最も影響を受けた小説の一節を挙げよう [無断転載禁止]©2ch.net
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鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』 >>1
私もこの一節、大好き。
これも有名どころで。
「道の曲がり角に何があるかわからないけど、最高のものが
待っていると信じるわ」(赤毛のアン) 「金がないのは首がないのと同じたい」
新堂冬樹 (タイトルは忘れた) 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟つた時、詩が生れて、畫が出來る。 she loves you yeah yeah yeah Many talik philosophers and live like fools. Study to be quiet. (アイザック・ウオルトン『釣魚大全』:穏やかであることを学べ:開高健訳) わかったら食べなはれ
ひもじい、寒い、もう死にたい
不幸はこの順番で来ますのや じゃりん子チエ そうでしょうとも。 コニー・ウィリス「航路」より、ジョアンナの口癖。 人生に必要なものは、少しばかりのお金(かね)とイマジネーション。 作家に必要なのはイマジネーションではないね
センスだよ
表現の審美眼
イマジネーションばかりしてるからなんでも奇抜なもの書けばいいと思ってる作家が多い 少しばかりのお金も間違っている。
少しでは生活保護もらわないと生活できない。
多額のお金が正しい。 >>26
全く同じ事を中原昌也が書いていました。ベルンハルトもそう思っていると思う。今「消去」の下巻を読んでるけど。 金のないのは首がないのと同じたい
新堂冬樹の詳説、タイトルは忘れた。 私の肉慾も、あの海のうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くゞりたいと思つた。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思つた。私は肉慾の小ささが悲しかつた。 真実は井戸の底にはない。
むしろ、重要な方の事実となると、それは表面の方にこそあるものだ。
エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」 「金は鋳造された自由である」
死の家の記録 ドストエフスキー 給料が上がる時って、物価が上がって金の価値が下がる時なんだよ
自営のオバチャン 小説ではないが、以下の言葉は俺は常に念頭におきたい。
***
生命(いのち)のために何を食い、身のために何を着んかと思いわずらうなかれ。
生命(いのち)は食物(しょくもつ)にまさり、身は衣服(いふく)にまさるにあらずや。
空の鳥を見よ、彼らはまくことなく、刈ることもなく、倉に納むることなきに、
汝らの天父(てんぷ)は、これを養い給う。 (中略)
また何とて衣服のために思いわずらうや、野の”ゆり”の、いかににして育つかを見よ、
働くことなく、紡(つむ)ぐことなし。されども、われ汝らに告ぐ、サロモンだも、その栄華の極みにおいて、
その”ゆり”の一つほどに装(よそお)ざりき。 文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ! 経綸と申すが多寡が絲篇いづれ天下は綱渡りのこと
まるまる遊んだところが杖突いて百年
おかげでニートです 私は仕合せだ
誰もそれを否定しない
第一、証拠がない 怒りの葡萄が・・・・。小説的にいうとね。おっぱいより好きかも。文学も。 >怒りの葡萄が・・・・。
馬鹿の一つ覚えwwwww
>・・・・
文章の書き方も知らないマヌケwwwww 課されているのは永遠の退屈だ
生の幻影は絶望と重なっている 「…戦争を否定するなんて、気◯いか、腰抜けぐらいよ…」
「そんなら、気◯いと腰抜け万歳さ!」
セリーヌ『夜の果てへの旅』 ベケットの名づけえぬものと事の次第読んでいろいろ楽になった
感謝してる 得たいの知れない不吉な塊が、終始私の心を押さえつけていた。
梶井基次郎 「檸檬」 ひねくれるつもりはないが、わたしはどうして現在のこの事態まで来てしまったのか、正直、よくわからないのだ。
若年時を思い出してみるかぎり、わたしがこんな秘密の行路をえらんだのは、それが祖国のゴールにいちばんまっすぐ、いちばん間近に迫るように思えたからだ。
あのころ敵といえば、はっきりとそれと指摘でき、新聞で読むことのできる相手だった。
いまのわたしにわかっているのは、自分が世の中すべてを陰謀という見地から解釈することを覚えたということだけだ。
それはわたしがきょうまで生きるに用いた剣であり、いま周囲を見まわすとき、いずれわたしの命を奪う剣でもあることがわかるのだ。
わたしは彼らがこわい。だが、わたしもまた彼らのひとりなのだ。
もしも彼らがわたしを背後から刺したなら、すくなくともそれは〈自分の同輩による裁き〉であると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています