マルセル・プルースト20 [無断転載禁止]©2ch.net
井上究一郎が、東大生に評判悪い人だったのを立花隆の本で知った。 仏文豪のマルセル・プルーストが20代で書いたが失われていた短篇9作がB.ドファロワ氏によって発見された。
肉体の愛や同性愛といった大胆な内容のこの作品群はクローゼット作家だった彼には懸念の材料で、じつは『楽しみと日々』からも削除されていた。
10月に出版されるそう。
ttps://www.theguardian.com/books/2019/aug/08/lost-proust-stories-homosexual-love-masterpiece-le-mysterieux-correspondant?CMP=share_btn_tw ジョイスが好きで作中に何回も登場するのがシェイクスピアなら、プルーストはラシーヌなんだね いつ決まったのか吉川訳完結14巻の発売予定日が
2019年11月16日となってますね
楽しみ〜 第1巻の刊行が2010年11月17日だからちょうど9年かかったことになる 作者ガチホモのくせに、冒頭数ページで「女の接吻にほてり」とか表現出てきて萎える
はいはい、こういうのが良いんでしょ?的な感覚で書いてるんだろうなあ 『失われた時を求めて』吉川一義訳・岩波文庫全14巻購入完了
今年末までに申し込むと、14巻を収める美装ケースをもらえるらしい あんまりスレがだらだら続いてるので同じ内容のレスが何回も出て来るねw 今日忌日
とりあえず吉川先生翻訳完結おめでとうございます
高遠先生ゆっくりで構いませんので頑張ってください 吉川訳第1巻が刊行された頃と比べると、過疎化が激しいね >>518
本屋になく、仕方なくAmazonで買った >>520
吉川が全巻揃ったら1ヶ月で読み切ってくれと言っていた 15年前に井上究一郎版を読むのに2ヶ月かかったからなあ
年末年始の休みを利用すれば1ヶ月で読めるかも 『「失われた時を求めて」の完読を求めて』は、「コンブレー」と「スワンの恋」までなんだよな。 "「月刊ALL REVIEWS」ノンフィクション部門第11回|ゲスト:高遠弘美さん" https://youtu.be/VbWiJOTfnRs プルーストはかなりの音楽好きだが、イタリアオペラを完全に無視してるな プルースト全集15巻にイタリア・オペラへの言及があるよ。 というか、アルベルチーヌがイタリア・オペラの信奉者だな。
ゲルマント公爵夫人(オリアーヌ)もそうだ。
楽しみと日々の中の詩にもイタリア・オペラへの言及がある。
愛の、友情の神殿、勇気の神殿よ
とある侯爵夫人がイギリス庭園のなかに築かせた神殿、
そこではヴァトー風のたくさんのキューピッドが弓を引き絞り
誉れ高き心臓を激昂の標的にしている。
しかしこのドイツの芸術家は―侯爵夫人はクニドスを夢見ていたに違いない!―
より厳かに、より深遠に、うわべだけの気取りなしに
お前が今フリーズの上に見る恋人たちや神々たちを彫り刻んだ。
ヘラクレスはアルミードの庭に火刑台を築く!
踵は舞いつつももはや庭園の小径を踏み鳴らすことはなく
輝きを失った生気のない眼差しと微笑みの灰が
我々のゆるやかな足音を消し去り地平線を青く染める。
クラヴサンの声も黙されひび割れてしまった。
しかしアドメトス、イフィゲネイア、あなた方の声にならない叫びは、
身ぶりによって表され、私たちを今なおも恐れさせる
そして、オルフェウスによって鎮められアルケスティスによって挑まれた、
冥界のステュクス河、―帆柱も空も見えない―そこにお前の天才は錨を降ろした。
グルックもまたアルケスティスのように〈愛〉によって
時代の予測のつかぬ変化の中で避けられない死に打ち勝った。
神殿は建っている、勇気の厳かな神殿、
〈愛〉を祀った小さな神殿の廃墟の上に 上の、「クニドスを夢見ていた侯爵夫人」がイタリア・オペラをありがたがる人々。
アルベルチーヌはカヴァレリア・ルスティカーナを絶賛して、それに対して語り手は絵画の趣味はいい癖に音楽の趣味はなってない、と考える。
エルスチールの薫陶で絵画の趣味が良くなったんだから文学論を聞かせてやれば文学の趣味も良くなるし、音楽の趣味も矯正しようとするのがヴァントゥイユの音楽。
ゲルマント公爵夫人はイフィゲニアをフランス風オペラよりもイタリア風が良いと言ってしまうように趣味が悪いと社交界への幻滅の一エピソードになっている。
イタリア・オペラへの態度は一貫しているね。 音楽の趣味がよく比べられるジョイスとは正反対だな
ジョイスは声楽が好きな一方、ワーグナーやドイツ式の交響曲には無頓着だった マルセルの音楽論を追っていくと本当に面白いのだよね。
