(寄稿)困難な時代に与える勇気 プルースト生誕150年、現代への指針 吉川一義
https://www.asahi.com/articles/DA3S14964673.html


 『失われた時を求めて』は、マルクス主義者サルトルの時代には、パリの上流貴族を描いた小説として軽蔑された。
その後一九六〇〜七〇年代には、プルーストを作品至上主義の先駆と仰ぐ新しい批評によって、高尚な聖典に祭りあげられ、
一般読者から遠ざけられた。

 時は移り、いまやプルーストの小説をあるがままに受容できる時代になったのではないか。
標榜(ひょうぼう)するのがマルクス主義であれ民主主義であれ、あらゆる国に虚言と隠蔽(いんぺい)がはびこる。
この不信の時代を予見したかのように、プルーストの辛辣(しんらつ)な皮肉は、上流貴族ばかりかブルジョワにも庶民にも及ぶ。
ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪〈えんざい〉)や第一次大戦の変遷につれ、あらゆる階級の主張が節操なく移ろうからだ。
プルーストは、「軽蔑されるのが最も辛(つら)いのでわれわれがいちばんよく嘘(うそ)をつく相手」は「われわれ自身」だと、
人間の自己欺瞞(ぎまん)をも暴きだす。

     *

 厳密なことばへのプルーストの信頼も、現代への指針となる。
ドイツ軍によるパリ空襲下、敵は「無力と化した」と書きたてるマスコミの戦争プロパガンダに憤慨する作中のシャルリュス男爵は
「文法や論理学を擁護する人たち〔…〕が大きな災禍を回避してくれたことは、五十年経ってようやくわかる」と言う。

 人間と社会の真実を究めようとするプルーストの小説は、困難な時代の読者にかぎりない勇気を与えてくれる。
ソ連の強制収容所において記憶に残るこの大作を語ることで生きのびたチャプスキの例もある(『収容所のプルースト』)。
「真の人生、ついに発見され解明された人生〔…〕それが文学である」と信じる作家の探究が、全篇を貫いているからであろう。