕方なくAmazonで買った >>520
吉川が全巻揃ったら1ヶ月で読み切ってくれと言っていた 15年前に井上究一郎版を読むのに2ヶ月かかったからなあ
年末年始の休みを利用すれば1ヶ月で読めるかも 『「失われた時を求めて」の完読を求めて』は、「コンブレー」と「スワンの恋」までなんだよな。 "「月刊ALL REVIEWS」ノンフィクション部門第11回|ゲスト:高遠弘美さん" https://youtu.be/VbWiJOTfnRs プルーストはかなりの音楽好きだが、イタリアオペラを完全に無視してるな プルースト全集15巻にイタリア・オペラへの言及があるよ。 というか、アルベルチーヌがイタリア・オペラの信奉者だな。
ゲルマント公爵夫人(オリアーヌ)もそうだ。
楽しみと日々の中の詩にもイタリア・オペラへの言及がある。
愛の、友情の神殿、勇気の神殿よ
とある侯爵夫人がイギリス庭園のなかに築かせた神殿、
そこではヴァトー風のたくさんのキューピッドが弓を引き絞り
誉れ高き心臓を激昂の標的にしている。
しかしこのドイツの芸術家は―侯爵夫人はクニドスを夢見ていたに違いない!―
より厳かに、より深遠に、うわべだけの気取りなしに
お前が今フリーズの上に見る恋人たちや神々たちを彫り刻んだ。
ヘラクレスはアルミードの庭に火刑台を築く!
踵は舞いつつももはや庭園の小径を踏み鳴らすことはなく
輝きを失った生気のない眼差しと微笑みの灰が
我々のゆるやかな足音を消し去り地平線を青く染める。
クラヴサンの声も黙されひび割れてしまった。
しかしアドメトス、イフィゲネイア、あなた方の声にならない叫びは、
身ぶりによって表され、私たちを今なおも恐れさせる
そして、オルフェウスによって鎮められアルケスティスによって挑まれた、
冥界のステュクス河、―帆柱も空も見えない―そこにお前の天才は錨を降ろした。
グルックもまたアルケスティスのように〈愛〉によって
時代の予測のつかぬ変化の中で避けられない死に打ち勝った。
神殿は建っている、勇気の厳かな神殿、
〈愛〉を祀った小さな神殿の廃墟の上に 上の、「クニドスを夢見ていた侯爵夫人」がイタリア・オペラをありがたがる人々。
アルベルチーヌはカヴァレリア・ルスティカーナを絶賛して、それに対して語り手は絵画の趣味はいい癖に音楽の趣味はなってない、と考える。
エルスチールの薫陶で絵画の趣味が良くなったんだから文学論を聞かせてやれば文学の趣味も良くなるし、音楽の趣味も矯正しようとするのがヴァントゥイユの音楽。
ゲルマント公爵夫人はイフィゲニアをフランス風オペラよりもイタリア風が良いと言ってしまうように趣味が悪いと社交界への幻滅の一エピソードになっている。
イタリア・オペラへの態度は一貫しているね。 音楽の趣味がよく比べられるジョイスとは正反対だな
ジョイスは声楽が好きな一方、ワーグナーやドイツ式の交響曲には無頓着だった マルセルの音楽論を追っていくと本当に面白いのだよね。
家族―社交 芸術―世俗 コスモポリタン―国粋。
オルフェウスによって鎮められアルケスティスによって挑まれた。
オルフェウスはケルベロスの獰猛をやわらげ、泉の乙女たちの嫉妬と激情に対立する愛。
イタリアオペラがフランスに入ってきて、フランスオペラが枝分かれするのが18世紀でマルセルは改革オペラを支持する。
ジェイムズジョイスにおいて、ヴィーコの芸術論が重要であるように、プルーストはグルック・ピッチンニ論争でフランス的オペラを選択する。
イタリア(ルネサンスーイギリス)と対立するフランシスムは大聖堂の死を読むとよい
イギリス好きのオデットに始まる女たちの音楽趣味に対立し、ドイツへの敵意がある時代にあってなお、ドイツ文化を肯定するマルセルたちの音楽趣味は、むしろコスモポリタンであることを忘れてはいけない。
より厳かに、より深遠に、うわべだけの気取りなしに
お前が今フリーズの上に見る恋人たちや神々たちを彫り刻んだ。
プルーストがソルボンヌで受けた新カント派の芸術論、シェリングの読み直しが明確に表れる。
岩波文庫の最終巻は半分以上人物索引で構成されているけれど、便利すぎる。
いろんな読み直しの手段にできるのは素晴らしい。
声にならない叫びは、
身ぶりによって表され、私たちを今なおも恐れさせる
恐れさせる音楽への感受性はヴァントゥイユを聞くと頭が痛くなるというヴィルパリジ夫人。
一楽節でも感覚に訴えかける芸術にマルセルはとどまらないで、愛によって統合された芸術を指向する。
ショーペンハウアーの芸術論(すべての芸術は音楽に嫉妬する)を乗り越えようとしたものだ。
それはユリシーズでヴィーコに則りすぎたとジョイスが反省する同時代にある。