家族―社交 芸術―世俗 コスモポリタン―国粋。
オルフェウスによって鎮められアルケスティスによって挑まれた。
オルフェウスはケルベロスの獰猛をやわらげ、泉の乙女たちの嫉妬と激情に対立する愛。
イタリアオペラがフランスに入ってきて、フランスオペラが枝分かれするのが18世紀でマルセルは改革オペラを支持する。
ジェイムズジョイスにおいて、ヴィーコの芸術論が重要であるように、プルーストはグルック・ピッチンニ論争でフランス的オペラを選択する。
イタリア(ルネサンスーイギリス)と対立するフランシスムは大聖堂の死を読むとよい
イギリス好きのオデットに始まる女たちの音楽趣味に対立し、ドイツへの敵意がある時代にあってなお、ドイツ文化を肯定するマルセルたちの音楽趣味は、むしろコスモポリタンであることを忘れてはいけない。
より厳かに、より深遠に、うわべだけの気取りなしに
お前が今フリーズの上に見る恋人たちや神々たちを彫り刻んだ。
プルーストがソルボンヌで受けた新カント派の芸術論、シェリングの読み直しが明確に表れる。
岩波文庫の最終巻は半分以上人物索引で構成されているけれど、便利すぎる。
いろんな読み直しの手段にできるのは素晴らしい。
声にならない叫びは、
身ぶりによって表され、私たちを今なおも恐れさせる
恐れさせる音楽への感受性はヴァントゥイユを聞くと頭が痛くなるというヴィルパリジ夫人。
一楽節でも感覚に訴えかける芸術にマルセルはとどまらないで、愛によって統合された芸術を指向する。
ショーペンハウアーの芸術論(すべての芸術は音楽に嫉妬する)を乗り越えようとしたものだ。
それはユリシーズでヴィーコに則りすぎたとジョイスが反省する同時代にある。
フランスとイギリスの環境の違い、音楽論芸術論の受容の違いを思わせる。 イタリアオペラ好きの社交人をプルーストはたくさん書き込んでいる。
それに対し、マルセルの尊敬する音楽趣味の男たちはイタリアオペラを毛嫌いする。
ソドムの世界とゴモラの世界がこの趣味で切り分けられている。
この二つの世界をつなぐ「裏切り者」のモレルが実は音楽においてもトリックスターの役割をになわされている。
このモレルはシャルリュスを告発する裏切り者なだけではなく、女とも姦通するバイセクシュアルである。
その中でも異彩を放つのは、モレルがレズビアンとも性愛を結ぶソドムとゴモラをつなぐ男であることだ。
同性愛者の女優レアはモレルに「可愛い女、わたしの同類」と手紙を送る(シャルリュスはそれを見てショックを受ける)
バッハやヘンデルの解釈者であるモレルがプッチーニを演奏すると聞いた時の怒りは、男の同性愛者が女と寝ることに覚える怒りと同じなのだ。
プッチーニはまさにこのような比喩として用いられている。そしてモレルを追っていくと、ドビュッシーを最初だけ演奏して、別の音楽家を演奏して社交界をだますことをしていたりする。
ここでもソドムの趣味と社交界の趣味をかく乱して面白がってみせるモレルがいる。
プルーストが「プッチーニ」や「田舎騎士」に言及する場面は、「ワーグナー」や「ラシーヌ」と同じくらい注意を向けるに値する。
そして同時代のイタリアオペラのヴェリズモ批判に至っては、プルースト文学論に重要な示唆を与える。
「新イタリア趣味」が真実にして深奥の現実をことごとく除去するに至る、真実のパロディたる真実主義(ヴェリズモ)は内奥の心理的真実を示さない。
そのような「安逸」と優美をことごとく断念し、「真実」といういっそう厳しい神の祭壇に屠って捧げなくてはならない。(死後発表「レイナルド・アーン」『見出されたテキスト』所収) 高遠訳ゲルマントVはまだか
この先遺稿部分に突入するしますます時間かかりそうだけど 光文社古典新訳文庫
消え去ったアルベルチーヌ
2008 5/13
失われた時を求めて
@2010 9/9
A2011 12/8
B2013 3/12
C2016 1/8
D2016 12/8
E2018 7/1
FゲルマントのほうV 未定 岩井俊二の「Love Letter」に登場する「見出された時」の意味とは? その姿にスワンははっと驚いた。
システィナ礼拝堂の壁画に描かれたエテロの娘チッポラにそっくりだったからである。 岩波文庫の美装ケース
ボッティチェリ『エテロの娘 チッポラ』
カルパッチョ『巡礼者達の殉教と聖ウルスラの埋葬』
フェルメール『デルフトの眺望』
の図柄入り。 美装ケース入りは期間限定販売なのか、今後もずっと販売されるのか 年末から読み始めてようやく読了した
1ヶ月どころかちょうど半年かかった 職場のコロナシフトのおかげで読み終わった。
こんな事情がなけりゃ一般人には無理だよ。
サロン入室前の独想で、ダラダラの流れが一気に引き締まるとこが凄い!
