講談社文芸文庫について語ろう2冊目 [無断転載禁止]©2ch.net
>>191
講談社文芸文庫は日本の文化レベルの衰退を示しているのかもね。これらの名作を通常の文庫で出版できないというのが現在の日本の限界。 >>192 >>193
年寄りを馬鹿にしてはいかん。中高時代に安部公房やマルケスの新刊を楽しみだった世代だから
歴史小説なら辻邦生、井上靖、円地文子『なまみこ物語』が好き
新潮文庫も絶版が多いな。息子の読書感想文用に『ガラス玉遊戯』奨めたら品切れで驚いた >>195
別に年寄りを馬鹿にしてないよ
本を買わずに図書館で借りる年寄りを馬鹿にしてるだけで 横光利一『紋章』の巻末解説は小島信夫なんだけど
事実誤認というか、本文をちゃんと読めば仕出かさない間違いがある >>196
年金6万円で生活とか生活保護の老人増えてるから仕方ない。
年金制度がそもそもおかしいんだよ。 年金財源は過去最高に潤ってるからハードルを上げる下げる
がだいじ。ベーシックインカムもそこそこいいけど。 図書館運営の財源は住民税をふくめた税金です
一般的にいって若年層より老人層の方が継続的な税負担によって図書館の運営に寄与してる
読書が趣味のじじばばが図書館を利用してQOLの充実をはかるのは当然
どんどん利用してください
30代のラノベファンより 図書館の価値を否定する土人がけっこういるのに驚きだわ。 「生活の余裕がある奴は図書館了解すんな」という主張は確かに暴論だよな。どんどん利用するべき。 だから、すべての図書館は講談社文芸文庫を全冊揃えるべき。下らない本を仕入れるのはやめろ!講談社文芸文庫を入れないでどんな本を入れるのよ?ハードカバーと重複してるとか気にすんなよ! 図書館に「近代日本の批評」が置いてないとかどうなってんだよ?バカなんじゃないの? 皆さんの、温かいお言葉に励まされて明日からも胸を張って図書館へ通えます、
ありがとう。全国の図書館ファンの老人に代わって。 知人が亡くなった時、市に「図書館の書籍購入費に」と1000万円寄付したところ
市役所職員が「使い道を指定されると迷惑」のような発言をしやがった
公務員の福利厚生費の水増しに使われたら堪らんから指定したんだろうに >>216
何様だよ
1000万寄付してそんなこと言われるなんて信じられんな
公にしてメディアとネットにボロカスに叩いてもらえば良かったのに 市役所職員でも横領したり未成年買春するようなやついるんだから、
使い道指定しておいたほうが寄付する側は安心だよなw 図書館自体も本の寄付は嫌がるよね。受け入れないところが多い
老人にとっては蔵書の始末は大問題で、死後は遺族も困る
長年本を読んでると数千冊はふつう。多い人だと数万冊になってる
古本屋に売っても構わないけど何だか虚しい。
整理が大変だろうけど購入費が減っている現在
図書館に入ってない個人全集や文学、思想などの
硬質の本だけでも受け入れて書架に並べて欲しいと思う 図書館じゃなくても本の寄付を受付しているところはたくさんありますよ。 まあ、本は場所を取るし、場所を取るがゆえにコストもかかるから場合によって寄贈を断るのはわかる
でも寄付金の使い道を決められると困る、というのは筋が通ってないね 使い道決めない金のほうが、役人たちは好き勝手使えて都合がいいんでしょうな。 一般寄附金 *寄附の使途を指定しない寄附金です。
*寄附の50%以上を公益目的事業に使用します。
*公益目的事業とは、図書館調査研究、図書館員の研修、図書館運営の相談等の図書館及び文化振興のための事業です。
指定寄附金 *寄附の使途を指定する寄附金です。
*寄附者は寄附の使途を指定することができます。
*寄附金の20%以内を管理費等法人運営に使用することがあります。
図書館協会で受け付けている寄付はこれだけ。「20%以内の使用を禁止する」寄付金は贈与税がかかることになる
1000万円もらったら125万円とられることになる 自然な流れなんで話題がたしょうスレタイから外れてもいいんじゃない。
本を読むことも年金、老人問題、図書館と社会問題とつながってくるよ。
二三のものが意図的に流れを作り占拠しているように見えないし。 図書館の購入予算もそうだけど個人も出版を支えるつもりで
いい本は自腹で買うという「支援」をした方がいいかもね
文芸文庫の値段が高いのは部数が少ないってことでもある たぶん個人的に出来る範囲については、この板にいる人はみんなやってるんじゃないかなあ。図書館が購入するようになれば、3000部くらいのベースが出来るんですよね。 この板にいる人たちは一般人よりはるかに本を買って貢献している。 『深い河』創作日記 (講談社文芸文庫) 文庫 - 2016/5/11
遠藤 周作 (著)
遠藤周作最期の、純文学書き下ろし長篇小説は、病魔と闘いながら、魂と体力のすべてをかけて書かれた。
『深い河』は遠藤周作の思考の行き着く果ての神についての、ひとつの結論であった。
構想から執筆までの苦悩。壮絶な日々。
書くこととは、神とは、を身をもって証明した著者の死後に発見された、感動の記録。
百間随筆1 (講談社文芸文庫ワイド) 文庫 - 2016/5/11
内田 百間 (著), 池内 紀 (編集)
「高利貸しに就いて」「鶴」「東京日記」他、軽妙、奇抜、ユーモアに溢れ、俳諧精神に裏打ちされた名エッセイを精選する。全二巻。
「現代の文学」月報集 (講談社文芸文庫) 文庫 - 2016/5/11
講談社文芸文庫 (編集)
1970年代に刊行された「現代の文学」は、三島由紀夫、大岡昇平、安部公房、遠藤周作、安岡章太郎、石原慎太郎、吉行淳之介、大江健三郎ら、
現代の文学シーンを象徴する作家の代表作を選りすぐった全39巻の文学全集。
全集購読者だけの特典である「月報」には、各作家の素顔を親しい小説家や評論家が綴るエッセイが毎号掲載された。
作家たちが生々しく放つ多種多様な人物像から、現代文学を生んだ精神性と時代感覚を、ダイナミックに俯瞰する。 深い河創作日記ってキンドルで540円で読めてしまうみたいだね
一方文芸文庫だと1512円か… ていうかさ、このスレで僕が書籍価格の原価率について書いたら色々ウダウダ言ってきたやついるけど(恨んでないんだからね!)、講談社文芸文庫のKindle版もあまり変わらない値段なわけじゃん。そこらへんどうなの? 僕も出来れば全ての本を文庫で読みたい。ハードカバーの有り難さとかまったく理解できない。 かといって手垢で黒ずんだの売るわけに行かないしで悩ましい 文庫だと持って歩けるからいいよね。
電車とか喫茶店とか、ちょっとしたときに読める。
好きな本をいつでも読める幸せ。 文芸文庫はスキャナ読み取りも読みやすく仕上がります
ただ、周囲余白が茶色く色褪せてると、黒く認識してしまうので、
読み取る前に余白の箇所も切り落として活字の部分のみにして
スキャナ読み取りさせています
活字も裁断しそうでハラハラドキドキものです
別に文芸文庫に限ったことではないですね それ自体が趣味的な感じか?