フランスとイギリスの環境の違い、音楽論芸術論の受容の違いを思わせる。 イタリアオペラ好きの社交人をプルーストはたくさん書き込んでいる。
それに対し、マルセルの尊敬する音楽趣味の男たちはイタリアオペラを毛嫌いする。
ソドムの世界とゴモラの世界がこの趣味で切り分けられている。
この二つの世界をつなぐ「裏切り者」のモレルが実は音楽においてもトリックスターの役割をになわされている。
このモレルはシャルリュスを告発する裏切り者なだけではなく、女とも姦通するバイセクシュアルである。
その中でも異彩を放つのは、モレルがレズビアンとも性愛を結ぶソドムとゴモラをつなぐ男であることだ。
同性愛者の女優レアはモレルに「可愛い女、わたしの同類」と手紙を送る(シャルリュスはそれを見てショックを受ける)
バッハやヘンデルの解釈者であるモレルがプッチーニを演奏すると聞いた時の怒りは、男の同性愛者が女と寝ることに覚える怒りと同じなのだ。
プッチーニはまさにこのような比喩として用いられている。そしてモレルを追っていくと、ドビュッシーを最初だけ演奏して、別の音楽家を演奏して社交界をだますことをしていたりする。
ここでもソドムの趣味と社交界の趣味をかく乱して面白がってみせるモレルがいる。
プルーストが「プッチーニ」や「田舎騎士」に言及する場面は、「ワーグナー」や「ラシーヌ」と同じくらい注意を向けるに値する。
そして同時代のイタリアオペラのヴェリズモ批判に至っては、プルースト文学論に重要な示唆を与える。
「新イタリア趣味」が真実にして深奥の現実をことごとく除去するに至る、真実のパロディたる真実主義(ヴェリズモ)は内奥の心理的真実を示さない。
そのような「安逸」と優美をことごとく断念し、「真実」といういっそう厳しい神の祭壇に屠って捧げなくてはならない。(死後発表「レイナルド・アーン」『見出されたテキスト』所収) 高遠訳ゲルマントVはまだか
この先遺稿部分に突入するしますます時間かかりそうだけど 光文社古典新訳文庫
消え去ったアルベルチーヌ
2008 5/13
失われた時を求めて
@2010 9/9
A2011 12/8
B2013 3/12
C2016 1/8
D2016 12/8
E2018 7/1
FゲルマントのほうV 未定 岩井俊二の「Love Letter」に登場する「見出された時」の意味とは? その姿にスワンははっと驚いた。
システィナ礼拝堂の壁画に描かれたエテロの娘チッポラにそっくりだったからである。 岩波文庫の美装ケース
ボッティチェリ『エテロの娘 チッポラ』
カルパッチョ『巡礼者達の殉教と聖ウルスラの埋葬』
フェルメール『デルフトの眺望』
の図柄入り。 美装ケース入りは期間限定販売なのか、今後もずっと販売されるのか 年末から読み始めてようやく読了した
1ヶ月どころかちょうど半年かかった 職場のコロナシフトのおかげで読み終わった。
こんな事情がなけりゃ一般人には無理だよ。
サロン入室前の独想で、ダラダラの流れが一気に引き締まるとこが凄い!
そしてダラダラの理由も説得的に書かれてある。。。
すごい作品でした^^ コロナにかかると肺が繊維化してしまうんだよ
本来風船のように収縮する肺がテニスボールのように収縮しなくなり呼吸が苦しくなる
最悪なのは一度繊維化した肺はリハビリしても元には戻らないこと
元患者が後遺症についてブログで書いてるけどマジで地獄
自分がかかったり見ず知らずの他人に伝染すだけならまだしも油断してコロナ感染して
家族や同僚に伝染して死なせたり一生残る後遺症を与えてしまったら悔やんでも悔やみきれ無いよ 集英社、岩波、光文社と三社からこれほど長大な作品の完訳が出てることはすごいよね
でも、どれを選ぶか迷ってしまって決められないよ 何年か前に挑戦してスワン家で挫折したこりゃムリだわと。
でも中村真一郎の四季〜夏〜秋〜冬を読んだら何となくコツが掴めた。
筑摩の井上訳〜最後の章は岩波の2冊で読破。 あ、光文社はまだ全巻出版し終わってなかったんですね 本日岩波版を読み終えた
読了までに数年かかったけど、どの巻でも「わたし」が扉を開いて待ち受けてくれていたな ネットやめてソシャゲやめてYouTubeもTwitterもみるのやめれば
すぐに読破できる
外は寒いしCOVID-19で自粛推奨だし プルーストよりこいつらのほうがすごくね?
漫画作品の人気を計る指標の一つに「発行巻数の多さ」があります。巻数の多い作品はそれだけ長く連載が続き、幅広い年代にわたってファンを獲得しているもの。
今回はそんな「巻数の多い漫画」の歴代ランキングを見てみましょう。100巻を超える漫画はなんと16作品も……あなたはどれだけ挙げられますか?
第1位:こちら葛飾区亀有公園前派出所(200巻)
第2位:ゴルゴ13(199巻)
第3位:ミナミの帝王(159巻)
第4位:クッキングパパ(155巻)
第5位:はじめの一歩(129巻)
第6位:浮浪雲(112巻)
第7位:美味しんぼ(111巻)
第8位:鬼平犯科帳(110巻)
第9位:弐十手物語(110巻)
第10位:静かなるドン(108巻)
第11位:あぶさん(107巻)
第11位:天牌(107巻)
第13位:釣りバカ日誌(106巻)
第13位:江戸前の旬(106巻)
第15位:パタリロ!(102巻)
第16位:あさりちゃん(100巻)
以下こちら
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/96654/5
全文はソースをご覧ください 産業としての商業作品とプルーストの時代のように数千部単位の時代の作品のあり方とは違うのではないかな
レ・ミゼラブルだって初版は5000部程度で大ヒット作なんでしょ
のんびり死ぬまで書き直していた趣味の作品なんだからさ
漫画は長く続くことを半ば強制されてるんだよ オリジナルはフランス語でひとつしかないのに、日本語プルーストだけ失われた時を求めて文庫だけでも、いくつも用意されてるってのはオモシロイ現象だと思う
岩波版が完結したから、光文社版もたのしみ >>556
死ぬまでっていってもたった13年だからな
そんな大層に言えたほどのもんじゃない
何十年と支持された商業作品でなおかつ一人で描いたわけではない漫画と
部屋に籠もって自己満で「芸術」に憧れ続けた作家の小説があるってだけ
作品単位では充分に比較可能 パタリロ!(102巻)やあさりちゃん(100巻)に「失われた時」以上の凄味を感じるわ
面白さでも果てしなさでも情感の豊かさにおいても上
ベタな物語もたまにある >>559
失われた時を求めては、部屋にこもって自己満で芸術に憧れ続けた作家の作品なのw >>561
そうでしょ
根っからの「芸術」志向なのは「楽しみと日々」読んでも分かるでしょw
まさか読んでないの?w >>562
あんな長いの読むわけないでしょ…一巻でイヤになったよ >>563
「失われた時」どころか「楽しみと日々」すら知らんひとがなんで>>556みたいなレスしてくんの?w
通りすがりの異常者と会話したくねえから黙っててくれる?w >>550
でも中村真一郎の四季〜夏〜秋〜冬を読んだら何となくコツが掴めた。
>中村先生、泉下で喜んでいるよう たしかになー
プルースト讃えてするっと母国語作家を忘れていくのもおかしなことだな
中村真一郎や辻邦生のような巨人はいまのチャラ文壇ではなかったことにされているかのよう >>568
おそらく君の日本語感覚がずれているんだよ
吉川訳がおかしいなら、どの巻の何ページのどの部分か書いてみなよ 岩波の文章なかなか良いよ
パラパラとめくってみた限りでは 高校生になったら失われた時を求めてくらいは読まんとな 最新版なだけに
光文社古典新訳文庫の訳が1番良いですね 光文社の続刊はいつから再開するかどなたか情報はありませんか 光文社は研磨本が多いから買わない
少しぐらい翻訳が悪くても岩波を買うべき 新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫がなくなったら困るが
光文社古典新訳文庫がなくなっても困らん
幼稚なイラストのカバーの文庫はさっさと消えてなくなって欲しい 光文社文庫古典新訳下げしてる人はいつも同じ人だなあ。同じことばかり繰り返し書いてるw 大き過ぎる活字は嫌いだけど
あの落書き調(失礼)の表紙は好き >>582
あんな表紙がなぜ好きなのか
センスが理解できん 失われたときを求めて、1巻しか読んでないけど、あれに印象派絵画とか出るの? >>577
訳者のTwitterフォローするのが確実 >>585
助言にしたがって高遠氏のを見てみましたけど、元気に講演などしているわりには続刊の話はまるでありませんね… >>586
彼のツイートを「拙訳」で検索すると
新刊が出そうなときはちゃんとアナウンスしてくれてるのがわかると思う
それがいつになるのかは誰もわからないw
余談だが「時の政府の紐つきになるのが厭で(科研費を)一度も申請しないまま」
というのには少々驚いた 岩波のがあるから光文社のは不要だな
翻訳者も岩波文庫となると力を入れるが
光文社のだとやる気もうせるのかもw プルースト翻訳者の吉川一義氏がフロイト全集の月報に書いてるけど面白い
プルーストはフロイトの著作をほぼ知らないにも関わらず(ほぼ同時代人)フロイトと似たような問題意識を持っていたんだな
フロイトの文学版と考えるとすごく読み応えがありそうだ 『ユリシーズ』と『失われた時を求めて』を30年以上前に読んだ時、
前者は言語学者が書いた小説、後者は精神分析学者が書いた小説と思ったね 高遠さんって、最近 白水社から『プルーストへの扉』の翻訳だしてるね。
本家はどうなった?まだ6巻なんだけど。 今月も光文社の新刊リストにプルーストはなかった
7月フロイト8月今昔物語9月カミュペストまでは発表されてるから少なくとも9月までには出ないね もう誰も期待してはいない
岩波のがあるから高遠訳は不要 (寄稿)困難な時代に与える勇気 プルースト生誕150年、現代への指針 吉川一義
https://www.asahi.com/articles/DA3S14964673.html
『失われた時を求めて』は、マルクス主義者サルトルの時代には、パリの上流貴族を描いた小説として軽蔑された。
その後一九六〇〜七〇年代には、プルーストを作品至上主義の先駆と仰ぐ新しい批評によって、高尚な聖典に祭りあげられ、
一般読者から遠ざけられた。
時は移り、いまやプルーストの小説をあるがままに受容できる時代になったのではないか。
標榜(ひょうぼう)するのがマルクス主義であれ民主主義であれ、あらゆる国に虚言と隠蔽(いんぺい)がはびこる。
この不信の時代を予見したかのように、プルーストの辛辣(しんらつ)な皮肉は、上流貴族ばかりかブルジョワにも庶民にも及ぶ。
ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪〈えんざい〉)や第一次大戦の変遷につれ、あらゆる階級の主張が節操なく移ろうからだ。
プルーストは、「軽蔑されるのが最も辛(つら)いのでわれわれがいちばんよく嘘(うそ)をつく相手」は「われわれ自身」だと、
人間の自己欺瞞(ぎまん)をも暴きだす。
*
厳密なことばへのプルーストの信頼も、現代への指針となる。
ドイツ軍によるパリ空襲下、敵は「無力と化した」と書きたてるマスコミの戦争プロパガンダに憤慨する作中のシャルリュス男爵は
「文法や論理学を擁護する人たち〔…〕が大きな災禍を回避してくれたことは、五十年経ってようやくわかる」と言う。
人間と社会の真実を究めようとするプルーストの小説は、困難な時代の読者にかぎりない勇気を与えてくれる。
ソ連の強制収容所において記憶に残るこの大作を語ることで生きのびたチャプスキの例もある(『収容所のプルースト』)。
「真の人生、ついに発見され解明された人生〔…〕それが文学である」と信じる作家の探究が、全篇を貫いているからであろう。 ロマンとリアルの一体なんてカントの書体のほうがいいけど、俺は答え知ってる。退屈するから長いものはな、退屈しない回答、アフォリズムとか、続きになってないから負担かけないとか、同じ奴が書きすぎないとか、作家は小説家はばだなあ。哲学者も。 >>597
プルーストもなかなかいいんだけれど、人間と社会の真実を究めようとした
フランス文学としては、自分はバルザックが最大の作家だと考えるね 光文社で高遠役で『消え去ったアルベルチーヌ』というのを見つけたので買ってみたけど、これは本編の途中の話なんだよね?