そしてダラダラの理由も説得的に書かれてある。。。
すごい作品でした^^ コロナにかかると肺が繊維化してしまうんだよ
本来風船のように収縮する肺がテニスボールのように収縮しなくなり呼吸が苦しくなる
最悪なのは一度繊維化した肺はリハビリしても元には戻らないこと
元患者が後遺症についてブログで書いてるけどマジで地獄
自分がかかったり見ず知らずの他人に伝染すだけならまだしも油断してコロナ感染して
家族や同僚に伝染して死なせたり一生残る後遺症を与えてしまったら悔やんでも悔やみきれ無いよ 集英社、岩波、光文社と三社からこれほど長大な作品の完訳が出てることはすごいよね
でも、どれを選ぶか迷ってしまって決められないよ 何年か前に挑戦してスワン家で挫折したこりゃムリだわと。
でも中村真一郎の四季〜夏〜秋〜冬を読んだら何となくコツが掴めた。
筑摩の井上訳〜最後の章は岩波の2冊で読破。 あ、光文社はまだ全巻出版し終わってなかったんですね 本日岩波版を読み終えた
読了までに数年かかったけど、どの巻でも「わたし」が扉を開いて待ち受けてくれていたな ネットやめてソシャゲやめてYouTubeもTwitterもみるのやめれば
すぐに読破できる
外は寒いしCOVID-19で自粛推奨だし プルーストよりこいつらのほうがすごくね?
漫画作品の人気を計る指標の一つに「発行巻数の多さ」があります。巻数の多い作品はそれだけ長く連載が続き、幅広い年代にわたってファンを獲得しているもの。
今回はそんな「巻数の多い漫画」の歴代ランキングを見てみましょう。100巻を超える漫画はなんと16作品も……あなたはどれだけ挙げられますか?
第1位:こちら葛飾区亀有公園前派出所(200巻)
第2位:ゴルゴ13(199巻)
第3位:ミナミの帝王(159巻)
第4位:クッキングパパ(155巻)
第5位:はじめの一歩(129巻)
第6位:浮浪雲(112巻)
第7位:美味しんぼ(111巻)
第8位:鬼平犯科帳(110巻)
第9位:弐十手物語(110巻)
第10位:静かなるドン(108巻)
第11位:あぶさん(107巻)
第11位:天牌(107巻)
第13位:釣りバカ日誌(106巻)
第13位:江戸前の旬(106巻)
第15位:パタリロ!(102巻)
第16位:あさりちゃん(100巻)
以下こちら
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/96654/5
全文はソースをご覧ください 産業としての商業作品とプルーストの時代のように数千部単位の時代の作品のあり方とは違うのではないかな
レ・ミゼラブルだって初版は5000部程度で大ヒット作なんでしょ
のんびり死ぬまで書き直していた趣味の作品なんだからさ
漫画は長く続くことを半ば強制されてるんだよ オリジナルはフランス語でひとつしかないのに、日本語プルーストだけ失われた時を求めて文庫だけでも、いくつも用意されてるってのはオモシロイ現象だと思う
岩波版が完結したから、光文社版もたのしみ >>556
死ぬまでっていってもたった13年だからな
そんな大層に言えたほどのもんじゃない
何十年と支持された商業作品でなおかつ一人で描いたわけではない漫画と
部屋に籠もって自己満で「芸術」に憧れ続けた作家の小説があるってだけ
作品単位では充分に比較可能 パタリロ!(102巻)やあさりちゃん(100巻)に「失われた時」以上の凄味を感じるわ
面白さでも果てしなさでも情感の豊かさにおいても上
ベタな物語もたまにある >>559
失われた時を求めては、部屋にこもって自己満で芸術に憧れ続けた作家の作品なのw >>561
そうでしょ
根っからの「芸術」志向なのは「楽しみと日々」読んでも分かるでしょw
まさか読んでないの?w >>562
あんな長いの読むわけないでしょ…一巻でイヤになったよ >>563
「失われた時」どころか「楽しみと日々」すら知らんひとがなんで>>556みたいなレスしてくんの?w
通りすがりの異常者と会話したくねえから黙っててくれる?w >>550
でも中村真一郎の四季〜夏〜秋〜冬を読んだら何となくコツが掴めた。
>中村先生、泉下で喜んでいるよう たしかになー
プルースト讃えてするっと母国語作家を忘れていくのもおかしなことだな
中村真一郎や辻邦生のような巨人はいまのチャラ文壇ではなかったことにされているかのよう >>568
おそらく君の日本語感覚がずれているんだよ
吉川訳がおかしいなら、どの巻の何ページのどの部分か書いてみなよ 岩波の文章なかなか良いよ
パラパラとめくってみた限りでは 高校生になったら失われた時を求めてくらいは読まんとな 最新版なだけに