俺もハードカバーの新刊買うのが趣味だわ
大抵読まないで積んじゃうんだけど コツコツ自炊してタブレットサイズで読むよろし
寝落ちすると顔面に落下するぜ ワイド版はいい企画だ、これから高齢化社会が進行すると、需要は益々
高まるだろう、それに文芸文庫や岩波のようなハイ・ブラウな文庫は
もともと年齢の高い層をターゲットにしているので、文庫の路線ともマッチしている。 せめて本を読む人たちだけでも、仲良く、心穏やかに、平和でいられたら、と思います。 世代に分かれるというか、図書館使うやつを叩いてるだけ 図書館も古本屋も大手書店もAmazonもみんな使うで? 近所の図書館はベストセラーしか置いてないから使わない >>273
文芸誌とか絶版の本とか、読まれないんですか。 絶版の本が「汚くなったから」という理由で
廃棄本コーナーにあったのをもらってきたことがある 図書館叩きスレを作ればいいんじゃないかな。
文芸文庫の話をしよう。 講談社文芸文庫が廃刊したら、「文学は終わった」って心を込めて言えるよな。 明治以降の近代文学がおわり、新しい文学が起こりつつある時代
だからどっちも正しい 新しい文学が起こりつつあるのは本当に本当なんですか? >>284
現在進行中だから、花が咲くか途中で枯れてしまうか不明。
作品は書かれているんだから期待してもいい。
しかし経済と同じで長期低迷時代に入っているような気もする。
文化にも興隆と衰退のサイクルがあるような気がする。 >>286
過去の文学をきちんと咀嚼した上で新しい文学を作って欲しい、と僕は今の作家たちに対して思います。中上健次も言ってました。反発しても軽蔑してもいいから、とにかく一度は通過して欲しい、みたいな事を。 2016年05月01日(日) 村上龍 「こんな小説は書けない」と村上龍を打ちのめした傑作短編集講談社文芸文庫・私の一冊
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48472
このエッセイのために、久しぶりに各短編を読んでみた。だが、今読み返すと、何かが違う気がした。
何なのか、最初わからなかった。南紀州の無頼の男と流れ者の女の性行為が執拗に描かれる、という風に評されている。
だが「南紀州」ではなく「近畿・紀伊半島南部地方」と記すと印象が違ってくる。
「無頼の男」だと、どことなくかっこいいが、「低学歴の肉体労働者」「貧困層」などと表現すると、インパクトがなくなる。
「流れ者の女」だと、訳ありの艶っぽい女が目に浮かぶが、
「無職・住所不定でセックス依存症の女」と記すと、精神が不安定で貧相な女を想起してしまう。
さらに「性行為」ではなく、今風に「エッチ」だと、『水の女』の衝撃は完全に違うものに変質する。
違和感の正体は、中上健次が描き出した世界はもう存在しないということだった。
ただし、だから作品として価値が薄れるということではもちろんないし、
また、消滅した世界だから後世に残すという新しい価値が生まれるというわけでもない。
『水の女』は、時代に関係なく「自律」して存在している。性行為の描写は独特で、冷酷な印象もあるし、優しさも感じる。
登場人物たちの行為は「エッチ」ではないし、「セックス」とも違う気がする。
中上健次は「交接」という言葉を使っているが、問題の核心は、性行為を表す言葉ではない。
「冷酷さ」と「優しさ」が溶け合っていて判別がつかない性愛、それが『水の女』の最大の魅力だということだ。
最初に読んだとき、畏怖の念に打たれた。
すごいと思い、こんな小説は自分には絶対に書けないと、打ちのめされたような気分になった。
だが、しばらくすると、自分もこういう小説を書いてみたいと思うようになった。
「こういう小説」というのは、冷酷さと優しさが溶け合って、精神の「闇」が魅惑的に浮かび上がってくる、そんな作品だ。
まったく別の方法論、文体で書こうと決めて、数年後、わたしは『トパーズ』という連作短編を書きはじめることになる。