ちゃんと一巻から読んで全部読んでからこれを読んだほうがいいよね ただ高遠訳だとゲルマントの後半・ソドムとゴモラ・囚われの女が未訳だけどな 運命を感じたらしいのに早々挫折してしまったか
あとがきが懐かしい 光文社から仕事貰っても力が入らないんだろうw
松下訳チェーホフは水声社版が決定訳だと思っていたが
岩波文庫で刊行される際には大幅に改訂された
出版社の格の違いだ
「腐っても岩波」
「腐っても新潮社」 光文社の訳が完成しないと文句言ってるやつは、
どの訳でもよめばいいのに、
結局いつまでも読まないだろうな ちくまのプルースト評論集見つけたけど8000円もして買えなかった。
失われた時は新潮のいちばん古い共訳版でしか読んだことないな 楽天で、14冊セットを狙っていたんだけと、売り切れ。昨日の昼ごろに一旦復活したけど、夕方には、もう売り切れ。
そこそこ売れてる? なんで読んだか忘れたが、ブルーストの
英訳は、原作を越えているちゅう評判
だったらしい、鴎外の即興詩人みたいな
もんか、
日本語訳も読みやすいとかのレベルを越えて、
そういうレベルになってほしい プルーストの文体って日本語の本来の文章と相性いいと思うんだけどね。プルースト以後、源氏が意識の流れの先取りなんてほざかれ始めたのも関係ある。 光文社古典新訳文庫のスレによると今後の続刊はカミュ、トルストイ、シローネ、ドストエフスキー、モーム、ゲーテだそうだから
少なくとも年内は続刊はなさそうだなあ。昔は大御所が依頼されてから何十年も訳を仕上げないことがあったそうだけど
そんな時間感覚なのかね 古典新訳は、6巻出てから3年過ぎた。5と6は電子書籍で買った。
まあ、岩波全集あるから要らんけど。訳も比較したら断然岩波の方が分かりやすい。 >>622
はい、全巻所有していまして、完読しました。
但し、読んだというよりは目で追ったという所でしょうか。美装ケースも持っています。
祖母が敬愛する、セヴィニエ夫人に関心があります。 光文社文庫のドストエフスキーはよく売れたんだから、
新潮や岩波でも出したことがない作品を文庫化してほしい
世界初の百合小説『ネートチカ・ネズワーノワ』や
丸谷才一や沼野充義が絶賛するユーモア小説『ステパンチコヴォ村とその住人』
などをお勧めする 最初の眠れないシーンから始まって、最後の竹馬のシーンまで来た時に、えっ終わっちゃうのって感じで一旦止まって何回も戻ったな。
結局次の日に最後の段落を読んでおわった。 プルーストを読むちゅうことは、ひたすら
ゴールを目指すことでなく、ヴィボンヌ川
沿いを散歩するように、散歩自体を楽しむ、
その過程を楽しむことであることに気づいた 鈴木道彦のブルーストを読むはわかりやすく、
いい本だが、プルーストを通読していな人には
取っつきにくいかもしれない、
一度読んだ人には内容を整理するのに最適 初めて読む人には鈴木訳は難しいの
全巻揃って出版されてるし表紙絵がとても美しいので集めるなら集英社がいいと思っていたけど
新訳がいくつも出ているからどれで読むか迷う >>630
と、迷ってるうちに読む機会を逃してしまいそう、www 鈴木の抄訳版三冊はどうなんだろう。あれで済ませるのも良いのでは >>633
角田(と芳川)の訳は完全にプルーストの文体を分解してるからなあ
自己流に解釈しすぎて誤解すると思う
角田の源氏と芳川のボヴァリー新訳はいいのに残念
やっぱり今だと岩波一択 >>635
原文読むにしろ参考になるからやっぱり翻訳はあった方がいい プルーストは、ジョージ・エリオットの愛読者だったそうだ。
『ミドルマーチ4』(光文社古典新訳文庫)の読書ガイドに書いてあった。 >>637
ある作家が他のある作家の愛読者ときくと俄然興味が湧いて読もうという気になるよね ナボコフの『カメラ・オブスクーラ』で、作家がプルースト風の文体をパスティーシュしているのが面白かった。やっぱり読みにくいんだよね。 失われた時最後まで読み通したやつって最初の方覚えてんの? >>640
つながってるから覚えてる
長いこと読んできて
終わりで最初が遠くから浮かびだしてくる感じ 最初は結構覚えてるけどゲルマントとかの社交界の会話とかは忘れてる 所有している筑摩大系の井上訳では、書き出しと終りがともに「長いあいだに」
なので、円環構造を意識した翻訳になっている ストーリーがあるようで、ほぼないから。箴言のオンパレード。隠喩と言ってる割には直喩だし。 去年終わりくらいから今年前半で岩波のを読破。感動した。こんな小説は他にないと思う。個人的にはお婆さんの死と、皆がしばらく見ないうちに老けてしまったことの描写が良かった。 光文社のはちゃんと作業を続けているのだろうか。これだけ間が空くのはなぜなのか >>649