光文社古典新訳文庫の訳が1番良いですね 光文社の続刊はいつから再開するかどなたか情報はありませんか 光文社は研磨本が多いから買わない
少しぐらい翻訳が悪くても岩波を買うべき 新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫がなくなったら困るが
光文社古典新訳文庫がなくなっても困らん
幼稚なイラストのカバーの文庫はさっさと消えてなくなって欲しい 光文社文庫古典新訳下げしてる人はいつも同じ人だなあ。同じことばかり繰り返し書いてるw 大き過ぎる活字は嫌いだけど
あの落書き調(失礼)の表紙は好き >>582
あんな表紙がなぜ好きなのか
センスが理解できん 失われたときを求めて、1巻しか読んでないけど、あれに印象派絵画とか出るの? >>577
訳者のTwitterフォローするのが確実 >>585
助言にしたがって高遠氏のを見てみましたけど、元気に講演などしているわりには続刊の話はまるでありませんね… >>586
彼のツイートを「拙訳」で検索すると
新刊が出そうなときはちゃんとアナウンスしてくれてるのがわかると思う
それがいつになるのかは誰もわからないw
余談だが「時の政府の紐つきになるのが厭で(科研費を)一度も申請しないまま」
というのには少々驚いた 岩波のがあるから光文社のは不要だな
翻訳者も岩波文庫となると力を入れるが
光文社のだとやる気もうせるのかもw プルースト翻訳者の吉川一義氏がフロイト全集の月報に書いてるけど面白い
プルーストはフロイトの著作をほぼ知らないにも関わらず(ほぼ同時代人)フロイトと似たような問題意識を持っていたんだな
フロイトの文学版と考えるとすごく読み応えがありそうだ 『ユリシーズ』と『失われた時を求めて』を30年以上前に読んだ時、
前者は言語学者が書いた小説、後者は精神分析学者が書いた小説と思ったね 高遠さんって、最近 白水社から『プルーストへの扉』の翻訳だしてるね。
本家はどうなった?まだ6巻なんだけど。 今月も光文社の新刊リストにプルーストはなかった
7月フロイト8月今昔物語9月カミュペストまでは発表されてるから少なくとも9月までには出ないね もう誰も期待してはいない
岩波のがあるから高遠訳は不要 (寄稿)困難な時代に与える勇気 プルースト生誕150年、現代への指針 吉川一義
https://www.asahi.com/articles/DA3S14964673.html
『失われた時を求めて』は、マルクス主義者サルトルの時代には、パリの上流貴族を描いた小説として軽蔑された。
その後一九六〇〜七〇年代には、プルーストを作品至上主義の先駆と仰ぐ新しい批評によって、高尚な聖典に祭りあげられ、
一般読者から遠ざけられた。
時は移り、いまやプルーストの小説をあるがままに受容できる時代になったのではないか。
標榜(ひょうぼう)するのがマルクス主義であれ民主主義であれ、あらゆる国に虚言と隠蔽(いんぺい)がはびこる。
この不信の時代を予見したかのように、プルーストの辛辣(しんらつ)な皮肉は、上流貴族ばかりかブルジョワにも庶民にも及ぶ。
ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪〈えんざい〉)や第一次大戦の変遷につれ、あらゆる階級の主張が節操なく移ろうからだ。
プルーストは、「軽蔑されるのが最も辛(つら)いのでわれわれがいちばんよく嘘(うそ)をつく相手」は「われわれ自身」だと、
人間の自己欺瞞(ぎまん)をも暴きだす。
*
厳密なことばへのプルーストの信頼も、現代への指針となる。
ドイツ軍によるパリ空襲下、敵は「無力と化した」と書きたてるマスコミの戦争プロパガンダに憤慨する作中のシャルリュス男爵は
「文法や論理学を擁護する人たち〔…〕が大きな災禍を回避してくれたことは、五十年経ってようやくわかる」と言う。
人間と社会の真実を究めようとするプルーストの小説は、困難な時代の読者にかぎりない勇気を与えてくれる。
ソ連の強制収容所において記憶に残るこの大作を語ることで生きのびたチャプスキの例もある(『収容所のプルースト』)。
「真の人生、ついに発見され解明された人生〔…〕それが文学である」と信じる作家の探究が、全篇を貫いているからであろう。 ロマンとリアルの一体なんてカントの書体のほうがいいけど、俺は答え知ってる。退屈するから長いものはな、退屈しない回答、アフォリズムとか、続きになってないから負担かけないとか、同じ奴が書きすぎないとか、作家は小説家はばだなあ。哲学者も。