光文社の方は、「趣味」だから。それよりも、フォークナーの『八月の光』を読んでいたら、プルースト的な表現があった。
>おそらくそれまで無意識の記憶にすぎなかったものが、知性に認識され、知性が思い出しはじめたのだ。…無意識の記憶でさえ、それより以前にはなかなか遡れなかったからだ。(光文社古典新訳文庫 上巻p204) >>650
に関して訂正。『八月の光』は、光文社が1冊で、岩波文庫が上下分冊でした。すみません。 あの〜、光文社の古典新訳文庫の帯には、「個人全訳の決定版」とか、「20世紀文学の最高峰、絢爛たる新訳でついに登場 ! 」とかあるけど、編集者は何してるの? >>653
編集者がいくらせっついても翻訳者がのらりくらりしていたらどうしようもない
かつて新潮社がガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』の翻訳を野谷文昭に
依頼したが、10年以上経っても出来上がらないので、木村榮一に変えたら
すぐ完成したことがあった
結局、翻訳者のやる気の問題だろう 光文社じゃなくて、集英社で読んだ。妙訳図書館で借りたけど
1万円で安いし、コロナなので集英社の全巻セットアマゾンで買ったら、
思いの外早く読めた。
「プルースト全部読む」はそこまで苦行ではない
J.ジョイスのユリシーズ3巻の方がキツかったw
プルーストは一ページ一ページ面白いので意外と読める >>656
その通り。岩波は、巻の初めにおもな内容が書かれているし、「場面索引」も巻ごと。
それに対して、「光文社のほう」は、冒頭の内容も無いし、場面索引は「篇」ごと、つまり第一篇の『スワン家のほうへ』の場面索引は、2巻にある。
また、翻訳の方も「元の語順を尊重する」ので、頭に入りやすい。 1980年代までは新潮の函入りハードカバー本の共訳が定番だった
その後、筑摩の井上究一郎訳が完成したが、難解で読めない人が続出した
さらに集英社の鈴木道彦訳が完成し、いったんこれが定番となった
そして今世紀に岩波の吉川一義訳と光文社の高遠弘美訳がスタートし、前者が完成し、読みやすい訳文のため、決定訳となった 愛読してるのは新潮初版の13分冊本。旧字の共訳のやつ。なんか重みがあって好きなんだよね。今から読み始める人は岩波でいいと思うわ。解説も入ってるしわかりやすいだろ。 ありがとう。自分は今年岩波で読んだんだけど、思ってたより楽しく読めたので意外だった。難解且つ超長編という偏見があったので。確かに岩波は色々親切よね。読書サポートが凄い。
でもこれだけ翻訳沢山あるというのは日本人好みなのかね。並ぶと称される『ユリシーズ』は翻訳あまり無い。 >>661
文章は読みづらくないけど、注の場所が煩わしい
いちいち後の方のページに移動しないといけない プルーストの長い一文を井上訳は同じ長さの日本語に訳したが、
鈴木訳は読みやすいように短く切っていった
プルーストらしい文体は味わいにくいかもしれない >>662
昔の本あるあるですね
>>663
フランス語を知らないとそういう違いに気づきようもありませんね。
何冊か読み比べると楽しいのでしょうが、シェイクスピアのように気軽に読み通せない長さなのは困りますね 鈴木訳が好きだけど、岩波の評判いいよね
図書館で読んでみっかな >>660
『ユリシーズ』の新訳は企画しては中途で挫折してるね
柳瀬尚紀訳は訳者死亡でそれっきりだし、
筑摩大系に入れる予定(訳者は大沢正佳と高橋康也)だったのに、
結局無理ということで、その巻はジョイスの雑文とオブライエンの小説が入った 井上訳は、原文に一致させているって言うけど、実は「〜であった、」が多くて、
この「、」(読点)は「。」(句点)と機能が変わらない。
原文と区切りを一致させたいなら、訳文を考え直す必要がある。
「〜であった、」が気になってしょうが無い。 日本語とフランス語は違うからある程度は仕方ないのでは 「そうした夕方のあまりにも惨めな様子を見るに見かねて、私の気を紛らすために、幻燈を
映写すといううまいことを考えついた。そして晩餐の時間を待つ間、その幻燈を私のランプに
仕掛けてくれた。すると、ゴチック時代の一流の棟梁や色絵硝子の巨匠に倣って、幻燈は
不透明な壁を、微塵の虹彩と色さまざまの超自然の幻にかえてしまい、宛もちらちら揺れて
瞬時にうつろう色絵硝子で見るように、いろんな伝説が描き出された。」
新潮文庫・淀野隆三/井上究一郎訳 「なるほど、私があまり不機嫌なようすをしている晩は、私の気をまぎらせるために、
みんなは私に幻灯を見せることを考えついていた、そして夕食の時間を待つあいだに、
それを私のランプに仕掛けてくれた、するとその幻灯は、ゴチック時代の早い時期の
建築師兼ステーンド・グラスの頭領たちにならって、部屋の不透明な壁を、触知できない
虹色のかがやき、多彩な超自然の幻に置きかえ、そこにあらわれるいろんな伝説は、
あたかもちらちらゆれて瞬間に消えるステーンド・グラスに描かれているかのようであった。」
筑摩世界文學大系・井上究一郎訳 「私がひどく悲しげな顔をしている夕べには、気晴らしに幻灯を見せるという手が考えて
あり、家族の者は夕食の時刻を待ちながら、幻灯で私のランプを覆ってしまう。すると
幻灯は、ゴシック様式時代の最初の建築家やステンドグラス工のひそみにならい、不透明な
壁のかわりに、触れることのできない虹色の輝き、超自然の多彩色のまぼろしを配置する。
そこに伝説が描き出されていくさまは、揺らめいては消え去るステンドグラスを思わせる。」
岩波文庫・吉川一義訳 井上の冒頭
>
長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。ときには、ろうそくを消すと、すぐに目がふさがって、「これからぼくは眠るんだ」と自分にいうひまもないことがあった。(ちくま文庫)
この、私と「ぼく」の使い分けに異議がある。吉川訳も高遠訳も、「」部分は人称代名詞を使っていないし、いつの時点なのかが判らない。 集英社や岩波は読みやすいけど、旧井上訳が一番香り高くて
プルーストらしくていい、って人も割といるよね 篠田一士や蓮實重彦は井上究一郎訳を推薦していたな
読み通せる人を選ぶ翻訳だね ミクロレヴェルで読んでいる人って、このスレでは少ない様だね。細部について言及出来る人がいない。 図書館でちらっと読んだ感じでは、「井上訳」も結構いいと感じたな
ただいかんせん悪文と言われても仕方ないとは思う
アマゾンやヤフオクで一番全巻セットの価格は安い 2月1日東京新聞夕刊5面掲載の大波小波というコラムから転載
プルーストの『失われた時を求めて』の個人訳は、日本では井上究一郎、鈴木道彦、
吉川一義、高遠弘美の四種類がある。いずれ劣らぬ名訳で、中にはこの大長編小説を複数の
訳で読み比べる愛書家もいるという。
有名な冒頭の一文を比べてみよう。
「長いときにわたって、私は早くから寝たものだ。」(井上、ちくま文庫)
「長いあいだ、私は早く寝るのだった。」(鈴木、集英社文庫)
「長いこと私は早めに寝むことにしていた。」(吉川、岩波文庫)
「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた。」(高遠、光文社古典新訳文庫)
「長い間」という副詞と、「寝る」という動詞の複合過去時制をどう訳すかが、
専門家にも難問であるらしい。そしてまた、日本語として文学の香気高いことは
もちろんだが、学究的な考証も問われる。
とりあえずは高遠弘美が壮健で完訳に至られることをお祈りしたい。
フランス語書籍専門書店欧明者の閉店など、逆境のフランス文学だが、
近代以降の先人からの大切な灯は消してはならない。(銀) 映画「Love Letter」に登場する「見出された時」の意味とは? 岩波の読んでるんだけど本の頭にあらすじがついててネタバレすんのはどうなんだ >>681
そういうものは昔からよくある
最近ネタバレにうるさいヤツが多くてゲンナリする
自分はamazonレビューで思いっきりネタバレして書く 荒らしにマジレスもなんだけど、ネタバレありな人なしな人それぞれなんだから自分の感慨を押し付けるのはやめなよ プルーストは長いからある程度概略的なネタバレ無いと読み進みにくくない?
私の考察とか何十ページも続くし終わりがどこか見えないと初読時はキツい 筋をあらかじめ読みたい人は読めばいいし読みたくない人は読まなければいい。別に議論することではないでしょう >>683
こら、荒らしではないだろう
自分の考えを表明しただけで、押し付けてもいない
お前こそ、他人のレスをもっと冷静に読めよ >>687
ネタバレにうるさい風潮に反対だからやめない コリン•ウィルソンいわく、失われた時を求めてよりもジッドの短編の方が、多くの出来事が起こる。 >>688
そうか
amazonであんたのレビューと出くわさないことを祈ってるよ >>692
去年のだろ?
大昔のものに感じるくらい
文芸誌もパッとしないのがよくわかる 今月は保苅瑞穂の『プルースト 読書の喜び』がちくま学芸文庫に入り吉川一義の『絵画で読む「失われた時を求めて」』が中公新書から出る
今年は没後百年だし『プルースト評論選』とか復刊しないかな >>455
アルゲリッチとクレーメルが目の前で弾いてくれた 賞金が多いのが取り柄の賞
それとヨーロッパ、英語圏偏重
賞が欲しいのは、金が欲しいと言っているようなもの
それが人間の本音である >>1
三回読んだよ、、、
四回目も挑戦しようか、、、 >>695
わお、すげー
俺もサントリーホールでクレーメルのバッハ等の無伴奏を突然思い立って聴きに行ったことあるが
目の前でってコンサートホールじゃなくてもっとインティメートな空間ってことだよね 失われた時を求めてを読破した著名人では爆笑問題の太田が今まで有名だったが
エレカシの宮本浩次も2年前に読破したんだね
ここ文学板のスレからで、かつてプルーストスレにも出入りしていたコテハン・えびね氏の名前も
見かけたりで懐かしかった
227 名前:名無しさん@お胸いっぱい。[sage] 投稿日:2020/12/12(土) 15:48:06.22 ID:MxrlcnvN [1/2]
5000冊の所有図書があるとするならば虫干しが大変であろう
本の為に北向きの部屋を好むらしい
最近マルセルプルーストの失われた時をもとめてを読破
貴族がたくさん出てくる物語で難解らしいが、文字を追っていくと波長がバッと合う
瞬間があるんだと。読書家のみなさんなら分かる話でしょうか?
マラソンのランニングハイみたいな感じかな? >>695
現代ではそこそこのオーディオ装置で聴けば、当時の富裕層以上の体験が得られると思う
長年使っていたCDプレーヤーがついにおしゃかになって昔アンプを買った店にぶらっと入った
3万円程度の物を買うつもりだったがいろいろ話しているうちに勧められた英国製のミリヤードを買ってしまった
手持ちのCDを再生してびっくり。コンサートホールで聴くよりも音楽って感じだった
CDはすでに時代遅れの媒体かもしれないが宮本の5000冊よりもたぶん多い枚数のコレクションがあるからなあ
吉川氏の「スワンの恋」の部分対訳・解説本の付録CD、それになぜか全巻分の原文朗読CDもあったりする(笑)
たぶん一生聴くことはないだろうけど 立教大学で行われた坂本教授による、吉川一義の全訳完結に合わせたセミナーは
吉川氏ご本人が登場する最終回ふくめ3回ほど行ったけど英文学者の阿部公彦の時は
まだセミナーの存在自体知らなかった
知っていれば当然行ってた。たぶん、一番面白かった回として記憶されていただろう
https://twitter.com/jumping5555/status/1203126155278082049
>『失われた時を求めて』というのは、昔よく見かけた「つぶつぶオレンジジュース」みたいなものだと思います。
たくさんつぶつぶが入っているけれど、ぜんぶかまないですよね。プルーストもそれくらいの気分で読んだらいい。
それでいいように書いてある。面白がれたところを面白がるくらいの気分で読むと、すごい出会いがある。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>694
『プルースト評論選』いいですよね、特に1
>独創的なネルヴァル、ボードレール、バルザック論を含んだ、“小説”の創作につながる『サント=ブーヴに反論する』を軸とする文学論を集成
これと『失われた時を求めて』本編に出て来るアラビアンナイトに言及した箇所
もう何回も読んでる Saint-Saens: Violin Sonata No. 1 in D minor, Op. 75 - Jascha Heifetz, Brooks Smith
https://www.youtube.com/watch?v=XJR4ia9hz7o
サンサーンスのヴァイオリンソナタ第1番は正直のところクラシックファンにもあまり馴染みのない曲
彼のヴァイオリン曲で最も人気があるのは協奏曲の3番
フランスのヴァイオリンソナタで最も名高いのはフランク
Franck / Oistrakh / Richter, 1968, Moscow: Sonata in A major for Violin and Piano,
https://www.youtube.com/watch?v=rhZFd9ZOJfU 保苅瑞穂氏:
「プルーストという人は、主人公の思考の流れを忠実に
文に写そうとする作家でした。
日本の人はかれの文章を理解するときに、
日本語の語順に従って、例えば、
関係代名詞を先に訳すということをしますけれども、
そうじゃなくてですね、
頭から文の流れをたどって理解するように努めていただきたいと思うんです。
内容がわかったテキストを、そのようにゆっくりと頭から読む練習をしてみてください。
そうしますと、かれの長い文章がいかに論理的に構成されているか、
というのがよくわかってきます」
https://www.youtube.com/watch?v=LflTLcCIhe4 「プルーストの文章は、技巧的で難解だとよく言われるんですね。
しかし、かれの技巧というのは、自分のつかまえたヴィジョン、
あるいは感情でしょうか、それをできる限り正確に表現するために
ぜひ必要な手段だったんですね。
また、もしそれが難解だと感じるならば、
それは、かれの物の見方がまったく新しいからですね。
ちょうど独創的な画家が出てきますと、初めはその絵にみんなが当惑しますね。
それと同じことじゃないかな、という感じがします」 35歳からの13年間を、プルーストはオスマン通りの防音のためにコルク
を貼りつめた部屋に閉じこもって、「失なわれた時を求めて」の執筆に没頭
していた(最晩年に至って引越しせざるを得なかったのは、階下の工事の騒
音に耐えかねたからだ)。外出するのは、ほとんど夜だけだった。それもホテ
ル・リッツやレストラン・ラリュでの食事がおもで、あとは観劇や社交界に
時おり顔を出すだけであった。かなり遅刻して、人々がもう帰ろうとする頃
にようやく。ごく親しい客を迎え入れるのも夜だった。おそらく1910年頃
に知り合ってから、プルーストの臨終の時まで親密な交際を続けたジャン・
コクトー(1989〜1963)は、現実を遮断したプルーストの部屋を「海底二
万海里」のノーチラス号の客室にたとえ、プルーストをネモ船長にたとえて
いる。コクトーは、プルーストと同じく代々の大ブルジョワジーの出身で、
10代の頃より社交界に出入りしていたけれども、すでに文壇で名声を博して
いた。プルーストがコクトーを敬愛したのは、おそらく二人ともソドムとゴ
モラの世界の探求者であったからだろう。そう、彼らには美しい肉体や美し
い容貌を、その属する性の如何を問わず、熱愛する癖があったのだか
ら……。ジャン・コクトーは自らをも海の底の潜水夫にたとえている。現実
とはただ一本の空気を送る管でつながっているだけの孤独な潜水夫に。
無邪気な少女に潜むもの
text: Kunio Okada
(「The Body」Vol.37掲載)
岡田邦雄 スゲェ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!! 高遠弘美
@Thouartmore
1922年11月18日マルセル・プルースト死す。
私事にわたれどその半世紀後の命日其の日に新潮社版全訳を買ひし我の傍らにプルーストは恒にありき。
個人全訳は未だ途上なれど、諸事情(闘病を含む)ゆゑ遅れに遅れてこそあれ、生ある限り完訳を目指す決意に微塵の変化もなし。朝富士を眺めつつ記す。
https://pbs.twimg.com/media/F_K4vpHagAAAHsf.jpg
https://twitter.com/Thouartmore/status/1725646663761682771
https://twitter.com/thejimwatkins 完結しないから買うなよなw
岩波の翻訳は名訳中の名訳
それを買えばよい 井上究一郎訳と吉川一義訳を持っているから、他はいらない
訳すのは自由だけれども まだ光文社の方は完走するつもりなの?局長は何をやっているのかな。 >最終巻「見出された時」が最初に出たのは、一九一三年から十四年後の一九二七年である。私として、皆さまをそこまでお待たせするつもりはないけれど、…
失われた時を求めて
第一篇「スワン家のほうへ Ⅰ」
2010年9月20日 初版第1刷発行 光文社の買っておいたほうがいいかも
絶版になったら古書価格が高騰して小遣い稼ぎになるかもw >>719
六巻までです。(五年前)
『ゲルマントのほうⅡ』で「座礁」しています。せめて Ⅲ までは終わらせて欲しい。 >>720
ずいぶん変なとこで座礁してるんだね、スランプにでも陥ったかな
出版社も区切りの良いとこで出したらどうかと思うが 高遠訳のみで読んだ人は祖母が死ぬまでで終わってるのか
図版が少ない高遠訳で6巻読める人は7巻以降吉川など他訳で読破したのもかなりいそうだな >>718
他の翻訳が売られている限り、高遠訳が高騰することはありえない 心の中で応援するだけじゃ高遠にはメリットがない
本屋に行くたびに高遠訳のプルーストを買い占めるのが上策 でも肝心のお金が足りないのよ。だから、誠意だけでも、心の中で応援するの。 個人的な趣味嗜好じゃないのだから、出版社としてはビジネスでしょう?
6巻が出た後、白水社からプルースト関連の書籍出してるし。 屁をこき合っているかのようなやり取りだな
臭さだけが充満していく オクで安かったので集英社箱入り鈴木道彦訳13巻ゲトした。
登場人物紹介のある栞が付いていて便利だが、第1巻にだけ付属していなかった。
誰か1巻の栞だけ千円出すから譲ってけれ^^ 宮台のニュースで思い出したけど石木隆治先生っていまどうしてんの? 高遠さんについては、訳が始まったころから危惧していたわ。
プルーストの専門家じゃないし、それ以外の分野でも顕著な実績ないし。
鈴木道彦は失われた時を求めて全訳を完成させるために、サルトルの家の馬鹿息子の
共同翻訳の方を思い切りサボってでもやり遂げた。おかげで他の翻訳者との間に
軋轢まで産んだけど、まあ結局そっちもなんとか完成した。
プルーストを個人訳するなんてのは、よほどの熱意と愛がないと
やっていけない。高遠氏には無理。 >>737
気長に待ってるうちにあの世に行った人もいるだろうな 早稲田大学
開催報告:オペラ/音楽劇研究所:2024年度4月研究例会
Mon, 22 Apr 2024
開催報告:2024年度4月研究例会(第218回オペラ研究会)
日時:2024年4月13日(土)16:30 – 18:00
開催方式:オンライン開催(Zoom使用)
発表者:関野 さとみ
題名:『マルセル・プルーストとドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》― 作家は自国の現代オペラをどの
ように捉えたか ―』
概要:
20世紀フランスの作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』(1913-1927)には、同時代の音楽に
ついての言及が至るところに見出される。中でもドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》(1893-1902)は、当
時のフランス芸術において特権的な位置を占めたヴァーグナーの楽劇以上にその名が多く引用される。
プルーストは1911年にテアトロフォンという音声の中継機器で《ペレアス》の公演を初めて聴き、その直後に自
ら「メーテルランクの戯曲ではなくドビュッシーの台本」に近いと付言した《ペレアス》のパスティッシュを発
表するなど、《ペレアス》に対する高い関心を持ち続けた。本発表では、ドビュッシーの《ペレアス》が最も重要
なレフェランスとして現れるプルーストの『失われた時を求めて』第5篇の『囚われの女』の記述と周辺の音楽資
料の考察から、同時代の作家の目線で捉えられたドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》像の一端を明らかに
する。同時代のフランスの芸術家にとって《ペレアスとメリザンド》というオペラがどのような意味を持つもの
であったのか、その一例を示したい。